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2011/03/31

ERIC DOLPHY-The Uppsala Concert Vol.2 の Interview with Eric Dolphy  ジョン・O・ブラフマン&エリック・直史・ルカ共同訳

以下は、“ERIC DOLPHY-The Uppsala Concert Vol.2”(MMEX-135-CD 2009年12月21日発売)で公開された Ckaes Dahlgren によって1962年ニューヨークでなされた未発表の“Interview with Eric Dolphy” のオリジナルなジョン・O・ブラフマン&エリック・直史・ルカ共同訳による邦訳である。

Dolphy2_2 

DAHLGREN:エリック、あなたは今のような新しいスタイルをベースにしてから、どのくらいの間、プレイしているんですか?

DOLPHY:う~ん、よくは覚えていないなあ。みんなは、いつもと同じようにプレイしているねと言っていますが、私はいつも進化しているつもりだしね、そうあり続けたいんですよ……だから、本当のところは良く分からないんです。ただ、私は時とともに前に進もうと思ってるし、同じ所には留まりたくはないんです。

DAHLGREN:エリック、あなたはいつも自由なプレイを求めていますが、それには制約がありますよね。たとえば、即興でプレイする時などでも、常に演奏するコードに何がしかの束縛を受けることがありますよね?

DOLPHY:そうですね。曲をどう組み立てるかによるんです……使うコードは――特に私が創った楽曲には私なりのコードがあって――いわゆるコードと呼ばれるものと「一緒になって」プレイしていると言っていいんです。つまり、多かれ少なかれ、主に装飾楽節ごとに使えるものよりも、多少自由さをもった曲全体の基本となる音ではあるんですが……やはり私が以前やってきたことは「コード」だ、ということなんですね……これはなんて言っていいのかな、自分でもよく分からないんだけれども、その――コードとは「間」であり、いつも「ここ」にあって、でも、私たちが試みようとしている「行為」と同じもの――多分、コードがベースとなっている音に於ける装飾楽節に基づいてプレイすること――つまり、それぞれの楽曲はコードに基づいていて、そこでプレイされるものなんだ、と思うんです。

DAHLGREN:御存知の通り、エリック、勿論、あなたの音楽は、フットボールでプレイするクォーターバック、間違いなく、他の人の奏でるジャズとはかなり違うものとして捉えられており、批評家によっては『アンチ・ジャズ』などとも評しています(微苦笑)。それに対して、あなたはどう答えますか?

DOLPHY:そうですねえ、分からない。私はみんなにうまく説明することが出来ないんです……プレイそれ自体が、私の言いたいことなんですよ。多分、「アンチ・ジャズ」なんですかねえ……分かりません……私にはその人――その「アンチ・ジャズ」と評している人が、です――どのように感じているのか、どのように感じて、そう言っているのかも分かりません。このくらいのことしか私には言えないですね。

DAHLGREN:あなたのメッセージを伝える方法、音楽の中で表現しようとする方法はどんなものですか?

DOLPHY:「音楽」の中で?

DAHLGREN:(笑)難しい質問ですが、お願いします。

DOLPHY:そうですね……音楽は……昔、学校で習ったんですが、『音楽は人であり、人は音楽である』と……音楽は時や場所や物事を表現することであり、私自身や他のミュージシャンが今日演奏している音楽というものは、人というものの存在そのものを表現していたり、生活している時代や場所そしてそれぞれの個人の本質や経験を表象するものなんです。ですから私は、総ての人の「違い」を感じますし、それぞれの人から、ある音楽を通して、その人の個性の中に存在する「違い」を感じとるのです。つまり、異なることに対して――それぞれの人が違うノリ方をするということから――あなたはそれぞれの「音」の違いを「分かること」が出来るのです。

DAHLGREN:エリック、聴衆の中で演奏している時、そこにいる聴衆たちのノリはあなたにとってどれくらい大切なのですか?

DOLPHY:勿論、もし聴衆があなたと「一緒である」なら、『聴いてくれている!』という雰囲気を、確かに、そして強く、感じることが出来るのです。しかし、もしも一緒でないなら、あなたのプレイに込められたメッセージは少しばかり伝えにくくなるのです……演奏していて、その演奏している人たちがイカしてるなら、時としてメッセージを伝えやすくなることはあります。しかしその「演奏」は、聴衆が共感して『ノってる』状態になることとは、別なんですよ。

DAHLGREN:エリック、ジョン・コルトレーンとのコラボレーションについて訊かせて下さい。

DOLPHY:そりゃ、もう! とっても素晴らしかったんだ! 本当に! 心からね! 素晴らしいと感じる経験だった!……音楽的にも、精神的にも……私が感じ、そして言えること、それはもう、ただただ「素晴らしい!」という一言に尽きるんだ……そうなんだ……あの時の僕らのプレイは『未だ嘗て体験したことのないこと』だった――でも、それは彼となら『いつでもやっていること』だったんだ! いつもただただ素直に音楽を愛している人々と一緒にプレイして、バンドのミュージシャンみんなが音楽を愛していた……そのことが……ただただ素晴らしかった!……つまり、その……いや、言葉で表わすには難し過ぎる! 分かって貰えますかね?

DAHLGREN:それはあなたにとって明白な『永遠且つ不変な至福』であったと?

DOLPHY:ジョンは本当に神憑(かみがか)ってたんだ!……実際、私は彼と一緒になると、その美事さに、ろくなプレイなんか出来なかったくらいだった(笑)……

DAHLGREN:エリック、あなたにとって、また、一般のジャズにとって、あなたが今後望むこと、そしてそれに対してこうしようという思いが(エリック、笑う)、何かありますか?

DOLPHY:(笑)そうですね、大事なことは――あらゆるミュージシャン……私もですが――「今出来ること」を続けていく、ということなんだと感じているんです。そのことが私自身を、そして私がすることを、強く刺激することにもなると思うんです。活動し続けることが出来るということ、それは、つまり、私自身が成長し続けることが出来るということだから……プレイする時はいつでも、次はもっとよくプレイしたい! もっともっと素晴らしく!……ってね……

[やぶちゃん注:以下、音源ではCkaes Dahlgrenのエンディング・ナレーションが入るが意味不明(スウェーデン語と思われる)で省略した。]

以上の翻訳に際しては、僕の僚友である高校の英語教師O氏(「先生」という愚劣な呼称は敢えて附けぬ)にまず翻訳をお願いした。昨日出来上がったそれは、もう、あの誠実の人ドルフィーの肉声そのものであるかのような名訳であった(O氏はそもそも僕が出逢った中でも数少ない誠実の人である)。ただ、O氏はジャズは守備範囲ではあられないことから僕が幾分、その訳に手を加え、音源を繰り返し聴いて更に僕のト書き的追加を行った)。従って本翻訳はO氏翻訳によるやぶちゃん勝手自在翻案である。誤訳に見える箇所や奇妙な部分は総て僕に帰するものとお考え頂きたい(特に「装飾楽節」云々のコードに関わる言説は楽理に対する僕の不明から自信がない)。参考として原版の英文テクスト画像を以下に示しておく。但し、これは著作権を侵害することを目的としたものではない。実際の英文には綴りにミスもあり、対訳して戴き、より正確なドルフィーの声を多くの日本人に伝えるための仕儀である。こう訳すべきだというご意見には素直に耳を傾けたく思う。画像に問題がある場合は、削除する用意もあるが、当該アルバムにある日本語の著作権侵害注記は音源に関わるものに限られている。本ページでは一切音源は複製していないのでお間違えのなきように。また邦訳自体にはO氏と連名の著作権を主張するものである。但し本記事にリンクの上、引用される場合は全く問題はない。連絡は不要、ご自由にどうぞ)。

