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2012/04/07

宇野浩二 芥川龍之介 十一 ~(5)

 全集第五巻の詩集のなかに『相聞』という題の詩が三〔みっ〕つ出ているが、その中〔なか〕につぎのようなのがある。

 また立ちかへる水無月の
 欺きを誰にかたるべき。
 沙羅のみづ枝に花さけば、
 かなしき人の目ぞ見ゆる。

 ところで、先〔さ〕きにくどいほど引いた『澄江堂遺珠』の中にある詩の大部分を仮りに相聞詩とすれば、そうして、あの詩を空想の恋いを詠んだものとすると、芥川には空想の恋い人があった、という事になる。(空想の恋い人なら、何人あっても差〔さ〕し支〔つか〕えないであろう。)
 芥川に『或恋愛小説』[註―大正十三年四月作]という小説がある。その小説には「――或〔あるひ〕は『恋愛は至上なり』――」という傍註がついている。その小説は、「或婦人雑誌社の面会室」が場面で、主筆と堀川保吉の対話体になっている。その対話の中につぎのような話がある。

 保吉 ええ、……世間の恋愛小説を御覧なさい。女主人公はマリアでなければクレオパトラじぢありませんか? しかし人生の女主人公は必しも貞女ぢやないと同時に、必しも又婬婦でもないのです。もし人の好〔い〕い読者の中〔うち〕に、一人〔ひとり〕でもああ云ふ小説を真〔ま〕に受ける男女があつて御覧なさい。尤も恋愛の円満に成就した場合は別問題ですが、万一失恋でもした日には必ず莫迦莫迦〔ばかばか〕しい自己犠牲をするか、さもなければもっと莫迦莫迦しい復讐的精神を発揮しますよ。……
[やぶちゃん注:本作は大正十三(一九二四)年五月一日発行の婦人雑誌『婦人クラブ』に掲載されたもの。冒頭の「ええ、」の後のリーダは、直前で保吉のとんでもない恋愛小説の結末に、主筆が気色ばんで「堀川さん、あなたは一体真面目なんですか?」と詰問したのに対する、原文の「勿論真面目です。」という言葉を省略したことを示したもので、原文のものではない。末尾のリーダも以下の省略であって、原文のものではない。表記上も複数箇所異なる部分があるが、特に文意に変化を与えていないので校異は割愛する。殆んど作品の掉尾であるので、以下、原文を後略箇所から最後までを総て示す(旧全集によったが、宇野の本文と合わせるために新字体で示し、一部を除いてルビは省略した)。

しかもそれを当事者自身は何か英雄的行為のやうにうぬ惚れ切つてするのですからね。けれどもわたしの恋愛小説には少しもさう云ふ悪影響を普及する傾向はありません。おまけに結末は女主人公の幸福を讃美してゐるのです。
 主筆 常談でせう。……兎に角うちの雑誌には到底それは載せられません。
 保吉 さうですか? ぢや何処かほかへ載せて貰ひます。広い世の中には一つ位〔ぐらゐ〕、わたしの主張を容れてくれる婦人雑誌もある筈ですから。

 保吉の予想の誤らなかつた証拠はこの対話の此処に載つたことである。

これを宇野がわざわざ引いたのは、この「或恋愛小説」のヒロインが実は一人合点の空想的恋愛をし、一人相撲をとりながら、結果として豚のように太ってその妄想に耽り続けるという設定を、芥川龍之介の「空想の恋い人」と重ねて論証しようとしているのである。――但し、くどいようだが、私はそうは思わない――
――少なくともこの「相聞」一首を芥川は確かに――
――片山廣子のために/ためだけに――
――廣子へ/廣子の前から断腸の思いで去るために――
――詠んだ絶唱である――
――と御目出度くも思い込んでいるのである――
なお、次の引用は別な書簡からの引用の間には空行があるだけで、宇野の解説が入らない、今までのケースにはない、やや不思議な特異な引用法となっているが、これは偶々雑誌連載の切れ目であるからかも知れない(前回分が引用で終わり、偶然、その次の回が引用で始まった。単行本化ではそこに補筆をせずに続けた結果ででもあるのだろう)。]


