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« 雪舟と応挙 | トップページ | 宇野浩二 芥川龍之介 二十三~(3) »

2012/05/02

宇野浩二 芥川龍之介 二十三~(2)

 芥川は、『玄鶴山房』を書く前も書いている間も書いてから後も、誰に宛てる便〔たよ〕りの中にも、『玄鶴山房』のことに触れると、かならず「力作」と書いている。『力作』とは、一〔ひ〕と口〔くち〕に云うと、「力をこめた製作」という程の意味であるが、芥川の『玄鶴山房』の場合は、「力作」と云うより、「骨を折った作」という方がふさわしいような気がする。『玄鶴山房』は、念には念を入れた、まったく用意周到な、細工〔さいく〕のこまかい、小説である、そのために、やはり、作為の見え透〔す〕くところもある、あまりに作〔つく〕り過ぎるからである、そのかわり心にくいほど旨〔うま〕いところもある。

 

 さて、こんど、やはり、何度目かで、『玄鶴山房』を読みかえして、今まで気がつかなかったところで、痛く心を打たれたところがあった。それは、主人公の玄鶴の気もちとこの小説を書いていた頃の芥川の心もちが、どこか、通じているところであった。そういうところは、作者の気もちが、工〔たくま〕ずして、期せずして、作中の人物に、通じているからであろうか。

「玄鶴山房」の夜は静かだつた。朝早く家を出る武夫は勿論、重吉夫婦も大抵は十時には床〔とこ〕に就〔つ〕くことにしてゐた。その後〔あと〕でもまだ起きてゐるのは九時前後から夜伽〔よとぎ〕をする看護婦の甲野ばかりだつた。甲野は玄鶴の枕もとに赤あかと火の起つた火鉢を抱へ、居睡りもせず坐つてゐた。玄鶴は、――玄鶴も時々〔ときどき〕は目を醒〔さ〕ましてゐた。が、湯たんぽが冷〔ひ〕えたとか、湿布〔しつぷ〕が乾〔かわ〕いたとか云ふ以外に殆ど口を利〔き〕いたことはなかつた。かういふ「離れ」に聞〔きこ〕えて来〔く〕るものは植ゑ込みの竹の戦〔そよ〕ぎだけだつた。甲野は薄ら寒い静かさの中にぢつと玄鶴を見守〔みまも〕つたまま、いろいろのことを考へてゐた。この一家の人々〔ひとびと〕心もちや彼女自身の行〔ゆ〕く末などを。……

 この一節は、読み過ごしてしまへば、何でもないようであるが、『玄鶴山房』の中で、もっとも気味のわるい場面の一つである。例えば、「甲野は玄鶴の枕もとに赤あかと火の起〔おこ〕つた火鉢を抱へ、居睡りもせず坐つてゐた。玄鶴は、――玄鶴も時々は目を醒ましてゐた。」というところなど、何という残忍な書き方であろぅ。「赤あかと火の起つた火鉢を抱へ、居睡りもせず」に、「薄ら寒い静かさの中にぢつと玄鶴を見守」っている甲野は、血の通〔かよ〕っていない、冷酷そのもののようであり、この甲野に見守られている玄鶴は、普通の、血も涙もある人間のようである。しかし、殆ど全〔まった〕く人間味(あるいは人情のようなもの)を持っていない、意地わるな、看護婦に見守られながら、「時々は」目をさまして、「湯たんぽが冷〔ひ〕えたとか、湿布が乾いたとか、」云う以外に殆んど口をきかない玄鶴の孤独は、恐ろしいような孤独である。しかし、その玄鶴に附き添うている看護婦の甲野も、亦、玄鶴とまったく違った境遇で、玄鶴とまったく違った心もちで、孤独な女である。そうして、甲野の孤独も、底の知れないような孤独である。

 玄鶴は、死病にかかっている病人であり、自分も先きの長くないことを知っている上に、死んだ方が極楽だ、と思っていた。また、甲野は、(甲野も、)「病家の主人だの病院の医者だのとの関係上、何度一塊の青酸加里を嚥〔の〕まうとしたことだか知れなかつた、」というような過去を持っていた。

