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2012/06/13

生物學講話 丘淺次郎 一 個體の起り

      一 個體の起り

 

 一人づつの人間、一疋づつの犬や猫が、如何にして生じたかといふ問は前に掲げた問題の中では一番答へ易いものである。即ち先づ親があり、親の生殖の働によつて新に生じたものであると答へることが出來る。犬・猫の如く胎生するもの、鷄・家鴨の如く卵生するものの區別はあるが、常に人の見慣れて居る高等動物では、子が必ず親から生まれることはいづれの場合にも極めて明瞭である。併し少しく下等の動物になると、卵や幼蟲が頗る小さいために容易に見えず、その結果としてどの子がどの親から生まれたか少しも分からぬことが珍しくない。昔の本草の書物を見ると、生物の生ずるには胎生・卵生・化生・濕生の四通りの出來方があると書いてあるが、胎生と卵生とは別に説明にも及ばぬとして、化生とは如何なることかといふと、これは無生物もしくは他種の生物から突然變化して生ずるのであって、腐草化して螢となるとか、雀海中に入っては蛤となるとかいふのがその例である。山の芋が鰻になるとか鰌が「いもり」になるとか「けら」が「よもぎ」になるとかいふ如き傳説は、どこの國にもあつて一般に信ぜられて居た。また濕生といふのは何等の種もなしに、たゞ濕氣のある所に自然に生ずるので、俗語で「湧く」といふのが即ちそれである。例へば古い肉に蛆が湧いたとか、新しい堀に鰻が湧いたとか、腹の中に囘蟲が湧いたとかいふ類が、皆これに屬する。さて斯やうな化生とか濕生とかによつて、生物の出來ることは實際にあるものであらうか。

Hitode

[ひとで]

 實物に就て實際に調べて見ると、昔から化生とか濕生とか稱へ來つたものは悉く觀察の誤りで、無生物から或種類の生物が突然生じたり、甲種の生物が突然變じて乙種の生物となつたりすることは決してない。海岸地方では漁夫が頻に「ひとで」が貝を産むと主張することがあるが、その理由を聞いて見ると、たゞ「ひとで」の腹の中にはいつでも必ず小さな貝があるといふに過ぎぬ。「ひとで」は主として貝を食ふもので、小さな貝ならばこれを丸呑みにするから、その腹の中に介殼のあることは素より當然であるが、漁夫はそのやうなことには構はず相變らず「ひとで」は貝を産むものと思ひ込んで居る。田の籾が小蝦になるといふ地方もあるがこれも同樣な誤である。又針金蟲というて長さ二尺〔約六一センチメートル弱〕以上にもなる實際針金のやうに極めて細長い蟲があるが、之を馬の尾の長い毛が水中に落ちて變じたものと信じて居る處がある。恐らく細さと長さとから考へて、馬の尾の毛より外に之に似た物はないと定めて斯く信ずるのであらうが、この蟲の幼蟲は「かまきり」の腹の中に寄生して居る細長い蟲で、子供らは「元結」と名づけてよく知つて居る。田圃道などを散歩すると屢々昆蟲が植物に變じ掛つたかと思はれるものを見つけることがある。之は冬蟲夏草というて、昔の書物には冬は蟲になり夏は草になるなどと書いてあるが、實は「けら」・「いなご」・「せみ」などの身體に菌が附着し、蟲の體から汁を吸うて成長して幹を延ばしたものに過ぎぬ。「ゐもり」は鰌から變じて生ずるといふ地方があるが、これは恐らく「ゐもり」の幼兒が極めて鰌の子に似て居る所から起つた誤りであらう。斯くの如く、從來化生と思はれたものは丁寧に調べて見ると悉く觀察の誤りであつて、甲種の生物が突然變じて乙種の生物を生ずるといふ確な例は今日の所では一つもない。

Toutyuukasou_2

[冬虫夏草]

