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2011/05/31

「香ひの狩獵者」より 北原白秋

手についた香ひなら墓場まで持つてゆかねばなるまい。

(「香ひの狩獵者」16)

2011/05/30

新編鎌倉志巻之二 夢想国師他一覧亭記漢詩群 登攀開始

「新編鎌倉志巻之二」は、本日、遂に最難壁ローチェ、夢想国師他になる「一覧亭記」の漢詩群に登攀を始めた。専門家から見れば杜撰極まりない仕儀としか見えまい――しかし、攀じ登り始めた以上、頂上を目指す――傷心の山屋の孤独なクライミング――

2011/05/29

桐の花より

ひいやりと剃刀(かみそり)ひとつ落ちてあり頭の花黄なる初秋

アクアリウム帰還

あのアクアリウムに昨日帰還――二日で“FLURE DU MAL”「悪の華」を再構築――海の花は勿論のこと、そこに潜む生き物たちの名前を呼ぶがよい――僕の“FLURE DU MAL”――

新編鎌倉志巻之二 江亭記 校訂補注完了

「新編鎌倉志巻之二」の、「江亭記」(江戸城を築城した太田道灌と親交が深かった正宗龍統が記したもの)の校訂を終了した。荏柄天神の神宝として引用されたものだが、膨大な注となった。語句の解説等には不満足な部分もあるが、これ以上、これに拘ると先へ進まない。鎌倉の荏柄天神の神宝というだけであって、実はその内容自体は鎌倉とは無関係なものであるから、ここまでとしたい(僕自身、十分に意味を読み取れない部分も残っているので、将来的には補注の増補を考えてはいる。それが一年後になるか、数年後になるかは分からない)。悪しからず。それでも「新編鎌倉志」版「江亭記」訓読と「江戸名所図会」版「江亭記」(正字版)訓読のネット上同時公開は、相応に価値あるものと考えている。

2011/05/28

シュールレアリスト志賀丈二&或るイディオ・サパンの少年のコラボレーション

「シュールレアリスト志賀丈二&或るイディオ・サパンの少年のコラボレーション」を本トップ・ページの「ART SHOT」に公開した。

――志賀さん、こりゃ4歳の白痴の少年にくれてやるには勿体ない、素敵に猥雑な志賀パワー全開の、文句なしの名画ですよ!――

2011/05/26

ヨハネ受難曲

今日、仕事から帰る途中、田舎道を歩き乍ら、何気なく、バッハの「ヨハネ受難曲」の冒頭を口ずさんでみた――何故か、涙が止めどもなく、流れ落ちてきた――

アランの台詞

僕は何を期待していたというのか? ベッドの中で凝っと女を見つめることで、彼女のことが――いや、僕自身のことが、何かふっと腑に落ちてくるとでも、思っていたのか?……

290000アクセス記念 富田木歩「初秋日記」 同縦書版

本未明、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、290000アクセスを突破した。5年でこのアクセスは僕のような一般人のブログでは多い方だと思われる。今から切り番の300000アクセス記念のテクストを心配せねばならぬのだが。
傷心にして、それでいて、ろくでなしの記載しかしない寂寥狂乱孤愁荒漠たる本ブログの、誠実にして奇特なる愛読者諸士に、心より感謝致します。

突破記念として富田木歩の、一読、忘れ難い随筆「初秋日記」及び同縦書版を公開する。――特にそのエンディングが、いいな――

……もし僕が富田木歩の映画を創ったら、その最後は、あの「誓いの休暇」のエンデイング風に、次のようなナレーションで終わらせたいと思う……「ある兵士のバラード」ならぬ「ある俳人のバラード」である……

……我々の友富田木歩について、我々が物語りたいことは、これで総てである――彼は良き夫となり、父となっていたかもしれない――彼は随筆家か、小説家か、或いは心友にして映画人であった、業火の中、彼を最後に背負って逃げた(いや終生背負ったというべきである)新井声風の元で、優れた脚本家になっていたかもしれない――彼は「愛撫」の梶井基次郎に先んじた小説を書いたかも知れないし、新感覚派の顔色無さしめる脚本を創ったかもしれない――しかし、現実に彼が出来たことは、俳人であることだけだった――そして彼は、俳人であることによって、我々の記憶の中に、永遠に、留まっているのである――

2011/05/25

ドリュウ・ラ・ロシェルの侏儒の言葉 私

   私

私は「私たち」ではなく、「私」と言明しなくてはならない。

   又

私はあなた方の言う「正義」を認めない。

   又

私は今、あなた方に宣告するのではなく、私の立っているこの今この場に拠って、フランスに、欧州に、そして人類総てに宣告するのである。

   又

私は常に国家主義者であり、同時に国際主義者である。

   又

私は石橋を叩いて渡るような「知識人」だけにはなりたくなかった。

   又

私は思えばずっと漂泊者だった。しかし、もし漂泊が出来ないとなれば――死などという代物をそう辛抱強く待てるものではない。

   又

私は現象を食い飽きた。今、私は本質だけを希求している――いや、本質の彼方にある語りえぬものだけを求めている。

   又

私は若い頃よりずっと情熱的である――そうして若い頃よりずっとその情熱から自由でもある。

   又

私は赴くべき場所を示しながら、いつもよりは気品のある裸体をしている。

   又

私は賭けた。そして私は負けた。――だから私は死を要求する。

2011/05/24

ドリュウ・ラ・ロシェルの読書日記

「カラマーゾフの兄弟」はもう三度か四度目だ。今回はその形而上学的な性質に少しばかりがっかりした。ゾシマ長老――ちょっと聖品収納室と信者の臭いがきつ過ぎる。――イワンの異端審問官の話――これは短か過ぎる。

「悪の華」も再読――詩人は愛人ジャンヌとシファリスで結ばれていたが、この病い故にこそ、彼はジャンヌの腕に抱かれていながら不能だったのだ。

「レ・ミゼラブル」再読――何と言う脳天気と健康さ! 何とあの頃のフランスは、撓み傾ぎ壊れそうでいながら、どっこい丈夫だったことだろう! そして無邪気に己れの心に耳傾ける小説家こそが、同時に比類なき歴史家なのだ。この叙事詩がゾラの総てを生んだのだ。横倒しにされて果敢に抗う馬のような――都市に蝕まれた民衆の叙事詩だ。