この里〔さと〕も鮎はあるゆゑ賜〔た〕ぶとならば茶うけに食はん菓子を賜びたまへ
 左団次はことしは来ねど住吉の松村みね子はきのふ来にけり

 これは、大正十三年の七月二十八日、芥川が、軽井沢から、室生犀星にあてた、絵葉書にかいたものである。
[やぶちゃん注:それにしても不思議な引用だ。尚且つ、直前には片山廣子(松村みね子)への「相聞」が示されている。宇野はこの引用で何を言いたかったのか? 単に廣子(そして直後に挙げられる小林勢以子)などなど……数多くの「空想の恋い人」因子となる対象が芥川龍之介の中にはあって、そのどれにも満足せず、その美しい部分だけを空想の中でフランケンシュタインの怪物のように集合合体させて、安全かつ完全なる観念的恋愛の世界に遊んでいた、などと言いたいのか? そもそも、そんな「安全かつ完全なる」恋愛など、恋愛とは言えない――ということは宇野は勿論、芥川龍之介自身でさえ分かりきった真理ではなかったのか?!――と私は宇野に叫びたい気がする。次の引用の前も一行空きとなっている。]


朶雲奉誦
東京へ帰り次第早速貴意の如くとり計ふべし
   (四行半削除)
それから君、久米へ勢以子[註―ずっと前に鵠沼の東家の事を書いた時に出て来た元谷崎潤一郎夫人の妹]と小生との関係につき怪〔け〕しからぬ事を申された由勢以女子史も嫁入前の体殊に今は縁談もある容子なれば爾今右様の一切口外無用に願ひたし僕大い弁じたればこの頃は久米の疑全く解けたるものの如くやつと自他の為喜び居る次第なりこれ冗談の沙汰にあらず真面目に御頼申す事と思召〔おぼしめ〕し下されたし
谷崎潤一郎へでも聞えて見給へ冷汗が出るぜ

これは、大正八年の八月十五日、芥川が、金沢から、秦 豊吉にあてた、手紙のなかの一節である。が、これを読んで、私は、この文章のたしか第五節あたりで、鵠沼の東家〔あずまや〕にいろいろな人が集まった話を書いた時、このせい子の事も述べたが、芥川が勢以子とずっと前から近づきであつた事を初めて知ったのである。
 そこで、芥川が仮りにまだ生きているとすると、私は、(私も、)芥川に手紙を書き、その最後に、「冷汗が出たぜ、」と書くであろう。閑話休題。
[やぶちゃん注:「朶雲」は「だうん」と読み、相手から受け取った手紙を尊んで言う書簡用語。唐代の韋陟〔いちょく〕は五色に彩られた書簡箋を用い、本文は侍妾に書かせて署名だけを自分がしたが、その自書を見て『「陟」の字はまるで五朶雲(垂れ下がった五色の雲)のようだ』と言ったという「唐書」韋陟伝の故事による。
なお、本書簡(旧全集書簡番号五六五)はこれで終わりではなく、まだ続き、感興に従って解説入りの俳句を六句も記している(「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」の当該五六五の箇所を参照)。従って実際にはこの前半の小林勢以子とのゴシップへの芥川龍之介の感情は険悪でも深刻でも、実はないとうところが肝心である。宇野のこの引用ではまるで『潤一郎にでも』(この実はやっぱり私通に近いものだったことがばれたらと思うと)『冷汗が出るぜ』、とでもいうようなニュアンスに読める。そうではない。くどいのだが、私は芥川龍之介の恋愛狙撃のスコープには小林勢以子は絶対に入らないのである。――では、『冷汗が出る』のはなぜか?――明白である。後年の「文藝的な、餘りに文藝的な」論争でも分かるように、先輩作家谷崎は芥川のライバルである。そのライバルの義妹とのゴシップは芥川にとって如何にも不都合である。更に言えば私は、谷崎がそれを知ったらどうするかを考えてみれば、『冷汗が出る』に決まっているのである。則ち、谷崎なら、そこでニヤリとして即座に芥川と勢以子をモデルにしたゴシップ恋愛小説をものすに決まっていると芥川は直感しているからである。言わずもがなであるが、実際に後の大正十三年から連載が始まる彼の「痴人の愛」の主人公ナオミは小林勢以子である。]

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