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2012/05/23

耳嚢 巻之四 龜戸村道心者身の上の事

 龜戸村道心者身の上の事

 

 好事の人、春日(しゆんじつ)野行(やかう)して龜戸天神梅屋敷の邊を逍遙してある庵へ立寄りしに、奇麗に住居てあるじの道心者爐の許に茶を煮てありしに、火を乞ひ茶を無心して暫く咄しけるが、彼道心者風雅を愛するとも見へず、土地の者共不覺、住居の庵幷右屋敷も道心者の所持の由故、彼身の上を尋けるに、道心者大息を附き、さらば身の上を咄し可申、我等若き頃出家にて有しが、甲州山梨郡の産にて東禪寺の住職たりしが、公事ありて江戸表へ出風與(ふと)遊所へ通ひ、品川なる三星屋むめといへる女に深く契りて路用も遣ひ切、村方へは路用雜用の由僞りて多くの金子を掠取(かすめとり)、彼遊女の殘れる年季を金子を出し受出し、芝邊に店(たな)をかりてなを殘る金子もありしを商賣にも取付(とりつか)んと、在所へは公事不利運(ふりうん)故缺落せしと披露して暫く暮しけるが、或日外へ出(いで)し留守に、彼受出せし女房殘る金子を持て行衞不知成ぬ。我身彼女故に古郷へ歸る事もならず身を捨し處、かく見捨ぬる志の憎く腹だゝしさに、足手(あして)を空(そら)に尋けれど行衞も知れず、今更古郷へも歸り難く、死(しな)んと心を定めてうかうかと駒形堂の邊に入水せんと彳(たたず)み居たりしが、朝より暮合迄物をくはでありければ人も怪しみけるに、本所横あみ邊に住居ける向フみずの五郎八といへる親仁分(おやぢぶん)通りかゝりて尋ける故、ありの儘に語りければ、仕方こそあるべし我かたへ來るべしとて連歸り、食(めし)を焚せ飴を賣せ、何卒汝が女房を見付出すべし、見付候ても必手を出さず早々歸りしらすべしとて、所々を賣歩行(うりある)かせ、三年目に麻布市兵衞町多葉粉屋の隣、煮賣(にうり)酒屋の女房に成り居候を見出し五郎八に語りければ、夫より一兩日過て、右道心者を伴ひ五郎八儀椛町の同じ親仁分方へ至りて、我等今日市兵衞町にて喧嘩可致間、共節立入呉候樣申談(まうしだんじ)、夫より道心者を伴ひ市兵衞町へ至り、道心者は其邊へ隱し置、我等呼候迄は決て出間數(いでまじき)由申含め、彼煮賣茶屋へ入りて酒肴を好み、暫く休み居て煮賣屋の女房も立出てける時其手を捕へ、そもじに引合(ひきあはせ)候ものありとて表へ向ひ道心者を呼びける儘、早速立入て右女を捕へ、汝は大まひの金子を以身請なし不便(ふびん)を加へけるに、能くも金子迄奪ひとりて立退しと、髮の毛を手に握りて打擲(ちやうちやく)に及びけるゆへ、夫(をつと)大に驚き是は理不盡成事と憤りけるを五郎八捕て押へ、汝は人の女房をそゝなかし金子を盜ませ立退き候上は、盜賊の張本也とて同じく打擲いたしけるゆへ、近所隣家の者立集りしを、彼麹町の親分表より五郎八を見かけ是はいかなる事ぞと割て入、近所の者を押へて彼煮賣屋の亭主に向ひ、其方事此儘露顯に及(およば)ば死罪にも行(おこなは)るべし、先づ女に盜(ぬすま)せし金子は返し、内(うち)の事也、首代(くびだい)を出して扱ひ可然(しかるべし)といりわけを所の者へも語りければ、いづれも其理(ことわり)に伏し、彼女持迯(もちのがれ)し金子三十兩其外首代など號して金五拾兩程、彼煮賣屋が身上(しんしやう)をふるひ爲差出(さしいださせ)、彼道心者を連れて歸り、汝を見捨たる女なれば彼れに執心も殘るまじ、髮の毛をむしり坊主同樣になしたる上は最早遺恨も散ずぺべし、椛町の者へは我等より禮金も通し事濟たり、是よりは我方にて是迄の通り商ひいたし暮すべしとて、年年たち一年になれ共、煮賣屋が取戻せし金子を呉(くる)べき樣もなければ、萬端意氣地は尤成五郎八なれ共、如何なし呉るゝ哉(や)と怪しみけるが、暫く有て五郎八彼者を呼び、是迄辛方せし事感心せり、去(さり)ながら其方の身分中々商ひ等いたし身を持(もつ)べき者にもあらず、一旦死を極(きはめ)たる事なれば、本意をとげたる上は最早世の中に望みあるべからず、某(それがし)煮賣屋より取戻せし金子、何程に貸附け置て當時何程に成りたる間、龜戸(かめいど)に地面を買ひ置たり、地代店賃(ぢだいたなちん)にて其方一分(いちぶん)は生涯を迭らるべし、庵を立遣(たてつかは)す間出家して一生を樂に暮すべしとて、此所へ移し呉れぬ。その後五郎八も身まかりければ、彼が世話故今一身の生涯くるしからず、偏(ひとへ)に渠(かれ)が影也と朝夕五郎八が菩提を吊(とむら)ひ、月日を送りぬると語りしと也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:連関を感じさせない。この話、今まで私とお付き合いして下さった方は、前に同じような話を読んだ記憶がおありになるであろう。実はこれ、底本注で鈴木氏も指摘しているように、「卷之一」「山事の手段は人の非に乘ずる事」のコンセプトと酷似する。違いは主人公の急場を助け、後に詐術を弄する人物が先の者では実は悪玉、本話では実は善玉というオチの違いが、確かにそれは読後の対照的な印象の違いを生み出している。本話の方が遙かに気持ちがいいのだが、デーテイルのあまりの酷似は聊か興を殺ぐものがあり、更に捻くれて言えば、宿命的人間悪の存在を認める私なんぞは、先の救われない話柄の方が、嫌だけど、リアルだな、と思うのである。