Dolphy1_2

――エリック・ドルフィーはこのインタビューの翌々年、1964年6月29日36歳の若さで重度の糖尿病による心臓発作で亡くなった。――

ずっと以前に書いたラスト・デイトの知られた有名な言葉、

“When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again. ”

「あなたが音楽を聴く、しかし、その演奏が終わった時、それは去ってゆく……虚空へと……。あなたはそれを二度と捉えることは……できない。」(やぶちゃん訳)

と同じように、ここでも飾らない素直な、それでいて深遠な「音楽という哲学」を語る修道士聖エリックの姿が、やはり髣髴としてくるではないか!――

ジョン・O・ブラフマンさん――ありがとう! 短い間だったけどとっても楽しかったよ! エリック・直史・ルカより――

別件追伸「伊東静雄詩集 わがひとに與ふる哀歌 やぶちゃん版」(并びに同縦書版)のデータのサーバーへの転送を忘れてこの作業に入ってしまった。朝の5時半三十数人の方が訪問されたようだが、今、アップしました。ごめんなさい! 画像、お楽しみあれ!

伊東静雄詩集 わがひとに與ふる哀歌 やぶちゃん版 初版底本三校 注補足 初版本画像挿入

心朽窩新館の「伊東静雄詩集 わがひとに與ふる哀歌 やぶちゃん版」(并びに同縦書版)を三校の上、注を更に補足、初版本(底本)画像を挿入した。現在、ネット上で最も信頼するに足る「わがひとに與ふる哀歌」初版底本電子テクストであるという自負がある。――

母の逝った逝く三月に相応しい――

……「來るときのやうに去るだらう」……

母さん……向かいのお寺の桜がほころんだよ……行こうねえ、花見に――

2011/03/30

では

不在非在 忸怩鬱勃 再臨界

   巡礼路加(ルカ)の鈴の音ぞする

2011/03/29

伊東静雄詩集 わがひとに與ふる哀歌 やぶちゃん版 再々度校訂ルビ化注全面改稿+縦書版

心朽窩新館の「伊東静雄詩集 わがひとに與ふる哀歌 やぶちゃん版」を再々度校訂し直し、ルビ化と注を全面改稿の上、縦書版をも公開した

――母聖子テレジア

現在の職場の卒業生の教え子

旧2年1組・2組・3組の総ての教え子

そして

僕に伊東靜雄を教えてくれた大事な遠い遠い昔の戀人――遂に逢はざる人の面影――

これを奉げる――

  冷めたい場所で   伊東靜雄

私が愛し
そのため私につらいひとに
太陽が幸福にする
未知の野の彼方を信ぜしめよ
そして
眞白い花を私の憩ひに咲かしめよ
昔のひとの堪へ難く
望郷の歌であゆみすぎた
荒々しい冷めたいこの岩石の
場所にこそ

原発死――原発は既に死者を出している――自殺された福島の農家の方の御冥福をお祈りします

有機農業をなさっていた福島の64歳の農家の方が縊死された。常から子供たちに安全な野菜をと言っていた彼――摂取制限の通達を受けた彼――彼の農園の残された汚染されていない7500株のキャベツの写真(私にはそれが被爆死をした累々たる人間の頭部のように見えたことを告白する)――「福島の野菜はもうだめだ」と呟いた彼――今朝の朝日新聞だ――

能面のような顔で機械のように後手後手の弁解に終始し、未だに原発を必要だと思わせるための愚劣な計画停電を繰り返す東京電力よ、いやさ、日本国よ――敢えて政府とは言うまい。『原発何でもあり天国』を作り上げたのは高度経済成長以降の政治に関わったすべての人間と、それを黙認し、また制し切れなかった私を含む国民総ての責任である――お前たちは皆、彼を「原発死」の最初の一人として銘記せよ――いや、その彼一人の死によってさえ――お前たちは万死に値するのだということを心に刻め。――

厳密には東海村JCO臨界事故で亡くなった二名の方を始めとして、外にも私は隠された「原発死」の方は先行していらっしゃると思う。台湾では実際に原発の炉の清掃をされていた方がその被爆によると思われる脳腫瘍で亡くなっている。――もう何年も前の民放のドキュメントだ――「時には炉の底の水を喉が乾いて飲んだこともあります」とその人が言う――そのカメラが喋っている彼の頭部へティルト・アップした――その彼の頭は腫瘍によって2倍にも膨れ上がっていた……「この数ヵ月後に彼は亡くなった」というナレーションかテロップがそこにかぶった。……

【2011年5月3日追記】この数週間、多くの報道されて来なかった過去の原発被爆者や被曝死された方がいることを、僕もネット上でも多く知ることが出来た。例えば、これを見よう。日本では当時、NHKでの放送が封印された「隠された被爆労働~日本の原発労働者」だ。1995年イギリスチャンネル4のドキュメンタリー、フォトジャーナリスト樋口健二氏の取材になる“NUCLEAR GINZA”だ(右の関連動画で3パートまである)。これだけでもう、「奴ら」の隠蔽とその非人間性を知るには十分過ぎる。

……教え子諸君、「常陽」、「もんじゅ」に「ふげん」の僕の皮肉な命名の話を思い出して、呉れ給え――

2011/03/28

おふくろと母さん

あなたは失笑するでしょうね――昨日のブログでバレた通り、僕は小学六年生の時も母を「ママ」と呼んでいたのですよ――

しかし、どうなんでしょう?――

僕はその後、中学生から突如、「おふくろ」と呼び続け、実に40年の間、「おふくろ」と呼び続けていたのです――

ところがどっこい、母が死ぬ一ヶ月前から、初めて僕は「母さん」と呼ぶようになったのです――

これは、あなたにとって下劣ですか?――

でも……僕は……「母さん」……と呼ぶ時……今も彼女が確かに僕の中にいるように……真実、思うのですよ……だから、「あなたの下劣」なんて、僕には「いらない」のです……

ありがとう! 母(かあ)さん!

