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2012/10/12

鎌倉日記(德川光圀歴覽記) 能見堂

   能見堂 〔一作濃見堂、又作能化堂、能見道(一つに濃見堂に作り、又、能化堂・能見道にも作る。)〕

 能見堂ハ近年久世大和守廣之建之(之を建つ)。此邊ノ鹽燒濱ヲカマリヤノ谷卜云。相傳フ、能見堂ハ繪師巨勢金岡、此所ノ美景ヲ寫ント欲シテ模スルコトヲ得ズ。アキレテノツケニソリタル故ニ俗ニノツケン堂卜云。或ハ云ク、風光ノ美、此所ヨリ能ミユル故ニ能見堂ト云。又能見道トモ書ク。昔ハ此堂ナシ。此地ヨリ望メバ瀨戸ノ海道能ミユル故也トゾ。堂ノ前ニ筆捨松ト云一株有リ。金岡多景ヲ寫シヱズシテ筆ヲ此松ニ捨シト也。又二本アル松ヲ夫婦(メウト)松卜云。此地ヨリ上下總、房州、天神山、鋸山等海上ノ遠近ノ境地、不殘(殘らず)見ユル天下ノ絶景也卜云。里俗相傳テ有八景(八景有り)ト云。

 山市晴嵐。能見堂ノ東ニ町屋ト云所ノ民村連リタル地ヲ云。或云、峠ト云所ヲ云ト也。或ハ瀨戸明神ノ前、辨才天ノ西ノ方ヲ云トナリ。

 平沙落雁。町屋ノ東、野嶋ガ崎ノ東北ノ方平方卜云所ノ西ヲ云。

 漁村夕照。野島ガ崎ノ南へ出張タル所ヲ云。或曰、瀨戸ノ浦邊ヲ云。又夏嶋ヲ云。

 遠浦歸帆。野嶋ノ西ニ室ノ木卜云所ノ東前ヲ云。

 江天暮雪。室ノ木ノ少南、セガ崎ト云所ヲ云。或曰、野島ノ少シ西ヲ云也。或云、富士ヲ望タル景ヲ云。

 瀟湘夜雨。六浦ノ西ニ照天ノ宮トテ叢祠アルヲ云。或云、コヅミト云所ヲ云。釜利屋村ノ内テコノ明神ノ北、鹽屋ノアル邊ヲ云。或曰、笠嶋ナリ。

 遠寺晩鐘。六浦ノ南ノ茂林ヲ云。或云、瀨戸ノ橋ノ邊ヲ云ナリ。

 洞庭秋月。野嶋ノ北、稱名寺ノ少東ノ出崎二紫村權現ノ叢祠アリ。其南ヲ云。或云、ハラト云所也。里俗マチマチニ云故ニ其所一決シガタシ。今見聞ノ僅二書シルシ侍リヌ。

 此圖別紙ニアリ。烏帽子島ノ入江ヲ雀浦卜云。菅公ノ小祠アリ。鎌倉荏柄ノ天神モ雀柄ト書ト里翁物語シ侍リヌ。金澤ヨリ濱路ヲ帷子へ出ル通有リ。路程甚近シト云。遂ニ能見堂ヲ下イ、鎌倉ヘ行ニ、瀨戸ノ南ニ金龍院ト云禪寺、道ノ側ニ有。六浦濱ヲスギ、六浦河幷六浦橋ヲ渡ル。此橋ヨリ照天姫身ヲ投タル河ナリ。其南ニ小川流レ出ル。侍從川卜云。照天ガ乳母ナリトゾ。此所ニ油堤ト云所アリ。是モ侍從ガ舊跡也。ソレヨリシテ相武州ノ境ノ地藏トテ、岩ニ大ナル地藏ヲ切付テ有。鼻缺地藏ト云。爰ヲ過テ大切通シ、小切通シトテ二ツ有り。朝夷奈義秀ガ一夜ニ切ヌキタルト云也。六浦ヨリ鎌倉へノ入口也。上總介ガ石塔トテ大切通ト小切通トノ間、南ノ方ノ田ノ中ニアリ。此所ヲ過テ海道ノ西北ノ方ヲ牛房谷卜云。首塚卜云モ爰ニアリ。

[やぶちゃん注:「八景」新編鎌倉志八」の記載はもとより、鎌倉攬勝考卷之十一附録にある、後年(元禄八(一六九五)年)、明からの渡来僧で光圀の友人でもあった東皐心越(とうこうしんえつ 崇禎十二(一六三九)年~元禄九(一六九六)年)の「八景詩歌」及び、私が附した歌川広重の代表作である天保五(一八三四)年頃から嘉永年間にかけて刊行された大判錦絵の名所絵揃物「金沢八景」の図版もお楽しみあれ。なお、「此圖別紙ニアリ」の「此圖」とは八景の位置(若しくはスケッチか)を指すものと思われる。この「別紙」の発見が望まれる。

「牛房谷」牛蒡谷。新編鎌倉志二」の掉尾にあり、そこでは正しく「牛蒡」とある。]

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