サルトルの「出口なし」――佳品? いや。それほどでもないか――こいつは、あらゆる本物の別名、シュールレアリスム(超現実主義)なんかではない――所詮、こいつはスーレアリスム(卑俗現実主義)である。

2011/05/23

アランの台詞

友達は「僕」を待ち過ぎて、そうして遂には「僕」を忘れてしまうのさ――

2011/05/22

荏柄天神 そして 江ノ島

「新編鎌倉志 巻之二」は遂に荏柄天神の漢詩に突入したが、これが危惧していたのに反して、これらの漢詩が禅の公案のように奇妙に腑に落ちて来て面白いのだ。訓読に難を感じず、面白いというだけのことで、その詩想を十全に分かるなんどという悟達者を気取るものでは毛頭ないが、しかし面白いのである。ルビがないからHTMLの顕微鏡的な作業をしなくてもいいという最大利点も勿論あるのだが、しかし、直観として確かに、腑に落ちる、面白いのだ。

――序でに言えば、僕の父と母は、この荏柄天神の境内で新婚生活を始めた。僕はそこで生まれたのだ。だから今日は是が非でも、ここまで到達したかったのである。ここで僕は生を受けたのだ。僕のこの世の第一歩の地を僕は水戸の黄門様までフィード・バックして遙かに味わっているのだ。何とそこには、かの僕が哲人として(宗教家としてではない。僕は何の信仰も持たない)尊敬する親鸞の影さえもあったのだ( 「新編鎌倉志 巻之二」の「天神の名号」の二番目を参照されたい)。

――そう言えば、大学時分、失恋の翌日の傷心の女友達を、この境内に連れて行ったのを思い出した。――冬の銀杏の大樹と抜けるような青空だったな――

――そうして――父と母の婚前のデートの江ノ島が、やはり僕の傷痕の青春の地、秘かなる恋情悔恨の地でもあったことといい――僕が卒論にした尾崎放哉と従姉妹澤芳衞との悲恋離別の地が江ノ島であったことといい――そして、この荏柄天神の思い出といい――僕にとって鎌倉とは、確かに因縁と愛憎悲喜こもごもの地であるということを僕は今日、痛いほど悟ったのであった……

早くも

2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、現在、289305アクセス、亡き母の一件・転勤に加えて、僕の書き散らした原発関連記事の検索アクセスの増大で日々200アクセスを越えたせいで290000アクセスに例になく急速に近づいた。今日の午前中、小品乍ら印象的な記念テクストを完成出来た。猫好きの方は、ご期待あれ。少しでも嘗ての日常を取り戻さねば――

2011/05/21

牡丹の木より 北原白秋

ほのぼのと母坐(ま)す空の一方(ひとかた)に耳冴(さ)えゆきて夜のほどろあはれ

牡丹の木より 北原白秋

現(うつつ)まさぬ母をたのめて病む身には朝とよみあはれとどろきあはれ

牡丹の木より 北原白秋

母坐(ま)さぬいかならむ世かおもほえね月照るしろき辛夷(こぶし)この花

牡丹の木より 北原白秋

稚(をさ)なさび坐(ま)す母聞けば身の老のたちまちにいたり子はも泣かえつ

牡丹の木(ぼく)より 北原白秋

仰ぎ臥(ね)てながるる涙とどまらずははそはの母の病みたまふとぞ

風隠集より 北原白秋

童(わらは)べに母の乳滴(した)る夜明がたこほろぎの聲は冷えてやみにし

風隠集より 北原白秋

月を見てねむる吾が子か眉引(まよびき)のおほに明るみ下笑(したゑ)めるかに

入日の壁 北原白秋

黄(き)に潤(しめ)る港の入日(いりひ)、
切支丹(きりしたん)邪宗(じやしゆう)の寺の入口(いりぐち)の
暗(くら)めるほとり、色古りし煉瓦(れんぐわ)の壁に射かへせば、
靜かに起る日の祈祷(いのり)、
『ハレルヤ』と、奧にはにほふ讚頌(さんしよう)の幽(かす)けき夢路(ゆめぢ)。

あかあかと精舍(しやうじや)の入日。――
ややあれば大風琴(おほオルガン)の音(ね)の吐息(といき)
たゆらに嘆(なげ)き、白蝋(はくらふ)の盲(し)ひゆく涙。――
壁のなかには埋(うづ)もれて
眩暈(めくるめ)き、素肌(すはだ)に立てるわかうどが赤き幻(まぼろし)。

ただ赤き精舍(しやうじや)の壁に、
妄念(まうねん)は熔(とろ)くるばかりおびえつつ
全身(ぜんしん)落つる日を浴(あ)びて眞夏(まなつ)の海をうち睨(にら)む。
『聖(サンタ)マリヤ、イエスの御母(みはは)。』
一齊(いつせい)に禮拜(をろがみ)終(をは)る老若(らうにやく)の消え入るさけび。
はた、白(しら)む入日の色に
しづしづと白衣(はくえ)の人らうちつれて
濕潤(しめり)も暗き戸口(とぐち)より浮びいでつつ、
眩(まぶ)しげに數珠(じゆず)ふりかざし急(いそ)げども、
など知らむ、素肌(すはだ)に汗(あせ)し熔(とろ)けゆく苦惱(くなう)の思(おもひ)。

暮れのこる邪宗(じやしゆう)の御寺(みてら)
いつしかに薄(うす)らに青くひらめけば
ほのかに薫(くゆ)る沈(ぢん)の香(かう)、波羅葦増(ハライソ)のゆめ。
さしもまた埋(うも)れて顫(ふる)ふ妄念(まうねん)の
血に染みし踵(かがと)のあたり、蟋蟀(きりぎりす)啼きもすずろぐ。

(「邪宗門」より)

かかるかなしき手つきして…… 北原白秋

かかるかなしき手つきして、
かかる音(ね)にこそ彈きにしか、
かかるかなしきその日の少女(おとめ)。

(「思ひ出」より「斷章」四十一)