[やぶちゃん注:「針金蟲」脱皮動物上門類線形動物門 Nematomorpha 線形虫(ハリガネムシ)綱 Gordioidea に属する生物の総称。かつては、ミミズや回虫などの線虫である線形動物門 Nematoda と似ていたため、そこに含めて考えられていたが、現在では上記のような別門とするのが一般的である。線虫類とは異なり、体に伸縮性がなく、のたうち回るような特徴的な動き方を示す。体は左右対称、種によっては体長数センチメートルから一メートルに達し、直径は一~三ミリメートと細く長い。内部には袋状の体腔があって表面はクチクラで覆われ、体節はない。カマキリ(主にハラビロカマキリ)・バッタ・ゴキブリといった昆虫類に寄生する。本文中に異名で示される「元結」は「もとゆい」「もっとい」と読み、昔の日本髪を結う際に紙を束ねて縛る蠟引きの紙紐と形状が似ることによる。「ゼンマイ」という地方名もある。英名の“horsehair worms”は馬の洗い水桶の中から発見されたことに依るもので、本邦の俗信と同根である(ジャガイモや大根などの害虫として知られている「ハリガネムシ」は本種とは全く無縁な鞘翅(コウチュウ)目カブトムシ亜目コメツキムシ上科コメツキムシ科 Elateridae に属するマルクビクシコメツキ・クロクシコメツキ等の幼虫で、形状も全く異なる)。水棲生物であるが、生活史の一部を昆虫類に寄生して過ごす。水中に産卵された卵は孵化し、その幼虫は水と一緒に飲み込まれて水棲昆虫に寄生する。その宿主をカマキリなどの陸上生物が捕食、その体内で寄生生活を送って成虫になる。寄生された昆虫は生殖機能を失う。成虫になると、何らかの方法で宿主から出て、池沼や流れの緩やかな川辺等の水中で自由生活し、交尾・産卵を行なう。陸上生物に寄生した場合は水中に脱出する機会に恵まれず、陸上でそのまま乾燥して文字通り、錆びた鉄の針金のように硬くなるが、水分が与えられれば復元し得る能力を保持している。一般的に寄生生物は宿主と運命を共にするが、ハリガネムシの場合は宿主が上位者に捕食される際には宿主の体外に出ようとする行動をとるとも言われている。ヒトへの寄生例が数十例あるようだが、いずれも偶発的事象と見られ、しばしば手に載せたハリガネムシが爪の間から体内に潜り込むと言われるのは都市伝説の類いで、最終宿主から成虫が新たな寄生生活に入ることはない(以上は主にウィキの「ハリガネムシ」を参照した)。

「冬蟲夏草」虫に寄生した菌類が虫からキノコを生やしたもので、現在はこの菌を菌界子嚢菌門核菌綱ボタンタケ目バッカクキン科冬虫夏草属 Cordyceps の昆虫寄生菌に対する総称として用いられる(但し、昆虫に寄生する菌類は他にも自然界に多数存在することが知られ、それらも同様な現象を引き起こして「冬虫夏草」様のものを形成する場合もあるので注意が必要である)。昆虫や蛛形類・唇脚類等の幼体や成虫の体内に入った菌は菌糸を伸ばして生長、やがて被寄生個体の体内を完全に占領する(虫はこの時は既に死んでいる)。虫の体型は余り崩れないが、内部の菌糸が密に固まって硬い菌核という組織を形成し、やがて温度・湿度などの条件によって菌核組織からキノコが生ずる。この時の状態が虫から草が生じたように見える。キノコは種類によってかなり異なるが、多くは細く伸び上がって先は少し膨らんで小さな疣状突起で覆われる。このいぼ状突起が成熟すると先端から胞子が放出され、その胞子が再び新しい虫に付着、寄生する。セミタケ Cordyceps sobolifera・サナギタケ Cordyceps militaris (蝶や蛾などの鱗翅目の昆虫のサナギに寄生)・ミミカキタケ Cordyceps nutans(カメムシの成虫に寄生)等、多数。中国や朝鮮を中心に不老不死や強壮剤として扱われ、現在でも漢方の生薬や薬膳食材として珍重・市販されている。生薬としては健肺・強壮・抗癌効果を謳うが、その薬理効果の証明は難しいとされている(以上は主に平凡社「世界大百科事典」及びウィキの「冬虫夏草」に拠った)。]

Uji

[蠶の繭より蛆の匐ひ出す狀]

