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2010/07/04

『東京朝日新聞』大正3(1914)年7月4日(土曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第七十二回

Kokoro15_7     先生の遺書

    (七十二)

 「私は宅へ歸つて奥さんと御孃さんに其話をしました。奥さんは笑ひました。然し定めて迷惑だらうと云つて私の顏を見ました。私は其時腹のなかで、男は斯(こん)な風にして、女から氣を引いて見られるのかと思ひました。奥さんの眼は充分私にさう思はせる丈の意味を有つてゐたのです。私は其時自分の考へてゐる通りを直截に打ち明けて仕舞へば好かつたかも知れません。然し私にはもう狐疑(こぎ)といふ薩張(さつぱ)りしない塊がこびり付いてゐました。私は打ち明けやうとして、ひよいと留(と)まりました。さうして話の角度を故意に少し外(そ)らしました。

 私は肝心の自分といふものを問題の中から引き拔いて仕舞ひました。さうして御孃さんの結婚について、奥さんの意中を探つたのです。奥さんは二三さういふ話のないでもないやうな事を、明らかに告げました。然しまだ學校へ出てゐる位(くらゐ)で年が若いから、此方(こちら)では左程急がないのだと説明しました。奥さんは口へは出さないけれども、御孃さんの容色に大分(だいぶ)重きを置いてゐるらしく見えました。極(き)めやうと思へば何時でも極められるんだからといふやうな事さへ口外しました。それから御孃さんより外に子供(ことも)がないのも、容易に手離したがらない源因になつてゐました。嫁に遣るか、聟を取るか、それにさへ迷つてゐるのではなからうかと思はれる所もありました。

 話してゐるうちに、私は色々の知識を奥さんから得たやうな氣がしました。然しそれがために、私は機會を逸したと同樣の結果に陷(おちい)いつてしまひました。私は自分に就いて、ついに一言(いちごん)も口を開く事が出來ませんでした。私は好い加減な所で話を切り上げて、自分の室へ歸らうとしました。

 さつき迄傍にゐて、あんまりだわとか何とか云つて笑つた御孃さんは、何時の間にか向ふの隅に行つて、脊中を此方へ向けてゐました。私は立たうとして振り返つた時、其後姿を見たのです。後姿だけで人間の心が讀める筈はありません。御孃さんが此問題について何う考へてゐるか、私には見當が付きませんでした。御孃さんは戸棚を前にして坐つてゐました。其戸棚の一尺ばかり開いてゐる隙間から、御孃さんは何か引き出して膝の上へ置いて眺めてゐるらしかつたのです。私の眼はその隙間の端(はじ)に、昨日(きのふ)買つた反物を見付け出しました。私の着物も御孃さんのも同じ戸棚の隅に重ねてあつたのです。

 私が何とも云はずに席を立ち掛けると、奥さんは急に改たまつた調子になつて、私に何う思ふかと聞くのです。その聞き方は何をどう思ふのかと反問しなければ解らない程不意でした。それが御孃さんを早く片付けた方が得策だらうかといふ意味だと判然(はつきり)した時、私は成るべく緩(ゆつ)くらな方が可(い)いだらうと答へました。奥さんは自分もさう思ふと云ひました。

 奥さんと御孃さんと私の關係が斯うなつてゐる所へ、もう一人男が入り込まなければならない事になりました。其男が此家庭の一員となつた結果は、私の運命に非常な變化を來してゐます。もし其男が私の生活の行路を横切らなかつたならば、恐らくかういふ長いものを貴方に書き殘す必要も起らなかつたでせう。私は手もなく、魔の通る前に立つて、其瞬間の影に一生を薄暗くされて氣が付かずにゐたのと同じ事です。自白すると、私は自分で其男を宅へ引張つて來たのです。無論奥さんの許諾も必要ですから、私は最初何もかも隱さず打ち明けて、奥さんに賴んだのです。所が奥さんは止せと云ひました。私には連れて來なければ濟まない事情が充分あるのに、止せといふ奥さんの方には、筋の立つ理窟は丸でなかつたのです。だから私は私の善(い)いと思ふ所を強ひて斷行してしまひました。

Lineburogusironuki_5

やぶちゃんの摑み:遂にKが登場する。しかし、それ以上に、このシークエンスは前章からの流れの中でK登場以前の遺書前半のクライマックスなのである。まずは私のこの部分のシナリオを味わってもらおう。

