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2012/06/20

生物學講話 丘淺次郎 四 刹那の生死

       四 刹那の生死

 

 生物の個體が生活を續けるには常に外界から食物を取らねばならぬが、植物と動物とではその食物に大なる相違がある。先づ普通の植物は何を食うて居るかといふと、空中からは水と炭酸瓦斯を取り、地中からは水と灰分とを吸ふのであるが、これらのものが材料となり、相集まつて次第に植物體の組織が出來る。試に材木を燒けば、炭酸瓦斯と水蒸氣と灰とになつてしまふが、これは一度植物の體内で組合せられたものを、熱によつて再び舊の材料に碎き離したと見做すことが出來る。而して植物が灰・水及び炭酸瓦斯の如き無機成分から、自身の體を造るに當つて必要なるものは日光である。緑葉を日光が照せば、緑葉内で水の成分なる酸素・水素と炭酸ガス中の炭素とが結びついて澱粉が生じ、次に澱粉は糖分に變じ、溶けて植物體の各所に流れ行き、或は芽に達して、新たな組織を造ることもあれば、また根や莖の中で貯藏せられることもあらう。葡萄の中の糖分も、甘藷の中の澱粉も、大豆の中の油も、皆かやうにして生じたものである。日光が當れば緑葉内に澱粉粒の生ずることは、極めて簡單な試驗で、誰でも自身に試して見ることが出來る。即ち黑い紙か錫板かで葉の一部を蔽ひ、暫時日光に照らした後にこれをヨヂウム液に浸ければ、日光の當つて居た處だけはその中に生じた澱粉粒がヨヂウムに觸れて濃い紫色になるが、影になって居た處はかやうなことがない。若しアルコールで葉の緑色を拔いてしまへばそこは白くなるから、澱粉粒の出來たところとの相違が頗る明瞭に見える。かやうな次第で、植物は常に日光の力を借り、無機成分より有機成分を造り、之を用ゐて生活して居るのである。

Denpun

[澱粉實驗]

 

[やぶちゃん注:「ヨヂウム液」「ヨヂウム」は“iodine”ヨウ素 (沃素)の英名の当時の音訳。ヨウ化カリウム(Potassium Iodide)の水溶液である三ヨウ化物イオンの溶解したヨウ素ヨウ化カリウム溶液を指す。この溶液は一般には「ヨウ素液」(本件の「ヨヂウム液」)と通称され、ヨウ素デンプン反応の試薬としてお馴染みである。――が、最近では――原子力災害時の放射線障害予防薬としてこのヨウ化カリウムとしての方が人口に膾炙するようになってしまった。以下、ウィキの「ヨウ化カリウム」から引用する。『「安定ヨウ素」製剤として用いる。 動物の甲状腺は、甲状腺ホルモンを合成する際にヨウ素を必要とするため、原子力災害時等の放射性ヨウ素を吸入した場合は、気管支や肺または、咽頭部を経て消化管から吸収され、その一〇~三〇%程度が二十四時間以内に甲状腺に有機化された形で蓄積される。放射性ヨウ素はβ崩壊により内部被曝を起こしやすく、甲状腺癌、甲状腺機能低下症等の晩発的な障害のリスクが高まる』。『そのため、非放射性ヨウ素製剤である本剤を予防的に内服して甲状腺内のヨウ素を安定同位体で満たし、以後のヨウ素の取り込みを阻害することで放射線障害の予防が可能である。この効果は本剤の服用から一日程度持続し、後から取り込まれた「過剰な」ヨウ素は速やかに尿中に排出される。 また、放射性ヨウ素の吸入後であっても、八時間以内であれば約四〇%、二十四時間以内であれば七%程度の取り込み阻害効果が認められるとされる』。『本剤に副作用は少ないが、ヨウ素への過敏症や、甲状腺機能異常を副作用として惹起する可能性があるため、一般人の判断での服用は極力避けるべきである』(記号・数字等の表記を改めてある)とある。こんな注を附さねばならなくなった現代は――恐ろしく不幸な時代ですね、丘先生――。]