 されば、これは、夜がふけ、人が寝しずまった、薄ら寒い静かな、「離れ」で、底の知れない、底の知れない孤独に落ち入っている女が、赤あかと火のおこった火鉢をかかえ、居睡りもしないで、坐っていて、死の床についている、くさい臭〔にお〕いのする、恐ろしい孤独に落ち入っている老人を、見守っている図、ということになる。そうして、その女は、「他人の苦痛を享楽する病的な興味」を持っていたから、「植ゑ込みの竹の戦ぎ」などは、およそ耳にはいらなかったであろう。

 つまり、この一節を読んで私が感じたのは、「植ゑ込みの戦ぎだけ」を聞いたのは、作者の芥川であり、その芥川は、玄鶴の落ち入っていた、恐ろしい孤独にも、落ち入り、甲野が落ち入っていた、底の知れない孤独にも、落ち入っていたような気がした事である。

 芥川は、この『玄鶴山房』を書いた年〔とし〕から十年ほど前に、『孤独地獄』[大正五年四月号の「新思潮」]という小説を書いた。その中に、

 仏説によると、地獄にもさまざまあるが、凡先〔およそま〕づ、根本〔こんぽん〕地獄、近辺〔きんぺん〕地獄、孤独地獄の三つに分〔わか〕つ事が出来るらしい。それも南瞻部洲下過五百踰繕那乃有地獄〔なんせんぶしうしもごひやくゆぜんなをすぎてすなはちぢごくあり〕と云ふ句があるから、大抵は昔から地下にあるものとなつてゐたのであらう。唯、その中で孤独地獄だけは、山間曠野樹下空中〔さんかんくわうやじゆかくうちゆう〕、何処へでも忽然として現れる。云はば目前〔もくぜん〕の境界が、すぐそのまゝ、地獄の苦艱〔くげん〕を現前するのである。

[やぶちゃん注:「根本地獄、近辺地獄、孤独地獄の三つに分つ事が出来る」の「根本地獄」は我々が普通にイメージする地獄で、上層から順に大焦熱・焦熱・大叫喚・叫喚・衆合・黒繩・等活・無間地獄の八種、総称して八大(八熱)地獄のことを言っている。「近辺地獄」というのは、その大種別である八大地獄の中にはそれぞれの四方に四つの門があり、その門外にまた、各々罪状によって詳細に区分けされた四種の副地獄があり、それを総称して十六遊増地獄・四門地獄・十六小地獄と言うのを「近辺地獄」と呼んでいる。因みに、この上位の八大地獄のタクソンと幅地獄を合わせると、地獄の数は百三十六となる。「孤独地獄」は芥川の述べるように、これらの地下の地獄とは次元の異なった地獄であって、現世の山野・空中・樹下などにパラレルに孤立して存在する地獄とする。孤地獄とも言い、現在の精神医学的知見から言えば、PTSD(心的外傷後ストレス障害)による鬱病に近い孤立感・孤独感や、引きこもりの様態と近いか。

「南瞻部洲下過五百踰繕那乃有地獄」(南瞻部洲下〔か〕五百踰繕那を過ぎて乃ち地獄有り)は「阿毘達磨倶舍論〔あびだつまくしゃろん〕」(通称「具舎論」)の一節であるが、正しくは「於此贍部洲下過五百踰繕那有琰魔王國」(此より贍部洲下五百踰繕那を過ぎて琰魔王國〔えんまわうこく〕有り」である。「南瞻部洲」は「閻浮提〔えんぶだい〕」と同義で我々の住む人間世界、「踰繕那」は古代インドの距離単位で「由旬」に同じい。「倶舎論」にあっては一踰繕那は約七キロメートルと解釈されているから、三千五百キロメートルのえらく近い地下にあることになる。但し、通常「地獄」は四万由旬の地下とされ、これだと三十八万キロメートルとなる。「琰魔王國」の「琰魔」は閻魔に同じい。

「山間曠野樹下空中」筑摩書房全集類聚版脚注には、「倶舎論頌疏一〇」(「倶舍論頌釋疏」のことか)に見られる一句、とある。]

