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2012/08/07

耳嚢 巻之四 鬼僕の事

  鬼僕の事

 

 芝田何某いへる御勘定勤し人、美濃の御普請御用にて先年彼地へ至りし砌、出立前一僕を抱へ召連しに、貞實に給仕なせしが、或夜旅宿に寢(ゐね)しに夜半頃と覺(おぼえ)、夢ともなく彼僕枕元へ來りて、我等人間にあらず、罔兩(まうりやう)といへる者也、暇を無據(よんどころなき)事ある儘給るべしと乞し故、無據事あらば暇を可遣(つかはすべき)なれ共、其子細承度(うけたまはりたし)と申けるに、彼僕がいへるは、我輩の者順番いたし死人の死骸を取る役あり、此度(このたび)我等順番に當りて、此旅宿より一里許(ばかり)下の百姓何某が母の死骸をとる事なれとて無行衞成(ゆくへなくなり)し故、埒(らち)なき夢を見しと心にも懸けず伏して翌朝起出しに、右の僕行衞知れざる由故大きに驚、彼壹里餘下の何某が母の事を聞しに、今日葬禮なしけるが、野邊の送(おくり)にて黑雲立覆(たちおほ)ひしが棺中の死骸を失ひしと、所の者咄しけるを聞て、彌々(いよいよ)驚けると也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:奇譚ではあるが、特に感じさせない。久々の本格怪談である。最後の怪異のキモであるところの在所の者の証言は、大幅に私の演出を加えてある。

・「御勘定」中級幕吏。恐らく根岸の経歴にもある勘定所御勘定であろう。

・「罔兩」魍魎。私の電子テクスト和漢三才圖會 四十」より「魍魎」を引用しておく(私の注の一部に省略を加えた。二〇一〇年三月二日にかのテクスト化を行った際、私は注に正にこの「耳嚢」の「鬼僕の事」を用いた。そこでには引用した後に『訳注なしで十分楽しめる。それでも私の訳注を読みたい方は……そうさな、一年半は待ってもらわねばなるまい……。』と記してある。今日は一年半と五日後である。私の予言も鬼僕並に当たったことが恐ろしい気がしてきた!……)。

   《引用開始》

みつは   【罔兩 ※蜽

もうりやう  方良】

魍魎

      【和名美豆波】

ワン リヤン

[やぶちゃん字注:「※」=「虫」+「罔」。]

 

淮南子云罔兩状如三歳小兒赤黑色赤目長耳美髮

本綱云罔兩好食亡者肝故周禮【方相氏】執戈入壙以驅方

艮是矣其性畏虎與栢曰此名弗述在地下食死人腦但

以柏挿其首則死此即罔兩也

 按魍魎左傳注疏爲川澤之神日本紀亦以爲水神魑

 魅以爲山神

みづは   【罔兩 ※蜽 方良(まうりやう)】

もうりやう

魍魎

      【和名、美豆波。】

ワン リヤン

[やぶちゃん字注:「※」=「虫」+「罔」。「もうりやう」の「もう」はママ。]

 

「淮南子」に云ふ、『罔兩は、状、三歳ばかりの小兒のごとく、赤黑色。赤き目、長き耳、美しき髮あり。「本綱」に云ふ、『罔兩は、好みて亡者の肝を食ふ。故に「周禮(しゆうらい)」に『【方相氏は】戈を執り壙(くわう)に入り、以て方艮を驅(く)すると云ふ是れなり。其の性、虎と柏とを畏れ、曰く此れ、弗述(ふつじゆつ)と名づく。地下に在り。死人の腦を食ふ。但し、柏を以て其の首を挿せば、則ち死す。此れ即ち罔兩なり。』と。

