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2010/06/12

『東京朝日新聞』大正3(1914)年6月12日(金曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第五十一回

Kokoro13_2   先生の遺書

    (五十一)

 「先生先生といふのは一體誰(たれ)の事だい」と兄が聞いた。

 「こないだ話したぢやないか」と私は答へた。私は自分で質問して置きながら、すぐ他(ひと)の説明を忘れてしまふ兄に對して不快の念を起した。

 「聞いた事は聞いたけれども」

 兄は必竟聞いても解らないと云ふのであつた。私から見ればなにも無理に先生を兄に理解して貰ふ必要はなかつた。けれども腹は立つた。又例の兄らしい所が出て來たと思つた。

 先生々々と私が尊敬する以上、其人は必ず著名の士でなくてはならないやうに兄は考へてゐた。少なくとも大學の教授位(ぐらゐ)だらうと推察してゐた。名もない人、何もしてゐない人、それが何處に價値を有つてゐるだらう。兄の腹は此點に於て、父と全く同じものであつた。けれども父が何も出來ないから遊んでゐるのだと速斷するのに引きかへて、兄は何か遣れる能力があるのに、ぶらぶらしてゐるのは詰らん人間に限ると云つた風の口吻を洩らした。

 「イゴイストは不可(いけな)いね。何もしないで生きてゐやうといふのは横着な了簡だからね。人は自分の有つてゐる才能を出來る丈働かせなくつちや嘘だ」

 私は兄に向つて、自分の使つてゐるイゴイストの言葉の意味が能く解るかと聞き返して遣りたかつた。

 「それでも其人の御蔭で地位が出來ればまあ結構だ。御父さんも喜んでるやうぢやないか」

 兄は後から斯んな事を云つた。先生から明瞭な手紙(てかみ)の來ない以上、私はさう信ずる事も出來ず、またさう口に出す勇氣もなかつた。それを母の早呑込でみんなにさう吹聽してしまつた今となつて見ると、私は急にそれを打ち消す譯に行かなくなつた。私は母に催促される迄もなく、先生の手紙(てかみ)を待ち受けた。さうして其手紙(てかみ)に、何うかみんなの考へてゐるやうな衣食の口の事が書いてあれば可いがと念じた。私は死に瀕してゐる父の手前、其父に幾分でも安心させて遣りたいと祈りつゝある母の手前、働かなければ人間でないやうにいふ兄の手前、其他妹の夫だの伯父だの叔母だのゝ手前、私のちつとも頓着してゐない事に、神經を悩まさなければならなかつた。

 父が變な黄色いものを嘔いた時、私はかつて先生と奧さんから聞かされた危險を思ひ出した。「あゝして長く寢てゐるんだから胃も惡くなる筈だね」と云つた母の顏を見て、何も知らない其人の前に涙ぐんだ。

 兄と私が茶の間で落ち合つた時、兄は「聞いたか」と云つた。それは醫者が歸り際に兄に向つて云つた事を聞いたかといふ意味であつた。私には説明を待たないでも其意味が能く解つてゐた。

 「御前此處へ歸つて來て、宅(うち)の事を監理(かんり)する氣はないか」と兄が私を顧みた。私は何とも答へなかつた。

 「御母さん一人ぢや、何うする事も出來ないだらう」と兄が又云つた。兄は私を土の臭を嗅いで朽ちて行つても惜しくないやうに見てゐた。

 「本を讀む丈なら、田舍でも充分出來るし、それに働らく必要もなくなるし、丁度好(い)いだらう」

 「兄さんが歸つて來るのが順ですね」と私が云つた。

 「おれにそんな事が出來るものか」と兄は一口に斥けた。兄の腹の中には、世の中で是から仕事をしやうといふ氣が充ち滿ちてゐた。

 「御前が厭なら、まあ伯父さんにでも世話を賴むんだが、夫にしても御母さんは何方かで引き取らなくつちやなるまい」

 「御母さんが此處を動くか動かないかゞ既に大きな疑問ですよ」

 兄弟はまだ父の死なない前から、父の死んだ後に就いて、斯んな風に語り合つた。

Line_2

やぶちゃんの摑み:ここで最大のポイントは兄の口をついて出る「イゴイスト」である。因みに底本には「【参考】」として6月12日(金)の『大阪朝日新聞』の記事として「シーメンス事件公判」の記事を掲載している。これが、今回の(及び次回の)『大阪朝日新聞』への「心」掲載遅滞と何らかの関係があるのか? それともただのエポック・メーキングな時代背景を示すための「参考」事件なのか?(実は私は馬鹿なのか、何でここに、この、記事を参考として載せているのかが、私にはあまりピンとこないのである) 識者の御教授を乞うものである。