2011/03/27

あの夜の思い出

小学6年生の頃のことだ

もう真っ暗になってから母に叱られた

勉強のことだった きっと出来ない算数だったろう

父は富山に単身赴任でいなかった

僕は家を飛び出した

が 行くところもなく 家の傍の階段の下の 路上に停車した車の陰で卑屈にしゃがんでいた

丁度 今の季節だった

寒くて 小便をしたくなった

しゃがんだまま ズボンをおろしてそこで小便していた

小便をしている最中に 母が階段を駆け下りる音がした

「たーちゃん!!!」

と探している甲高い声が響いた

僕は小便をしながら

「ママ!!!」

と涙ながらに叫んだ

母は涙ながらに笑いながら

「……馬鹿ね!……」

と僕が小便をするのを待って 一緒に手を繋いで 階段を登った――

♪ 夜空を見たら 小さな星が 涙のように 光っていた ♪

♪ いたずら過ぎで 叱られて 泣いた ♪

♪ 子供の頃を 思い出した ♪

――子供の頃を――僕も思い出した――

2011/03/26

やぶちゃん版芥川龍之介句集 全五巻 完結――母聖子テレジアに捧ぐ――

『二〇一〇年八月岩波書店刊「芥川竜之介句集」に採句されたる五十六句』を「やぶちゃん版芥川龍之介句集五 手帳及びノート・断片・日録・遺漏」に追加した。本仕儀を以って名実ともに私の「やぶちゃん版芥川龍之介句集」全五巻は如何なる現行の諸本よりも最多句数を誇る芥川龍之介全句集となった。

――これを一週間前に亡くなった愛する母聖子テレジアに捧げる――

      直史ルカ

岩波文庫「芥川竜之介句集」に所載せる不当に捏造された句を告発すること

先般入手し、僕の「芥川龍之介全句集」との校合を試みている岩波文庫版加藤郁乎編「芥川竜之介句集」は、その1085番に「雜信一束」の最後にあるアフォリズム、

   二十 南滿鐵道

高梁(カオリヤン)の根を匍ふ一匹の百足。

の標題「二十 南滿鐵道」を無視した上、最後にある句点を排除して、これを

高梁(カオリヤン)の根を匍ふ一匹の百足

という『芥川龍之介の俳句』として掲げている。僕はこれに断固として異を唱え、不当な捏造を指弾するものである。
「雜信一束」は全体を通して読めば分かる通り、確信犯的なルナール風アフォリズムであり、この「二十 南滿鐵道」も満鉄をカリカチャライズした『アフォリズム』『一行短文警句』以外の何ものでもないのである(その芥川龍之介の意図についての解釈は「雜信一束」の僕の注を是非参照されたい)。
これは『俳句ではない』。
そもそも加藤郁乎編「芥川竜之介句集」は何故に最後の句点をいやらしくも排除したのか?
その理由をまず訊きたいものである。
そもそも新傾向や自由律には句読点があってよいのである。
芥川も幾つかに読点を用いている。――だがしかし――
しかし句点は知る限りでは全くと言ってよいほど類を見ないのである。
芥川龍之介は俳句に句点は用いないと考えてよいのである。
そうした観点から「雜信一束」の「二 支那的漢口」のを見るがよい。

   二 支那的漢口

 彩票や麻雀戲(マアジヤン)の道具の間に西日の赤あかとさした砂利道。

 其處をひとり歩きながら、ふとヘルメツト帽の庇の下に漢口(ハンカオ)の夏を感じたのは、――

   ひと籠の暑さ照りけり巴旦杏(はたんきやう)

最後のには勿論のこと、句点などはないのである(当たり前田のクラッカーだ!)。尚且つ、これは本文とは有意に字下げが行われて――『芥川龍之介の俳句』――であることは、言わずもがな、一目瞭然憮然憤然ピルゼンマリアだ。駄目押しを添えるなら「高梁(カオリヤン)の根を匍ふ一匹の百足。」は他のアフォリズムの本文と同じ位置から始まっている(こんなことを言わずもがなに言う僕は神経症に罹っているからかしらんと思うほどだ)。
――いや――
そもそも誰一人として今までこれ――「高梁(カオリヤン)の根を匍ふ一匹の百足。」――を『芥川龍之介の俳句』だとは思っていなかったと僕は断言出来る。
ところが――ところがだ、この岩波文庫版加藤郁乎編「芥川竜之介句集」出現と、その恣意的にして愚劣な操作によって、向後、人々はこれを『芥川龍之介の俳句』と思い込んでしまうことになることは確実なのである。

岩波書店は、この嘘を――芥川龍之介の『俳句ではない』1085番の『捏造された句』を――必ず削除しなくてはならない!――

ほくそ笑むな、よ! 蛇足ながら、770番の句

   病虫
赤ときや蛼鳴きやむ屋根のうら

何だこりゃ? 前書の「病虫」は、勿論、「病中」の誤植だぜ。

青くなれや! これが天下の岩波の仕儀かい? 加藤さんよ! 絶賛の評言『博捜』が泣くぜよ!

これも早急にお直しあれかし――では、随分、御機嫌よう!

岩波文庫「芥川竜之介句集」の加藤郁乎氏の解説に限りなく共感せること

先般入手し、僕の「芥川龍之介全句集」との校合を試みている岩波文庫版加藤郁乎編「芥川竜之介句集」の加藤氏の解説を読んだ。もう読み終えるなと思ったその最後に、はっとした。木歩が語られている!

――以下、引用させて頂く。

――僕がはっとしのは僕が木歩が好きだからというばかりでは、ない。

――僕がネット上で唯一纏まった「富田木歩句集」を公開しているから、でもない。

――その本当の理由は、今は語らないでおこう。

――来月の末には、分かって頂けるであろう。……

芥川龍之介の俳句の対象や関心を持っていた古俳諧や現代俳句、さらに新旧の俳人との関わりについて述べ終えた最後に加藤氏はこう書く。芥川龍之介が木歩について、一言も書き残していないことへの疑義不審である。

『さらに加えれば、同時代の俳人で年齢も五歳と違わぬ富田木歩につきいささかもふれるところがなかったのは腑に落ちぬ。親しかった入谷の兄貴俳人碧童、その俳友であった大須賀乙字を通じるなどして地獄耳だった芥川は木歩の名を聞き知っていたであろう。病軀を養い関東大震災に向島枕橋近くの堤上で横死した俳人木歩の生涯におよそ無関心であったとは考えられない。本所また向島に生まれ育った二人が大川を介したそれぞれの文学作品に気づかずだったというのは奇妙の話である。待乳山の渡しとして知られた竹屋の渡し場を所有した富田氏十七代目は一方で向島に柳市花街の開設を願い出た風流人、木歩の祖父である。零落した家で二歳のときに両脚歩行の自由を失った木歩はさらに胸を患い、貸本屋で糊しながら句に親しんだ。「我が肩に蜘蛛の糸張る秋の暮」「夢に見れば死もなつかしや冬木風」の境涯詠をもつ木歩に材を取り芥川ならではの小説の一篇、いや一句なりと出てこないものかとわずかの望みを捨て切れずにいる。』

加藤氏の謂いは頗る正当である。――

木歩と龍之介の接点――それはきっとどこかにあるはずである。――

どこかに隠れている。――

僕もそれを加藤氏と全く同じように乞い冀う人間である。――

芥川は必ずや何処かにそれを潜ませているはずである。……

……ここまでは加藤郁乎氏に激しく共感したことを記した。
……次の僕の記事では、しかし……残念ながらこの岩波文庫版加藤郁乎編「芥川竜之介句集」の句の捏造を指弾しなくてはならない。……