 按ずるに、魍魎は、「左傳」の注疏に川澤の神と爲し、「日本紀」にも亦、以て水神と爲し、魑魅を以て山神と爲す。

[やぶちゃん注:「廣漢和辭典」によれば、「魍魎」の「魍」も「魎」も、すだま・もののけとする。そもそも「魑魅魍魎」は山川の精霊(すだま)・物の怪オール・スターを総称する語であるが、特に「魑」が山の獣に似たモンスターという具体的形象を、「魅」が功を経た結果として怪異を成すようになったものという具体的属性を付与するに止まり、「魍魎」は専ら、単漢字ではなく「魍魎」で語られることが多い。「廣漢和辭典」によれば、「魍魎」は『山水木石の精気から出る怪物。三歳ぐらいの幼児に似て、赤黒色で、耳が長く目が赤くて、よく人の声をまねてだますといわれる』と本文と同様に記す。また、参考欄には『国語のこだま・やまびこは、もと木の精、山の精の意で魍魎と同義であったが、その声の意から、今では山谷などにおける反響の意に転じて用いる』と次の項「彭侯(こだま)」の補注のような解説が付いている。ウィキの「魍魎」には、「本草綱目」に記されている亡者の肝を食べるという属性から、本邦にあっては死体を奪い去る妖怪、火車(かしゃ)と同一視されて、火車に類した話が魍魎の名で語られた事例がある由、記載がある。本文が記載する「春秋左氏伝」や「日本書紀」の引用を見ても、「魑魅」を山の、「魍魎」を水の神や鬼とする二分法が、日中何れに於いても非常に古くから行われていたことが見てとれる。「魍魎」は「罔両」と同義で、「影の外側に見える薄い影」の意、及び本義の比喩転義であろう「悪者」の意もある。別名「方良」であるが、これは「もうりょう」と発音してよい。「方」には、正にこの「魍魎」を指すための「魍」=「マウ(モウ)」との同音の、“wăng”「マウ(モウ)」という音及び中国音が存在し、「良」の方も中国音でも、「良」“liáng”と「魎」“liăng”で、近似した音である。特に「方」「良」の漢字の意味は意識されていないと思われる(というか邪悪なものを邪悪でない目出度い字に書き換える意味があったものと私は推測する)。

 『「淮南子」』は前漢の武帝の頃に淮南(わいなん)王であった劉安(高祖の孫)が学者達を集めて編纂させた一種の百科全書的性格を備えた道家をメインに据えた哲学書(日本では昔からの読み慣わしとして呉音で「えなんじ」と読む)。

 「周禮」中国最古の礼書の一。「周官」とも言う。五経の一「礼記」(らいき)に「儀礼」(ぎらい)と「周礼」を合わせて「三礼」(さんらい)と称し、その中でも「周礼」は最も重要な礼書とされる。周公旦の撰と伝えられるが、成立には諸説がある。周代の行政制度を二七〇の官名を掲げ、その職掌について記述、国政の要諦をも述べる。この引用は「夏官司馬」の「方相氏」の職務に関する項にある「大喪。先柩及墓、入壙、以戈擊四隅驅方良。」(大喪。柩に先んじて墓に及び、壙に入りて、戈を以て四隅を擊ちて方良を驅す。)という記載を言う(原文は「中國哲學書電子化計劃」の「周禮」を参考にした)。これは「帝王の死に際しては、棺よりも先んじて墳墓に参り、玄室に入って、戈(ほこ)を以ってその四隅を撃ち、方良(=魍魎)を追い払う。」という意である。

 「方相氏」上記の「周礼」の「方相氏」には「方相氏。掌蒙熊皮、黄金四目、玄衣朱裳、執戈揚盾、帥百隸而時難、以索室驅疫」とある。これは一種の呪術を専門とする官職で、熊の皮を頭から冠って、金色に輝く四つ目の面を装着、黒衣に朱の裳を引いて、矛と盾を振り上げて、屋敷内に巣食う諸々の悪疫邪鬼を駆逐することを仕事とした。正しく追儺・節分・ナマハゲのルーツである。なお、この部分、割注になっているが、国会図書館版「本草綱目」では平文である。これは良安が参考にした「本草綱目」がしっかりした版本であったことを示している。何故なら、「周礼」では上記の通り、「方相氏」の項の最後にこの一文が現れ、「方相氏執戈……」とはなっていないからである。即ち、これは時珍が補った割注部分であるということである。