♡『名もない人、何もしてゐない人、それが何處に價値を有つてゐるだらう。兄の腹は此點に於て、父と全く同じものであつた。けれども父が何も出來ないから遊んでゐるのだと速斷するのに引きかへて、兄は何か遣れる能力があるのに、ぶらぶらしてゐるのは詰らん人間に限ると云つた風の口吻を洩らした。/「イゴイストは不可いね。何もしないで生きてゐやうといふのは横着な了簡だからね。人は自分の有つてゐる才能を出來る丈働かせなくつちや嘘だ」』先生の存在が当時の一般的庶民(高等遊民でないという意味に於いて)からすればどのように思われていたかが極めてはっきりと示される部分である。少なくとも大衆の大半は先生をこう捉えた――だが、勿論、『「私」の考える尊敬する先生は、そうではない。そして、一見、凡庸な人間からはそう見えるが、「私」から見ればそこに憧憬するに値する素晴らしい思想と存在がある。そうした人である』、訳だ――そういう否定論法から先生の真の思想と存在に迫り得るということにまず気づく必要がある。そしてやはり大事な点は主題の琴線に触れるところの「イゴイスト」という確信犯的言辞の使用である。そうしてここでは兄の謂わば、誤った用法としての「イゴイスト」が示されていることに注意せねばならぬ。即ち、兄は「何か遣れる能力があるのに、ぶらぶらしてゐる」ような輩は「詰らん人間」以外の何者でもなく、「何もしないで生きてゐやうといふのは横着な了簡」であり、そういう人間を「イゴイスト」というのである、「自分の有つてゐる才能を出來る丈働かせ」てこそ正しい人間と言えるのであり、そうでない人間、国家や集団に不断に貢献することが不能であったり、その能力を持ちながら怠るような非社会的人間は人間として失格である=「イゴイスト」である、という論理を展開していることに着目せねばならぬのだ。ここでの文脈から言えば、漱石は無知な大衆の多くは、エゴイズムという言葉の意味を、この兄のように『社会貢献が不能であったり、それを忌避しようとする人間』を十把一絡げにしてエゴイストの烙印を押して批難しているが、それは大いなる誤りだと言いたいのである。だからこそ、ここで「私」の「私は兄に向つて、自分の使つてゐるイゴイストといふ言葉の意味が能く解るかと聞き返して遣りたかつた」という強い不満を含んだ感懐を鋭く挟むのである(これは心内表現であってこの直後の兄との関係の展開自体に重大な変化を起こしていない点に注意すべきである。即ち、これは読者に向けて放たれた鋭い謂いなのである)。そもそも兄の「イゴイスト」は、今、こうして抜き出してみると、狭義の自己快楽主義としてのエゴイズムに基づきながら、社会的貢献性や功利主義、更にはこの大正時代、匂いつつあった国家主義への親和性を混入させた異様な誤った謂いであるとはっきり言える。その証拠にこの「イゴイスト」を「そういう輩」に置き換えると――「そういう輩は不可いね。何もしないで生きてゐやうといふのは横着な了簡だからね。人は自分の有つてゐる才能を出來る丈働かせなくつちや嘘だ」――ちょいと説教垂れる御仁の言葉として、何らの違和感がないことに気づくのだ。ところが、それは当時既に「イゴイスト」として批難されていた。漱石がこう書くということそのものが、当時のエゴイズムと個人主義を味噌も糞も一緒くたにしている大衆の根本的錯誤や致命的な浅薄さへの、漱石の指弾であるとさえ言えるのではなかろうか?――私が本作「心」で描かんとする、問題せんとするところの『人の心のエゴイズム』とは、君らの考えるような、生易しいものではなく、自ずから全く異なった、今まで諸君が考えたこともないような、人の現存在そのものに関わるところの哲学的なる謂いなのだ、『人間が真に人間であるための』奥深い謂いなのだ――と。

「監理(かんり)」この漢字であれば「かんり」のルビは正しい。監督・管理の意で取れないことはなく、違和感はない。但し、『大阪朝日新聞』6月13日(土)版(前章で述べた通り、一日づれている)では「管理(くわんり)」とある。原稿は「監理」である。

♡「御前此處へ歸つて來て、宅の事を監理する氣はないか」という兄の言葉は言下にそれを望んでいる謂いであるが、直後にきっぱりとした正論としての「兄さんが歸つて來るのが順ですね」との私の言を予想しており、仕事上、「おれにそんな事が出來るものか」と一蹴、直後に直ぐ、「御前が厭なら、まあ伯父さんにでも世話を賴むんだが、夫にしても御母さんは何方かで引き取らなくつちやなるまい」と来る辺りは、既に伯父に実家の管理を依頼することを半ば想定しているという印象を与える。実際にこの伯父は次章の父に遺言がないというところで正に二人から相談を受けている。そうして、それは結局、後に遺書で先生が叔父に財産を誤魔化された、叔父に裏切られたと告白する内容と美事にダブるように仕組まれていることに気づかねばならぬ。

♡「兄は私を土の臭を嗅いで朽ちて行つても惜しくないやうに見てゐた」というところに、この兄弟の決定的な溝が見える。兄は弟の「私」を人間的に認めていないのである。「私」は血の繋がった弟故に、その兄の冷酷さを既に諦観して決定的な距離を置いているのである。この兄は、実は「私」にとって最も近い生物学的遺伝的存在でありながら、人間としては恐らく作中、最も無限遠に近い距離に立っている存在として捉えてよいように思われる。即ち、何度も繰り返される凡庸で退屈ではあっても、血の繋がった肉親であることに吃驚する「父」や、センチメンタルな哀愁を帯びた「母」の在り方とは違い、何らのセンチメントを介在させない完全に一線を画した『他者たる血族』『近代法によって守られたエゴイスティクな家長権継承者』として、私のような兄弟のいない者には、かえって信じ難いほどに「私」から、冷たく描写されているとしか思えないのである。なお、若草書房2000年刊藤井淑禎注釈「漱石文学全注釈 12 心」で藤井氏はここに注して、『都会に出て高等教育を受けることが、多くの「忌郷病」患者を生んでいた』とし、社会的に『「地方に居る事を厭がつて、無闇に東京へ出て来たがる」(「一地方の大黒柱」『学生』明治45・7)青年は、この時期、集中攻撃の対象だった。このことは、当然、「土の臭を嗅いで朽ちて行つても」というような考え方をする私を、読者がどう見ていたか、ということにも関わってくるのである。』と記されている。こうした当時の読者(その読者の年齢と職業と立場の個別的階層的抽出と詳細な比較検討が必要ではあるが)が「私」の表現をどう思ったか、という視点は大変重要で、示唆に富むものと感じた。]

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