2011/03/25

宗谷挽歌 宮澤賢治 ―― 父と僕自身に

   宗谷挽歌

こんな誰もいない夜の甲板で
(雨さへ少し降つてゐるし、)
海峽を越えて行かうとしたら、(漆黑の闇の美しさ。)
私が波に落ち或ひは空に擲げられることがないだらうか。
それはないやうな因果連鎖になつてゐる。
けれどももしとし子が夜過ぎて
どこからか私を呼んだなら
私はもちろん落ちて行く。
とし子が私を呼ぶといふことはない
呼ぶ必要のないとこに居る。
もしそれがさうでなかつたら
(あんなひかる立派なひだのある
 紫いろのうすものを着て
 まつすぐのぼつて行つたのに。)
もしそれがそうでなかつたら
どうして私が一緒に行つてやらないだらう。
船員たちの黑い影は
水と小さな船燈との
微光の中を往來して
現に誰かは上甲板にのぼつて行つた。
船はまもなく出るだらう。
稚内の電燈は一列とまり
その燈の影は水にうつらない。
  潮風と霧にしめつた舷に
  その影は年老つたしつかりした船員だ。
  わたしをあやしんで立つてゐる。
霧がばしやばしやふつて來る。
帆綱の小さな電燈がいま移轉し
怪しくも點ぜられたその首燈、
實にいちめん霧がぼしやぼしや降つてゐる。
降つてゐるよりは湧いて昇つてゐる。
あかしがつくる靑い光の棒を
超絶顯微鏡の下の微粒子のやうに
どんどんどんどん流れてゐる。
 (根室の海温と金華山沖の海温
  大正二年の曲線と大へんよく似てゐます。)
帆綱の影はぬれたデツクにおち
津輕海峽のときと同じどらがいま鳴り出す。
下の船室の前の廊下を通り
上手に銅鑼は擦られてゐる。
 鉛筆がずゐぶんす早く
 小刀をあてない前に削げた。
 頑丈さうな赤髯の男がやつて來て
 私の横に立ちその影のために
 私の鉛筆の心はうまく折れた
 こんな鉛筆はやめてしまへ
 海へ投げることだけは遠慮して
 黄いろのポケツトへしまつてしまへ。
霧がいつさうしげくなり
私の首すじはぬれる。
淺黄服の若い海員がたのしさうに走つて來る。
「雨が降つて來たな。」
「イヽス。」
「イヽスて何だ。」
「雨ふりだ、雨が降つて來たよ。」
「瓦斯だよ、霧だよ、これは。」
とし子、ほんたうに私の考へてゐる通り
おまへがいま自分のことを苦にしないで行けるやうな
そんなしあはせがなくて
從つて私たちの行かうとするみちが
ほんたうのものでないならば
あらんかぎり大きな勇氣を出し
私の見えないちがつた空間で
おまへを包むさまざまな障害を
衝きやぶつて來て私に知らせてくれ。
われわれが信じわれわれが行かうとするみちが
もしまちがひであつたなら
究竟の幸福にいたらないなら
いままつすぐにやつて來て
私にそれを知らせて呉れ。
みんなのほんたうの幸福を求めてなら
私たちはこのまゝこのまつくらな
海に封ぜられても悔いてはいけない。
 ( おまへがこゝへ來ないのは
   タンタジールの扉のためか、
   それは私とおまへを嘲笑するだらう。)
呼子が船底の方で鳴り
上甲板でそれに應へる。
それは汽船の禮儀だらうか。
或ひは連絡船だといふことから
汽車の作法をとるのだらうか。
霧はいまいよいよしげく
舷燈の靑い光の中を
どんなにきれいに降ることか。
稚内のまちの燈は移動をはじめ
たしかに船は進み出す。
この空は廣重のぼかしのうす墨のそら
波はゆらぎ汽笛は深くも深くも吼える。
この男は船長ではないだらうか。
 (私を自殺者と思つてゐるのか。
  私が自殺者でないことは
  次の點からすぐわかる。
  第一自殺をするものが
  霧の降るのをいやがつて
  靑い巾などを被つてゐるか。
  第二に自殺をするものが
  二本も注意深く鉛筆を削り
  ふんなあやしんで近寄るものを
  霧の中でしらしら笑つてゐるか。)
ホイツスラアの夜の空の中に
正しく張り渡されるこの麻の綱は
美しくもまた高尚です。
あちこち電燈はだんだん消され
船員たちはこゝろもちよく歸つて來る。
稚内のまちの北のはづれ
私のまつ正面で海から一つの光が湧き
またすぐ消える、鳴れ汽笛鳴れ。
火はまた燃える。
「あすこに見えるのは燈臺ですか。」
「さうですね。」
またさつきの男がやつて來た。
私は却つてこの人に物を云つて置いた方がいゝ。
「あすこに見えますのは燈臺ですか。」
「いゝえ、あれは發火信號です。」
「さうですか。」
「うしろの方には軍艦も居ますがね、
あちこち挨拶して出るとこです。」
「あんなに始終つけて置かないのは、
 
〔この間、原稿欠如〕
 
永久におまへたちは地を這ふがいい。
さあ、海と陰濕の夜のそらとの鬼神たち
私は試みを受けやう。

2011/03/23

エルモライの来客状

テレジア公爵夫人があの放蕩息子のルカ男爵や御家族と花見にいらっしゃるちゅうこっちゃ! すっかり用意は調うて御座る! ミクーシの農園の桜は満開で御座いますよ、テレジア様。テレジア様のお好きな赤い薔薇も特別に一輪手入れして咲かせて御座いますれば(ルカ様は不思議にたわいのない菜の花をお好きで生えて御座います)。天気もほんに花見日和で御座いますれば。牧場も、はい!喜んで戴けますですよ! 5匹のアルパカでテレジア様のコートが、出来上がる算段になって御座りまする! 来さっしゃれ! テレジア様!

2011/03/22

父さんと母さんとアリスと僕を少女の妻が写す

僕「やっとみんな一緒になれたんだ!――みんな――父さん、かっこいい! 母さん、りりしい! アリスのじいちゃんのエル、こうしてみるとアリス似じゃん! だからアリスなの!! 僕、なかなかの美少年だろう?! それだけで十分でしょうが! 僕の妻? う~ん、それはさ、これを撮っているのが、彼女だってこと、よ! これが僕ら五人(四人と一匹)の幸せさ! さあ! みんなで花見に行こうぜ!」

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僕「なに? 撮った妻が分からないって? しゃあねえな! 見せてやろうじゃねえか! そのかわり、美少女だぞ! ハート・マーク入りだい! 見て驚くナ! え? 彼女を撮ったここは何処かって? えへへ! 僕は即分かったんだぜ! 何てったって、僕が昔、一人旅した唯一の場所だからな! 当ててみな! ヒントは――椰子――さ!」

Sai


僕「……母さん――さあ――出かけよう! いい男といい女――そして、母さんの息子の美少年と母さんの娘の美少女と一緒に! 文句を言う奴には、父さんが鉄拳制裁しちゃうから、大丈夫! 父さんのパンチは凄いんだゼ!――」

母さん「パパとたあちゃん! 飲みすぎちゃ、だめよ!」

僕の妻(さい)「母さん、言ってもだめですよ。私たちの作った梅酒を水でたっぷり薄めてごまかしまショ!」

(母と妻、桜の木蔭でこっそり笑う。父と僕はもう、桜の木の下ですっかり酔ってソヴィエトと中国と北朝鮮の問題で大声を張り上げて喧嘩している。)

――春の夜の夢――いや、春の夜の僕らの確かな現実の幸せである――

僕は、もう、恐いものはない――母が魂の中に、いるからね――

2011/03/19

聖子テレジアは天国に召されました 直史ルカ記

母聖子テレジアは今朝5時21分、筋萎縮性側索硬化症による急性期呼吸不全により聖テレジア病院にて天国へ召されました。満78歳でした。母や私に繋がる多くの方々の励ましに感謝致します。母は最後に60年前の若き日の信仰を取り戻し、神父様の御祈祷を受けることも出来ました。この場を借りて御礼申し上げます。なお、母は遺志により慶応大学医学部に献体致しました。父と私と妻と三人で先程、見送りました。従って会葬等のお気遣は一切不要で御座います。墓も御座いません。ちなみに私も同じく献体をしており、慶応大学医学部の献体者合葬墓で将来、私も母と一緒になります。皆様にも神の御加護と私の母の慈愛がもたらされますように――

