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2010/08/21

耳嚢 巻之三 狂歌流行の事

「耳嚢 巻之三」に「狂歌流行の事」を収載した。

 狂歌流行の事

 天明の初めより東都に專ら狂歌流行しけるが、色々面白き俗諺(ぞくげん)を以(もつて)哥名(かめい)として、四茂野阿加良(よものあから)、阿氣羅觀江(あけらかんかう)、智惠の内侍(ちゑのないし)など名乘りて、集會などもありし由。四茂野阿賀良などは共通の宗匠といひし由。右狂歌は萬歳集などいへる板木にあれば洩(もら)しぬ。阿賀良が親友の七十の賀の歌などは面白き故爰にしるしぬ。

 七ツやを十ウあつめたる齡ひにてぶち殺しても死なぬ也けり

阿氣羅觀江よし原に遊びて居續(ゐつづけ)などして歸らざりければ、其妻詠るよし、

 飛鳥川内は野となれ山櫻ちらずば寢には歸らざらまし

吉原町に春は中の町に櫻を植て遊人を集(あつむ)る事なれ。右櫻を詠(よみ)いれて根にかへらじの心、面白き故爰に記しぬ。

□やぶちゃん注

○前項連関:特に連関を感じさせない。

・「天明の初め」天明年間は西暦1781年から1789年までであるが、後掲する「万歳狂歌集」の刊行が天明3(1783)年のこと。

・「狂歌」社会風刺・皮肉・滑稽を盛り込んだ五・七・五・七・七の短歌形式の諧謔歌。以下、ウィキの「狂歌」より引用する。『狂歌の起こりは古代・中世にさかのぼり、狂歌という言葉自体は平安時代に用例があるという。落書(らくしょ)などもその系譜に含めて考えることができる。独自の分野として発達したのは江戸時代中期で、享保年間に上方で活躍した鯛屋貞柳などが知られる』。鯛屋貞柳は「たいやていりゅう」と読み、本名永田良因(後に言因と改名)。鯛屋という屋号の菓子商人出身であった。上方の狂歌歌壇の第一人者で、「八百屋お七」で知られる浄瑠璃作者にして俳人・狂歌師であった紀海音の兄でもある。狂歌の解説に戻る。『特筆されるのは江戸の天明狂歌の時代で、狂歌がひとつの社会現象化した。そのきっかけとなったのが、明和4年(1767年)に当時19歳の大田南畝(蜀山人・四方赤良(よものあから))が著した狂詩集「寝惚先生文集」で、そこには平賀源内が序文を寄せている。明和6年(1769年)には唐衣橘洲の屋敷で初の狂歌会が催されている。これ以後、狂歌の愛好者らは狂歌連)を作って創作に励んだ。朱楽菅江、宿屋飯盛(石川雅望)らの名もよく知られている。狂歌には、「古今集」などの名作を諧謔化した作品が多く見られる。これは短歌の本歌取りの手法を用いたものといえる』とある。天明調狂歌の特徴は歯切れの良さや洒落奔放(しゃらくほんぽう)にある。

・「俗諺」俚諺。世間で使われている諺(ことわざ)。

・「四茂野阿加良」一般には「四方赤良」と表記。にして狂歌師大田南畝(おおたなんぽ 寛延2(1749)年~文政5(1823)年)の筆名。本名大田覃(おおたふかし)。通称は直次郎・七左衛門。筆名多く、四方赤良の他、寝惚先生・杏花園・蜀山人・玉川漁翁・石楠齋など。明和4(1767)年に当時19歳で狂詩集『寝惚先生文集』を表わし、これが狂歌ブームの起爆剤となった(序文は平賀源内)。なお、四方赤良という雅号は、彼の好いた銘酒「滝水」で有名な江戸日本橋新和泉町の酒屋四方久兵衛の店で売る赤味噌や酒の略称を捩(もじ)って使ったものとされる。以下、幾つかの狂歌をウィキクォートの「大田南畝に引用されているものを示す(但し、正字に変換し、本歌の説明部分に手を加えた)。まずは四方赤良名義の狂歌。

