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2012/09/19

生物學講話 丘淺次郎 四 寄生と共棲 五 共棲~(3) 了

Kobannitadaki


[こばんいただき]

 

 「さめ」やその他の大きな魚類の表面には、往々「こばんいただき」という奇態な魚が著いて居ることがある。この魚は「さば」・「かつを」などに類するものであるが、頭部の背面に小判形の大きな強い吸盤があつて、これを用ゐて他の魚類の口の近邊に吸ひ著き、その魚の泳ぐに委せてどこまでも隨つて行く。一體「さめ」の類は鋭い齒を以て他の大魚の肉を嚙み裂いて食ふもの故、その度毎に肉の小片が水中に溢れ浮ぶが、「こばんいただき」はかやうな肉の殘片を口に受けて餌とするのである。それ故先づ魚類中の乞食と名づけても宜しからう。海岸の漁夫町では往々この魚の生きたのを子供が玩んで居ることがあるが、盥に海水を入れた中へ放すと、直に底へでも横側へでも頭で吸ひ著いて決して離れず、頭の方へ向つてならば動かすことが出來るが、尾を握つて後の方へ引いては到底動かず、力委せに引張ると、盥ごと動く。かやうに強く吸い著く性があるから、オーストラリヤの北に當る或る地方では、土人がこの魚の尾に繩を括りつけ、海龜の居る處に放して吸ひ著かせ、繩を手繰り寄せて龜を捕へる。この魚などは常に「さめ」や「あかえひ」に附著しているから、鯨と「ふぢつぼ」とを共棲と見なせば、これも同じ理窟で共棲と名づけねばならぬ。また假に、「こばんいただき」が常に「さめ」の口の内面に吸ひ著いて居るものと想像すれば、必ず寄生と名づけられるに相違ない。かくの如く共棲は一面には、たゞ場所を借りるだけの獨立生活に移りゆき、一面には寄生生活に移つて行き、その間には決して判然たる境界を定めることは出來ぬ。

 

[やぶちゃん注:「こばんいただき」条鰭綱新鰭亜綱スズキ目コバンザメ亜目コバンザメ科 Echeneidae に属するコバンザメ類。現生種四属八種は以下の通り(ウィキの「コバンザメ」に拠る)。

コバンザメ属 Echeneis

 コバンザメ Echeneis naucrates

 ホワイトフィン・シャークサッカー Echeneis neucratoides

スジコバン属 Phtheirichthys

 スジコバン Phtheirichthys lineatus

ナガコバン属 Remora

 オオコバン Remora australis

 クロコバン Remora brachyptera

 ヒシコバン Remora osteochir

 ナガコバン Remora remora

シロコバン属 Remorina

 シロコバン Remorina albescens

標準種であるコバンザメ属 Echeneis の属名はギリシア語で「船を引き止めるもの」の意。英名は“sharksucker”又は“suckerfish”。ナガコバン属名の“remora”で、前者の“sucker”は吸盤を持つ者の意、後者はラテン語で「遅らせること」の意。Echeneis remora は、この魚が船底に吸着すると船足が衰えると信じられたことによる。

 私は「コバンイタダキ」が大好きである。小学生の頃、小学館の「魚貝の図鑑」は私のバイブル並の座右の書で、今はもう背が崩れかけているが、中でも忘れられない異形として「サコファリンクス」や「シーラカンサス」の絵と共に、サメの腹に吸いついた「コバンイタダキ」を忘れられぬ。

 だから――ここで思いっきり「コバンイタダキ」にラヴ・コールしようと思う。コバンイタダキ博物誌である。本注の民俗学的な博物誌記載全体は、荒俣宏氏の「世界大博物図鑑2 魚類」の「コバンザメ」の項記載引用を『参考』にしつつも、敢て『私の愛するコバンイタダキ』のために荒俣氏の文章ではなく、極力、私の所持する原典(訳)に当たって叙述するよう心掛けたことを最初に表明しておく。