 2011年3月19日  放蕩息子直史ルカ記す

母の受洗 満18歳 1951年5月28日 都城教会にて

三位一体の主日 授戒 ベルリーニ神父様

       受洗 授字 コンタリーニ神父様

洗礼名 テレジア(小さきテレジア)

お別れの御祈祷 2011年3月19日9:00 聖テレジア病院310病室にて ――「放蕩娘の帰還」――

司祭 マリオ・バラーロ神父様(カトリック片瀬教会)

介添 川村悦子シスター様(聖テレジア修道院)

    社会主義者にして超現実主義者夫豊昭

    未だ帰還せざる放蕩息子たる直史ルカ

    最後まで母を愛してくれた私の妻範子

母の昇天の時――医師による死亡宣告は私たちが病室に着いてから6時40分に行われましたので、死亡診断書はその時刻になっていますが、父の持ち帰った病室にあった以下に示しました心電図モニタ・データによって5時21分、これが母の遷化の刻限です――

Hahasyouten

……私は丁度その時刻、アリスを抱いて寝ていました……5時過ぎ、アリスがすっくと起き上がって、布団の上で暴れ出すと、一声、「ワン!」と高く吠えたのを覚えています……暫くして病院から電話を受けた父が、私の家のチャイムを鳴らしました……「今朝、5時21分、脈拍・呼吸ともに取れないと言ってきた……さあ、行きましょう――」……三人でタクシーに乗り込んだ後、普段なら決して吠えないアリスが……何時までも何時までも吠え続けていたのが忘れられません……

   お母さん   村上昭夫

お母さん
海の音を聞かして下さい
海の貝殻の音を
母という名を聞かして下さい

私は思い出す
二億年ばかり前のこと
あなたが二億年変わらない海だった日を
ひろびろと広がるあなたのなかに
可憐な三葉虫の姿が
奇蹟のように生まれていた日のことを

私は思い出す
それからの火や泥の世界のことを
試みられていた愛のつぶつぶが
氷河よりも固く凍ってしまった
永い暗かった時間のことを

お母さん
その時あなたのなかに鳴り続けた
小さな貝殻の終わりのない音が
どんなにやさしくて強かったか
今日も波が寄せています
とても永かったあなたの疲労のように
貝殻がさやさや鳴っています

お母さん
あなたの音を聞かして下さい
あなたの白い貝殻の音を
静かに聞かして下さい

……母の逝った今日は……如月の望月……あの西行が歌い、言葉通りにその日に逝ったという……

願はくは

 花の下にて

  春死なむ

 そのきさらぎの

  望月の頃    西行

……そうして、それは旧暦の2月15日……新暦の私(直史)の誕生日と同じ日よ、と妻が教えて呉れました……母さん、花見をしたかった、ね……でも梅の花は満開だし、菜の花も美しく咲いているよ……母さん……天国から見下ろしてね……

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……1962か3年頃、当時、一緒に住んでいた従兄弟の大きい兄ちゃん「のりちゃん」や、ちっちゃい兄ちゃん「よっちゃん」、母と父と僕とで訪れた箱根のユネスコ村ブラジル館で父が写した母の写真です……母聖子は30歳頃、私の好きな母の……素敵な、素敵な一枚……

……夜遅く、せめて今日ぐらいはと、アリスを亡き母のベッドのあった部屋で寝かせました……深夜、激しく壁を引掻く音がして、父が起きて覗いてみたところ、母の手作りのアリス用の毛のジャケットに鼻を突っ込んで静かに寝ていたそうです……母がアリスにお別れに来たんだ、と父は言っていました……私も、そう、思いました……

母さん――本当に――貴女の愛を、ありがとう!

2011/03/18

バルンガ フラッシュ・バック 或いは 福島原発を見下ろす丘の上で

福島原発を見下ろす丘の上

奈良丸博士「災害? 大津波もメルトダウンも災害ではない。神の警告だ。」
僕「神ですって?」
奈良丸博士「君は洪水や山火事に竹槍やバケツ・リレーで向かうかね? 大津波は自然現象だ。原子力という火も人類が握った巨大なマッチに過ぎぬ。しかしたった一本のマッチからでも燎原は丸焼けとなる。文明の天敵というべきか。こんな静かな朝は又となかったじゃあないか……この気狂いじみた都会も休息を欲している。ぐっすり眠って反省すべきこともあろう……」
由利子「反省すれば救われるというのですか?」
      老人答えない。
      風船を空へ放し、見送っている。

病院の病室
僕「皆さん、あきらめてはいけない。散水車が近づいているんだ。きっと原発の火を吹き飛ばしてくれる」
奈良丸博士「神だのみのたぐいだ」
由利子「(むっとして)病人を力づけるために云ってるんだから、いいじゃないの!」
奈良丸博士「科学者は気休めは云えんのだよ」
由利子「じゃ、あなたは矢張り奈良丸博士?」
老人「(急に強い眼の光りで)だが、たった一つ望みがある……(自分に)わしは風船を飛ばした時、なぜこれに気づかなかったのか?」

僕は残念に思う。今ここに、僕らを救ってくれる風船も、奈良丸博士のような知恵を持った科学者もいないことを――僕らの現実の「ウルトラQ」は、太陽をバルンガが食ってしまう結末なのかも知れない――あの石坂浩二のナレーションに子供ながらに恐怖して、翌朝、空を見上げてほっとした少年の日を何故か今、僕は思い出す――

正しいシナリオはこちらを――

メタファーとしてのゴジラ フラッシュ・バック

昨年の暮れ、僕の「メタファーとしてのゴジラ」の補習を受けた十数名の諸君。覚えているかね? 差し上げた「ゴジラ」シナリオ決定稿をご覧(表記はママ)。

シークエンス70

走る国電の内部(スクリーンプロセス)

吊革にぶらさがったダンサー女とつれの男二人。

女「いやあねえ……原子マグロだ。放射能雨だ。その上に今度はゴジラと来たわ……もし東京湾へでも上がりこんで来たら、一体どうなるの?」

男A「まず真先に君なんか、一口でパクリだな」

女「いやなこったわ。折角長崎の原爆から、命びろいしてきた大切な、身体なんだもの……」

男B「そろ/\疎開先でも探すとするかな……」

女「私にも何処か探しといてよ」

男A「あァあ、疎開か……また厭な世の中になりやがったな……」

君たちはあの時「疎開」と聴いて、その字を思い浮かべられなかったはずだ。しかし、見たまえ、それが今、周囲で囁かれている――

シークエンス181

対策本部内衛生班

臨時の病室へ収容しきれず、ホールや廊下にはみ出した負傷者が足の踏み場もない程に混合っている。

重傷患者のうめき声、子供の泣き声、行衛を尋ね廻る肉身の叫び声――悲惨な混乱の中に甲斐甲斐しく働いている恵美子の姿がある。

運び出される母親、残された赤ん坊を抱きかゝえる恵美子。

このシーンの死ぬ母と残される子はそれよりも前のシーンのデパートの前の親子だという話をしたのは覚えているだろう。この冒頭にはしかし、撮影時に追加されたシーンがあったのを思い出して欲しい。それはこんなシーンだ。

山根博士の右腕である村上冬樹演ずる科学者田辺博士がガイガー・カウンターを『この少女』に向ける。――

激しい反応音。――

田辺博士、心配そうに彼を見る隣の恵美子に、首を横に振る。――

ここにはまた、あの印象的な伊福部の曲が被っている。――いや、防護服を着た人間が子供に放射線測定器を向けている――そんなシーンを僕らは数日前からTVの映像や新聞の報道写真でいや程見せられているじゃないか!――

ゴジラよ、お前は今、どう思っている?