という一節があるが、その時は、芥川は、唯、小説を作るために、こういう事を、書いたにちがいない。

 ところが、この『玄鶴山房』を書く時分から、(あるいは、その前から、)死ぬ時まで、芥川は、この「山間曠野樹下空中、何処へでも忽然として現れる、」という、『孤独地獄』に落ち入っていためではないか。

 ところで、芥川が、この『孤独地獄』を書いたのは、大正五年の二月であるから、かぞえ年、二十五歳の春であり、満二十四歳ぐらいである。こんな年〔とし〕の若い時分に、芥川は、

……唯、その中で孤独地獄だけは、山間曠野樹下空中、何処へでも忽然として現れる。云はば目前の境界が、すぐそのまゝ、地獄の苦艱〔くげん〕を現前するのである。自分は二三年前から、この地獄へ堕ちた。一切の事が少しも永続した興味を与へない。だから何時〔いつ〕でも一〔ひと〕つの境界から一つの境界を追つて生きてゐる。勿論それでも地獄は逃れられない。さうかと云つて境界を変へずにゐれば猶、苦〔くる〕しい思をする。そこでやはり転々としてその日その日の苦しみを忘れるやうな生活をしてゆく。しかし、それもしまひには苦〔くる〕しくなるとすれば、死んでしまふよりも外〔ほか〕はない。昔は苦しみながらも、死ぬのが嫌〔いや〕だつた。今では……

というような文章を書いている。

 しかし、これは、前に述べたように、芥川が、『孤独地獄』という作品の中で、酸〔す〕いも甘〔あま〕いも知りつくしたような禅超という禅僧に語らせている文句である、つまり、『孤独地獄』に落ち入った、と云う禅超が述べた心境のようなものである。

 いずれにしても、『孤独地獄』は、小品ではあるが、二十五歳の青年の作品としては、すこし出来〔でき〕すぎている、しかし、青年の作品らしい溌刺としたところが少〔すこ〕しもない、それに、こましゃくれたところがあり、妙に取り澄ましているところもある、そうして、結局、作〔つく〕り物〔もの〕の観〔かん〕がある、それから、更に極言すれば、この作品は、『孤独地獄』というテエマで作ったのではないか、とさえ思われる。

 ところで、『孤独地獄』とは、仏説では、「八大地獄や八寒〔はちかん〕地獄や八熱〔はちねつ〕地獄などのように、極〔き〕まった処にあるのではなく、各〔おのおの〕の人がそれぞれ自分の業〔ごう〕[註―過去世にした悪の報い]の感ずるところ、或〔ある〕いは虚空、或いは山野などに現出する、孤存する地獄」と云われている。それから、『八大地獄』とは、やはり、仏説によれば、「贍部州の地下五百由旬〔ゆじゅん〕以下に竪〔たて〕に重〔かさ〕なっている、という、八種の地獄」という事になっている。

 つまり、私のような無学な者でさえ、このくらいの事は、知っているのであるから、まして、博覧強記であり、古今東西にわたって豊〔ゆた〕かな学殖があった、と称せられている、芥川であるから、『孤独地獄』について、先きに引いた、「南瞻部洲下過五百踰繕那乃有地獄〔なんせんぶしうしもごひやくゆぜんなをすぎてすなはちぢごくあり〕と云ふ句があるから、大抵は昔から地下にあるものとなつてゐたのであらう。唯、その中で孤独地獄だけは、山間曠野樹下空中、何処へでも忽然として現れる。…」という程の話を作〔つく〕り出〔い〕だすのは、蓋〔けだ〕し、朝飯前の仕事であろう。

 そうして、『朝飯前の仕事』としても、前に引いたところなど、一〔ひと〕つの文章として見れば、なかなか旨いものであり、実に凝ったものである。

 ところが、この文章を読んでも、「目前の境界が、すぐそのまま、地獄の苦艱〔くげん〕を現出する」というような、恐ろしい、『孤独地獄』に、二三年も前から、堕〔お〕ちている、というような人の苦悶も、それほど痛切に感じられないし、その人の「それもしまひには苦しくなるとすれば、死んでしまふよりも外〔ほか〕はない、」というような切羽つまった気もちも、一向〔いっこう〕に胸に迫〔せま〕ってこない。