 夏目漱石原作やぶちゃん脚色「心」撮影用台本 (copyright 2010 Yabtyan

◎シーン72(モノクロ・1シークエンス27ショット)
(F.I.)
●茶の間
夕食後、茶の時間。各自の前に平らげた箱膳。中央に火屋の大き目な洋灯(ランプ)。
○ショット1(ランプの火屋を右になめて箱膳を含めた先生のフル・ショット。)
先生「……実は今日、大学で友人の一人から何時妻を迎えたのかと冷やかされましてね。お前の細君は非常に美人だなどと言って賞められました。(靜の方をちらりと見る。)どうも一昨日(おとつい)、三人連れで日本橋へ出掛けたところを、その男に何処かで見られたようです。」
○ショット2(箱膳を含めた奥さんの左からのフラットなフル・ショット。向うに伏目がちにはにかんでいる靜にも焦点を合わせて入れる。)
奥さん「まあ……(笑いながら)でも定めし、ご迷惑でしたろう?」
と笑ったまま、やや探るような下目遣いで見る。
○ショット3(先生の頭部のフル・ショット。)
その目に気づきながら、気づかぬ振りをして先生は平静を装う。少し間。先生、何か口を開いて言いかけようとする。がまた、口を噤んで、また暫く間を置いてから、
先生「……あの……時に、お嬢さんには……その、縁談のお話などは、当然もう、おありになるんでしょうね?」
○ショット4(奥さんの頭部のフル・ショット。向うにぼんやりした靜の面影。)
奥さん「(笑いながら)……ええ、二、三そういう話がないでも御座いませんが……でもねえ、未だ女学校へ通っているぐらいで、年も若う御座いますしね……こちらでは、さほど急いでは御座いませんの……」
○ショット5(靜の横顔のフル・ショット。)
靜「ま……こっちではなんて……あんまりだわ!」
とぷっと膨れる。しかし、直ぐに笑顔。
○ショット6(ショット2と同じ位置から。奥さん、靜の方を向く。向うに笑みを浮かべた伏目がちの靜。)
そのまま奥さん、ゆっくりと顔を左手(先生の方)へ直る。満足げな笑み。
奥さん「まあ……決めようと思うなら……宅(うち)では二人ぎりです御座いますから、いつでも直ぐに決められますけれど……そりゃあ、どうしても、この子一人ぎりで御座いましょう?……ちょいと、思案致しますこともないわけでは、ありませんの……」
○ショット7(天井から三人を俯瞰。)
暫し、沈黙。先生、茶を啜る。
○ショット8(アップ。)
先生の右の眼鏡の前面に映る奥さんと靜を含む茶の間の、やや歪んだ映像。
○ショット9(ショット1と同じ仰角のフル・ショット。)
先生、再び口を開き、また閉じる。そうして徐ろに上体を起こして、
先生「……さて……では、そろそろお暇致します……」
と立ち上がる。(そのままカメラは少し引いて先生の立ったフル・ショットへ)
先生、頭(こうべ)を右に廻して振り返り、茶の間の奥を凝っと見下ろす。
○ショット10(フラットに。)
いつの間にか、茶の間奥の戸棚の前に、こちらに背を向けて座っている靜。
○ショット11(アップ。)
先生の顔。眼鏡に奥さんと靜の映像が写っている。
○ショット12(アップ。)
靜の右後ろから横顔。
(カメラ、ゆっくり靜の膝の上へとティルト・ダウン。)
膝の向う、30㎝程引き開けられた戸棚。戸棚から伸びる艶やかな靜の反物。
それをゆっくりと撫でる靜の手。
(カメラ、その動きに沿って戸棚の方へパン。)
戸棚の中の隅。
靜の反物に重ね置かれている先生のすっきりとした紺の反物。
○ショット13(アップ)
反物に眼を落としている靜の右横顔。
○ショット14(先生の右眼鏡をフレームにして魚眼レンズ。)
茶の間の奥の靜、見上げる奥さん。
○ショット15
先生、何も言わずに左の廊下の障子の方へ歩みかける。
○ショット17(煽りのバスト・ショット。)
奥さん「(急に改たまった調子で)どう思われます?」
○ショット18(バスト・ショット。)
振り返る先生。
先生「……は? 何をですか?……」
○ショット19(15よりさらに寄った煽りのバスト・ショット。)
奥さん「この子を……早く片付けた方がよろしいでしょうかねえ?……」
○ショット20(茶の間奥、戸棚の下位置から、座った伏目の靜の右半身をなめて。)
見上げる奥さんと先生。
先生「……そうですね……なるべくゆっくら方が、好(い)いでしょう。……」
○ショット21(19よりさらにさらに寄った煽りのバスト・ショット。)
奥さん「……(笑って)私もそう存じます。……」
○ショット22(先生の頭部煽り。)
先生「では、お休みなさい。」
○ショット23(廊下上から俯瞰。)
障子を開けて出る先生。頭越し、向うに奥さんと背を向けた靜の面影。
○ショット24(ショット20と同じ茶の間奥の戸棚下位置から、座った更に伏目がちになった靜の右半身をなめて。)
茶の間を出てゆく先生。障子、閉まる。
○ショット25(奥さんのバストショット右側から。)
奥さんの顔から笑顔が消え、少し失望した風でゆっくりと靜の方を見る。
○ショット26(バスト・ショット。)
戸棚の前の靜の背中。分かるか分からないか程、靜、頭を落す。(遠ざかる先生の足音が被る。)
○ショット27(アップ。)
ランプの火屋。炎。
(F.O.)