 世の中は色と酒とが敵(かたき)なりどふぞ敵にめぐりあいたい

 わが禁酒破れ衣となりにけりさしてもらおうついでもらおう

 をやまんとすれども雨の足しげく又もふみこむ戀のぬかるみ

 ものゝふも臆病風やたちぬらん大つごもりのかけとりの聲

 世の中はいつも月夜に米のめしさてまた申し金のほしさよ

 長生をすれば苦しき責を受くめでた過ぎたる御代の靜けさ

 難や見物遊山は御法度で錢金持たず死ぬる日を待つ

 今さらに何か惜しまむ神武より二千年來暮れてゆく年

 ほととぎす鳴きつるあとにあきれたる後德大寺の有明の顏

これは後徳大寺左大臣の

『郭公のなきつるかたをながむればただ有明の月ぞのこれる』

の本歌取りである。

 山吹のはながみばかり金いれにみのひとつだになきぞかなしき

これは兼明親王の

『七重八重花は咲けども山吹の實のひとつだになきぞかなしき』

の本歌取りである。
次に蜀山人名義のもの。

 鎌倉の海よりいでしはつ鰹みなむさし野のはらにこそいれ

 雜巾も當て字で書けば藏と金あちらふくふくこちらふくふく

 ひとつとりふたつとりてはやいてくふ鶉(うづら)なくなる深草のさと

これは藤原俊成の

『夕されば野邊の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里』

の本歌取りである。

 駒とめて袖うちはらふ世話もなし坊主合羽の雪の夕ぐれ

これは藤原定家の

『駒とめて袖うちはらふかげもなしさののわたりの雪の夕暮』

の本歌取りである。

 世の中にたえて女のなかりせばをとこの心はのどけからまし

これは在原業平の

『世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし』

の本歌取りである。

ただ、何と言っても私が直ぐに思い出すのは、決まって大学時代に吹野安先生の漢文学演習で屈原の「漁父之辞」を習った際、先生が紹介してくれた、この大田蜀山人の、

死なずともよかる汨羅(べきら)に身を投げて偏屈原の名を殘しけり

である(第五句は「と人は言ふなり」とするものが多いが、私は吹野先生の仰ったものを確かに書き取ったものの方で示す。私は先生の講義録だけは今も大事に持っているのである)。
・「阿氣羅觀江」一般には「朱楽菅江」と表記する。戯作者にして狂歌師朱楽菅江(あけらかんこう 元文5(1740)年~寛政121801)年?)。ウィキの「朱楽菅江」等によれば、大田南畝や唐衣橘洲(からごろもきっしゅう 寛保3(1744)年~享和2(1802)年):田安徳川家家臣。本名小島恭従。)らと共に天明狂歌ブームを築き上げ、狂歌三大家と囃された。別号は朱楽漢江・朱楽館・准南堂・芬陀利華庵。牛込の二十騎町に住む幕臣(御先手与力)で、本名は山崎景貫。通称は郷助。字は道甫。俳号は貫立。筆名は勿論、「あっけらかん」の捩りである。ここにも登場する妻(本名まつ)も「節松嫁々」という号の女流狂歌師として著名であった。この号は「ふしまつかか」と読み、「臥し待つおっ母(かあ)」で、吉原へ居続けの夫を一人寝の床で臥して待つの意を掛けた号であり、正にこの歌の謂いそのものの雅号である。
・「智惠の内侍」一般には「智恵内子」と表記する。狂歌師元木網(もとのもくあみ)の妻で自らも女流狂歌師として活躍した元木すめ(延享2(1745)年~文化4(1807)年)。「朝日日本歴史人物事典」等によれば、明和6(1769)年初期の江戸狂歌壇に木網が参加した頃より夫とともに狂歌を詠み始め、天明1(1781)年には芝西久保土器町に隠居して落栗庵を構え、夫婦で狂歌の指導をした。門人多く、平秩東作(へづつとうさく 享保111726)年~寛政元(1789)年):戯作者にして狂歌師。)天明3(1783)年刊の「狂歌師細見」によれば『江戸中半分は西の久保の門人』といわれるほどであったという。同じ女流の節松嫁々と共に女性狂歌師を代表する作者で「狂歌若葉集」「万載狂歌集」をはじめ多くの狂歌集に入集する。勿論、宮中の内侍司(ないしのつかさ)の女官の総称である「内侍」に「知恵の無い子」を掛けたもの。

 ふる小袖人のみるめも恥かしやむかししのふのうらの破れを

 六十あまり見はてぬ夢の覺むるかとおもふもうつつあかつきの空(辞世)

