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2012/07/03

耳嚢 巻之四 美濃國彌次郎狐の事

 美濃國彌次郎狐の事

 

 美濃國に彌次郎狐とて年を經し老獸ある由。郡村寺號共に忘れたり。右老狐出家に化して折節古き事を語りけるが、紫野の一休和尚の事を常に咄しけるは、一休和尚道德の盛(さかん)なるといふ事聞及びて其樣子をためさんと、其頃彼寺の門前に親子住ける婦人聟(むこ)をとりしが、親子夫婦合(あい)も穩やかならずして離縁しけるを聞て、彼女に化て一休のもとへ來りて、夫とは離れぬ、母の勘氣を受けて詮方なし、今宵は此寺に止(と)め給はれといゝければ、-休答て、我々門前の者ゆへ是迄は對面もなしぬ、其門前を出ぬれば若き女を寺には留(と)めがたしと斷ければ、出家の御身なれば何か外(ほかの)疑(うたがひ)もあるべき。女の闇夜に迷はんを捨給ふは情なしと恨かこちければ、さあらば臺所の角(すみ)に成(なり)とも客殿の椽頰(えんばな)に成共(なりとも)夜を明し給へ、座敷内へは入難しと被申ける故、其意に任せて宿しけるが、元來道德を試んとの心なれば、夜に入て一休の臥所(ふしど)へ忍入りて戲れよりければ、一休不屆の由聲を懸け、有合(ありあふ)扇やうの物にて背を打れしに、誠に絶入(たえいり)もすべき程に身にこたへ苦しかりし、實(げに)も道德の高き人也と彼(かの)老狐語りし由。其外古き事など常に語りしが、今も活けるやと人の語りける。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:特に連関しないが、本巻では既出の通り、既に直接的な妖狐譚が有意に多く、これもその一連の妖狐シリーズの一つ(それ以外にも、既出記事ではその超常現象を「狐狸の仕業」とするものも多かったが、これは当時の一般的な物謂いであるから、連関というほどではない)。またこの一休咄の類は、既に「巻之二」の「一休和道歌の事」で挙げており、且つそれは本話同様、女色絡み(本話は堅固だが、あっちは奔放)である。なお、リンク先の私の注も参照されたい。

・「紫野」京都府京都市北区紫野にある大徳寺。一休(応永元(一三九四)年~文明十三(一四八一)年)。は応永二十二(一四一五)年にここで高僧華叟宗曇(かそうそうどん)の弟子となり、師の公案「洞山三頓の棒」に対し、「有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)に帰る一休み雨降らば降れ 風吹かば吹け」(「有漏路」は煩悩の世俗、「無漏路」は悟達の仏界の意)と答えて、それに因んで華叟より「一休」の道号を授けられた。応永二十七(一四二〇)年のある夜、鴉の鳴き声を聞いて俄かに大悟した。華叟は印可状を与えようとしたが、一休はそれを辞退、華叟は「馬鹿者!」と笑いつつ送り出したとされる。各地を流浪行脚、応仁の乱後の文明六(一四七四)年には後土御門天皇の勅命によってここ大徳寺の住持に任ぜられた。その再興に尽力はしたが、寺には住まなかったという(リンク先では一休の事蹟に「世界大百科事典」を用いたので、こちらはウィキの「一休宗純」を参考にした)。

・「古き事」本執筆時を寛政九(一七九七)年として一休の没年で計算しても、三〇六年前、この「彌次郎狐」は有に三百歳を越えている。

・「外(ほかの)疑(うたがひ)」と訓じたが、底本は「がいぎ」と音読みして、他人からの疑いの意で用いているのかも知れない。しかし、若き女の台詞として「外疑(がいぎ)」は如何にも相応しくないと思うのである。

・「臺所」禅宗ではこういう言い方はしない。厨房は典座(てんぞ)という。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 美濃国の弥次郎狐の事

 

 美濃国に弥次郎狐と呼ばれた年を経た老獣がおるとの由――話柄の舞台となる郡村も寺号もともに失念致いた。――

 ――この老狐、出家に化けては、しばしば恐ろしく古い話を語ったりして御座ったが、殊の外、紫野の一休和尚の話を好んで話した。その中でも、弥次郎狐自身が女人に化け、一休和尚に挑んだという、とっておきの話で御座る――

 

……あるときのことじゃ、我ら、『一休和尚は道徳堅固なる名僧じゃ』というを聞き及び、それがまっことなるものか、一つ試したろう、と思うたのじゃった。

 丁度その頃、一休の御座った小さき寺の前に、母と娘の二人が住んで御座った。その若い娘が婿をとったものの、若夫婦との仲、また、母と娘との仲が、これ、穏やかならずして、どうも丁度その日、かの夫婦(めおと)は、これ、離縁したというを地獄耳じゃ……かの肉の炎(ほむら)の冷めやらぬ娘にまんまと化けると、やおら、寺に入(い)ったのじゃ……

「……夫とは離縁致し……母からは勘気を被(こうぶ)り……万事休して、御座りまする。……今宵、一夜……どうか、この寺に……お泊め下されぃ……」

と、よよと縋ったところが、一休、

「――我とそなたは寺と門前という仏縁の一つ世に住まいする者で御座ったが故、これまでは対面(たいめ)致いて参った者じゃ――なれど、かくも門前を出でて俗界へと奔ったとなれば――まこと、人の縁を断って、うら若き女人の丸のままと相いなって御座るそなたを――この寺内(てらうち)に泊めんというは、これ、如何にも難きことじゃ……」

と否んだによって、我らは、

「……悟りを開いたご出家の……外ならぬ徳道堅固のあなたさまにて御座いますれば……一体、何処の誰が、疑いを抱きましょうや!……女の一人、この闇夜に、行くあてものう、さ迷うて――この『女』独り、この真暗な『闇世』に、さ迷うておるを……お見捨てなさるとは……あまりに……あまりに……情けなきこと…………」

と恨みを含んで歎きつつ、そのまま地に泣き伏せば、

「……されば――座敷内に上ぐることはならずとも――典座(てんぞ)の隅なりとも、客殿の縁の端なりとも、一夜(ひとよ)をお明かしなさるが――よい。」

と申された。

……これも思う壺に嵌まったものじゃ……

……我ら、その意に随(したご)う振り致いて、まんまと泊まること、これ、出来た。

……元来が――一休なる者が、まこと、徳道堅固ならんかを試さんとの心なれば――夜に入って……一休の臥所(ふしど)に忍び入り、我らの柔肌にて戯れ寄った……ところが一休……

「――喝ッ!――不届者ッ!――」

と一喝すると――辺りに御座った小さな扇子のような物をもって――我が背を――

――タン!

と――お打ちになられた――

「……いや! あの一撃! それは鉄槌よりも重う、強う御座った! いや! 正に死なんかと思う痛打で御座った!……いや! げにも……徳道を究めたお人の警策で、御座ったわいのう……」

 

 と、かの老狐は、しみじみと語って御座ったという。

 

「……その他にも、かの老僧、いやさ、老狐……やはり信じ難いほど古いことなんどを年中、語って御座ったが……さても、今も生きておるものやら、どうやら……」

と私の知れる人が語って御座った。

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