 この最後の靜の背中こそが本章の最大の摑みである。

 前章に続いて、若草書房2000年刊藤井淑禎注釈「漱石文学全注釈 12 心」の、このシークエンスに対する、私が全面的賛同する藤井氏の解説をお示しする。前章の日本橋への買物のシーンで『すでにプロポーズの機は十分に熟していたのではないか。加えて、その夜の外食といい、翌々日の友人等の噂、そしてその報告をキッカケとするお嬢さんの将来の話とお膳立てはできていた』と藤井氏は断じる(「キッカケ」のカタカナ表記はママ)。そして『にもかかわらず、先生は「一言も口を開」かず、「好い加減な所で話を切り上げて、自分の室へ歸らうと」する。部屋の隅で背中をこちらへ向け、買ってもらった反物をみつめていたお嬢さんの失望は、いかばかりであったろう』と記す。ここに私は激しく共感するのだ。それが先の私の映像台本のラストのショット26の謂いなのでもある。『先生には』靜と結婚したいという『意志はないのではないかと母娘は』激しい内心の失意と共に『思わざるをえなかったのではないか』という見解にも共鳴出来る。最後に、『にもかかわらず、意志がないなどとは信じられないという半信半疑の思いが、奥さんに「何う思うか」というすがりつかんばかりの問いを発せしめているのだ。』という言明は、言いえて妙と言わざるを得ない鋭い指摘なのである。奥さんを演じる私の映画「心」の女優には、是が非でもこのショット17から25までの演技を覚悟してディグしてもらわねばならないのである。

 先生は「後姿だけで人間の心が讀める筈はありません」と言う。そうだろうか? 我々は後姿にさえ落胆や懼れやときめきを読み取れる。読み取れぬ先生はおかしいと私は思う。いや、先生は後に、同じようにKの視線を三度見逃す――読み取るべき内容を読み落すこと、読み違えるで人生の岐路を致命的に踏み誤ってゆく先生――しかし、それが人間の多くの真実でもある、とも言えるのかも知れない。かく批判的に言い起した私でさえ――『私という人生は失敗だった。』という私であってみれば――

なお、この回と次の回のみ、最後の飾罫が上の通り、明らかに白ヌキのものに変わっている。

「男は斯んな風にして、女から氣を引いて見られるのか」女は、こうした台詞回しや態度で、ターゲットとした男に暗に誘いかけて、その気持ちを探り出そうとするのか、というやや批判的なニュアンスを持った意である。しかし先生はいつもの「狐疑」によって、同様の意図を持った探りを以下に発動させ、同様の企みとして「奥さんの意中を探つ」て「色々の知識を奥さんから得」ることに美事に成功するわけであり、「女から氣を引いて見られる」どころか、その逆手を取って先方から戦略上有益な情報を入手し得たと、何処かで冷めたような余裕で発言している様子さえ見えるのである。