新編鎌倉志巻之一 影印本による厳密校訂終了公開 / 同校訂作業「卷之二」開始

水戸光圀纂録・河井恒久纂述・松村清之考訂・力石忠一参補「新編鎌倉志巻之一」の影印本による厳密校訂を終了した。先にも言った通り、影印に従ってルビで多量の読みを入れた。白文であった漢文表記部分も、影印の訓点に従った書き下し文を付加したので、相当に読み易くなっている。完全なリニューアル版と言ってもよい体裁となった。

僕が鎌倉郷土史を調べていたあの20代の頃、この「大日本地誌大系」の「新編鎌倉志」を入手して小躍りし、それを携えて鎌倉の山々を寺社や旧跡を跋渉しながらも、その漢文脈部分には殆んどお手上げ、臍を噛んだことを今は懐かしく思い出す(と言っても、勿論、書き下した今でも、完全にその意味を読みこなしているなどとは口が裂けても言えないのだが)。

ともかくも、30年前の僕のように――八百屋で買った林檎一顆を昼飯にして鎌倉を歩くような――愛憎に生きた鎌倉人の心と歴史の微かな匂いをかぎ出そうとする――如何にも地味で流行らない、数少ない鎌倉を愛する奇特な少数の若者たちに――僕の電子テクストを捧げたい――

さても、次は「巻之二」の同様の校訂だ……が……これ、多量の漢詩群が立ちはだかっている……しかし……独りで攀じ登ろう――今夕より作業に入ることとする。

2011/05/20

富田木歩論「イコンとしての杖」評

久方振りにネット・サーフィンをしたら、偶然、見つけた。「詩客 SHIKAKU 詩歌梁山泊 ~三詩型交流企画」というサイトの「俳句時評 第3回」(5月13日附)の中で外山一機という方(まだお若い方だが、個人ブログを読むと実に彫琢した文章を書かれている。また、俳句という実在への厳しい覚悟を持っている人物ともお見受けする)が――『俳句界』特集「夭折の俳人たち」――という節で、短いものであるが僕の論を採り上げておられた。それは、限られた字数の中で僕の語りたかったある焦燥をつらまえて呉れたものである。何よりも有難い評である。亡き母のために書いたあの記事が、こうして一人の青年の心に繋がったことが僕には嬉しいのである。見知らぬこの青年に僕は心から感謝する。よろしければリンク先をお読みあれ。

我々が人生に於いて初めて真に邂逅するのが母であるように、我々が人生に於いて最後に真に離別するのも母である。いや、我々は人生に於いて母にしか逢わず、そして母とのみ、別れるのである。

2011/05/18

「私」へ

僕が君を好きな理由は、何よりも感性の人――行動の人だからである。君は「私」自身の行為や思念に、『他者に対しては』理由付けとしての弁解をしない(解釈はするが、それが不快な言訳にはなっていない。「先生」に対してはしばしば弁明をするが、それは社交辞令や軽薄な釈明ではなく、『心の素直な表出』である。その点は「坊ちゃん」的――「坊ちゃん」がやや大人になった感じでもある。そうしてそれ故に「先生」は君を愛するのである)。この世には僕を含めて我儘の言い放題と自己弁護と自己保身に終始する輩ばかりが闊歩している。勝手な思い込みと浅薄な邪推(穿ち過ぎでもない点に於いて「浅薄な」である)で言い切って、それで世界が収束したとでも思い込んでいるようじゃないか。僕は君が今、どうしているかがやはり気になるのだ。それこそが確かに「こゝろ」の考えるべき続編である。――靜と結婚しているなんどという噴飯愚劣嘔吐下血な思い込みとは全く別に、それを勿論、テッテ的に考える必要が――あるのだ。――

2011/05/17

「先生」へ

先生……肉と愛がそれぞれの極点に分離しているというあなたの考えそのものが――不遜の極みなのですよ――それがあなたの「病い」なのですよ――だからあなたは靜さんは、勿論――それ以前に――『Kさえも』愛せなかったのですよ――これが総ての答えです……先生……でも……私も……結局は同じでした……

2011/05/16

北原白秋「桐の花」より

どくだみの花のにほひを思ふとき靑みて迫る君がまなざし

2011/05/15

父さん ありがとう

農園の薔薇に水をありがとう!

新編鎌倉志 巻之一 影印による大校訂 残すところ僅か――されど……

「新編鎌倉志 巻之一」の影印による大校訂が終わりに近づいた。僅か三項目、影印で三十数行に過ぎない。三十分あれば終えられる工程だ(東京電力の福島原発よりずっと確実な実行可能性として、だ)――が――ここでちょっと立ち止まることにする。どうも今の心理状態では、きっぱり何か終えてしまうと、強烈な空虚感と波状的な悲哀が襲って来ることが分かっているからだ。魂のモラトリアムなグラデーションの荒野が必要なのだ。次の変化球の役にも立たぬアンガジュマンを用意せねばなるまい。僕はハスキー犬と同じだ。毎日、同じ道を散歩させられると、直きにノイローゼになるのさ……

北原白秋「桐の花」より

クリスチナ・ロセチが頭巾かぶせまし秋のはじめの母の横顏

北原白秋「桐の花」より

母びとは悲しくませば鳳仙花せめて紅しと言ひ告げやらむ

手を拱いてばかりは居られない――

「新編鎌倉志 巻之一」の影印による大校訂も昨夜来、順調に進んでいる。何ヶ月もかかるかと途方に暮れていたが、近日、巻之一は終了出来る。――僕だって――鬱々と手を拱いてばかりは、居られぬ――

2011/05/14

芥川龍之介 漢文漢詩の面白味 縦書版

インターネット即刻復活を記念して芥川龍之介「漢文漢詩の面白味」縦書版を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。完全復活していることを証明するために。

雨のふる日 北原白秋

わたしは思ひ出す。
緑靑(ろくしやう)いろの古ぼけた硝子戸棚を、
そのなかの賣藥の版木と、硝石の臭(にほひ)と、…………
しとしとと雨のふる夕かた、
濡れて歸る紺と赤との燕(つばくらめ)を、

しとしとと雨のふる夕かた、
蛇目(じやのめ)傘を斜(はす)に疊んで、
正宗を買ひに來た年増(としま)の眼つき、…………
びいどろの罎を取つて
無言(だま)つて量(はか)る…………禿頭(はげあたま)の番頭。