・「集會」狂歌派閥の集団狂歌連による狂歌会のこと。例えば橘洲は武士を中心メンバーとした狂歌連「四谷連」を名乗って狂歌会を開いた。明和6(1769)年に橘洲の屋敷で開かれたものが狂歌会の濫觴と言われる。それに対抗した大田南畝の率いた狂歌連を「山の手連」と呼んだ。他にも町人を中心とした狂歌連も多く、歌舞伎役者五代目市川團十郎とその取り巻き連中が作った「堺町連」、蔦屋重三郎ら吉原通人グループが組織した「吉原連」などがあった。
・「萬歳集」正式書名は「萬載狂歌集」。天明3(1783)年、唐衣橘洲の編んだ狂歌集「若葉集」に対抗して大田南畝と朱楽菅江が編んだ狂歌集。
・「洩しぬ」は「抜く。省く。」の意味で、文意からすると、彼等の代表作は「萬載狂歌集」に所収するから特に記さない、という意味と思ったが、どうも以下の作品自体が「萬載狂歌集」に所収するものと思われる(私は不学にして「萬載狂歌集」を所持しないので確かには言えないが)ので、抜粋と訳しておいた。「萬載狂歌集」にお詳しい方、どうか御教授を願う。
・「七ツやを十ウあつめたる齡ひにてぶち殺しても死なぬ也けり」「七ツ屋」は質屋のことで、「ぶち殺す」というのは「質に入れる」意のスラング。

○やぶちゃんの解釈

七つ屋を十(とう)集めた齡(よわい)とは――七十軒の質屋の謂いじゃ!――こりゃ、どんだけ「ぶち殺しても」――ありとある、己(おの)が命を質入れしたとて――質屋多くて質草足らずじゃ!――いっかな、どっこい、死にもせぬわい!

・「飛鳥川内は野となれ山櫻ちらずば寢には歸らざらまし」「飛鳥川」は奈良県高市及び磯城(しき)郡を流れる川で、古来、淵や瀨の定まらぬ暴れ川であったことから、無常や変わりやすい心の譬え。「飛鳥」に「明日」、「内」には「明日うち」及び「宅」(家)をも掛かるか。「内は野となれ山櫻」は俚諺の「跡は野となれ山となれ」を引っ掛け、「内」は更に「内儀」の意を掛ける。「寢」は桜の木の「根」の掛詞。

○やぶちゃんの解釈

明日うちには宅(うち)へ帰ってくるか帰らぬかと……如何にも頼りにならにならぬ飛鳥川のような望みをかけてきましたが……所詮、桜の花というもの、散らずば根にも帰ること、これ御座らねばこそ――桜の花や何やらが、匂い立つよに乱れ咲く、かの吉原の野に行かんとなれば、『家内のことなんどはどうでもなれ、母(かか)あなんぞはいっそ野となれ山となれ』などとお思いのあなたは――その桜が散らぬ限りは、寝には帰らぬ、とおっしゃるのでしょうね……。

・「中の町に櫻を植て遊人を集る」吉原の年中行事の一つ。春三月一日から月末まで、吉原唯一の大門から中央を貫くメイン・ストリート仲の町の中央筋に、大きな桜の木を植え並べて垣根を廻らした。仲の町の桜として有名であった。通りに面した遊廓には軒と言う軒に提灯が吊られ、夜桜見物も兼ねて客が大勢集まり、勿論、花魁道中もあって、文字通りの豪華絢爛絵巻が髣髴とされる。一部の記載に寛政2(1790)年から始まったとあるが、本歌が「萬載狂歌集」所収のものであるとすれば、天明3(1783)年には既にあったか、少なくとも「卷之二」の下限である天明6(1786)年までには、既にこの風俗が創始されていたものと考えられる。

■やぶちゃん現代語訳

 狂歌流行の事

 天明の初めより、江戸では専ら狂歌が流行したが、狂歌師は、実に多様な面白い俗諺俗語を狂歌師の雅号として名乗っており、例えば四茂野阿加良(よものあから)であるとか、阿気羅観江(あけらかんこう)、智恵の内侍(ちえのないし)なんどと奇天烈な名を名乗り、徒党を組んで集会なんども開いて御座る由。特に四茂野阿加良なんどは、その道の宗匠とさえ呼ばれているそうである。
 こういった狂歌師の狂歌は「万歳狂歌集」なんどという滑稽なる板本となって出版されたので、ここにその一部を抜き書きしておこう。
 まず最初は、阿加良が親友の七十の賀に添えた歌、

   七ツやを十あつめたる齢にてぶち殺しても死なぬなりけり

 次は、夫の阿氣羅觀江が吉原に居続けなんどをして一向に帰ってこないのに業を煮やした妻節松嫁々(ふしまつかか)の詠んだという歌、

   飛鳥川内は野となれ山桜ちらずば寝には帰らざらまし

 この歌、少し解説しておくと、吉原の町内にては春になると中の町の沿道に桜を植えて遊び人を集めるのを常としているとのことで、その桜を歌に詠み込んで――「根に帰へらじ」――「寝に帰らじ」とした心ばえ、誠に面白い故に、ここに記しおく。

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