「狐疑」狐は疑い深い性質の動物であるという認識から、相手のことを疑うことを指す。「狐疑逡巡する」等と使い、疑いためらってぐずぐずすることを言う。

♡「昨日(きのふ)買つた反物」単行本「こゝろ」では「一昨日(おとゝひ)買つた反物を」と訂正されている。

「其男が此家庭の一員となつた結果は、私の運命に非常な變化を來してゐます。もし其男が私の生活の行路を横切らなかつたならば、恐らくかういふ長いものを貴方に書き殘す必要も起らなかつたでせう。私は手もなく、魔の通る前に立つて、其瞬間の影に一生を薄暗くされて氣が付かずにゐたのと同じ事です」この物謂いの異様さにお気づきになられただろうか? その叙述は徹頭徹尾、

『その男によって』『その男のために』私の人生は致命的に暗くされた

と訴えているのである。是が非でも確認しておかずにはおられない。誰のために? 誰でもない、ここで不当に「魔」とされているKのために、である。

●「私の運命」は「其男が此家庭の一員となつた結果」「非常な變化を來し」致命的に救いがたいものとなってしまった――

●「もし其男が私の生活の行路を横切らなかつたならば」私は「かういふ長いものを貴方に書き殘す」ような数奇な人生を送ることもなく、平穏な人生を、君という良き弟子を得て幸せな余生を送ることが出来た――

●その時「私は」予め防御の姿勢をとることも出来ず、手玉に取られるように「其男」、即ち、私にとっての「魔」的存在が、やすやすと私の魂を通り抜けて私の人生を完膚なきまでに未来永劫破壊して行くのを、ただ成す術もなく(というより安全だと騙されて)黙って見過していたようなものだ――

●「其男」即ち「魔」的存在がしかけてきた、「瞬間の」、しかし、どす黒い本質的な暗黒物質で出来上がった「影に」心を刺し貫かれて私の大事な「一生を薄暗くされて」しまったことに「氣が付かずにゐた」のと同じなのだ――

駄目押しは、

●おまけに如何にもおめでたい事に、「私は自分で其」悪魔のような「男を宅へ引張つて來たの」だった――

と言うのだ。私は読み直す毎に、この部分が苦くなる――如何にも先生の「謂い」の厭な場面として苦くなるのである。

「所が奥さんは止せと云ひました。私には連れて來なければ濟まない事情が充分あるのに、止せといふ奥さんの方には、筋の立つ理窟は丸でなかつたのです」女の第六感は正しい。いいや、奥さんは第六感なんどという怪しげなものではなく、ちゃんとした判断の中でこの後に起こること起こり得ることを予期しているのである。それは事実としても少しも不思議なことではなく、また、この奥さんをここで、私はイタコや巫女に比して見てもよいである。アブナい話に脱線しよう、というのではない。単純なことだ。イタコは、超自然の能力を発揮し霊と会話する、のではない(そう「信じる」ことを私は否定しない)。彼らは、鋭く研ぎ澄ました五感を鋭敏に働かせて、その依頼者の声や抑揚や息遣いから各人の中にある心的複合(コンプレクス)を瞬時に理解し、自らその依頼者の求むるところの霊になりきって(それを「演じる」というか「憑く」というかは最早問題ではない)、その依頼者=生者の側の魂を慰める、熟達した感覚者の謂いなのである。「止せといふ奥さんの方には、筋の立つ理窟は丸でなかつた」わけではない。分かり易い「理窟」はあるのだ。それは、ここでの奥さんの虞れが再度示される第(七十七)回で極めてはっきりと理解されるように書かれているのだ。「前にも話した通り、奥さんは私の此處置に對して始めは不贊成だつたのです。下宿屋ならば、一人より二人が便利だし、二人より三人が得になるけれども、商賣でないのだから、成るべくなら止した方が好いといふのです。私が決して世話の燒ける人でないから構ふまいといふと、世話は燒けないでも、氣心の知れない人は厭だと答へるのです。それでは今厄介になつてゐる私だつて同じ事ではないかと詰ると、私の氣心は初めから能く分つてゐると辯解して已まないのです。私は苦笑しました。すると奥さんは又理窟の方向を更へます。そんな人を連れて來るのは、私の爲に惡いから止せと云ひ直します。何故私のために惡いかと聞くと、今度は向ふで苦笑するのです。」苦笑するしかあるまい。これが分からぬ先生は鈍感以外の何者でもない。但し、だからそれを止めるかどうかという問題とは、また違ってくることも事実である。何れにせよ、最近流行りの言葉を用いるなら『先生の自己責任』であることに変わりはない。私なら――私が先生ならどうか? 矢張り、下宿にKを連れて来るであろう――。

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