しとしとと雨のふる夕かた、
巫子(みこ)が來て振り鳴らす鈴(すゞ)…………
生鼠壁(なまこかべ)の黴(かび)に觸(さは)る外面(おもて)の
人靈(ひとだま)の燐光。

わたしは思ひ出す。
しとしとと雨のふる夕かた、
叉首(あいくち)を拔いて
死なうとした母上の顏、
ついついと鳴いてゐた紺と赤との燕(つばくらめ)を。

繰り返し言う――僕は人間としての白秋がどうしても好きになれないでいる――それは大手拓次の「藍色の蟇」の詩稿を握った儘、拓次の生前、遂にそれを出版しなかった彼に対する恨みの一事にのみよるものである――しかし、認めねばならぬのは……確かに……彼の詩想の本物であるということである……

鵞鳥と桃 北原白秋

なにごとのありしか知らず、
人さはに立ちてながめき。

われもまた色あかき桃
掌(て)にしつつ、なかにまじりぬ。

河口に今日しはじめて
小蒸汽の見えつるといふ。

朝明(あさあけ)の霧にむせびし
西國(にしぐに)の新しき香(か)よ。

そが鈍(にぶ)き笛のもとより、
鵞の鳥は鳴きてのぼりぬ。

ひとむれのその鳴きごゑよ、
しらしらとわれに寄り來つ。

そはかなし、『見も知らぬ兒よ、
汝(な)が紅き實(み)を欲し。』といふ。

いひしらぬそのくちをしさ、
逃げまどひ、泣きてかへりぬ。

母上に賜(た)びし桃の實、
われひとり食(たう)べむものを。

鷄頭 北原白秋

秋の日は赤く照らせり。
誰が墓ぞ。風の光に
鷄頭の黄なるがあまた
咲ける見てけふも野に立つ。

母ありき、髮のほつれに
日も照りき。み手にひかれて
かかる日に、かかる野末を、
泣き濡れて歩みたりけむ。

 ものゆかし、墓の鷄頭。
さきの世(よ)か、うつし世にてか、
かかる人ありしを見ずや、
われひとり涙ながれぬ。

再起! 対応迅速なるニフティに感謝!

昨日早朝にモデム損壊の連絡をしたところ、何と今日の午前中に代わりのモデムが配送されてきた。本日正午を以って全システムが復活した。試みにHPの補正を行ってみたところ、今まで通りで何らの新設定をも必要とせずに、更新が行えた。対応迅速なるニフティに心より感謝致します。ニフティは誠実である。僕にとって、最早、このブログとHPだけが前向きな支えであると言ってもよい。たかがインターネットの再起――されど再起なのである――

2011/05/13

モデム損壊 再起不能 随分ごきげんよう

昨日の夜 インターネットのモデムが突然前触れもなく壊れました 母の急変と同じでした 再起の予想は全く立ちません このブログは隣に住む父のパソコンを借りて打っています HPの更新も不能となり 基本的にメールにも返信は出来ません(時々この父のパソコンで確認はしますが、それも不定期です) 心の折れた僕に相応しい偶然のダメ押しの仕打ちとも言えましょうか――コルジセーヴァ侯爵夫人、悪いのですがミクーシの赤い薔薇に気が付いたら結構ですから水をやって下さい 母のために――悪しからず 皆さんの御多幸をお祈り致します では 随分 ごきげんよう

2011/05/10

イワン・ツルゲーネフ原作 中山省三郎訳 生神様 終章

 數週間の後に、私はルケリヤが亡くなつたといふことを聞いた。つまり死神が後から、……しかも『ペトローフキが濟んでから』やつて來たのである。人の話によると、臨終の日、ルケリヤは絶えず鐘の音を聽いてゐたといふ、――アレクセーエフカから教會までは五露里(り)の餘もある上に、その日は日曜日でも祭日でもなかつたのに。それにしても、ルケリヤはその音が教會からではなく、『上から』聞こえて來ると言つたさうだ、――おそらく、彼女は敢へて『天から』とは言はなかつたのであらう。

僕のツルゲーネフ「猟人日記」中山省三郎訳「生神様」 (縦書版はこちら)より――

……僕は母が意識を失う前から、そして失ってから……そして亡くなってからも……北海道で買った球形のドルイドの鈴を母の耳元で振り続けたんだ――母さん、きっと母さんも「天から」じゃあなくて――「上から」って思ったんだろうな――母さんはやっぱり――僕の大好きなルケリヤだもの――その鐘を打っていたのは――「少年」の無垢な、僕、なんだ――

母さん

僕の農園いっぱいに――へへ! 誰より広い農園なんだよ!(……この農園はね、母さん以外には多分、コルジセーヴァ伯爵夫人しか行けない、秘密の花園なんだ!……)母さんの好きな真紅の薔薇が満開だ!――見に来て! 母さん――

2011/05/09

おやすみ――

母さん――

車上 北原白秋

春の夜(よ)なりき。さくらびと
月の大路(おほぢ)へ戸を出でぬ。
燈(ひ)あかき街(まち)の少女らは
車かこめり、
川のふち
霧美くしうそぞろぎぬ。

美(よ)き人なりき、花ごろも
かろく被(かつ)ぎて、――母ぎみの
乳の香(か)も薫(く)ゆり、――薔薇(ばら)のごと
われをつつみぬ。
ひとあまた、
あとの車もはなやぎぬ。

いづれ、月夜の花ぐるま、
憂(う)き里さりて、野も越えて、
常(とこ)うるはしき追憶(おもひで)の
國へかゆきし。――
稚子(ちご)なれば
はやも眠りぬ、その膝に。

(「思ひ出 抒情小曲集」より)

いつもありがとう 母さん

夕べは遅くにごめんね――でも 母さんの好きな真っ赤な薔薇みたいなカーネーション よかったでしょ? あれ 酔った僕の眼が捉えたんだよ 母さんにあげなくちゃ ってね――母さん いつも 僕のために ありがとう! これからも 僕の傍にいてね――