 これは、作者が、この禅超の『孤独地獄』に堕ちている苦しい気もちを、しみじみと感じていないからである。それは、作者が、この小品の最後に、「一日の大部分を書斎で暮してゐる自分は、生活の上から云つて、自分の大叔父やこの禅僧とは、全然没交渉な世界に住んでゐる人間である。[中略]しかも自分の中にある或〔ある〕心もちは、動〔やや〕もすれは孤独地獄と云う語を介して、自分の同情を彼等の生活に注がうとする。が、自分はそれを否まうとは思はない。何故〔なぜ〕と云へば、或〔ある〕意味で自分も亦、孤独地獄に苦しめられてゐる一人〔ひとり〕だからである、」と書いているのを見ても、わかる。

 それから、やはり、この小品の後の方に、「母は地獄と云ふ語の興味で、この話を覚えてゐたものらしい、」という文句がある。

 この文句を捩〔もじ〕って云えば、「芥川は孤独地獄と云う語の興味で、この小品を作ったものらしい、」という事になる。

 短歌に『題詠』というのがある。『題詠』とは「題をもうけて、ことさらに歌をよむこと」という程の意味である。

  西吹くや風さむければ網ほせるみぎはの葦に氷むすびぬ

  氷〔こほり〕ゐる水のそこひの白珠の目にはつけどもとりがてぬかも

 これは長塚 節が『氷』という題をもうけて、詠〔よ〕んだ歌である。

  天〔あま〕つ風いたくし吹けば海人〔あま〕の子が網曳〔あび〕く浦わに花ちりみだる

  病〔や〕みこやす君[註―正岡子規のこと]は上野〔うへの〕のうら山[註―子規は、根岸に住んでいたから、寝ながら、上野のうら山の桜を見たのである]の桜を見つつ歌詠〔よ〕むらむか

 これは、伊藤左千夫が、『桜』という題をあたえられて、詠〔よ〕んだ歌である。

  秋はいぬ風に木の葉は散りはてて山寂しかる冬は来にけり

  木の葉ちり秋も暮れにし片岡のさびしき杜に冬は来〔き〕にけり

 右の源 実朝の歌について、斎藤茂吉は、「これらの歌はみな題詠であるらしい。題詠の場合にはいろいろ光景を心に浮かべ、心を働かして作る場合が多いから、一首が整〔ととの〕つてゐても納〔をさ〕まり勝〔が〕ちで、『理づめの歌』になり易く、流動溌剌〔りうどうはつらつ〕の気に乏しいものになり易い。これらの歌にもさういふ傾きがある、」と説いている。

 もとより、『題詠』とは短歌の方で使い行〔おこ〕なう言葉であるから、この言葉をそのまま、小説(あるいは小品)に通用させるのは無理ではあるが、その無理を承知の上〔うえ〕で強弁すれば、むかし、(大正十年頃、)菊池 寛が『テエマ小説』というものを首唱した、その『テエマ』小説と『題』によって詠む歌とは幾らか似通ったところがある、と、私は、思うのである。

『テエマ』とは、いうまでもなく、ドイツ語の『テエマ』(Thema)であるから、「主題」(あるいは、「題目」、「問題」)という程の意味である。

 しかし、菊池のテエマ小説は、現代の日常の事か史実かの中から『これ』と思う題材をつかまえ、それを主題(テエマ)にして書いたものであるから、短歌の『題詠』とは殆んど全〔まった〕くちがう。ところで、菊池が盛〔さか〕んにテエマ小説やテエマ戯曲を書いた時分に、芥川も、菊池とまったく違った形式のテエマ小説を、つぎつぎと、書いた。そうして、芥川も、亦、菊池のように、昔の話(たとえば、『今昔物語』など)の中から、『これ』と思う題材を取り出し、それをテエマにして、幾つかの短篇を書いた。その例を初期の作品の中〔なか〕から上げると、これもずっと前に引いたが、『鼻』と『芋粥』である。これらは、両方とも、『今昔物語』から逸材を取ったものであるが、その眼目〔がんもく〕(あるいはチエマ)は、「人生に対する一〔ひと〕つの幻滅だ、」と、菊池は、説いている。これは、菊池らしい解釈で、その通〔とお〕りであるが、私は、私の云い方で、これもずっと前に書いたが、『鼻』も、『芋粥』も、結局、「空想は空想をしてゐる間〔あいだ〕が花である、」というテエマを現したものである、と述べ、そのテエマは、シングの『聖者の井戸』(The Well if the Saints)から暗示をうけたのであろう、とも書いた。(もっとも、一番シングのいろいろな戯曲のテエマを自分のものにして、幾つかの増しな戯曲を作ったのは、菊池であった。)