 では、まずアリストテレスから。

 アリストテレスの「動物誌」第十四章には、『岩場にすむものには或る人々が「フネドメ」と称する一種の小魚もあって、これを復しゅうののろいや恋のまじないに使う人々もあるが、食べられない。またこの魚は足がないのに、有るという人々があるが、これはひれ[やぶちゃん注:「ひれ」に傍点「ヽ」。]が足に似ているためにそう見えるだけである。』という記載があり(引用は岩波書店一九六八年刊島崎三郎訳「アリストテレス全集7 動物誌 上」を用いた。「復しゅう」はママ)、その訳注には、『この魚が船のかじ[やぶちゃん注:「かじ」に傍点「ヽ」。]にかかると、帆一ぱいに風をはらんでも舟が動かないという伝説があるからであるが、』この魚が『何をさすのか分からない。名前からEcheneis romora L.(コンバンザメ)』(これはリンネが命名した後に修正されるコバンザメの旧学名と思われる)『とする人々もあるが、何も根拠はない』とある。

 なお、コバンザメ亜目の系統は未だよく分かっていないものの、「サメ」を名に持つもののサメ類(軟骨魚類)とは無縁で、一般的硬骨魚類を代表するスズキ目の、マカジキなどに近いものと推定されている。別称和名のコバンイタダキもしばしば用いられ、私もこちらの和名の方が親しい。

 プリニウスの「博物誌」第九巻四一章には、以下のように記載する(底本は平成元(一九八九)年雄山閣刊の中野定雄他訳になる第三版「プリニウスの博物誌Ⅰ」を用いた)。

   《引用開始》

 岩場によくいる吸着魚<コバンザメ>というひどく小さい魚がある、これが船体にとりついていて船脚を遅らすと信じられている。そういうことでこういう名がつけられたのだ。そしてまたそういう理由で、これはまた惚れ薬を提供いているとか、裁判に持ち込むことを妨げる一種の呪文の作用をしているとかいうので評判が芳しくないのだが、この非難は、妊婦の子宮の下り物を止め、分娩時まで子供を抑えておくという賞賛すべき性質だけで帳消しにされる。しかしこれは食物の仲間入りはできない。ある人はこの魚には足があると考えているが、アリストテレスはそれを否定して、それの手足は羽に似ているとつけ加えている。

   《引用終了》

更に、プリニウスは余程、このコバンザメと船乗りの伝承に非常に興味があったらしく、第三二巻「海棲生物から得られる薬剤」の第一章冒頭でも、「航海とコバンザメ」と表題して、満を持して以下のように解説している(文中に入っている編者の「見よ注記」は省略した)。