 「壙」壙穴。つか。つかあな。死体を埋める穴のことであるが、ここでは墳墓・玄室の意。

 「柏」裸子植物門マツ綱マツ目ヒノキ科コノテガシワPlatycladus orientalis(シノニムBiota orientalis 及び Thuja orientalis )現生種では一属一種。朝鮮半島から中国北部に広く分布する常緑針葉高木。枝が直立するため、それを子供が万歳をしている様に比した名称。松と共に中国では墳墓に植える。

 「弗述」ネット上には「酉陽雑俎」にこの記載があるというので、「酉陽雑俎」をめくってはみたが、時間がもったいないのでやめた。その内、見つけたら、この注にアップしよう。

 『「左傳」の注疏に』「左傳」は孔子の編と伝えられる五経の一つである歴史書「春秋」の注釈書である「春秋左氏伝」(魯の左丘明によるものとも言われるが不明)のこと。「注疏」とは古書を注釈した書物である注(ここでは「春秋左氏伝」)と、その注の文章をさらに解釈した書物である疏を総称した言い方。要するに人の注に更に別な人が注を施した(本文+注釈+注釈の注釈)から成る注釈書のことと考えればよい。この引用部は、西晉の武将にして学者であった杜預(とよ 二二二年~二八四年)のもので、恐らく「春秋経伝集解」の一節である(杜預の注であることは東洋文庫版割注による孫引きであり、原典は確認していない)。

 『「日本紀」にも亦、以て水神と爲し、魑魅を以て山神と爲す。』の「日本書紀」のこと。「以て水神と爲し」というのは女神ミヅハノメのことを指している(「古事記」では弥都波能売神(みづはのめのかみ)・「日本書紀」では罔象女神(みつはのめのかみ)と表記される)。以下、ウィキの「ミヅハノメ」を参考にすると、「古事記」の神産みの段では、カクツチを生んだ際に陰部が焼け爛れて苦しんでいる(これがイサナミ死因となる)イサナミの尿から、和久産巣日神(ワクムスビ)と共に生まれたと記し、「日本書紀」神代、第二の一書にあってはイサナミが死ぬ間際、埴山媛神(ハニヤマヒメ)と「水神罔象女」を生んだと記す。『神名の「ミヅハ」は「水走」と解して灌漑のための引き水のことを指したものとも、「水つ早」と解して水の出始め(泉、井戸など)のことともされる。「古事記」には他に闇御津羽神(クラミツハ)があり、これも同じ語源と考えられる。「ミツハ」に「罔象」の字が宛てられているが、罔象は「准南子」などの中国の文献で、龍や小児などの姿をした水の精であると説明され』、『灌漑用水の神、井戸の神として信仰され、祈雨、止雨の神得があるとされる。丹生川上神社(奈良県吉野郡)などで淤加美神とともに祀られているほか、各地の神社で配祀神として祀られている。大滝神社(福井県越前市)摂社・岡田神社では、ミヅハノメが村人に紙漉を教えたという伝説が伝わっている』とある(引用では一部の記号を変更した)。確かにこの「罔象」は「罔両」「魍魎」に近しい表記ではある……あるが、女神で、零落するでもなく、本来の猛悪な死体食をするでもない。後々まで幸せな神のままではないか! どうも私にはしっくりこない(但し、図を見ると人肉を食いそうには見えず、女性的な要素を感じさせはする。お耳がキュート![やぶちゃん注:図はHP版では添付する。])。だいたい、続く「魑魅を以て山神と爲す」に到っては、私が馬鹿なのか、「日本書紀」の何処に書いてあるのかさえ、分からないのだ……。どうか、このお馬鹿な私に「魑魅を以て山神と爲す」の箇所を、識者の方、お教え下さい。]

