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2012/04/30

大塚美保著 森鷗外『舞姫』 豊太郎の母〈諌死〉説の再検討

僕はかつて森鷗外の「舞姫」の母親の死は自然死であり、諌死ではあり得ないという私の考えを述べた。諌死説は少数派ではなく、当時の同僚の中で、三人の女性教員が――そもそもこの議論の初めも、諌死に決まってると言う僕の妻(当時は同じ高校国語教師であった)の言葉を聴いての、驚天動地に端を発するのである。これは偶然と言うより、女性はそう(豊太郎母は諌死と)捉える確率が高いのではないかという可能性を意味しているようにも思われる――諌死とし、自然死として授業してきたと明言したのは、私と年配の男性教員だけで、分が悪いぐらいであった。

しかしながら、この僕にとっては都市伝説の類いとさえ感じられる諌死説は、今回、
聖心女子大学教授大塚美保著「森鷗外『舞姫』 豊太郎の母〈諌死〉説の再検討」(2012年3月31日教育出版刊 田中実+須貝千里編『文学が教育にできること――「読むこと」の秘鑰(ひやく)』所収)
*副題の「秘鑰」は、秘密を解く鍵の意。――この熟語を、こうした「国語教育実践研究」集の副題に使うと言うのは、正直、どうなんだろうな、僕はいい印象を持たないが。――
によって、完全に否定されたと言ってよい。前半部では僕が否定の外的物理的根拠として(僕の場合はただの推定に過ぎなかったけれども)授業してきた免官電信説が極めて緻密且つ反論不能な考証によって正しく立証され、僕が、『諌死なんぞを暗に秘めた状態では「舞姫」という作品自体の結構が成り立たないではないか』、と、如何にも言葉足らずの尻捲くりのようにしか高校生に授業で言えなかった内容が、その後半で、鷗外の考える小説作法の構造論・構成論の視点から美事に否認されているのである。

向後、
「母の死を諌死とする説がかつての研究史にはあったけれど、どう思う?」
と、生徒に投げかけるてみることは、あってよい。
しかし、奇妙な思いこみの中で、母諌死などというとんでもない誤認を定説のように語り、テクストの外延を越えた心的複合をそれでなくても苦悩の只中に立ち竦む豊太郎に更に荷わせるようなことは、あってはならない――但し、個人的に僕は未だに豊太郎を地獄に落としても許せない奴と思っているから、もっと苦しませることには賛成だが、ね――

諌死は絶対にあり得ない。重ねて言う、あり得ない。

――森鷗外の「舞姫」を授業せんとする総ての高校国語教師は、本、大塚美保論文を必ずや披見せずんばあらず!――

……彼女、大塚美保さんは森鷗外研究の若き才媛である……本来なら博士(かの女性に博士号を出し渋る東京大学の文学博士号である)か、教授とか先生、と附すべきところであるが……どうもそうは呼びにくいのだ……僕のかつての記事に登場するのが、実は彼女なのである……彼女は僕が三十年前、教師として最初に担任した生徒の一人なんである(彼女は「あ」で始まる姓であったから、クラスの集合写真では僕は彼女と並んで坐って映っている。僕の最初の「教師の顔」の隣りの、彼女のさわやかな笑顔が、今も忘れられない……とても僕は好きなんである)……

本書は先週、彼女から献納された。
奇しくもその発行日は私の退職辞令交付日と一致する。
だから、僕にはもう、「舞姫」の授業の中でこの論文を紹介して、生徒たちに目から鱗の納得をさせることが出来ない。
……それでもあの一昨年、ブログに書いた彼女の送って呉れた資料(本論文の前半部で重要考証資料として登場する)をもとに諌死説が論理的に否定されるということ、そもそも諌死を秘めては「舞姫」という小説は成り立たないことを授業で力説した(ある女生徒は授業後に僕を訪ねてきて、「私もそう思います!」と力強く共感して呉れたのも思い出す)……いや、僕は卒業テストにさえ「諌死説はある物理的理由から成り立たないと考えられる。その理由を簡潔に述べよ。」という記述問題を出してさえいた……それを今も覚えいる生徒も、少しはいるであろう、。
……僕はあれで、十全に満足なのである……

……美保さん、ありがとう……

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