 ついでに述べると、私は、その作品がその作者の物になりきっていれば、こういう事は問題にはならない、と思っている。

 もう一〔ひと〕つ、ついでに、書けば、芥川は、『昔』という文章の中で、「今〔いま〕僕が或〔ある〕チエマを捉〔とら〕へてそれを小説に書くとする。さうしてそのチエマを芸術的に最も力強く表現する為〔ため〕には、或〔ある〕異常な事件が必要になるとする。その場合、その異常な事件なるものは、異常なだけそれだけ、今日〔こんいち〕この日本に起〔おこ〕つた事としては書きこなし悪〔にく〕い、もし強〔しひ〕て書けば多くの場合不自然の感を読者に起〔おこ〕させて、その結果折角〔せつかく〕のテエマまでも犬死〔いぬじに〕をさせる事になつてしまふ、」と述べている。

[やぶちゃん注:「昔」全文の私のテクストはこちら。]

 ここに引用した文章は大正七年の一月に書かれたものである。『羅生門』から数えて、大正六年の終りまでに、芥川は、二十五六篇の短篇小説を書いているが、その中に、「今日〔こんにち〕この日本に起〔おこ〕つた」ような事を題材にしたのは唯〔ただ〕一篇である。

[やぶちゃん注:これは正確ではない。以前述べた如く、宇野の「短篇小説」の定義(特に原稿量)が難しいが、「今日この日本に起つたような事を題材にした」ものは、大正五(一九一六)年には「父」「猿」「手巾」の三篇を数え、大正六年には「二つの手紙」「片恋〔かたこひ〕」が、更に「昔」と同日発表の「西郷隆盛」がある。計六篇である(恐らく宇野は「父」か「手巾」を一篇と数えているものと思われる。内容と分量から言えば「手巾」であるが、宇野は以前に上巻の「十四」で「手巾」について、『評判の立った時というのは妙なもので、これは、「中央公論」に出た、というだけで、目を引き、』と述べている。これは宇野が本作を全く評価していない証左である)。これらは都市伝説的な噂話に類するものを含み、正に「今日この日本に起つたような事を題材にした」(「ような」であればよいのである)小説である。]

 ところで、ここに引用した芥川の意見をそのまま取ると、芥川は、菊池と反対に、テエマを捉えてから、題材を探して、(あるいは、題材を考えて、)小説を書いた、という事になる。そうして、もしそうだ、とすれば」それらの芥川のチエマ小説は、短歌でいう、題詠に幾らか似通〔にかよ〕うている、という事になる。

 ここで、さきに述べた『孤独地款』のことに戻〔もど〕ると、仮りに、芥川が、『孤独地獄』という言葉に興味をおぼえ、それをテエマにして、あの小品を書いた、とすると、あの小品には、『孤独地獄』に堕ちた人の索漠〔さくばく〕とした気もちも遣〔や〕る瀬〔せ〕なさも殆んど全〔まった〕く出ていない。それは、肝心の『孤独地獄』に堕ちた人の悩〔なや〕みを現すのに、芥川の文学の第一の欠点である、描写を殆んどしないで、説明で片づけてあるからだ。それから、その頃、まだ学生であって、親〔した〕しい友人たちと「新思潮」[註―第四次「新思潮」大正五年二月創刊]を出したばかりの時で、文学(あるいは、文壇)に対して野望を燃やしていた時分であるから、青年の芥川の心には、『孤独地獄』どころか、『孤独』というものさえ殆んど全く感じられなかったに違いないからである。

