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2012/05/12

耳嚢 巻之四 修行精心の事

 修行精心の事

 阿部家の家士何某、弓術に執心にて多年出精の處、ハヤケといふ癖起りて的にむかへば肩迄不寄(よらず)して放れ、卷藁に向ひて勝手耳を過る事なし。依之(これによつて)其師も、執心はさる事ながら、弓の稽古は思ひとまりて一向やめ候へかしと諫めしかど、朝夕此事を工夫して、我心に留んと思ふに我(われ)拳(こぶし)にて放すといへるは口惜き事也と、家に傳りし主人より賜りし古畫の屏風へ、主人紋付の衣服をかけて、是を射んには誠に人間の所爲にあらずと、右に向ひて弓を引きしに、怺(こら)へず放しければ、とても弓取事は難成き我也と、我身ながら身を恨みて、愛子を向ふへ置て是を射んに、拳を放れば我子の命を取るも不辨(わきまへざる)癖とやいふべき、左あれば我も死んとて、則弓を引、我子へ差向て暫しためらいしに、弓術執心の故哉(や)、又は恩愛は別段の事にや、いつものはやけもうせて放さゞりしが、それより絶ず修行せしに、終に右癖も止りしとや。

□やぶちゃん注
○前項連関:救急時の妙法から弓術悪癖矯正の心理学的暗示効果に基づく妙法で連関。
・「阿部家」底本鈴木氏注には安倍能登守(忍城主十万石)の他、同定候補を四家挙げておられる。
・「ハヤケ」は「早気」と書き、弓で的を射る際、中てようと思う気持ちが早って、弓の弦を引いて的を狙い(これを「会(かい)」と言う)、そして矢を放つ、その瞬間のタイミングを微妙にフライングしてしまう悪癖をいう弓道用語。但し、本件を読むに、これは一種の動作特異性を示す心因性の不随意運動や、中枢神経系障害による不随意で持続的な筋収縮に起因する運動障害であるジストニー(dystonia)等が疑われる。
・「卷藁」正式な的前ではなく、稽古用の的。
・「勝手」右手。武士用語で、馬手(めて)・妻手(めて)・苅手(かつて)・引手ともいう。因みに、左手は弓手(ゆんで)又は押手と呼ぶ。
・「我拳にて放つ」岩波版長谷川強氏の注に「拳」は『弓に矢をつがえて引きしぼった時の握り加減』とあり、放つ右手の拳ということになる。因みに、弓道では「あたり拳(こぶし)」という用語があり、これは的をイメージとして手元に引き寄せて射る、的を弓手の拳の上に移し取って射る、という射的の極意を意味する。この場合の「拳」は左手であるが、そのあたり拳を自分が十分に引き寄せずに放っているという謂いで採れば、この拳は左手の拳と採れないこともない。訳では両方で採った。
・「我子へ差向て暫しためらいしに」ここは岩波版カリフォルニア大学バークレー校本では「我子へ差向て暫くかためしに」と大きく異なる。後者の場合、「暫くかためし」は、的を狙って強く引き絞った「会」の状態の弓をそのまま暫く保ったことを謂い、こちらの方が明らかに文脈に即して自然である。訳ではこちらを採った。

■やぶちゃん現代語訳

 弓道修業精進の事

 阿部家の家士何某は、弓術修行に熱心で何年にも亙って不断に精進を重ねてきたので御座ったが、ある時から「早気」という悪癖を生じ、的に向かうと弓を肩まで十分に引き絞る前に矢が放たれてしまい、練習用の巻藁に向かってさえ、右手が耳を過ぎることが御座らなんだ。依って、弓の師からも、
「精進堅固なは認めよう――が――かくなった上は最早――弓の稽古は諦め、向後はきっぱり弓は――やめたが、よかろうぞ」
と諫められた――いや、見放されたが、
『……日々不断にこの会(かい)の瞬時を工夫致いて、己れの一念を以って「止めよう」と思うておるにも拘わらず……その我が両の拳が思うように働かず、勝手に弓を放ってしまうというのは……如何にも口惜しきことじゃ!』
と、さて己が屋敷に戻ると、家に代々伝わる先祖が主人から賜った古き絵描き屏風へ、主家御紋の付いた衣服を掛けて、
『これを射たらんには最早、まっこと、武士の所為にてはあらず!』
と念じて、これに向かって弓を引き絞った……
……が……
……やはり堪え切れずに、放してしまった……されば……
「……とても……とても弓取のこと……その道の成り難きは我じゃ、ッ!……」
と我が身ながら、自身を恨んで、
「……我が愛する子を向こうに据えてこれを射んとするに、それでもこの拳を矢の放るるとなれば……我が子の命を奪(うぼ)うも弁えぬ人に非ざる者の宿痾の癖でのうて、案であろう! かくあるとすれば我も死なん!」
と独り言上げすると、即座に我が子を前に立たせ、
――きゅっ!――
と弓を引き絞った――
……差向(むこ)うた我が子……
……当たり拳に引き移る……我が子の顔……
……時が立った……
これぞ弓道求道の賜物か、はたまた子の親を愛して親の子を愛する恩愛の情は格別の力を持って御座ったものか――
かねてよりの執拗(しゅうね)き早気も失せ、「会」は「会」そのままに保たれて、矢はいつまでも放たれずに男の肩に御座った――
 それより、不断に修行を重ねたところ、遂に早気の癖もすっかり止んだ、ということで御座る。

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