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2012/01/15

宇野浩二 芥川龍之介 二~(3)

芥川と宇野が剣劇を見て下諏訪行の夜行を待つ――その剣劇を見るところまで、三パートをまとめて公開する。ここで紹介されている宇野の撮ったという芥川龍之介のシルエット・ポートレイト――見てみたいものだが……誰か御存じないか……

 さて、私たちは、下諏訪に昼頃〔ひるごろ〕につきたい、と思ったので、その喫茶店で、『時間表』をかりて、その晩の十一時何分〔なんぷん〕かの汽車にのることにきめた。
 やがて、私たちは、その喫茶店を出て、ぽつぽつ人どおりの出だした新京極の通りを、南の方へ、あるいて行った。あるきながら、ふと、左側の劇場看板を、見ると、その頃さかんに流行し出した剣劇の看板のはしに、私は、中田正造、小笠原茂夫、という名を見出〔みい〕だした。私は、小笠原は、沢田正二郎に紹介されて、知っていた。それと一しょに、小笠原が、本職より、文学がすきであった事を、私は、思い出した。
 そこで、私が、その剣劇の看板を指しながら、芥川に、その事を、いって、「昼の間は、京都の町を、ぶらぶら、あるいて、晩は、汽車に乗るまでの時間つぶしに、この芝居を、見ようか、」と、いうと、芥川は、すく「それがいい、それがいい、」と、いった。
 そこで、私たちは、新富の通りを穿抜けたところを右にまがり、烏丸通り右へまがって、高島屋[百貨店]に、はいった。高島屋にはいったのは、偶然、その前をとおりかかったからでもあるが、広島晃甫から、高島屋の美術部長にあてた紹介状を、もらっている事を、思い出したからである。しかし、高島星の中にはいると、芥川も、私も、「美術部長などにあっても、つまらないね、」と、いいあって、時間つぶしに、二階にあがったり、三階をまわったり、した。
 ところが、その三階で、冬物売り場というところを、ぶらぶら、あるいていた時、私の目が、毛皮部の売り場の隅に、兎の毛皮を裏につけた小さい、『ちゃんちゃんこ』に、とまった。明日の昼すぎに逢うことになっている、下諏訪の、私が自分の小説の女主人公にした、ゆめ子〔私の小説に出る女の名〕の子(二歳〔ふたつ〕ぐらいの赤ん坊)に、その『ちゃんちゃんこ』を、おくりたい、と思ったからである。そうして、私は、それを思いたつと、すぐ、芥川にも、あの生駒の女に、ナニか、おくることを、すすめよう、と、かんがえた。
 そこで、けっきょく、私は、その『ちゃんちゃんこ』を、諏訪の女におくることにし、芥川は、生騎の女に、ショウルを、おくることにした。(ショウルは、私が、芥川に、すすめたのである。ついでに書けば、ショウルは金参拾円であり、『ちゃんちゃんこ』は金拾八円であった。)

[やぶちゃん注:「中田正造、小笠原茂夫、という名を見出だした。私は、小笠原は、沢田正二郎に紹介されて、知っていた」沢田正二郎は大正から昭和初期にかけて爆発的人気を博した剣劇俳優で劇団「新国劇」座長。中田正造と小笠原茂夫は同劇団団員であったが、沢田のワンマン経営に異議を唱えて脱退、ここで宇野と芥川が京都を訪れた直前の大正九(一九二〇)年九月に劇団「新声劇」に入団しているから、この劇場の看板は「新声劇」の公演である。この「新声劇」は元は大阪道頓堀弁天座を根拠地とした辻野良一らの新派劇団であったが、中田らの入団によって剣劇団に様変わりし、「新国劇」とともに一大剣劇流行の時代を担うこととなった。]

 それから、私たちは、日の暮れる前あたりまで、京都のどの辺を、あるいたか、その記憶が、私に、ほとんど、まったく、ないのである。(その間に、時雨〔しぐれ〕にあったことだけ、ふしぎに、おぼえている。)ところが、今、その写真は手もとにないが、芥川が、先斗町あたりの加茂川の岸で、加茂川の方を眺めている、その芥川の、横むきの、腰から上のシルエット(silhouette――このフランス語を、辞書で、しらべると『黒色半面影像』というのがある)のようにとれた写真、があったのを、おぼえている。これは、私がうつしたのであるが、その写真の芥川は、黒色の、鍔〔つば〕のひろい、(むかしの宣教師のかぶっていたような、)帽子をかぶっていて、洋服は、たぶん、黒色であり、ネクタイも、黒色であったが、この芥川の横むきの姿は、アアサア・シモンズのようにも、見え、ちょっと、アルテュゥル・ランボオを、思わせるようなところもある。
 小島政二郎の『眼中の人』というおもしろい小説のなかに、