 之に反して、動物の方は已に出來て居る有機成分を食はねば命を保つことが出來ぬ。動物の中には植物を食ふものと、動物を食ふものとがあるが、食はれる動物は必ず植物を食ふもの、または植物を食ふものを食ふものであるから、動物の食物は、その源まで遡れば必ず植物である。されば植物なしに動物のみが生存するといふことは到底出來ぬ。而して動物の呼き出す炭酸瓦斯や、その排泄する屎尿は、また植物の生活に缺くべからざるものである。即ち植物と動物とは相依り相賴つて生活して居る有樣故、若し適當量の植物と動物とを硝子器の中に密閉して外界との交通を全く遮斷しても、日光さへ受けさせて置けば長く生存する筈であるが、實際試して見るとその通りで、硝子の試驗管に海水を入れ、海藻を少しと小さな「いそぎんちやく」一疋とを入れて管の上端を閉ぢれば、海岸から遠い處へ生きたまゝ容易に運搬も出來、また長く飼うても置ける。斯くの如く植物は日光の力によつて絶えず無機成分から有機成分を組立て、これを動物に供給し、動物は有機成分を食うて之を破壞し、舊の無機成分として之を植物に返するのであるから、同一の物質が常に循環して或る時は無機成分となり、或る時は有機成分となつて、動植物の身體に出入して居るといふことが出來やう。

Baiosufia

 

[試驗管に生物を入れたもの]

[やぶちゃん図注:本文のそれはバランスド・アクアリウム(BALANCED AQUARIUM:オーストリアの動物学者コンラート・ローレンツ(Konrad Lorenz 一九〇三年~一九八九年)が「ソロモンの指環」(一九四九年刊)で言及して有名になったので“LORENZ AQUARIUM”とも呼ばれる)の一種、若しくは試験管を密封しているから疑似的なバイオスフィア(BIOSPHERE)の紹介としては本邦の濫觴とも言えるものとも思われる。但し、上下にあるのは見るからに同一の藻類であるが、原画像を拡大してみても「動物」の指示線が何を指しているか分からず、イソギンチャクが現認出来ない。残念ながらこの挿絵は杜撰である。]

 

[やぶちゃん注:「呼き出す」は、これで「はきだす」と読む。「呼吸」と言う熟語で分かる通り、「呼」は元来が「息を吐く」の意である。]

 昔は化合物を分けて有機化合物と無機化合物との二組とし、有機化合物の方は、動植物の生活作用によつてのみ生ずるものであつて、人爲的に無機物から造ることは出來ぬと考へたが、今より百年ばかり前に有機化合物の一種なる尿素を人造し得たのを始めとして、今日では多數の有機化合物を化學的に組立てて製造し得るに至つた。藍・茜などの染料は昔はその植物がなければ出來ぬものであつたのが、今は澤山に人造せられるから、面倒な手間を掛けて藍や茜を培養するに及ばなくなつた。有機化合物中の最も複雜な蛋白質でさへ、近年は人造法によつて稍々これに似たものを造ることが出來る。されば有機化合物・無機化合物といふ名稱は便宜上今も用ゐては居るが、その間には決して判然たる境があるわけではなく、分子の組立てが一方は複雜で一方は簡單であるといふに過ぎず、然もその間には無數の階段がある。緑葉の内で澱粉が生ずるというても、無論炭素・酸素・水素が突然集まつて澱粉になるのではなく、一歩一歩分子の組立てが複雜になつて、終に澱粉といふ階段までに達するのである。また動物が死ねば、その肉や血は分解して水・炭酸瓦斯・アンモニヤ等になつてしまふが、これまた急劇に斯く變ずるのではなく、一段づつ簡單なものとなり、無數の變化を重ねて終に極めて簡單な無機化合物までになり終るのである。無機化合物から有機化合物となり、有機化合物から無機化合物になる間の變化は今日尚研究中であつて精しいことは十分に分らぬが、その一足飛びに變化するものでないことだけは確である。

[やぶちゃん注:「無數の變化を重ねて終に極めて簡單な無機化合物までになり終るのである。」の句点は読点であるが、訂した。]