 また濕生といふ方もこれと同樣で、如何に濕つて居ても今まで何もなかつた處へ親なしに子だけが偶然生ずるといふ如きことは決してない。古い肉に蛆が生ずるのは蠅が飛ん出來て卵を産み付けるからであって、もし肉を目の細かい網で覆うて置いたならば、いつまで經ても決して蛆は生ぜぬ。蠶を飼うて見ると往々繭に小さな穴を穿けて蛆が匐ひ出すことがあるが、これも桑の葉の裏に蠅が卵を産み附けて置いたのを蠶が食ふ故に、その體内に生じたものである。人間の腹の中に蛔蟲や條蟲が生ずるのも理窟は全く同樣で、極めて小さな卵か幼蟲かをいつの間にか知らずに食つたから、それが腹の中で生長して大きな蟲となるのである。中には微細な幼蟲が人間の皮膚を穿つて體内に入込んで來るものもある。これらの場合には、卵も幼虫も頗る微細であるから餘程詳しく調べぬと、いつどこから入つたか分らず、隨つて世人は自然に腹の中で湧いたものの如くに思つて居る。コップに一杯の淸水を入れ、その中に藁を少し漬けておき、數日の後に顯微鏡でその水を見ると、實に無數の小さな蟲が泳いで居て、一滴の中に何百疋も何千疋も數へることが、出來るが誰もこの蟲を態々入れた覺はないから、水の中で自然に生じたものの如くに考へるのも無理ではない。然しながら斯やうな蟲にも皆それぞれ親があって、決して偶然に生ずるものではない。その證據には初め藁を漬けた水を一度煮立てて、その中にある蟲の種を悉く殺してしまひ、次に之を密閉して外から蟲の種の紛れ込んで來ることのないやうに防いで置くと、いつまで待つても決して蟲は生ぜぬ。藁を漬けた水の中に自然に蟲が湧くか湧かぬかといふ如きことは、一寸考へるといづれでも宜しいやうで、斯かる問題に實驗研究を重ねるのは、全く好事家の慰に過ぎぬ如くに思はれたが、一旦その研究の結果、生物は決して種なしには生ぜぬとのことが確になった後は、直にこれが廣く應用せられるに至つた。例へば今日最も便利な食物貯藏法は鑵詰であるが、これは人の知る通り、先づ鑵に入れた食物を熱してその中の徽菌を殺し、次に之を密閉して他から徽菌の紛れ込むのを防ぐのであるから、全く上述の學理を應用したものである。また今日外科醫學が進歩して、思ひ切つた大手術が出來るようになったのは、一つは消毒法の完全になつた結果であるが、傷口にも繃帶にも醫者の手にも、器械にも、決して黴菌の附かぬやうな工夫の出來たのは、みな以上の學理の應用に外ならぬことである。若し生物が親なしに偶然生ずるものならば、密閉した鑵の内にも自然に黴菌が生じて食物を腐らせることもあり得べく、また以下に傷口や繃帶を消毒して置いても、そこへ化膿菌が發生して、傷が自然に膿み始めることがあり得べき筈であるに、そのやうなことが實際にないのは、如何に微細な生物でも決して種なしには生ぜぬといふ證據である。

[やぶちゃん注:「古い肉に蛆が生ずるのは蠅が飛ん出來て卵を産み付けるからであって、もし肉を目のこまかい網で覆うて置いたならば、いつまで經ても決して蛆は生ぜぬ。」は、自然発生説の最初の否定を行ったイタリアの医師フランチェスコ・レディ(Francesco Redi 一六二六年~一六九七年)の一六六五年の実験に基づき、後の「初め藁を漬けた水を一度煮立てて、その中にある蟲の種を悉く殺してしまひ、次にこれを密閉して外から蟲の種の紛れ込んで來ることのないやうに防いで置くと、いつまで待つても決して蟲は生ぜぬ。」の部分は、イタリアの博物学者にして実験動物学の祖ラッザロ・スパッランツァーニ(Lazzaro Spallanzani 一七二九年~ 一七九九年)が一七六五年に行ったフラスコ密閉実験を補正補完しつつ、フランスの近代細菌学の祖ルイ・パストゥール(Louis Pasteur 一八二二年~一八九五年)が一八六一年の「自然発生説の検討」で示したパストゥール壜(白鳥の首フラスコ)による自然発生説否定実験に基づく。

「微細な幼蟲が人間の皮膚を穿つて體内に入込んで來るものもある」ヒト寄生虫感染症の大部分は経口感染であるが、一部にはこうした経皮感染(蚊などに刺されるのではなく)をするものがある。例えば鉤虫の一種でアフリカ・アジア・アメリカ大陸の熱帯地方にいるアメリカ線虫門有ファスミド綱円形線虫亜目円形線虫上科アメリカコウチュウ Necator americanusは経皮感染が主で、同科のズビニコウチュウ Ancylostoma deodenale (インド・中国・日本・地中海地方に棲息)も経皮感染をする場合がある。これらは肺炎や腸炎を引き起こし、人の皮膚下で幼虫移行症(皮膚の下をその幼体が移行するのを視認出来るという「エイリアン」並に慄然とする症状)を示す。腸に寄生して自家感染し、長期に及ぶ慢性的な下痢症状を呈する Strongyloides stercoralis による糞線虫(熱帯地方に広く分布し、本邦では南九州以南にみられる)症も経皮感染をする。]

 要するに、一疋づつの生物個體の生ずるには必ず先づその親がなければならぬ。人間や、犬・猫・馬・牛の如き大きなものは勿論のこと、一滴の水のなかに數百も數千も居るやうな微細な黴菌と雖も、親なしに自然に湧いて生ずる如きことは決してない。然してその親なるものは必ずその生物と同種同屬のものであつて、決して從來言ひ傳へられた如くに、甲種の生物が突然乙種の生物に變化するといふ如きことはない。生物個體の起りを一言でいへば、如何なる種類のものでも必ず先づこれと同種の生物が生存し、そのものの生殖によつて初めて生ずるのである。

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