筋萎縮性側索硬化症ならぬ智萎縮性思索硬化症

この愚劣な日常にしがみつくことでカタストロフに眼を瞑ろうとする常動症に陥った神経症の多くの日本人は滅ぶしかないのかも知れない。

母が筋萎縮性側索硬化症だというなら、今の日本人の多くは智萎縮性思索硬化症である。

ずっと以前から分かり切っていた人災たるこの原発事故に拳を揮うことも出来ない愚民は、致命的な放射性物質が浮遊してきた時、その拳骨を口に押し込んで窒息するしかないのではないか。

チェレンコフの業火を手に入れた人類の終末――最後の審判への第一歩が、今、この日本で幕を上げたのではあるまいかという諦観を、無神論者乍ら、私の乏しい「智」は残念ながら悪い冗談として払拭することさえ出来ないでいる。

ガイアという生命体は、そこに寄生した、ガイアの体を幾度となく汚損し続け、繁栄めいた絶滅にまで増殖し、禁断の忌まわしい火まで手にしてしまった「人類」という――ガイアの体内に重篤な致命的症状を惹起させるチェレンコフ光を放つ病原体を持った寄生虫である「ダニ類」を――駆除する、ターミネートする決心をしたのかも知れない。

――いや――それはそれで――至極正しい判断である――と僕は昔から思ってきたのだ。言っとくが、これは僕がこの期に至って思いついた浅薄なことなんかじゃないんだ。それは今朝メールをくれた5人の教え子の感懐が請けあってくれるはずだ。

――さあ、静かに眺めよう。見定めよう。今日の夕日は、若しかするとコバルト色の美しいチェレンコフの夕焼けになるかも知れぬ。勿論、そうならないことをあなたがたのためには祈りつつ、ではある……

尾形亀之助は仙台在、そして仙台で餓死するように死んで行った。その尾形の「色ガラスの街」で僕がいっとう好きな詩は「不幸な夢」だ。

   不幸な夢

「空が海になる

私達の上の方に空がそのまま海になる

日 ―― 」

そんな日が來たら

そんな日が來たら笹の舟を澤山つくつて

仰向けに寢ころんで流してみたい

尾形よ――歩こう、預言者……

2011/03/17

楽観は犬死である

ついさっき、機動隊の放水車による放水が断念されたのは極めて深刻な事態であることを図らずも表明した。今日の自衛隊による決死の放水が何の意味も成さなかったことは映像ではっきりしている。水は放水高度が高過ぎて、霧となって飛散し、冷却の「れ」の字にもなっていない。それでも80ミリシーベルトを遙かに越える甚大な放射線被爆の中であれを行った自衛隊員に、僕は心から敬意を表する。80ミリシーベルト超過――これは数時間の被爆で急性白血病を発する放射線障害値なのだ。「直ちに人体に影響を与える」数値だということを知るべきだ。

無知な大衆は犬死にさせられるのか?

いや――僕らは無知ではない。

妊娠している方は、速やかに西に移動すべきである。胎児は放射線に有意に感受性が高い。「直ちに人体に影響を与える」ことなんか問題じゃない! 放射能の恐ろしさは中長期的な遺伝子への損壊、象徴される発癌性にほかならないのだ。プルトニウムを素手で掴んで皮膚が爛れて急性放射線病により死ぬことより、あなた方が恐れているのは「直ちに人体に影響を与え」ずにじわじわと貴方の体を、そしてあなたの子孫を蝕む怖ろしさではないか。それを恐れよ!

メルトダウンから連鎖的な爆発が起これば、関東も危険な場所となることは間違いない。そうなってからでは――パニックが生じてからでは――「疎開」は遅過ぎる。

しかし、僕は――ここに残る。それは別段生きたくないからだ。――母の死とともにあることを僕は望むからだ。――

しかし、あなた方のように、何らかの夢を持ちたければ――未来に子らの幸せな世界に希望を持ちたいのであれば(そう思わない者はいない)――今、僕は西へ向かわれることを、妊婦の方や、若い人々にはお薦めするのである。

僕は理系の人間ではない。

しかし、僕の言っていることは、決して非論理的ではないという確信がある。

何なら、調べてご覧なさい。数少ないが、心ある真の原子物理学の専門家が、僕の謂いを証明する記事を、ブログでちゃんと書いている。それを読めば、僕の言っていることが自虐的な世紀末的文学的愚劣ではないということは分かるであろう――

自身の人生は自身で選ぶ権利があるが、誰かに強要されて犬死するのだけは――嫌だね――特に近視眼的な上司の強要で犬死するのは――総ての企業公官庁の監督者は、勤務を命じた社員が万一被爆した時、総ての人間の放射線疾患や死までを労災認定する覚悟と金があるとでも言うのか?

――それでは最後に、皆さんの御多幸をお祈りする。

夢をお持ちなさい! そうして――そうして生き延びなさい――

何も起こらず、そうして飴のように伸びた蒼ざめた時間が続くとしたら……それはそれでいいじゃないか……命拾いだねえ……いや、僕は……そうは思わないが、ね……

そうしてもう一つ言っておこう――東電は最早、回復しない原子力発電への幻想の信頼のためだけの、この愚劣極まりない「無意味な」計画停電を止めよ! もう、お前はとっくに死んでいることを、知れ!――

では、随分、御機嫌よう――僕は『お前』を――信じない――

2011/03/15

夜の病院 又は 洗礼名ルカ

原発の必要性を正当化するためだけの最愚劣な計画停電で病院は真っ暗だった――

母に逢いたくてやってきた――

自家発電で少しだけ電燈が点っている――

母は眼をつぶって苦しそうに息をしていた――

時々思いついたかのように眼を少しだけ開く――

「母さん、母さんの洗礼名は?」

「……テレジア……」

「僕はね、勝手に僕の洗礼名をつけたよ……ルカ……だ」

――微かな息の中で母は言った――

「……いい、名前ね……」

――と

――母に――母の唇に口づけして別れた――

――僕は漆黒の真っ暗な山道をベルディの「レクイエム」の冒頭を嘯きながら江ノ島の方へ下って行った……

         ――Tadashi Luka Yabuno

【2011年3月20日追記】……これが……僕と母の最後の会話、いや、恐らく母が人と交わした最後の言葉となりました……母さん、ありがとう!……直史ルカは……聖子テレジアだけを永遠に愛します…… 