・「龜戸天神梅屋敷」通称亀戸梅屋敷は浅草の呉服商伊勢屋彦右衛門の別荘清香庵で、往時は三百余本の梅の木が植えられ、将軍吉宗や水戸光圀も訪れた名園であった。底本注や岩波版長谷川氏注には清香庵を『百姓喜右衛門の庵号』とするが、喜右衛門は彦右衛門の何代か後の後裔で、この喜右衛門の代辺りから呉服商を廃業、ここで梅の栽培に専心したものらしい。ここは、かの傑作、歌川広重の安政四(一八五七)年作「江戸名所百景表題」「梅屋舗(やしき)」と、それを一八八七年に油絵で模写したゴッホの“Japonaiserie : l'arbre Prunier en fleurs)”(「日本趣味・梅の花」)で世界に知られる、あの臥龍梅(光圀の命名になるが、後に吉宗によって代継梅と改名されたという)があった。この庭園は、その後、明治四十三(一九一〇)年の豪雨による隅田川の氾濫により、臥龍梅他多くの梅が枯れ、その後、工場の煤煙の影響で大正末頃には閉園された(以上の梅屋敷の情報は主に、きたろう氏のブログ「きたろう散歩(名所江戸百景を歩く)」『第5回 「亀戸梅屋舗(うめやしき)」を探査する(上)』を参照させて頂いた。リンク先には各種画像や地図が完備されている。是非、御覧あれ)。現在は、江東区亀戸三丁目の路傍にひょろっとした梅と石碑が淋しく立つのみである。