   《引用開始》

 わたしの題目について書き進んで、今度は自然の作用のうちの最大のものについて述べる番になった。そして今やわたしは、これ以上はまったく探究しようもない、そしてそれに匹敵するか類似するものとてほかに見出し得ない力、自然が自己を超克する、それも無数の方法で超克する隠れた力の、今まで求められたこともない圧倒的な証拠に直面しているのだ。海、風、旋風、暴風雨などよりもっと激しいものがあるだろうか。自然のどのような部分においても、帆とか櫓による以上に、人間の技術によって助けられたことがあったであろうか。なおこれに海全体が一つの川になるあの潮の干満の名状し難い力をつけ加えよう。これらすべては同じ方向に働いてはいるのだが、コバンザメのたった一種類の、ごく小さい魚によって抑制される。疾風が吹くかも知れない。暴風雨が荒れ狂うかも知れない。ところがこの魚がそれらの狂暴を制し、その巨大な力を抑える。そして船舶を止める。これは大綱でも、計り知れない重さの錨を投げてもなし得ないことだ。それは彼らの攻撃を抑え宇宙の狂気を手なづけるが、それは自分自身で骨を折ってでなく、抵抗によってでもなく、その他どんな方法によってでもなくて、ただ吸着することによってなのだ。この小さな生物だけで、これらすべての諸力に立ち向って、船を釘づけにするのに十分なのだ。しかし武装した艦隊はその甲板の上にたくさんの防塞の塔を聳えさせているので、戦争は海上でも要塞の塁壁から行なわれる。あの敵にぶつけるために青銅と鉄で装われた衝角が半フィートほどの長さの小さな魚によって抑えられ動けなくなるなんて、人間も何というつまらぬ生物であろうか。アクティウムの戦いで、巡回して部下を激励しようと焦っていたアントニウスの旗艦をこの魚が止めた。とうとう彼は船を他の船に替えなければならなかったが、それでカエサルの艦隊はただちにいっそう激しい攻撃を加えたとのことである。われわれが記憶しているかぎりでは、その魚が、ガイウス帝がアストゥラからアンティウムに向け帰航中の船を停めた。後でわかったことだが、その小さな魚はまた凶兆であった。というのは、その折、帝がローマへの帰還の直後、彼自身の部下によって刺し殺されたのだから。船の遅延についての驚きは長くは続かなかった。その原因がすぐ発見されたから。全艦隊のうち進まなかったのは五段擢ガレー船だけであったから、人々はただちに水に潜って、船のまわりを泳いで原因をつきとめた。彼らはこの魚が舵にくっついているのを発見し、それをガイウスに見せた。ガイウスは、彼を引き停め、四〇〇人の漕手の彼自身に対する服従を拒否したのがこんなものであったことにいたく立腹した。特に彼を驚かしたことは、その魚が船の外側にくっついて彼を止めたのであって、船の中ではそういう力をもっていないということであった、というのがみんなの意見であった。その時あるいは後になって、その魚を見たものは、大きなナメクジのようなものであると言っている。わたしは水棲動物について説明した際、魚について論じたところで、多くの人々の見解を紹介した。そしてわたしは、こういう種類の魚はすべて同じような力をもってい ることを疑わない。というのはクニドスのウェヌス神殿に有名な、そして神によって認められた事例があって、そこではカタツムリすら同様の力をもっていることを信じざるを得ないからだローマの権威者のうちある人々は、この魚にモラ<遅延>というラテン名を与えた。そしてあるギリシア人たちによってある不思議なことが語られている。すでにわたしが述べたように、それをお守りとして身に付けていると流産を抑え、子宮の脱垂を収めて胎児を成熟させるという。また他の人々は、それを塩蔵しておきお守りとして身に付けると、妊婦に分娩させるという。そういうわけでそれにオディノリテス<陣痛を除くもの>という異名が与えられている。これらのことはどうであれ、船の航行を止めたというようなことは事例がある以上、自然発生する事物から得られるこれらの治療薬の中に見出される何らかの能力、威力、効能について疑念を差し挾むものがあるであろうか。

   《引用終了》

「衝角」は「しょうかく」と読み、軍船の船首水線下に取り付けられる体当たり攻撃用の固定武装を言う。前方に大きく突き出た角の形状を成し(英名“ram”は雄羊の意)、古代の海戦に於ける軍船同士の接近戦では敵船側面を突いて櫂の列を破壊、機動性を奪ったり、その船腹を突き破って浸水させ、行動不能化ないし撃沈することを目的とする武器である。「アクティウムの海戦」B.C.三一年九月にオクタウィアヌス支持派とプトレマイオス朝及びマルクス・アントニウス支持派連合軍の間でイオニア海のアクティウム(現ギリシャ共和国プンタ)沖に於いて行われた海戦。「ガイウス帝」はローマ皇帝カリギュラのこと。

 荒俣宏「世界大博物図鑑2 魚類」の「コバンザメ」の項には、まさに丘先生が「オーストラリヤの北に當る或る地方では、土人がこの魚の尾に繩を括りつけ、海龜の居る處に放して吸ひ著かせ、繩を手繰り寄せて龜を捕へる」と述べている漁法を裏付ける記載が載る(ピリオド・カンマを句読点に代えた)。

   《引用開始》

 コロンブスが西インド諸島のキューバ島でコバンザメを利用した漁法を見た、とその息子が記している。それは、コバンザメを飼いならして尾の付け根に金属の輪をつけ、それに長いロープを結んで泳がせ、ウミガメなどの姿をみつけるとロープをのばしてカメの腹に吸いつかせて生け捕りにするというものだった。

   《引用終了》

現在も、キューバはウミガメのタイマイを食用とし、養殖にも成功している(これは日本が誇る鼈甲細工の原料が、実に多量にストックされていることを意味している。キューバはそれを売りたい、日本も欲しい、にも拘わらず、ワシントン条約によって我々はそれを買えないのだ――私が教員時代よく話したものだ――まあ、これ以上、話し出すと脱線で戻れなくなるからここでやめておくが、アメリカ主導の自然保護を隠れ蓑とした政治的経済的なおぞましい世界支配戦略や文化の多様性否定の弱者イジメには、思いっきり反吐が出る!!!)。以上のコバンザメ漁はウィキの「コバンザメ」にも以下のように記載がある(本漁の事実について欠かせないと判断した注記を後に接続させておいた)。

