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2012/08/17

耳嚢 巻之四 疝氣呪の事

 疝氣呪の事

 

 京極備前守殿、久世丹後守疝積(せんしやく)を愁ふるを尋て、けやけき事にて取用ひも有之間敷(これまるまじき)事ながら、松平隱岐守在所の詰(つめ)の家來□□□□といへる者奇妙の呪(まじなひ)をなす由、岩國紙(いはくにがみ)一枚へ拾貮銅を添(そへ)遣せば、あの方(かた)にて呪ひ、右紙を差越、勿論白紙の由、是を懷中なすに疝氣の愁ひなしといへる儘、備前殿も六ケ敷(むつかしき)事ならねば是を求め給ひしに、其後疝氣を不覺(おぼえざる)由咄されしと、丹州語りける故、予も此病あれば切に尋しに、幸ひ寛政卯の夏江戸詰なせしと聞儘、名前幷(ならびに)求めかたを糺(ただ)し呉(くれ)候樣丹州へ賴置(たのみおき)ぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:連関を感じさせない。七つ前の「津和野領馬術の事」の話者である久世広民の話で連関。本巻お馴染みの呪(まじな)いシリーズ。

・「疝氣」「疝積」は近代以前の日本の病名で、当時の医学水準でははっきり診別出来ないままに、疼痛を伴う内科疾患が、一つの症候群のように一括されて呼ばれていたものの俗称の一つである。単に「疝」とも、また「あたはら」とも言い、平安期に成立した医書「医心方」には,『疝ハ痛ナリ、或ハ小腹痛ミテ大小便ヲ得ズ、或ハ手足厥冷(けつれい)シテ臍ヲ繞(めぐ)リテ痛ミテ白汗出デ、或ハ冷氣逆上シテ心腹ヲ槍(つ)キ、心痛又ハ撃急シテ腸痛セシム』とある(「厥冷」は冷感の意)。一方、津村淙庵の「譚海」(寛政七(一七九五)年自序)の「卷の十五」には、『大便の時、白き蟲うどんを延(のば)したるやうなる物、くだる事有。此蟲甚(はなはだ)ながきものなれば、氣短に引出すべからず、箸か竹などに卷付(まきつけ)て、しづかに卷付々々、くるくるとして引出し、内よりはいけみいだすやうにすれば出る也。必(かならず)氣をいらちて引切べからず、半時計(ばかり)にてやうやう出切る物也。この蟲出切(いできり)たらば、水にてよく洗(あらひ)て、黑燒にして貯置(ためおく)べし。せんきに用(もちゐ)て大妙藥也。此蟲せんきの蟲也。めつたにくだる事なし。ひよつとしてくだる人は、一生せんきの根をきり、二たびおこる事なし、長生のしるし也』と述べられており、これによるならば疝気には寄生虫病が含まれることになる(但し、これは「疝痛」と呼称される下腹部の疼痛の主因として、それを冤罪で特定したものであって、寄生虫病が疝痛の症状であるわけではない。ただ、江戸期の寄生虫の罹患率は極めて高く、多数の個体に寄生されていた者も多かったし、そうした顫動する虫を体内にあるのを見た当時の人はそれをある種の病態の主因と考えたのは自然である。中には「逆虫(さかむし)」と称して虫を嘔吐するケースもあった)。また、「せんき腰いたみ」という表現もよくあり、腰痛を示す内臓諸器官の多様な疾患も含まれていたことが分かる。従って疝気には今日の医学でいうところの疝痛を主症とする疾患、例えば腹部・下腹部の内臓諸器官の潰瘍や胆石症・ヘルニア・睾丸炎などの泌尿性器系疾患及び婦人病や先に掲げた寄生虫病などが含まれ、特にその疼痛は寒冷によって症状が悪化すると考えられていた(以上は概ね平凡社「世界大百科事典」の立川昭二氏の記載に拠ったが、「譚海」の全文引用と( )内の寄生虫病の注は私の全くのオリジナルである)。

・「京極備前守」京極高久(享保一四(一七二九)年~文化五(一八〇八)年)は丹後国峰山藩第六代藩主。本話柄当時は若年寄。ウィキの「京極高久」には以下の記載がある。『高久の官位が備前守であることや、火付盗賊改・長谷川宣以(平蔵)の上司に当たるため、「京極備前守」の名で池波正太郎の時代小説『鬼平犯科帳』にも登場し、鬼平こと長谷川平蔵の良き理解者として描かれている。テレビドラマ『鬼平犯科帳』では田島義文、平田昭彦、仲谷昇がそれぞれ演じた』。『池波は、長谷川平蔵の立場を理解し、なにくれとなく援助し、かばってくれる理想的な上司として京極高久を描いており、平田昭彦の演じた京極高久を非常に褒め、「江戸時代の殿様らしい、上品な味わいが演技に出ていた」と述べている』。『ただ、このような長谷川平蔵の理解者としての京極高久像は、池波の創作の可能性もある。『鬼平犯科帳』研究を行い、史実との照合を行っている西尾忠久は、「京極高久は史実では長谷川平蔵と対立した森山孝盛の側の人物であったのではないか。長谷川平蔵の庇護者は実際には水谷勝久ではないか」と論じている(西尾『鬼平を歩く』光文社知恵の森文庫)』とある。私は「鬼平犯科帳」のファンではないが、東宝特撮映画に欠かせない田島義文と平田昭彦のファンであるからここに附記しておきたい。