僕は 母さんのことを 語りたくて語りたくてたまらないんだ……でも それは1年封印することにしたよ……僕は僕の中で母さんを醸成するんだ……母さん……

見え透いた嘘をつく語(こと) 又は 彷徨える日本人

浜岡を止めるのは僕らの現象としては正しい。しかし、それが「決断された」のは日本のためではない。偏西風の影響下で、浜岡が福島のようになったら風下にアジアのアメリカの根拠地たる太平洋第七艦隊寄港地横須賀が汚染される、それでは「アメリカが困るから」、である。既に昨日、それは政府筋の識者が民放の番組で米国防総省から何度も電話を受けて来たと驚天動地の正直さで暴露したではないか! それを正規のニュースに載せない「お前」を――何度も言うが――全く信じないのだ! そもそも浜岡以外に断層帯上や津波に襲われるリスクの高い海岸線にある原発を何故、同列として総て凍結停止させないのか?! 「お前」はそれこそ致命的な亡国の売国奴である! 日本に人が住めなくなれば「亡国」の謂いも虚しいだろうに――夜店のステッキの頭をした中曽根風に言わせてもらえば、危険な原子力「不沈空母」が沈むというアメリカにとっての脅威を避けたいに過ぎなかった――いや、そうなったらイスラエルのように、力技で異民族の土地を奪い取るというか? 彷徨える日本人よ!――「お前」は信じられない、だけじゃない! おぞましく醜い! それが僕を含む今の日本人という存在である!――

2011/05/08

芥川龍之介李賀第三種接近遭遇記念 芥川龍之介 漢文漢詩の面白味

芥川龍之介李賀第三種接近遭遇記念として芥川龍之介「漢文漢詩の面白味」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。如何にも残念なことに李賀についての記載はないが、芥川の漢詩への思い入れと、最後の日本的な文士としての深い漢詩文教養が垣間見られる文章である。なお、本テクストはネット上では初公開と思われる。僕としては草稿や注釈を施したいところなのだが、縦書版作成共に、精神の安穏が訪れるまでの先送りとすることとする。

2011/05/07

芥川龍之介と李賀の第三種接近遭遇を遂に発見した

有客來相訪 通名是伏羲
泉石烟霞之主
但看花開落 不言人是非
與君一夕話 勝讀十年書
夭若有情 天亦老 搖々幽恨難禁
悲火常燒心曲 愁雲頻壓眉尖
書外論文 睡最賢
虚窓夜朗 明月不減故人
藏不得是拙 露不得醜

芥川龍之介ノート「ひとまところ」より。底本は旧全集を用いた。本ノートは冒頭に『大正十三年九月十八日如例胃を病んで臥床す「ひとまところ」は病中の閑吟を録するもの也  澄江子』のクレジットがある。この詩は全集に当ることでしか読み得ず、尚且つ、ノートの類として、また、数少ない芥川龍之介の漢詩という特異性から、まず一般人(僕を含めて)の目には滅多に触れないものである。恐らくこれをご覧のあなたも初見であろうと存ずる。
因みにしかし――まさにこれは「越し人」片山廣子から、あの情熱的な手紙を受け取った十三日後、廣子への内なる恋情の炎の只中にあった龍之介の記した漢詩なのである!――搖々幽恨難禁 悲火常燒心曲 愁雲頻壓眉尖――とはまさに、その廣子への思いではないか?!
そして――この詩の中に李賀が、いる、のだ――!

芥川龍之介が李賀を愛読していたことは古くから知られていたことなのだが、僕は未だ嘗て、それを裏付ける芥川龍之介自身の執筆になる一次資料を見たことがなかった。
ところが今回、遂に芥川龍之介の作品の中に李賀の痕跡をはっきりと見出すことが出来たのである。
それは昨日入手した2010年5月花書院刊の中国中山大学教授邱雅芬(キュウ ガフン)氏の「芥川龍之介の中国―神話と現実」(因みに雅芬氏は女性である)の「第二章 芥川と漢詩」のお蔭である。
その「解説」でまず邱氏は第六句目の「夭若有情」は「天若有情」の誤りであると指摘されている。煩瑣を厭わず、そう直したものを示そう。

有客來相訪 通名是伏羲
泉石烟霞之主
但看花開落 不言人是非
與君一夕話 勝讀十年書
天若有情 天亦老 搖々幽恨難禁
悲火常燒心曲 愁雲頻壓眉尖
書外論文 睡最賢
虚窓夜朗 明月不減故人
藏不得是拙 露不得醜

以下、僕なりに訓読してみよう(邱氏は中国人であられるので日本人のするようないい加減な訓読自体がない)。

客有り 來つて相ひ訪ふ  通名 是れ 伏羲(ふつき)
泉石烟霞の主なり
但だ看る 花の開落せるを  言はず 人の是非
君と一夕を話すは 十年書を讀むに勝る
天若し情有らば 天も亦老いん  搖々たる幽恨 禁じ難く
悲火 常に心曲を燒く  愁雲 頻りに眉尖を壓す
書外論文(しよぐわいろんぶん)  睡(すゐ) 最も賢し
虚窓(きよそう) 夜(よ) 朗らかにして  明月 故人を減ぜず
藏(かく)し得ざるは 是れ 拙(せつ)  露はし得ざるは これ 醜

邱氏の現代語訳を参考にしながら、僕なりの訳を試みる。特に邱氏には僕のよく分からなかった最後の六句「書外論文 睡最賢/虚窓夜朗 明月不減故人/藏不得是拙 露不得醜」で啓示を得た。ただ僕は、これを牽強付会と知りつつも、この「故人」を「旧知・旧友」(又は古き詩人の意か?)ではなく、「心焦がれる恋人」(勿論、廣子のこと)と採りたい。そのように訳しておく。

客があった 遣って来て私を訪ねたその相手は 通称伏羲 何と かの中国の原初の神々の長(おさ)じゃないか 天然自然の山水を愛する隠者だ――
彼と二人 ただ花が咲き そして 散るのを見ている――誰彼の人の善し悪しなんどは口にしない――
君と一晩語らって得たもの それは 十年書物を読み続けたのに勝るものだった――
天という存在にもし情というものがあったなら 天もまた僕の宿命を悲しむ余り一気に老いるに違いない――目が眩むような激しい愁いが僕の胸の中にはあってどうにもならないんだ――
その悲しみは火の如く心中に炎を上げてるんだ――僕の眉はその愁いのために何時だって顰められてるんだ――
書物なんどはうっちゃってしまえ! 人の書いたものを批評するなんぞもやめちまえ! 何より遙かに賢いのは 眠ることさ――
今宵 明月は紗のカーテンの掛かった窓を照らし その光りは焦がれる恋人の窓下にも同じごと射している――
隠し得ぬのは これ如何にもな拙(まず)さであり あなたに見せ得ぬのは これ私の真実の醜さなのだ――