   《引用開始》

コバンザメはウミガメ漁に利用されている。生きたまま捕らえたコバンザメの尾にロープを結びつけ、ウミガメの近くで放つと、コバンザメは一直線にウミガメに向かっていき腹にくっつく。ロープを手繰ればコバンザメと一緒にウミガメも引き寄せられる。小型のものであれば直接捕獲し、大型のものであれば最終的に銛でしとめる。

この漁はインド洋全体、特にザンビアやモザンビーク周辺の東アフリカ沿岸や[2]、ケープタウンやトレス海峡近くの北オーストラリアで記録されている[3][4]。

類似した漁法は日本やアメリカでも行われている。西洋の文献で最も初期に「漁する魚」が記述されたのは、クリストファー・コロンブスの2度目の航海記録である。一方、レオ・ウィーナーは、コロンブスがアメリカをインドと勘違いしていたことから、アメリカに関して書かれた記述は眉唾で、東インドについて書かれた記述からコロンブスが作り出したものであろうと考察している[5]。

2 E. W. Gudger (1919). “On the Use of the Sucking-Fish for Catching Fish and Turtles: Studies in Echeneis or Remora, II., Part 1.”. The American Naturalist 53 (627): 289-311.

3 E. W. Gudger (1919). “On the Use of the Sucking-Fish for Catching Fish and Turtles: Studies in Echeneis or Remora, II., Part 2”. The American Naturalist 53 (628): 446-467.

4 Narrative of the Voyage of H.M.S. Rattlesnake - Project Gutenberg (Dr. Gudger's accounts are more authoritative, but this source is noted as an early account that Gudger appears to have missed.)

5 Leo Wiener (1921). “Once more the sucking-fish”. The American Naturalist 55 (637): 165-174.

   《引用終了》

 次に本邦の記載を見よう。寺島良安の「和漢三才図会」の「巻第五十一 魚類 江海無鱗魚」に「船留魚」として載せる。以下、リンク先の私の電子テクストの原文・書き下し文と私の注を読み易く整序して転載する。

   《引用開始》

Hunatome

[やぶちゃん図注:図の右上に「背」とし、左やや下に「腹」とし、それぞれの方向からの魚体を描いてあるが、よく見て頂きたい。良安は「背」と「腹」を誤まっている。腹ビレも描き落としており、良安が果たして実物を見て描いたのかどうか疑わしい。しかし、本文「頭の裏」という確信に満ちた記載や、「其の異形を惡」むという語調は、忌まわしい魚体に対する彼の生理的嫌悪感の現われであり、それ故の誤認ととれなくもない。]

ふなとめ   正字未詳

舩留魚   【俗云不奈止女】

△按舩留魚鱣之屬状似鯒而尾末纎無岐偃頭眼小灰白色無鱗頭裏扁有小刻如金小判之象而下喙尖畧長有小鬛自頭連尾小者長尺半大者三四尺毎以頭小刻附海舶板用鐵梃亦不離也掩籃待自離去取之希有出魚市人惡其異形無食之者

ふなとめ   正字未だ詳らかならず。

舩留魚   【俗に不奈止女と云ふ。】

△按ずるに、舩留魚は鱣(ふか)の屬、状ち、鯒(こち)に似て、尾の末、纎(ほそ)く、岐無し。偃頭えんとう)。眼小さく、灰白色。鱗無く、頭の裏、扁たく、小刻有り、金小判の象(かたち)のごとくにして、下喙、尖りて、畧(やや)長し。小鬛(こひれ)有りて頭より尾に連なり、小さき者、長さ尺半、大なる者、三~四尺。毎に頭の小刻を以て海舶の板に附きて、鐵梃(かなてこ)を用ひても亦、離れざるなり。籃を掩ひて自(おのづ)から離-去はな)るるを待ちて之を取る。希に魚市に出づること有り、人、其の異形を惡(にく)んで之を食ふ者無し。