2011/03/14

母さんは母さんのALSという病いを「業(ごう)」だと言ったけれど――そんなはずがないじゃないか――だったら、沢山の今回の地震で亡くなった人々も「業」なの? 無数の人々を放射線の恐怖と死に誘いながら、のっぺりとした顔や分かったような顔して弁明解説している彼らの「業」はどうなるの? 数万人の死と時を同じくして生きながら、己が政治的社会的生命やキャリアばかりに汲々としている彼らこそ、神の鉄槌が下されるべきじゃないの? 「業」が宗教内限定の奥義としての定義であるとしても、それはその教義や信仰に於いて知性的にも感性的にもその核心では本質的には納得されるもの、理解可能なものでなければならないはずだろ?(でなければそもそも信仰も布教も、はたまた教団なんていうお目出度い組織が出来るはずがないじゃないか?! 親鸞は確かにそこを説いたけれど、自身はすっかり偶像化されているじゃないか?!) 人知を超えた「業」などというのは、空論なんだよ、母さん。「業」が下されるべき有象無象の人非人がのうのうと生きているという事実は――少なくとも「業」という語自体が下らない方便でさえないということの証しなんだと僕は思うな。

母さん――ものを食べずに緩慢に死のうとしていないかい? だとしたら、それこそ、それは神の意志に背く行為だよ――母さんの内なる神にね――

もう

母さん……僕と母さんの時間は余りないのかな……芥川の「奉教人の死」を母さんの前で一人芝居すること……怖い李賀の詩を教えること……哀しい梅崎の「猫の話」を朗読すること……僕が母さんに「たった一人の教師」として教えたいことが一杯あるんだよ……

せめて今暫く……神よ、慈悲深いからといって、御許へ母テレジアを性急に召さずにいて下さい……

――放蕩息子ルカ

2011/03/13

イワン・ツルゲーネフ 猟人日記 中山省三郎訳 生神様 縦書版

 「心朽窩 新館」にイワン・ツルゲーネフ「猟人日記」の中山省三郎訳「生神様」縦書版を公開した。

ずうーっと先にも書いたが、僕は中学二年生の時に「猟人日記」を読み、中でもこの一篇に強く引かれた。そうして――そうして先日述べた通り、この聖女ルケリヤは、正に僕の母だったのだということに思い至ったのであった。

この縦書ページを――僕の母に捧げる――

未だお読みでない方、縦書で読み易くなりました。僕の母のために読んでください。そうして、母の心の平穏を心に祈って頂ければ、幸いです。

――Aлaин Лэрoй Йaбунoвич Лука Taдaский

ドリュウの言葉

『人はいつだって災厄を予言出来るのだ。所詮何時かは「予言」は現実になるように出来ている。何故なら、歴史は災厄に過ぎないから』

象徴的な花幻忌

路面電車の火花にさえ原爆の幻影を見た原民喜の自死した日の朝、新聞は原発の炉心溶融のカタストロフを一面で伝えている――

  碑銘

 

遠き日の石に刻み

    砂に影おち

崩れ墜つ 天地のまなか

一輪の花の幻

2011/03/12

僕を愛する人よ

僕を突き放しなさい

そうして僕を忘れなさい

すると

僕と言う存在が分かってくる

僕と言う存在の愚かさと

そうして

僕と君の共時性(シンクロニティ)が

分かってくる

そうして

永遠に僕と君は

交合する

永遠の闇と光りの中で

無重力に――

[やぶちゃん注:無重力空間に於けるセックスは恐らくエクスタシーに達するようなものではあり得ないことは理論的に証明されている。しかし乍ら、僕の謂いは魂の交合である。行ったり来たり来たりする生殖器の物理的刺激の謂いではない、言わずもがな乍ら、ねッ――]

僕が何を言うか期待しているか?――私は今日、リンゴの木を植える

そんな連中もいるだろう。

それにしても20数年前に僕に「先生の言っている原発の危険性と不要論は全く納得できませんね」とクールに言い放った君は、考え直していいだろう。――いや、僕は君を責めない。このカタストロフを多くの大衆は、しかし未だに対岸の火事だと思っている現実を、実は君が最も驚愕するに違いないからだ。いち早く知った僕がメルトダウンを告げて青くなったのは、理科の先生数人だけだったよ。

いや、数千人単位で同胞が被災死する中で、平然と笑い偉ぶって頷き、日常を強引に行使する連中――これは本当に「まともな連中」なんだろうか? 僕はそうは思わない。

この大衆の愚劣性は、正にいるはずのない怒れる神でさえも、呆れ果てているのではないか?

いや、そんなことはどうでもいい――僕は母の病態が悪化の一途を辿り始めた二週間前から、こんな神の鉄槌のようなカタストロフを心のどこかで「望んで」いたのだ。――関東大震災を不吉に予兆していた芥川龍之介のように――言っておくが、しかしこれは僕の「予言」ではない。――しかし、確かに「事実」として起こったのである。――

――しかしながら――

――僕の心に――昨日から浮かぶたった一言は――僕にも意外なルターの言葉であったことも「事実」であったことを――ヴィトゲンシュタインは笑って許してくれると確信しているのである――

――“Wenn morgen die Welt unterginge, würde ich heute ein Apfelbäumchen pflanzen.”――

――仮に明日この世の最後が来るとしても、私は今日、ここにリンゴの木を植える。――

鏡像

東宝の特撮映画がこの現実に「似ている」のではない。我々の意識の中で、あの東宝映画群を、日本の今の我々のカタストロフが「説明」しているのだ。この謂いは事実である。それがヴィトゲンシュタインの「鏡像」である。これは言を弄しているのではない。それが「鏡像」そのものなのだ。事実、私に寄せられた3人の教え子のメールと管見した教え子のブログには「映画を見るようだ」とある。いや、僕だって、昨日思わずそう知人に述懐した。それが「現実の認識」という愚かな「現象」の正体なのだ――

2011/03/11

かゝれとてはゝその母は生みにけむかなしみにのみわが生くるなる 芥川龍之介

かゝれとてはゝその母は生みにけむ

 かなしみにのみわが生くるなる

                芥川龍之介

やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集 附やぶちゃん注 《暫定縦書版》

「やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集 附やぶちゃん注」 《暫定縦書版》を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。暫定というのは、ただ横書版を縦にしただけで、アラビア数字の漢数字変換やルビ化を行っていないことを示す。本歌集は全歌集ではないので(書簡群その他からの拾い出しなどが未実行)、向後(いつになるやら)増殖をさせるつもりではあるが、俳句集の縦書をした過程で、やはり横書の短歌も頂けない。冒頭に注した通り、概ね縦書版を完了した片山廣子の歌集群に合わせて、芥川龍之介の短歌群を、取り敢えずは同じように縦書で味わって頂くことを目的として、これを作成した。場所によっては甚だ読み難い部分もあるとは思うが、暫くはソロモン龍之介とシバ廣子の形見に――。

