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2012/08/01

耳嚢 巻之四 剛氣の者其正義を立る事

 剛氣の者其正義を立る事

 

 近此迄老人にて御側(おそば)を被勤(つとめられ)し松平肥前守といへる人、中奧御小姓を勤し時、同勤の面々に被勸(すすめられ)、遊所へ可行(ゆくべき)由、品々斷けれども古役の少年一圓に承引なきゆへ、行べき事に成ぬ。黄昏吉原町へ至りしに、肥前守申付にて、中の町(ちやう)の茶屋へ丸に梶の葉付たる定紋の幕を打せ、先番の用人給人(きふにん)麻上下を着し、近習の侍紫服紗(むらさきぶくさ)にて刀揃持(そろへもち)けるを、連の少年達是を見及び大きに驚きて、品々斷を述て漸(やうやく)歸しけると也。此趣内々より、有德院樣への御聽に入て、表より直に御側衆被仰付(おほせつけられ)しと也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:連関を感じさせない。

・「御側」「御側衆」征夷大将軍の側近。将軍の就寝中の宿直(とのい:三日に一度の交代制で将軍の就寝中の老中からの政務取次なども含まれた)・昼間の平常時警護等を務めた。当初は強い政治力をも有したが、徳川綱吉以降、側用人に権力が移譲集中し、御家人の出世の最後を飾る一種の名誉職となった(以上はウィキ側衆に拠った)。

・「松平肥前守」松平忠根(ただね 元禄六(一六九三)年~安永三(一七七四)年)。吉宗・家治の御側衆。享保十八(一七三三)年に数え四十一歳で小性組番頭、元文四(一七三九)年には四十七歳で御側衆となっている。享年八十二歳(以上は平凡社東洋文庫版の鈴木氏の注に拠った岩波版の長谷川氏注のデータに拠る。執筆時の寛政九(一七九七)年からは二十三年も前になるが、これがまた、当時の「近頃」という当時の時間把握が現在とは相当に異なることが分かる(私は結婚したのが二十二年前だが、それを「近頃」とは私も他人も、言わない)。底本の同鈴木氏の先行注では松平康兼(享保十六(一七三一)年~明和八(一七七一)年)とするが、その注を見る限り、彼は御側衆になったことがないし、第一、吉宗は延享二(一七四五)年に将軍職を家重に譲っており、その時点でも康兼は未だ十四歳、「老人」では、これ、ない)。

・「肥前守申付にて……漸歸しける」の部分は全文が使役形で叙述されているが、末文など「(執拗な慫慂を)漸くのことで逆に固辞させて帰した」という風に、現代語訳では如何にも回りくどくなるので、通常文で意訳した。

・「中奧御小姓」「中奧」は「なかおく」で、江戸城本丸の中の将軍が起居し、政務をとる区域を言い(「ちゅうおく」とも読む)、「中奧御小姓」はそこで将軍の所諸用に当たった側近職。

・「中の町の茶屋」吉原大門から廓の中央を貫く道が「中の町」で、その左右に引手茶屋が並んでいた。

・「丸に梶の葉付たる定紋」「梶」は双子葉植物綱イラクサ目クワ科コウゾ属カジノキ Broussonetia papyriferaウィキ葉」にあるMukai氏の描いた「Mukai's file」の梶紋「立ち梶の葉」を以下に示す。これに〇を附せばその定紋となる。正式な梶家の家紋はサイト家紋WORLD徳川旗本八万紋」に「梶家」の家紋として示されており、そこにはズバリ「丸に梶の葉」がある。その解説には『能見松平の一族が、外家の号を冒して梶氏となったというが、定かではない。梶正道は幼時から家康に仕えて、のちに二千五百石を知行した』とあり、恐らくこの紋と考えてよいであろう。

Kajinoha

・「用人」幕府・大名・旗本家にあって、金銭の出納や雑事などの家政の主業務を司った家臣(将軍家の側用人に該当)。

・「給人」幕府・大名から知行地若しくはその格式を与えられた旗本及びその家臣を言う。

・「服紗」主君に従う小姓は袱紗で太刀の柄を握って鞘を上にして持つ。

・「刀揃持けるを」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『刀抔持けるを』。

・「有德院」第八代将軍徳川吉宗。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 剛気の者その正義を立てる事

 

 近頃まで――老人の身となっても――永く御側を勤めらておられた松平肥前守康兼殿と申されるお方が中奥御小姓を勤めておられた時、同僚の者どもに勧められ、遊所へ行こうではないかということとなり、康兼殿、これ、いろいろと理由を附けては、何度も断って御座ったのだが、先任の少年どもが、これ、揃って、いっかな、承知致さぬ故、仕方なく、行かざるを得なくなって御座った。

 さて、その日の黄昏時、一行が吉原へ到着致いたところ、そこには――肥前守申付けによって――中の町の茶屋へは、松平家の丸に梶の葉の付いた定紋の幕が打たれて御座って、松平家の用人や給人が揃って待ち構えて御座って、彼らは悉く麻上下を着用、近習の侍に至っては、紫袱紗にて太刀持ちまで致いて御座った。

 連れの少年達は、この噴飯物の仰々しさに吃驚仰天、あれやこれやと如何にもな言い訳を致いて、ほうほうの体(てい)で帰参致いた、とのこと。

 この一件が有徳院吉宗様のお耳に入り、即座に直々、御側衆を仰せつかった、ということで御座る。

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