・「東禪寺」甲府市桜井町に鳳皇山東禅寺という同名の寺が現存する。武田家家臣桜井信忠を開基として寛永二(一六二五)年開山、曹洞宗。

・「公事」現在で言う民事訴訟。その審理や裁判をも含めて言う語。

・「風與」の「ふと」は底本のルビ。

・「品川なる三星屋むめ」品川宿の三星屋という女郎屋の女郎であった梅という女。

・「店」の「たな」は底本のルビ。

・「公事不利運」民事訴訟敗訴。

・「缺落」一般に「駆落・駈落」などと書いて、現在では専ら、婚姻を許されない相愛の男女が、秘かに他所へ逃れることの意で用いるが、古くは単に、秘かに逃げること、逐電や出奔の意で用いた。

・「芝」現在の東京都港区に、現在も残る町名。但し、当時の芝は遙かに広域を示すもので、東海道の発展に伴って急速に発展繁栄し、村の周辺域も含めて「芝」と呼ばれるようになった。

・「足手を空に」手足が地に着かないほど慌てふためいてあちこち走り回ること。「足を空に」「足も空に」などとも使う。

・「駒形堂」駒形堂は現在の駒形橋のたもと南側(ここは浅草の観音像が顕現し上陸した地とされる)にあった浅草寺に属する御堂。天慶五(九四二)年、円仁作馬頭観音を祀るために建てられたのが起りと伝える。関東大震災後、雷門二丁目駒形公園内に移築された。

・「本所横あみ」は、現在の東京都墨田区両国周辺。

・「食」の「めし」は底本のルビ。

・「麻布市兵衞町」現在の港区六本木。この旧市兵衛町のど真ん中に六本木ヒルズは立つ。

・「煮賣酒屋」一膳飯と酒を供する店。

・「そもじ」「其文字」と書く。「そなた」の「そ」に「もじ(文字)」を添えたもので、二人称代名詞。もと、中世には女性から目上の男性に対して用いる語であったが、近世以降になると、女性から対等か目下の男性、または男性から女性に対して用いるようになった。

・「そゝなかす」唆(そそのか)すに同じい。

・「内の事也」底本には右に『尊本コノ四字ナシ』とある。盗んだ金を返す、それは分かり切った当然のことで、という意であろう。

・「首代」首を切られる、則ち死罪の代わりに出す金の意。「首代銀(くびしろぎん)」「首銭」等とも言った。小学館の「日本国語大辞典」の「首代」引用例には、まさにここの部分が引かれている。

・「いりわけ」は「入り訳」で、込み入った事情・いきさつ・子細の意。

・「辛方」底本には「方」の右に『(抱)』の傍注を附す。

・「何程」は、意識的伏字として用いているように思われる。

・「吊ひ」既出であるが、「弔」の俗字。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 亀戸村の道心者のその身の上の事

 

 風雅をこととする人、ある春の一日(いちじつ)、亀戸天神や梅屋敷の辺りを逍遙して御座ったところ、とある庵を見つけて立ち寄った。小綺麗に住みなして、主(あるじ)の道心者が炉辺にて茶を煎じて御座る。煙草の火を乞い、茶を無心して、暫く話して御座ったが……どうもこの屋の主人、かくなる隠棲を致すべき風雅を愛する人とも見えず、また、どう見ても、地の者とも思えず、さり気なく尋ねて見れば……いや、確かに、住まうところの庵並びに隣接する屋敷なんども、これ、この道心者の所有のものの由なれば、不思議に思って、失礼乍ら……と、その身の上を尋ねたところが……かの道心者、

――フウっ――

と大きく溜息をつくや……

 

「……されば……拙者の身の上、これ、お話致しましょう。……我らは若き日は、れっきとした出家で御座った。甲州山梨郡の生まれにて、東禅寺の住職をして御座ったが、寺絡みの公事(くじ)のため、江戸表へ出でましが……なかなか思うように公事も運ばねば、無聊をかこっておりますうち……ふと……その……遊廓へ、通うようになってしもうたので御座る。……品川は三星屋の、梅という女と……その……深(ふこ)う契りを交わすことと、相いなって……檀家や村の衆の用意致いて呉れた路銀も、あっという間に使い切って……それからというもの……村方へは、路用のため、雑用のためと言うては、偽って多くの金子を掠め取る、という体たらく……かの遊女の残った年季を、その騙した金で支払って請け出し、芝辺にお店(たな)を借り、なお残った金も御座ったれば、それを元手になんぞ商売でもしようと存じ……在所へは『公事敗訴と相い成った故、我ら、最早ぬしらに遇わす顔もなければ、恥ずかしながら遁走致す』と披露して……暫くの間は……これ、言うのも恥ずかしながら、面白可笑しゅう……暮らして御座った。