訳への疑義があれば、是非とも御教授願いたい。特に「明月不減故人
」の部分はあやしい。

さて、李賀である。邱氏の本詩の「評価」の欄の指摘によって、この「天若有情 天亦老」の部分が李賀の「金銅仙人辭漢歌」からの援用であることが分かるのだ(「序」があるが省略した)。

   金銅仙人辭漢歌   李賀

茂陵劉郎秋風客
夜聞馬嘶曉無跡
畫欄桂樹懸秋香
三十六宮土花碧
魏官牽車指千里
東關酸風射眸子
空將漢月出宮門
憶君淸涙如鉛水
衰蘭送客咸陽道
天若有情天亦老
攜盤獨出月荒涼
渭城巳遠波聲小

○やぶちゃんの訓読

   金銅仙人漢を辭するの歌   李賀

茂陵の劉郎 秋風の客
夜 馬の嘶(いなな)くを聞くも 曉(あかつき)に跡無し
畫欄 桂樹 秋香を懸け
三十六宮 土花碧(みどり)
魏官 車を牽きて千里を指せば
東關の酸風 眸子(ぼうし)を射る
空しく漢月と將(とも)に宮門を出づれば
君を憶ひて 淸涙 鉛水のごとし
衰蘭 客を送る 咸陽の道
天若し情有らば 天も亦老いん
盤を攜(たづさ)へて獨り出づるに 月 荒涼
渭城 巳に遠く 波聲小なり

この詩自体の解釈はそれだけで膨大なスペースが必要なので専門家の諸本に譲るが、要は人が非情無情とするところの対象(仙人の銅像)にも悲痛慷慨の思いがあるとし、李賀はそれに代わってその悲しみを詠んだのである。

龍之介はそうして、この金銅仙人の、その李賀の「思い」を、自身の廣子へのやるせなき「思い」とダブらせたのであったのではなかったか? 

ともかくも、この十句目に芥川が用いた、

天若有情天亦老

が現われるのである。我々は遂に芥川龍之介の直筆のラインに李賀を見出したのである。最後に邱雅芬氏に心より謝意を表するものである――

……天若し情有らば 天も亦老いん……龍之介32歳……しかしもう、彼の宿命の時間は余り残されていなかった……

追伸: 参考までに邱雅芬氏の同書によれば、この芥川の漢詩の「虚窓夜朗 明月不減故人」の部分は、『明代陳継儒(一五五八~一六三九)の詩句「幽堂昼深清風忽来好伴虚窓夜朗明月不減故人」の後半部によっている』と記されている。

三伸:実は当該書籍の正に該当箇所をgoogleブックスの画像で読むことが出来る。こちらをご覧あれ。そうして当該書籍を購入されることをもお薦めする。僕はこれから本書を精読するのであるが。

四伸:邱雅芬氏はこの漢詩全体が、幾多の中国古来の常套句や諺、複数の詩人の詩文からの「集句詩」であるということも指摘しておられる。その中で邱氏が指摘しておられない部分として、僕が新たにネット上から見出した部分があるので追記して参考に供しておきたい。それは冒頭の「有客來相訪 通名是伏羲」の二句で、これは正に上記の通り、邱氏が「虚窓夜朗 明月不減故人」の部分で示された陳継儒の、また別の文「岩幽栖事」にそのままある句であった。例えば中文サイトのここに示されている。その文脈は「問是何往還而破寂寥 曰有客來相訪 通名是伏羲」である。【2011年5月9日 PM8:21】

2011/05/06

君と語る楽しみの

思い出を少しだけ残して会話は切れた

受話器の向こうで君は僕の「母」だった

ありがとう

冬蟲夏艸

2011/05/05

北原白秋 雲母集 童子抄より

何事の物のあはれを感ずらむ大海の前に泣く童(わらべ)あり

ものなべて麗(うら)らならぬはなきものを何か童の涙こぼせる

うらうらと童は泣くなりただ泣くなり大海の前に聲も惜(をし)まず

精神安定剤と睡眠薬と

そんなものに頼る生活は僕の望むところではない

睡眠時に心悸高進が起こって左右どちらを枕にしても拍動が聴こえて眠れぬ

就眠中は多量の発汗があって頭部から(比喩ではなく)瀧の様に汗が滴る(妻が枕がおねしょうしていると表現するほどぐしょぐしょになる)

医者は一言「悪い夢でも見ているんでしょう」――

自律神経失調症と言えよ(実際に処方された薬物はそうなんだから)――

日常的に左の手に震顫が起こり

左の耳鳴りは極度に高くなった

睡眠薬も処方された

しかし――

こいつだけは死んでも飲むまいと決めている――

S君よ、君に書かなかったそれが――今の僕の――小康状態の近況である――

「新編鎌倉志」――そうだった 地味に行こう もともと今年のアンガジュマンじゃないか……

「新編鎌倉志」の貞享二(1674)年刊の影印本を母の亡くなった直前に手に入れていたのを忘れていた。そもそも僕は「新編鎌倉志」の電子テクスト化を僕の今年のアンガジュマンと謳っていたことさえ忘れていた。そうだった……地味に行こうじゃないか……まずは、「巻之一」から原典影印による校訂と読みの追加の準備から始めよう……ゆっくらとな……

PM3:37追記

これ……やってみると実は漢文脈が多いことから(影印には訓点がびっちり施されているが、僕のテクスト底本は白文!)、これはとっても一筋繩では行かない、相当に困難なことが分かった。……影印の20数行分を校訂補正するのに実に2時間もかかってしまった!……まあいいさ、ナアに……一年かけてでも、ゆっくらやるさ……「以降」を「ヨリコノカタ」と読んでいるとは思わなかった。遣り甲斐は、ある――