後は……多くの詩集群の縦書化も課題なのだか……今の僕にはそれを考えるゆとりも力も、残念ながら、ない……なるようになるであろう……いつかは……

2011/03/10

れんげ畑――ブログ記事記載3000の記念に

東大泉の河原のれんげ畑で――6歳の僕と母――大好きな写真をもう一度、母の愛とブログ記事3000記載めの記念に――

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たらちね

母に電子辞書を買って上げた――最初に引いたのは「たらちね」だった――生憎、その辞書では見出しがなかった――少し淋しかった――母さん――歌を詠みたいのかな――

母よ

あなたが戒律を破って父と結ばれたから

僕はこの世に在る

あなたの病いは戒律を破った業病なんかではない

あなたの病いは僕らの愛のためにある

あなたとあなたにつながるあらゆる世の人々の愛のためにある

病いがその愛を僕らに教えてくれたのだ

「やぶちゃん版芥川龍之介全句集」書簡俳句二句を岩波文庫加藤郁乎編「芥川龍之介句集」により補正【午前】/片山廣子歌集「翡翠」縦書版及び片山廣子歌集「翡翠」抄――やぶちゃん琴線抄五十九首――及び「片山廣子集《昭和6(1931)年9月改造社刊行『現代短歌全集』第十九巻版》 全」縦書版公開【午後】

「やぶちゃん版芥川龍之介全句集」に岩波文庫加藤郁乎編「芥川龍之介句集」で原本書簡に当たって訂正された書簡俳句の二句のてにをはを訂正、年次も変更されているので位置も変更した。【午前】

片山廣子歌集「翡翠」縦書版及び『片山廣子歌集「翡翠」抄――やぶちゃん琴線抄五十九首――』縦書版及び「片山廣子集《昭和6(1931)年9月改造社刊行『現代短歌全集』第十九巻版》 全」縦書版を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。【午後】

こんなことをしている時にだけ、辛うじて僕は僕の現実から逃避出来るのだ――しかし、それも所詮「逃げ」なのだ――

放蕩息子の帰還

以前に述べた通り、僕の母は独身の頃、修道女になろうと決心していた。イタリア人神父の洗礼を受けて笠井テレジア聖子となった。彼女は生涯を長島のハンセン病患者への奉仕で生きることまで予定していた。

昨日、母は呼吸が苦しいと言い始めた。それは病態の進行と、また心理的な強いストレスによるものとの両方が作用しているものと思われる。

先日、病院のスピリッチャル・カウンセラーである老修道女の「あなたはクリスチャンでらしたの?」という問いかけに母は「いいえ」と嘘をついていた。

僕がそのシスターに事実を話し、病床に招いた時、母はシスターの手を握って泣きながら「私は独身の時の戒律を破ってしまった放蕩息子です」と懺悔をした。

僕は懺悔をするユダに象徴される父なる神への放蕩息子の帰還の絵を、そこに目の当たりに見た気がして、驚愕した。――タルコフスキイの「惑星ソラリス」のエンディングで故郷の家の入り口で父に懺悔し縋るクリスと言えば映画ファンなら分かるはずだ――そしてそれは母でもあり僕でもあった――そうして、麻痺が急速に進みながら、79歳にしてその明晰な言葉と思索に私は驚いたのだ(これはALSの病態の特徴でもある。痴呆は起こらないのだ)。

実際、僕の妻はその「放蕩息子」の意味が分からなかったと後で僕に言った。

私の母の洗礼名は笠井テレジア聖子――今、入院している病院は聖テレジアという――私は神を信じないが――私の母の内なる神には、母の魂の平穏を是が非でももたらしてもらいたい――神よ、御加護を――

2011/03/09

やぶちゃん編 芥川龍之介片山廣子関連書簡16通 附やぶちゃん注 縦書版

「やぶちゃん編 芥川龍之介片山廣子関連書簡16通 附やぶちゃん注」の縦書版を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。

2011/03/08

随分御機嫌よう

近々、僕の下らない現実に愚かに接合して呉れていた他人であるあなた方とはすっきりとお別れすることとなる。その時には言うまでもないから、ここで秘かに述べて終わりとする――では――「随分御機嫌よう」――宮澤賢治のように……

僕の母はルケリヤである

僕の母はルケリヤである――だのに――僕はピョートル・ペトローヰッチにさえなれないのは――何故だ!?――

あの角を曲がると……

あの角を曲がるときっと何かが変わると思っていた……そんな占いめいた、お目出度い若い日の遠い「夢」を、僕はふと思い出していた――昨日は杖をついて歩いている母の夢を見た――これが夢でありませんようにと、僕は夢の中で確かに念じていた……でも、夢だったのだ……

2011/03/06

未公開片山廣子芥川龍之介宛書簡(計六通七種)のやぶちゃん推定不完全復元版 縦書版/「芥川龍之介関連昭和二(一九二七)年八月七日付片山廣子書簡(山川柳子宛) 縦書版

「未公開片山廣子芥川龍之介宛書簡(計六通七種)のやぶちゃん推定不完全復元版」の縦書版及び「芥川龍之介関連昭和二(一九二七)年八月七日付片山廣子書簡(山川柳子宛)」の縦書版を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。夕刻から寸暇を惜しんで作成した。

――俳句ばかりではないわ。手紙も横書はあり得ないという当たり前田のクラッカーという事実に思い至ったのだ――

――こんな古いギャクを出すのも、大好きな小さな頃に一緒に暮らしたちっちゃい兄ちゃん(僕の従兄)と今日、母を見舞ったせいでもあろう。

――母は転院の無理が来て、酸素吸入をしていた――今日も母にキスして別れた――そうして――そうして僕は――もう母しか愛さないと心に決めた――

――それが僕の母への遅れてきた愛なのだ――

2011/03/05

芥川龍之介 神々の微笑 (『新小説』初出形) 附やぶちゃん注

芥川龍之介「神々の微笑」(『新小説』初出形) 附やぶちゃん注を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。

【14:04追記】

母の入居候補の施設内覧から帰って、芥川龍之介「神々の微笑」(『新小説』初出形) 附やぶちゃん注 縦書版を作成、公開した。向後は、横書テクストを公開する場合、可能な限り、ルビ化し、横書版も併設する予定ではある。既公開テクストについても、僕の限られた時間の中で、漸次、縦書化に勤しみたいとは思っている。

2011/03/03

ちょつとだけ困難な芥川龍之介に取り掛かつてゐる

ちよつとだけ困難な芥川龍之介に一昨日來、取り掛かつてゐる。それが今の折れかかつた僕を支へて呉れさうだ。前から氣になつてゐた「神々の微笑」(ふふふ♪ 「神神の微笑」では、断じて、ない)。何時になるか分からぬが、此れ、今は一般には讀めない原形の推定復元と僕の注釋附のものとはなる豫定である。お待ちあれ。今日は雛祭りだつたね――でも――祭りは――終はつた……のだ……

“La fete est finie.”

2011/03/02

母転院 妻への感謝

母さん 疲れたね でも ちょっとだけアリスに逢えてよかったね アリスは 帰ったらテンション高かったな 母さん ご苦労様――

妻よ ありがとう――自分の不自由な足のために仕事をやめる貴女に大きな苦労を背負わせるのは 僕の本意ではないのに――

ありがとう――

光源氏の常套句のようでいやだが――

でも――やっぱり、これしかないな――

“Here's looking at you, kid!”

――君の瞳に乾杯!

2011/03/01

父ノ畫集ノ正シク夢判斷ナラン事ヲ知レル語第一

教え子がブログで父の画集をタロット・カードに喩えて書いているのを読んだ――

その通りだった――

これは望まれるべき人類滅亡の占い――あるべき人類絶滅への決定稿であった――

*   *   *

時に――みんな卒業おめでとう!

君の涙は僕の涙だったよ! 母も喜んでいる――拓也!

――“Here's looking at you, kid!”――

――君の瞳に乾杯!――

卒業、おめでとう!

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