 生物個體の身體の各部に就てその物質の起源を尋ねると、以上述べた如く決して同一分子が長く變化せずに留まつて居るわけではなく、一部分毎にそこの物質は絶えず新陳代謝する。毛や爪を見ればこの事は最も明白であるが、他の體部とてもやはり同樣で、役を濟ませた古い組織は順を追うて捨てられ、之を補ふ爲には新しい組織が後から生ずる。昔の西洋書には人間の身體は七年毎に全く換はると書いてあるが、これは素よりあてにならぬ説で、障子の如きものも紙は度々貼り換へる必要があるが、框の方は長く役に立つのと同樣に、人間の身體の中にも速に換はる部分と遲く換はる部分とがあらう。例へば血液の如く絶えず盛に循環して居るものは新陳代謝も頗る速であらうが、骨格などは新陳代謝が稍々緩慢でも差し支へはない。併し、とにかく常に新陳代謝することは確であるから、生物の體が昨日も今日も明日も同じに見えるのは唯、形が同じであるといふだけで、その實質は一部分づつ絶えず入れ換はつて居る。その有樣は恰も河の形は變らぬが、流れる水の暫時も止まらぬのに似て居る。生物は一種毎に體質が違ふから、人間が牛肉を食うても、決して牛の筋肉がそのまゝ人間の筋肉とはならぬ。先づ之を分解して人間の組織を造る材料として用ゐるに適するものとし、更に之を組立て直して人間の組織とするのであるが、食物をかやうに分解するのが消化の働である。また一旦出來上つた血液・筋肉等も之を働かせれば少しづつ分解して老廢物となり、大小便となつて體外に排出せられる。乳のみを飮む赤兒や、飯と豆腐とを食うた大人の大小便に色のついて居るのを見ても、大小便が單に飮食物中から滋養分を引き去つた殘りのみでないことは知れる。かやうに考へると、生物の身體は一方に於ては時々刻々に生じ、他方に於ては時々刻々死して捨てられて居るのであるが、このことに就ては世人は別に不思議とも思はずに居る。人間の身體は無數の細胞の集まりであるが、その一個一個の細胞を見たならば、今生まれるものもあり、今死ぬものもあり、若いものもあり、老いたものもあつて、恰も一國内の一人一人を見ると同じであらう。斯くの如く體内の細胞の生死は時々刻々行はれて居ても、これは當人が知らずに居るから、別に問題ともせず、たゞ細胞の集まりなる個體の生と死に關してのみ、昔から樣々の議論を鬪わせて居たのである。生物の起りに關する議論は殆ど際限のないことで、然もその大部分は假説に過ぎぬから、以上述べただけに止めて置く。

[やぶちゃん注:「框」は「かまち」で、窓・戸・障子の周囲の枠。この場合は障子の桟も含んだ謂い。

 ここで語られるのは、しばしば耳にする生物学的言説で、例えば、

〇人間の細胞は一日で約三千億個死滅する。

〇人間の体を成り立たせている細胞の総数は約六十兆個である。

60000000000000÷300000000000200で七ヶ月もすれば体中の細胞は新しいものに入れ替わる。

という謂いである(資料によっては約三千億個の細胞とは二〇〇グラム程のステーキに相当する分量とまで記す)。但し、ここで注意しなくてはならないのは、これは通常の体細胞についての、しかも極めて大雑把な機械的単純計算によるものであることだ。丘先生の言を俟つまでもなく、それぞれの部位で新陳代謝に伴う速度差があるし(早いものでは皮膚細胞は約一ヶ月であるが、脳の一部・肝臓や腎臓は凡そ一年、骨は幼児期一年半/成長期二年未満/成人二年半/七十歳以上約三年と言われる)、言わずもがな、脳細胞のニューロンや眼球を構成する細胞の一部は幼児期に器官形成した後は、欠損や老化はあっても代謝によって入れ替わることはなく、骨髄の血球を生成する母細胞及び生殖器官でも精原細胞・精母細胞・卵原細胞は分裂して精子や卵子(若しくはその元)を造るけれども、それ自体は代謝しないから、「新陳代謝によって新しく入れ替わる」という定義からは外れると言える。丘先生が「入れ替わる」ということを非科学的なニュアンスで捉えておられるのは、蓋し、正しいと言えよう。]

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