PM5:18追記

この校訂で、本文に関しては、全くの素人の方でも十分に読みこなせるようになる気がする。また、影印の編者である白石克氏も述べておられる通り、この時代に鎌倉の名所旧跡や旧地名がどう呼ばれていたかが、かなり詳しく分かるようになるはずである。必ずしも僕という好事家の無駄な仕儀に堕すものではあるまい――

2011/05/04

「コード」という元凶

僕たちには「コード」はいらないのだ! 最大多数が安穏に気持ちが良くなる「コード」があるから大衆はノルと思っているのは大間違いなのだ! 音楽も文学も政治も 逆に操作された「コード」に踊らされていたのではなかったか?!  ドルフィーが微妙に語ったのは――そして訳しにくかったその部分こそ――その忌わしい核心ではなかったのか?!――エリックよ! 今、君の語りの意味が、僕には確かに分かったように思うのだ―― 

P.バラカン氏 ラジオでの反原発ソング放送禁止の裏事情語る(ニュース・クリップ)

このニュース「風評」なる差別はメディアそのものが自分から生み出している愚劣な「コード」の基づいて生み出される忌わしい現象であることを証明している。

ニュースの削除を鑑みて、著作権侵害を敢えて侵して以下に、コピーしておく。断固として、だ!

P.バラカン氏 ラジオでの反原発ソング放送禁止の裏事情語る

2011年5月4日(水)16時0分配信 NEWSポストセブン 

 震災後、きめ細かい情報や人々を癒す音楽などで、再び高く評価されているラジオ。FMラジオ「Inter FM」でピーター・バラカン氏がDJを務める番組「BARAKAN MORNING」(月~金、7~10時)もそのひとつだが、騒動は4月1日、金曜日の朝に起きた。突然、バラカン氏がこう言い始めたのだ。

「僕は忌野清志郎さんの声が実はあまり好きじゃないので、これまでかけてこなかった。でも、多くのリクエストがあり、詞を見て、今かけるべき曲じゃないかと考え、『ラヴ・ミー・テンダー』をかけようと思ったのですが、局に止められてしまいました」

『ラヴ・ミー・テンダー』とは、RCサクセションが1988年に発表したアルバム「COVERS」の収録曲で、反核・反原発ソングとして知られる。

 氏は穏やかな口調ながら、不満が滲む。その気持ちを抑え切れなかったようで、番組終了時にはこんなセリフも。

「それではまた来週お会いしましょう。僕のクビがつながっていれば……」

 そして、翌月曜日。番組には登場したのだが、まだ怒りが続いているのか、同じくリクエストが多かったという反原発を歌ったRCCサクセションの『サマータイム・ブルース』をかけた後に、こんなタイトルの曲をかけていた。

『TELL IT LIKEIT IS』『YOU LIE TOO MUCH』

 直訳すれば、こうなる。「本当のことを言って」「あなたはウソばかり言っている」……。

 一体、何があったのか。バラカン氏を直撃して聞いた。

「僕の番組で紹介するのはほとんどが洋楽なので、清志郎さんの歌をリクエストするリスナーもこれまでいなかった。しかし、原発事故後、驚くほど多くのリスナーから『ラヴ・ミー・テンダー』のリクエストが殺到しました。それに応えるのが誠意のある対応と考えたわけです」

 ところが、局側から思いもかけないことを言われた。

「通常、僕の番組では一切、選曲の制限はありません。ただ、日本語の歌であり、こういう時でもあるので、一言だけ事前に担当者に伝えたところ、今はあまりよくないのでは……と言うのです。“牛乳を飲みてぇ”という歌詞が風評被害につながるのではないかと心配したようです」

 理解できない話ではないが、納得はしていない、とバラカン氏は続ける。

「風評被害を広げることを心配するよりも、風評被害が出ないように情報を全部出すほうが先決だと思います。そもそも風評被害を考えなければいけないのは、正確な情報がないから。東京電力や政府はすべてのデータをわかりやすい形で公表すべきです」

『TELL IT LIKEIT IS』などは、リスナーが東電に向けてリクエストしたのでかけたのだと言う。

“クビ発言”については、「本気でクビになると思ったわけではないけれど、瞬間的に思ったことをつい言い過ぎてしまいました。でも、そのぐらいの覚悟がないとダメでしょう」とも。

 長年『CBSドキュメント』(現在はCBS60ミニッツ)の司会を務めるバラカン氏が、日本の放送局の役割についてこう語る。

「ラジオはリスナーのため、テレビは視聴者のためにあるというのが僕の基本姿勢であり、崩したくはない。しかし、日本の放送界は全体的に、視聴者のためというより、局の利益のためにあると思っていると感じることがある。こういうことを言うと、今度こそ僕の仕事はなくなるかもしれないけれど(苦笑)」

 3.11を境に世界は変わる、とバラカン氏。原発をどうしていくのかは、国民投票などを含めた国民的な議論が必要だと考えているという。

※SAPIO2011年5月4日・11日号

因みに――僕はバラカン氏の大のファンである。彼は音楽を正しく――感性の歴史――人間のまことの哲学の有意な一分野として捉えているからである――

預言者であった忌野清志郎の“Love Me Tender” をここにリンクする。

彼の歌をほくそ笑む奴は、プルトニウムを飲んでも安全だという、東大大学院の愚劣な教授と同じく、万死に値する。

荒れ果てた書斎から忽然と稀覯本二冊が消える僕の精神の致命的衰えへの恐怖

母の死の前後から、書斎が荒れ始めた。出しっぱなしの本が山済みとなり、例の地震で崩れても、うっちゃらかしたままにしていた。妻が文句を言うのでこの連休にやおら整理した。……ところが、大きなテクスト化のために必要な稀覯本二冊が、整頓しても出て来ない。……忽然と消失していた。……唯でさえやる気が失せているところに、茫然自失の体(てい)となった。……僕は書籍の整理に対しては神経症的で、全ての書棚をジャンル別にし、配列もオリジナルな規則に則っていて、かつての僕は自宅に居なくてもこれこれの本はどの書棚の左から何番目にあるか言えたのが自慢だったのだ。……況や、所蔵する本が書斎からなくなることなど、嘗てあり得ないことだったのだ。他人に貸したままになって戻らないものでも、文庫や新書までメモなしで全て暗記していたのだから。……いや、何処かに紛れ込んでいるはずである。僕はつまらない雑誌類も含めて、まず書物は廃棄しないからだ。……何時か見つかるだろう。……しかし何時かでは遅いかもしれないのだ。……ともかくもここに来て、僕の致命的な精神の衰えを現存在に痛感している。……何をやったらいいのか……さりとて何もせずにいれば早晩鬱状態の引き籠りと大差ない存在になりそうだ……何かを見つけなければ……このままでは僕は、母が自らのことを「生きた木乃伊のように生きていくのは……いや……」と言ったのと同じになってしまう……「こゝろ」の先生と同じだ……自らを投企せねばならぬ……何か……何かを……