 ある日、我ら、外へ出でておった、その留守に……かの受けだした女房の梅が……ありったけの金子を持ち出して……行方も知れず、相いなって御座った。……この我が身は……実にこの女故に……最早、故郷(ふるさと)へは、帰ることもならざるまでに、この身を捨てたに……だのに、かくも、かの女の、我を見捨てた、その心の……憎さ、腹立しさ……足を棒にし、そこいら中、死に物狂いで訊ね廻ってはみたものの……忽然と消えて……行方も知れず。……幾ら、面の皮が厚うても……今更、故郷へ帰るなんどということも、これ、出来ず……『死のう』……と心を定めて、ふらふらと……駒形堂辺りに……入水せんと佇んで御座った。……がその日は、朝から日暮れまで、一口も物を食わずに駆け回って御座ったれば……風体(ふうてい)容貌、挙止動作……これ、尋常ならざる体(てい)なればこそ、道行く人は怪しんで御座った。

……と……

そこに、本所横網辺りに住みなして御座った『向こう見ずの五郎八(ごろっぱち)』と呼ばれた親分さんが通りかかって、

「どうしたい? 若(わけ)えの?」

と尋ねられ、ありのままに、答えました。すると、

「……まあ、やりようは、あろうというもんだぜぃ。……俺んとこへ、来いや――」

と、私を連れ帰り……

……それからというもの……

……その五郎八親分のところに寄宿致すことと相い成って……

……私は……炊事やら……飴売りやらを命ぜられ……

……日を暮らすよすがと致いて御座いました。

 そうして、親分の言うことに、

「何としてもお前さんの女房を見つけ出そうじゃねえか。但し、見つけて御座っても――絶対に手を出すな。――いいか? すぐに帰って、俺に知らせるんだ、ぜ。」

と言って、飴売りとして、方々売り歩かされました。……

……さて……

……飴売り稼業を始めて、丁度、三年目のこと……

……とうとう、かの梅を……麻布市兵衛町の煙草屋の隣の煮売酒屋の……そこの女房に、なっておりましたを……

……見つけました…………

……言われた通り、何もせず、姿も見せずに、とって返し、五郎八親分に知らせましたところ……

……それから一両日過ぎて、親分は私を連れて、麹町の、同じように町を仕切って御座った別の親分さんの元へ参りますと、

「……俺は今日、市兵衛町で喧嘩をやらかそうと思う――が――その節は――どうか――仲に割って入って、お呉(く)んえねえかい?――」

と何やら意味深に談合致いて、それから私を連れて市兵衛町へと赴くと、私を梅のいる店から見えないところに隠させておいて、

「――いいか――俺がお前さんを呼び招くまでは――絶対、ここを出ちゃあ、いけねえぜ――」

と言い含めると、親分、さっさと例の煮売茶屋へと入って行く――

――親分は酒肴を頼んで、暫く酒を呑んでは肴を食いなどしているうち――

――煮売茶屋の女房梅も店の奥から出てくる――

――と――

――親分、ぱっ! と、その手を捕らえ――

「――お前さんに、引き会わせたい男が――いるんだがね――」

――と言うや――表へ向かって私の名を叫んだ――

……私は……早速、店に飛び込むと、梅を捕まえて、

「……大枚の金子を払(はろ)うて、請け出してやったに……憐れみをも、かけてやったに……よくも……よくも、なけなしの金子まで奪い取って……よくも……よくも、逃げよった……なあッ!!……」