   《引用終了》

・「暇を無據事ある儘給るべし」底本には、右に『(尊本「無扱事有りまゝ暇を給るべし」)』と傍注する。私は傍注が必要なほどに本文が不分明であるとは思わない。

・「死骸を取る役あり、此度我等順番に當りて」底本には、右に『(尊本「死骸を取事なれど無行衞參るも如何故、此度我等順番に當りて」)』と傍注する。尊経閣本には分かりきったくだくだしさがあって怪談の話柄としては、必ずしも上質とは言い難いが、底本も台詞としては唐突に切れるため、訳では台詞の最後に尊経閣本も採り入れた。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 鬼僕の事

 

 柴田某という御勘定を勤めた御仁の話である。

 

 美濃の御普請御用にて、先年、かの地へ出張致すに際し、出立前、一人の従僕を新たに召し抱えて同行させましたが、この者、頗る堅実なる者で、まことにまめに仕えて御座いました。

……ところが……

……とある夜のこと、旅宿先にて床に就いて御座ったところ、もう夜半にもなんなんとする頃おい、夢とも現(うつつ)とものう、かの従僕が拙者の枕元へ参り、

「……ご主人様……我等は実は……人にては……御座りませぬ。……罔両(もうりょう)と申す者にて……御座る。この度は……暇を……よんどころなき事の御座いまするが故……頂きとう存じまする……」

と乞いました故、

「――よんどころなき事ならば、これ、仕方あるまい。暇、遣わさんとは思えど……罔両……とやら、まずはその仔細を、これ、聞かせては呉れぬか――」

と申しましたところ、

「……我ら罔両というものは……順番に……死ねる人の……その死骸を……奪い取る役目が御座いまして……この度は我らが……その順番に……当たって御座います……この旅宿のより一里ばかり下った在所の……百姓何某が母の……その死骸を取ることと相い成って御座います……何事も申し上げずに行方を晦ましましては……これ如何なものかと存じ……では……永のお別れにて……御座いまする……」

と、言うたかと思うと、

……ふっと……

……消えた……

……かと思いましたところが――

そこで、ふっと、目が覚め申した。

『……何ともはや、くだらぬ夢を見たものじゃ。……』

と、特に気にも懸けず、また暫くして眠りに落ちて御座いました。

 ところが翌朝、起き出だいて、かの従僕の部屋に声をかけてましたところ――おりません。――宿の者も誰(たれ)一人知らず、拙者も大いに驚き、方々、探らせてはみましたが――その行方は、遙として知れませなんだ。――

 しかし、その日も遅く、ふと、未明に見た夢で、かの従僕が『一里ばかり下(しも)の何某が母』と言うたことを思い出だしまして、宿の者に、

「……今日……この辺りの村にて、何ぞ変わったことは、これ……御座らなんだか?」

と、それとのう訊いてみましたところ、たまたまそこにおりました土地の者が、

「……へえ。……今日、一里ばかし下(しも)の村にて……さる百姓が母の葬いが、これ、御座いましたが……我らもその弔いに参りましたのですが……その野辺の送りの最中(さなか)……一天俄かに掻き曇って……何やらん、黒(くうろ)い雲が……その、すうーっと……葬列へと降りて参りまして……我らは列の後ろにおりましたが……その、棺桶の辺りで……その雲のようなものが……霞の如く覆って御座るな……と思うた、そう思うた時には……もう、消えてしもうておりましたんですが……親族の者どももこれに気づきまして……また、桶を担いでおりました者どもが「何やらん、軽うなったじゃ!」と申しますによって……皆して……その……棺の蓋を開けまして……その中を検(あらた)めてみました……ところが……何と……棺は虚ろ……死骸は……すっかり消えて去って、おりましたじゃ……」

と語って御座いました。

……拙者、これを聴きまして、文字通り、冷水を浴びせられた如くに、慄っと致しました……。

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