2011/05/03

富田木歩心友土手波王哀傷小品「鷗鳴く頃」 同縦書版

僕の富田木歩論「イコンとしての杖」『俳句界』掲載記念としてやぶちゃんの電子テクスト:俳句篇『富田木歩心友土手波王哀傷小品「鷗鳴く頃」』及び同縦書版を公開した。先に公開した『富田木歩愛妹まき子哀傷小品二篇「おけら焚きつゝ」「臨終まで」 附 同哀傷句群』の一年後、木歩の心友にして故まき子の恋人であった波王の三回忌に書かれた追悼文である。

……波王は大正6(1917)年7月21日、大川の魔所と呼ばれた小松島にて溺死した。その彼の最後の句――それは何と

胡麻花のうなだるゝ眞晝泳ぎけり

であった――僕は既にして今 超自然の摩訶不思議な何ものかを そこに感ぜずには居られぬのである……

勾配 森川義信

 勾配

非望のきはみ

非望のいのち

はげしく一つのものに向つて

誰がこの階段をおりていつたか

時空をこえて屹立する地平をのぞんで

そこに立てば

かきむしるやうに悲風はつんざき

季節はすでに終りであつた

たかだかと欲望の精神に

はたして時は

噴水や花を象眼し

光彩の地平をもちあげたか

清純なものばかりを打ちくだいて

なにゆえにここまで来たのか

だがきみよ

きびしく勾配に根をささへ

ふとした流れの凹みから雑草のかげから

いくつもの道ははじまつてゐるのだ

私の「森川義信詩集」より)

――僕は今 森川の云う「非望」という今迄何となく腑に落ちなかった言葉が分かるのだ――母の「不在」ではない 母の「非在」のきわみだ――その感覚が 僕の今の 日常ならざる飴の様に延びた蒼ざめた時間の陰から 波状的に襲い来るのだ――しかしMよ、僕は今や君のように若くはないんだ――「いくつもの道ははじまつてゐる」――そんな感じは、哀しいかな、もうとっくに忘れてしまったよ――Mよ、地下に眠るMよ、君の胸の傷は、 まだ、痛むか?――

アフォリズム

君の心からの励ましと「頑張れ」は、近い将来の冷たくなった骸(むくろ)としての僕と君の現実の絶望に他ならない。

おやすみ――

補正:僕は君と一緒に骨にはならぬ。母と同じく、解剖実習の好き勝手な素材となるだけだ――墓好きどもよ! 糞食らえ!

2011/05/02

誰も語らず不満ばかりが蔓延する下等な現実

では 僕も沈黙することとしようじゃないか 小娘の蜜柑の鮮やかな映像さえ 今も僕らには望まれぬのであれば

観覧車の僕

僕は独りで歩き始めることにする  もともと僕は独りだったのだから 同伴者は不要だ 観覧車の上に 僕 見上げるのも 僕 そうして それぞれの観覧車には 僕しか乗っていないのだ それで観覧車は永遠に急速に回り続けるのだ――僕の目は回らない 何故なら 僕はもう 盲目だからね――ボクノシンザウヲ キミハビゴトニクヒヤブレ サウシテ チシヲアビヨ ソレデタシカニ キミノナカニボクハ イキルノダ――それで よい――

アリョーシャはシューラの言葉を聞き取れなかった――

アリョーシャは最後に駅頭でシューラと別れる時、彼女の言葉を聞き取れなかった――

それは僕の母の別れと同じだった――

それは痛恨の哀しみだった……

“Простите! мама……”

「母さん! ごめんね……」

「誓いの休暇」は確かにタルコフスキイの原点であった――

冒頭を見給え! 麦畑の中の道――その左側で帰ってこないアリョーシャの面影を求めて、彼方を見つめる母カテリーナから、カメラはかなり早いパンを時計回りにして、街道の前景よりも有意に前方の街道の右端を写す――その時、その画面の右からフレーム・インしてくるのは数メートル後方の道の左端に居たはずのカテリーナなのだ――これを時計で計測してみるがいい。リアルな状況では、不自然に俳優が走らない限り、あり得ない映像なのだ(実際にそこまでの母の動きは終始一貫ゆっくりしたものであり、撮影は勿論、監督のそのような走ってこっちへという強制的指示がなされたとしか考えられない。そしてそこは――エンディングでカテリーナが全力で走って出た、アリョーシャと抱き合う、あの場所なのである)。これはタルコフスキイの、パンで左にフレーム・アウトしたはずの登場人物が、物理的にあり得ない右からフレーム・インするのと全く同じである――チュフライはやはりタルコフスキイの正しき良き教師で、あったのだ――

滅びむ里

時來り滅びむ里は人守(も)らず何ぞあらむ早やほろびたり   白秋

(「嚴冬一夜吟」)

2011/05/01

21年目の結婚記念日 / 枝野へ

21年目の結婚記念日

恵比寿の「ル・コック」に心から堪能

山種美術館の福田平八郎の裏彩色という強烈なパースペクティヴの牡丹に感激

一年降りの駒形鰌を4枚食う

帰って 酔って 僕は 糞ニュースに吠える!

枝野……

……その腐った福耳で彼女たちの母乳を飲むがいい! 厚生労働省の愚劣で非科学的な暫定閾値なるものを楯に「直ちに健康に影響はない」母乳を検査すると称してだ……そうしてお前が飲むがいい!……チュウチュウと、な!……それがセクハラにならないように法務省に俺は特別に陳情しといてやるぜ!……何の問題もないなら、始めっから、そんな愚かな宣言をする必要は、ない!……だからずっと言ってるんだ!……「お前」に繋がる全てを……俺は信じないと!

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