[やぶちゃん注:スズキ目Perciformesコバンザメ亜目Echeneoideiコバンザメ科Echeneidaeで四属八種。コバンザメ属Echeneis、スジコバン属Phtheirichthys、ナガコバン属Remora、シロコバン属Remorina。彼らは歴とした硬骨魚の正統主流派であるスズキ目であって軟骨魚類の「鱣の屬」=フカ=サメ類ではない。ただ、この時代からサメ呼ばわり(サメ=フカの仲間と認識)していたことが、この良安の叙述から窺われ、本種のコバンイタダキへの改名に反対していた魚類学者田中茂穂の『東京附近でコバンザメと云ふのは形が多少鮫に似てゐる爲である。此魚は鮫類とは著く違つてゐる爲に、わざわざコバンイタヾキと云ふ名稱を付けたのは教科書を作った學者達である。然し私はコバンザメと言つた方が如何にもいゝやうに感ずる。相當智識のある人ならば此魚を鮫と思ふ人はいない故、そんな取越苦勞は不要である。是に類似したことが他の動物にもあるが、徒に不器用な改名は私は採らないのである。』[注:「コバンザメ-WEB魚図鑑」からの孫引きであるが、表記の一部に問題があるため、恣意的に補正してある。下線部、やぶちゃん。])の謂いにはやや疑問が生じる。実際、田中は東京附近での通称名の標準和名化であることを示唆しているが、この時代の良安でさえ、「鱣の屬」と言っている。私は「サメ」でもないのに「サメ」は、ないと思う。標準和名は、その名を聞いてある程度の実体とのかけ離れることのない連想が可能である名前がよいと思っている(最低限、誤まった情報を類推させてはいけないということである。但し、既に人々に定着してしまっているものを、強いて変えることに拘るものでもないが)。頭頂部に小判型の吸着器を「頂き」、寄生種の運動エネルギーや餌のお零れをちゃっかり「頂戴する」魚のイメージとして、私は「コバンイタダキ」の和名をこそ鮮やかに支持するものである。この吸着器官は第一背鰭の変形したものと考えられている。また、寄生行動をとるのは、比較的若い個体で、成長すると自由遊泳するものが多いという。また、寄生生活をしている個体の胃からは、寄生種に寄生している甲殻類が見つかっており、ちゃっかり者のコバンイタダキではなく、相利共生の側面も否定できないと思われる(但し、寄生種である本家のサメ等に食われることもあると聞く)。

「鯒」は、カサゴ目 Scorpaeniformesコチ亜目Platycephaloideiの魚類の総称である(この場合は私は、スズキ目Perciformesネズッポ亜目Callionymoideiの「コチ」呼称群を考慮する必要はないと思う)。特にここでは本邦の典型的な大型種コチ亜目Platycephaloideiのマゴチや近縁種のヨシノゴチ(どちらもPlatycephalus sp.(以前はPlatycephalus indicusと同一種とされていたが、研究の進展により現在は別種とされる。学名未認定。)を良安は想定していると考えてよいであろう。

「偃頭」は本ページの「鰐」の注で考察したように、扁平で地べたに伏せた(うつぶせになった)頭部を示すもの。東洋文庫版はここでは「鰐」とうって変わって妙な訳をせず、『(頭が伏せたような形になっていること)』と極めて素直である。

「之を食ふ者無し」とあるが、伝え聞くところでは漁師料理にして、旨いとする。私は、残念なことに食したことはない。

   《引用開始》

先に引用したウィキの「コバンザメ」には『一般的には食用にしないが、大型魚であることから、地域や漁獲後に食用とする地方もある』とあるが、要出典注記が附く(閲覧者に疑義があるらしい)。私は上に述べた通り、確かに漁師料理で旨いという話をネット上で詠んだ記憶がある(記載資料や現地が判明した際には、ここに追加する)。例えば、「WEB魚図鑑」の「WEB魚図鑑● 食味レビュー コバンザメ」にあり、『釣れたので冗談で食べてみたが、言われなければ何の魚か分からない。真っ白なきれいな身で歯ごたえは無いが味自体は不味くは無い。アンモニア臭等の臭みは全くなし。エイリアンみたいな吸盤の見た目で損をしている。干して漢方薬の原料としてかなりの高値で取引されるらしい。惜しい事をした』。『コバンザメといってもサメの仲間ではない。ゼラチン質の分厚い皮に覆われた白身の肉。皮は全くおいしくなく、煮ると外れる。身は淡白だが美味。サバのような感じ。しかし、肉の量は少ない』とあるから、食用には全く以って問題ないことは明白である。