 「ゆうべ見せて戴〔いただ〕いた写其のなんとか云ふ方〔かた〕ね、ああいふの、芸術家らしくつていいわ。」[註――これは、主人公の妻の言葉]
  ゆうべ見せた写真? ああ、あれはフランスの象徴詩人マラルメを論じた本の巻頭に載つてゐた著者フランシス・グリヤアソンの肖像だつた。それは芥川龍之介に似た美男子で、文壇ゴシップの伝へるところによれば、芥川の髪の形は、このグリヤアソン・スタイルの模倣とまで云はれてゐるその原型だつた。

 というところがあるが、私の愛蔵している、グリヤアソンの“Parisian Portraits”という本の巻頭のグリヤアソンの写真は、ほんとうに、若き日の芥川に似ている、それは、ここに、それを写真版として、入れたい程である。
 (芥川と、アアサア・シモンズ、その他については、後に述べるつもりである。)

[やぶちゃん注:「フランシス・グリヤアソン」Francis Grierson(フランシス・グリーアスン 1848~1927)作曲家にしてピアニスト、文芸評論家のイギリス人(幼少期に米国移住)。著作に近代ヨーロッパ文学と神秘主義思想を論じた“Modern Mysticism”(1899)などがある。]

 

 さて、その日の夕方、私は、芥川と一しょに、新京極のナニガシ劇場の楽屋に、小笠原茂夫を、訪間した。
 その時、小笠原は、もう鬘をかぶるばかりに、頭をきちんと手拭でまき、顔もすっかり舞台に出る扮装をしていたが、私たちの顔を見ると、
「きたない所です、」と、いいながら、弟子に座蒲団を出させながら、きまりわるそうな顔をした。
 そこで、私が、芥川を紹介してから、(汽車に乗るまでの時間つぶしなどという事はいわないで、)芝居を見せてもらいたいというと、
「たいへんな芝居ですが、……」と、小笠原は、頭をかきながら、「しかし、せっかくおいでくだすったのですから、まあ、どんなバカげた事をやっているか、を、見ていただきましょう、」
と、云った。
 それから、私たちは、舞台裏から、桟敷の一隅に、案内された。芥川は、剣劇だらけの絵のかいてある番組を見ながら、
「なるほど、小笠原は、芝居より、文学がすきらしいね、」といった。
「文学などがすきだから、小笠原は、沢田みたいに、俳優としては、出世しないよ。」
 やがて、幕があいた。見ると、どこかの屋敷の前で、数人の侍〔さむらい〕が斬りあっている。すると、やがて、その屋敷の中から、火事がおこって、舞台が一そう混乱する。その時、さッと、花道の入り口の揚げ幕のあく音がして、そこから、火消し姿の小笠原が、片手に鳶口を、かまえるような恰好をして、持ちながら、バタバタと、花道を、駆けてとおった。
「なるほど、さっき、小笠原君がいったとおり、たいへんな芝居だね、」と私がいうと、
「小笠原の足は、君、細〔ほそ〕すぎるね、」と芥川が云った。

[やぶちゃん注:『芥川は、剣劇だらけの絵のかいてある番組を見ながら、/「なるほど、小笠原は、芝居より、文学がすきらしいね、」といった。/「文学などがすきだから、小笠原は、沢田みたいに、俳優としては、出世しないよ。」』という部分は、省略された部分に小笠原と芥川たちの文学談義があったとしても、文脈から見ると芥川が小笠原が組んだ剣劇の外題を見て、それらが単なる浄瑠璃や歌舞伎のみならず、広範な古典や近代文学の知識に基づいて創作されたものであることを読み解いたからではなかろうか。だからこそ、二番目の芥川の台詞『そんなに文学に色気を持って脚本作りに肩入れしていると、俳優としての演技は散漫で疎かにならざるを得ない。だから出世はしない』といった推理を展開しているように私には読める。実際、芥川龍之介が生前、しばしば見せた辛口の劇評はどれも非常に鋭いものである。特に私は「足の細さ」に着目する芥川に同感する。歌舞伎や剣劇の荒事や武辺物にあっては、如何に二枚目で所作が上手くても、実際、足の細い(細く見えてしまう)俳優は、舞台では結局大成しないと私も実感するからである。]

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