と……私は……梅の髪をむんず握み……めちゃくちゃに……ぶちのめしました……

 されば夫なる者、訳も分からず奥より走り出で、大いに驚き、

「……これは何事じゃ! 理不尽なる乱暴ではないか!」

と憤った。

――と――

五郎八親分は亭主に組み付き、土間に引き倒して押し伏せ、

「――お前さん! 人の女房をそそのかして――金子を盗ませ――手に手をとって、逃げた――この上は――あんた、盗賊の張本だぜぃ!!」

と、これもまた、ぼこぼこの目に遇わせる――。

さればこそ、隣り近所の者が、すわ何事と群がっては、騒ぎは波のように広がって参りました――

――と――

そこへ、件の麹町の親分さんが偶然の如くに通りかかった風をして、表から五郎八親分を見かけ、

「おぅおぅおぅおう! 何やってるんでぃ!」

と割って入る――この親分、馴染みの煮売酒屋の夫婦に加勢しよう集まって御座った近隣の者どもをも押し止め、五郎八親分の語る訳を、これまた、如何にも初めて聴くかの如くにして聴き終ると、徐ろに亭主に向かって、

「……お前さん、これがこのまま公けになったとならば……金品横領、不義密通、その反省の色としもなし……こりゃあ、死罪、ということになろう、のぅ。……まずは、女に盗ませた金を返すはもとより……ほかに、首代を出すのが……当然じゃろう、な……」

といった感じで諭した上、かくなった経緯(いきさつ)をその場で縷々説明致いたので、不義密通の夫婦を始めとして、その場に御座った者どもの誰もが、その理(ことわり)に伏して、結局、煮売酒屋の亭主は、梅が持ち逃げした金三十両の他に、首代などと称し金五十両ほど……これは、かの煮売酒屋夫婦の、ありったけのもので、出せるものは悉く出させたので御座った。……

 五郎八親分は私を連れ帰ると、

「――奴(きゃつ)は、お前さんを見捨てた女だ。もう、あんなもんに執心も残るまい?――髪の毛を毟り、お前さんと同じ、坊主同然にしてやったからには、最早、遺恨も散じたであろ。――麹町の者へは俺から礼金を遣してある。されば――事は済んだ。……これからは、俺んとこで、これまで通り、飴売り商いなんど致いて、暮らすがよい。……」

 ところが……それから半年たち、一年経っても……煮売屋の、例の取り戻した金子を呉れるような素振りも御座らねば……いえ、何事にも誰にも負けぬ意気地強固な五郎八親分なればこそ、嫉み疑うというた訳では御座らねど……まあ、その、『あの金子、一体どうして呉れるおつもりなので御座ろうか』というほどには、怪しんではおりました。

 暫くたったある日のこと、五郎八親分が私を呼び、

「――これまで、飴売り商い、よう、辛抱した。――なれど、この数年、一緒に釜の飯を喰って分かったが、お前さんの人品は、こんな賤しい日銭を稼ぐ商いなんどを世過ぎと致す者にては、これ、御座ない。――さても、一度は死を決したる身なれば、本懐を遂げた上は、最早、この世には未練は、御座るまい。儂が煮売酒屋から取り戻いたあの金子は、××に、貸し付けておいたれば、今、×××両になったによって――その金で亀井戸に土地を買ってある。――長屋や屋敷もあれば、その地代と店賃(たなちん)で、お前さん一人ぐらいなら、一生食ってゆけようほどに。お前さんは、もとより道心者じゃったの――庵も建て遣わすによって、再び出家の身となって――生涯、安楽に暮らすがよかろう――」

と……此処へ住まわせて下すったので御座る。……

 

「……その後(のち)、五郎八親分も身罷られましたが……親分さんの、あり難いお世話によりまして……今、この一身の生涯は苦しからず……ひとえにあのお方のお蔭と、朝夕、五郎八親分さんの菩提を弔い、安穏なる月日を送って御座いまする……」

と、語ったとのことで御座る。

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