 以下、荒俣宏氏の「世界大博物図鑑2 魚類」の「コバンザメ」の項の最後には、主に本邦での民俗誌として記載が載る(ピリオド・カンマを句読点に代えた)。

   《引用開始》

 《栗氏魚譜》によると、コバンザメの小判状の部分は、死んだものでも盆や板につけると吸いつく。

 いづれにせよ、コバンザメは大魚についているので、逆にコバンザメを祀れば、大魚にありつくという信仰が生まれた。そこで大漁の吉兆として、神棚にあげて祈ったという。コバンザメを俗に告神甚五郎(つげのかみのじんごろう)とよんだ理由である。

 このように縁起魚として神棚にあげられることが多く、かつ、肥前唐津地方ではスナジトリといって、陰干しにして煎じて服用すれば、いかなる瘧(おこり)もたちどころに癒えるといって珍重される。

 《紀州魚譜》もコバンザメを干して赤痢や喘息の薬とする地方がある、と述べている。

 また、この魚をもっていると、裁判に勝つことができるという俗信がある。これは裁判を長びかせれば結局勝つことができるという考えによるらしい(谷津直秀《動物分類表》)

   《引用終了》

 最後に荒俣氏は妖怪の「アヤカシ」を挙げ、これをコバンザメとする説があることを示されておられる。そこには宝暦八(一七五八)年の序を持つ博物学書「採薬使記」(阿部友之進、松井重康・口述、梨春光生・副監、高大醇(こうだいじゅん)・録)が挙がっている。この本は幸い、早稲田大学図書館の古典籍総合データベースで画像として読むことが出来るので、以下にテクスト化して示す(句読点及び濁音は私の判断で補った)。

重康曰、加州、越州之海中ニ、アヤカシト云フ魚アリ。其形チ鮧ニ似テ、小キハ一尺バカリ、大キナルハ一丈許モアリ、全身鱗ナシ、頭ノ上ニ圓ク高キ所アリテ、段々ノキザアリ。小判ノキザノ如シ。故ニ名小判魚トモ云フ。其魚多ク集リテ、彼キザノ所ヲ舩ニ吸ツケテ、舩ヲトムル事アリト云フ。

[やぶちゃん注:以下、底本では全体が二字下げ。]

光生按ズルニ、此魚、東國ニテイマダ見ズ。江都ニテ、稀ニ小判鮫ト云フ魚ヲ、捕リ得ル事アリ、形状、大抵相似タリ。アヤカシト同物カ。或曰、利瑪竇ガ、坤輿圖ニ載スル所ノ咽機哆ナルベシト云ヘリ。

「鮧」は「なまず」。「利瑪竇」イタリア人イエズス会員でカトリック教会司祭として中国に宣教したマテオ・リッチ(Matteo Ricci 一五五二年~一六一〇年)の中国名「りまとう」。「坤輿圖」彼が中国で一六〇二年に刊行した世界地図「坤輿(こんよ)万国全図」のことだが、管見したが「咽機哆」(「いんきし」と読むか)の記載は海洋部を重点的に見たが見当たらない。識者の御教授を乞う。確かにこの記載は「コバンイタダキ」以外には考えられないが、そもそも「アヤカシ」は、怪火・船幽霊などのさまざまな海上の妖怪や怪異を呼ぶ語であって、船足を遅らすという古今東西の伝承から敷衍されたもので、ファンの私としては冤罪に近いという気がする。

 

『「こばんいただき」が常に「さめ」の口の内面に吸ひ著いて居るものとすれば』丘先生はちゃんと『常に』と断っておられるのが素晴らしい。水族館フリークなら誰でも見たことがあるはずであるが、ジンベイザメや大型のサメ類に吸着するコバンザメ類は、時に当該のサメの口中に付着していることがある(但し、時には食われてしまう個体もあるらしい)。]

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