・「久世丹後守」前出。久世広民(享保十七(一七三二)年又は元文二(一七三七)年~寛政十一(一八〇〇)年)。浦賀奉行を経て、安永四(一七七五)年長崎奉行。当時は勘定奉行兼関東郡代。根岸の盟友にして「耳嚢」のニュース・ソースの一人。

・「けやけき」原義は、普通とは異なっていることを意味し、ここでは、異様な、の意。

・「松平隱岐守」松平定国(宝暦七(一七五七)年~文化元(一八〇四)年)。伊予国松山藩第九代藩主。御三卿田安徳川家初代当主田安宗武六男で、将軍徳川吉宗の孫、寛政の改革を主導した松平定信の実兄であるが、兄弟仲は険悪であった。当時は侍従、左近衛権少将。

・「□□□□」底本には右に『(約四字分空白)』と傍注する。個人名の明記を避けた意識的欠字。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『何某』とする。

・「岩國紙」岩国半紙。周防国岩国(現岩国市)地方で生産される半紙。天正年間(一五七三年~一五九二年)から作られており、コウゾを原料とする。

・「拾貮銅」銭十二文。岩波の長谷川氏注にこの金額は寺社への『賽銭の定額』である旨の記載がある。従って、これは何らかの神仏の祈禱を受けた呪物であることが分かる。何らかの薬物を液体か気体で染み込ませたものである可能性もあるが、まずは、かなりシンプルなプラシーボ(偽薬)と見る。

・「求め給ひしに」これは間接話法と直接話法がない交ぜになった文章で、実際には久世の直接話法の中の松平の間接話法部分に相当している。即ち、京極の話の引用なのであるが、引用している勘定奉行の久世から見れば、京極は上役の若年寄で年長であるため、尊敬語を用いているのである。高校古典で出題するならば、敬意の関係は「丹州(久世広民)→京極備前守(京極高久)」となる。現代語訳では京極の直接話法に変えて読み易くしたため、この部分や伝聞表記の箇所が逐語訳にはなっていないので注意されたい。

・「寛政卯」寛政七(一七九五年)。乙卯(きのとう)。

・「丹州へ賴置ぬ」とあるが、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版ではこれに更に続けて『其後丹州も身まかり、其事を果さず。』とあって終わる。従って根岸はこの呪(まじな)いの紙を実見していない。但し、久世の逝去は寛政十一年であるから、本巻執筆推定の寛政九(一七九七)年の二年後のことであるから、このバークレー校版の最後は遙か後年に根岸によって加筆されたものであることが分かる。訳すなら、

『後日追記:残念なことに、その後は連絡もなきままに丹後守殿は身まかり、この願いは果たせぬままに今日に至って御座る。』

……きっと根岸、この紙、とっても欲しかったんだなあ……。根岸の疝痛は、それだけ、強烈だったということ。新事発見!――『根岸鎭衞は頗る附きの疝気持ちであった!』――

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 疝気の呪いの事

 

 若年寄京極備前守高久殿は、勘定奉行久世丹後守広民殿が疝癪(せんしゃく)に悩んで御座るのを気に掛けて下さり、

「……いかにも奇体なることにて、まあ、とてものことに、まともに取りあう気にもならざるやも知れぬことにて御座るが……侍従松平隠岐守定国殿の在所伊予国松山に詰めて御座る家来の、何某という者、これ、奇妙なる呪(まじな)いを致す由にて……何でも、岩国半紙一枚へ銭十二文を添えて、かの者に渡さば、自ずと呪いをかけ、その紙を返して寄越すとのこと……いやいや、紙はまっさらにて白紙のままじゃ……なれど……これを懐中致すに、これ――ぴたりと――疝気の治まって愁いなし、と聴き及んだ故……身共も、岩国紙に十二文とは、これ、如何にも容易いことなれば、試しに、定国殿へお願い致いて、この紙を入手、懐中致いたところが、これ、その後は――ぴたりと――疝気治まって『痛(ツウ)』とも來(こ)ずなって御座る。」

との話が御座ったという。――この話、私は当の丹後守殿から聞いたので御座るが――実は私も疝気持ちで御座る故、丹後守殿に、さらに詳しい話を切に、と願ったところ、後日、丹後守殿より、かの隠岐守殿御家来衆何某なる人物は、これ幸い、寛政七年の夏に江戸詰めとなって御座る由。そこで現在は、追ってその御家来衆の姓名並びにかの呪いの紙の求め方を調べて下さるよう、丹後守殿へ依頼しておいて御座る状態にある。

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