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2012/01/01

ジョン・ミリングトン・シング著 姉崎正見訳「アラン島」 序文 野上豊一郎 及び やぶちゃん冒頭注

まず、僕の冒頭注及び既に著作権の消滅している野上豊一郎氏の『「アラン島」について』を僕のプロジェクトのプレとして公開する。

アラン島 ジョン・ミリングトン・シング著 姉崎正見訳

[やぶちゃん注:アイルランドの劇作家にして詩人であったジョン・ミリントン・シング (John Millington Synge 1871年~1909年)は、1898年から1902年にかけて4度、アイルランド島の西のゴールウェイ湾に浮かぶアラン諸島を訪れた。後に愛情に満ちた筆致でこの島に残るアイルランドの古形的民俗と人々の生活を活写したのが本作である(一冊に纏められた出版は1907年)。底本は一九三七年刊岩波文庫版を用いた。姉崎正見氏は東大附属図書館司書で昭和36(1961)年11月現職で逝去されている。従って著作権法五十一条により亡くなった翌年の1962年1月1日起算50年で、著作権保護期間は2010年1月1日までとなる。姉崎氏の没年については昨年年初に岩波書店に電話で直接確認をとってあるが、ネット上の記載でも確認が出来るので間違いない。冒頭に配された野上豊一郎の『「アラン島」について』も野上は昭和二十五(一九五〇)年二月に逝去されているので、同じく著作権は消滅している。訳者によるポイント落ちの( )による割注は本文同ポイントで〔 〕示し、ルビはブログ版では( )で表示し、一部の踊り字は正字や「々」で示した。行空けのあるパートごとに、訳文の後に原文を付した。原文は“Intenet Sacred Text Archive”所収の“The Aran Islands by J. M. Synge”のものを用いた。後日、私のオリジナルな注も附す予定であるが、ブログ版では大きな疑問点のみの注に留めた。]

アラン島 シング作 姉崎正見譯

「アラン島」について

 「アラン島」(The Aran Islands)はシングの戯曲を讀む人にとつて、興味ある貴重な文獻である。何となれば、イェーツも言つたやうに、シングの藝術の本質を形づくる永遠な高貴なものは、彼がアラン群島のそこここに寄寓して、土地の人たちから古い物語を聞き、それを目の前に見る現實の生活と比較することに依つて體得したものであり、讀者にその製作経過を感じさせないでは措かない素材がその中には豐富に盛られてあるから。
 「アラン島」は、同時にまた、シングの戯曲を讀まない人にとつても、一つの興味多い讀物であることを失はない。何となれば、そこには世界の他のどこにも殆ど見られなくなつた傳統ある原始生活がまだ見られてあつたし、その生活の中にはひり込んで、同情と批判を以つて觀察した天才文人の忠實な記録でそれはあるから。
 實際アランの岩島はシングに依つて生かされ、シングはまたアランを踏まへて彼の藝術を完成したのであつた。
 シングにアランへ行けと忠告したのはイェーツであつた。それは一八九九年、シング二十八歳の時であつた。その七年前、シングはダブリン大學を出て、音樂者にならうと思つてドイツへ行き、作家に轉向しようと思つてフランスへ行き、フランスに三年ほどゐてイタリアヘ行き、捜すものを求め得ないでアイルランドに歸り、イェーツに逢ふ前年、一八九八年、アラン島に最初の訪問を試みて、またフランスへ行き、パリで先輩イェーツに逢ふと、イェーツはシングの天才を生かすにはラシーヌの幽靈を突き放して(當時シングはラシーヌに傾倒してゐたので)郷國の漁民の生活の中へ歸るのが一番だと感じ、それをシングに忠告したのであつた。シングはイェーツの忠告に従つてアランの生活を研究し、それを物にして遂にシェイクスピア以來の劇詩人と言はれるほどの製作をして、一九〇九年、三十八歳で孤獨の生涯を終つた。
 シングは純眞で、内気で、禁慾的で、さうして皮肉屋であつた。言語には殊に敏感で、近代詩の外にヘブライ語と固有アイルランド語をも知つてゐた。彼自身の書くものに彼自身獨自の表現を作り出すことにも成功した。それは彼の描いた性格の多くと共に、アランの漁民の生活觀察から得たものであつた。
 私の若い友人姉崎正見君の飜譯が、さういつたシングの特長を生かさうとすることに周到な注意と努力の拂はれてあるのは推賞に値する。
   昭和十二年二月   野上豊一郎

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