 彼は雨に濡〔ぬ〕れたまま、アスフアルトの上を踏んで行つた。雨は可也烈〔かなりはげ〕しかつた。彼は水沫〔しぶき〕の満ちた中にゴム引〔びき〕の外套の匂〔にほひ〕を感じた。

 すると目の前の架空線が一本〔いつぽん〕、紫いろの火花を発してゐた。彼は妙に感動した。彼の上着〔うはぎ〕のポケットは彼等の同人雑誌[註―「新思潮」か]へ発表する彼の原稿を隠してゐた。彼は雨の中を歩〔ある〕きながら、もう一度後〔うし〕ろの架空線を見上げた。

 架空線は不相変鋭〔あひかはらずするど〕い火花を放つてゐた。彼は人生を見渡〔みわた〕しても、何〔なに〕も特に欲〔ほ〕しいものはなかつた。が、この紫色の火花だけは、――凄〔すさ〕まじい空中〔くうちゆう〕の火花だけは命と取〔と〕り換〔か〕へてもつかまへたかつた。

 これは、『或阿呆の一生』の中の『火花』の全文である。

 前にも述べたよう忙、『或阿呆の一生』(五十一章)は、その一章一章、散文詩でも書くように、書かれているように見える。されば、その中〔なか〕にはいわゆる事実ではない話が、幾つもあるかもしれない、いや、幾つもあるであろう。しかし、そういう穿鑿〔せんさく〕は、殊に芥川の文学には、野暮〔やぼ〕であろう。

 そこで、さきに引いた文章を、「彼は人生を見渡しても……」以下は別として、まず本当とすれば、(たぶん本当であろう)「新思潮」を出した頃は、青年、芥川は、唯ただ文学のために意気ごんでいたにちがいないから、『孤独地獄』に、孤独地獄に堕ちた人の心もちが殆んど現れていないのは、まったく無理ではない、という事になる。

 しかし、『孤独地獄』は、さきに述べたように、肝心の事は殆んど書けていない、としても、そうして、その最後の「或〔ある〕意味で自分も亦、孤独地獄に苦しめられてゐる一人〔ひとり〕だからである、」という文句は、気障〔きざ〕なようであり、否味〔いやみ〕なように思われるけれど、しかし、又、二十四や五の若さで、(しかも、大正の初め頃に、)作品のよしあしは別として、『孤独地獄』のような老成した作品を書いた芥川は、特異な作家の中〔なか〕のそのまた特異な作家の一人〔ひとり〕であったのだ。

『孤独地獄』を書いてから、ちょうど二年ほど後〔のち〕に、芥川は、『地獄変』を書いた。わずか二年ではあるが、この二年は、芥川の短かい生涯のうちで、もっとも脂〔あぶら〕の乗った時であった。しぜん、この二年の間〔あいだ〕に、芥川の腕はめきめき上〔あ〕がった。

『地獄変』は、(この作品については、前に可なり委〔くわ〕しく述べたから、簡単に云うと、)題材は凄惨きわまりない話である、が、それを書く作者が、唯こういう題材に興味を持ったというだけであるから、しぜん、筆が上滑りをしているので、ただ綺麗に描〔か〕かれた絵巻物、というような作品である。それから、この小説の段取〔だんどり〕がよく附〔つ〕いている事や、この小説の筋や文章に何〔なに〕か妙に甘〔あま〕いところのあるのは、作者の頭〔あたま〕に、絶えず、「新聞の連載」という事が、あったからである。そのために、このような題材でありながら、読む者に迫ってくるような、物凄さも、恐怖も、感じさせないのである。

 そこで、一〔ひ〕と口〔くち〕に云うと、芥川は、『孤独地獄』とか、『地獄変』とか、いう題をつけた作品では、殆んど『地獄』のようなものが書けなかった、そうして、『玄鶴山房』で、ようやく、『地獄』に近い感じのものを出したのであった。

 しかし、それも、あの世の地獄ではなく、この世の地獄のようなものである。

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