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2012/11/29

芥川龍之介漢詩全集 十五

   十五

潦倒三生夢
茫々百念灰
燈前長大息
病骨瘦於梅

〇やぶちゃん訓読

 潦倒たり 三生の夢
 茫々 百念 灰たり
 燈前 長大息
 病骨 梅よりも瘦(そう)たり

[やぶちゃん注:龍之介満二十五歳。この書簡の出された同日、龍之介は後に社員となる『大阪毎日新聞社』への小説連載依頼を受諾している。これは翌十月二十日から始まり、十一月四日に終わるが、それは、小説家芥川龍之介の産みの苦しみとその秘密を抉り出した、かの渾身の名作「戯作三昧」であった。
大正六(一九一七)年九月二十日附久米正雄宛所載。
なお、これは旧全集には所載しない新発見の書簡で、私は新全集の書簡の巻を所持しないので、ここのみ底本として二〇一〇年花書院刊の邱雅芬氏の「芥川龍之介の中国」の「第二章 芥川と漢詩 第二節 芥川の漢詩」(同書一三九ページ所載)のものを用いた。但し、例によって私のポリシーに則り、正字化してある。
 邱氏の当該項の「解説」によれば、『その創作背景について、「ボクは文世でひどいめにあつた あんなにキュウキュウ云つて書いたことはない」と書かれている。「文世でひどいめにあつた」とは、「文章世界」一九一七年十月号掲載の小説「片恋」の原稿を急がされて書いたことを言っている』とある。「片恋」は、ある夏の午後、主人公「自分」は京浜電車の中で、一緒に大学を卒業した親友の「僕」と出逢い、その「僕」が語る話という設定である(途中に挟まる車内の会話から「自分」は小説家らしい)。「僕」は最近、「自分」と「僕」の旧知の、やはり仲間の「志村」がかつて岡惚れしていた水商売の女お徳に(志村は彼女に『臂を食は』されている)、相応の茶屋の宴席で再会したが、その彼女から、逢ったこともない洋画の俳優に片思いしたことを告白された、ということを述べる形で進行する小編である(特異なのは、先の会話以外殆んどが「僕」の一人称直接話法で語られ、この話を聴いた「自分」の感懐は行間を読む以外にはないという点である)。その映画は『結局その男が巡査につかまる所でおしまひになる』のだが、そのエンデイングは、

 『大ぜいよつてたかつて、その人を縛つてしまつたんです。いゝえ、その時はもうさつきの往來ぢやありません。西洋の居酒屋か何かなんでせう。お酒の罎がずうつとならんでいて、すみの方には大きな鸚鵡の籠が一つ吊下げてあるんです。それが夜の所だと見えて、どこもかしこも一面に靑くなつてゐました。その靑い中で――私はその人の泣きさうな顏をその靑い中で見たんです。あなただつて見れば、きつとかなしくなつたわ。眼に涙をためて、口を半分ばかりあいて……』
 さうしたら、呼笛が鳴つて、写眞が消えてしまつたんだ。あとは白い幕ばかりさ。お德の奴の文句が好い、――『みんな消えてしまつたんです。消えて儚くなりにけりか。どうせ何でもそうしたもんね。』
 これだけ聞くと、大に悟つてゐるらしいが、お德は泣き笑ひをしながら、僕にいや味でも云ふやうな調子で、かう云ふんだ。あいつは惡くすると君、ヒステリイだぜ。
 だが、ヒステリイにしても、いやに眞劍な所があつたつけ。事によると、寫眞に惚れたと云ふのは作り話で、ほんとうは誰か我々の連中に片恋をした事があるのかも知れない。
(二人の乘つてゐた電車は、この時、薄暮の新橋停車場へ着いた。) (六、九、十七)

で終わっている(引用は岩波版旧全集を用いた)。脱稿は本書簡に先立つ三日前の九月十七日であった(宮坂年譜による。発表は十月一日)。本作について、本作については龍之介は他にも『ボクは文章世界で實際脂をしぼられたよ へんてこなものを書いて責をふさいぢやつた いくら何でも一日半ぢや碌なものは書けない』(本書簡同日附松岡讓宛岩波版旧全集書簡番号三二四)とぼやいており、評者からも『落語のやうなつまらないもの』(『文章世界』大正八(一九一九)年四月号の石坂養平「芥川龍之助論」)、『芥川の文学特有の締りがない』(河出書房新社一九六四年刊の進藤純孝「芥川龍之介」)と不評である(引用は勉誠出版平成一二(二〇〇〇)年刊「芥川龍之介作品事典」より孫引き)。私は必ずしも、本作をつまらぬとは思わぬ。そうして――このエンディングこそが、龍之介が実は書きたかった核心であるように思われてならないのである。
「潦倒」「れうたう(りょうとう)」「らうたう(ろうとう)」と読み、老衰していること。やつれて元気のないこと。また、落魄れてみすぼらしいこと。惨めであることを言う。
「三生」前世・現世・後世(ごせ)の三世の意であるが、ここでは単に個人としての全人生の謂い。
「病骨」とあるが、実際に龍之介が病気になっていた事実はない。但し、この頃、龍之介はこの頃、海軍機関学校での教師生活に嫌気がさしており、専業作家になることを希望し始めていた。それは例えば、同月二十八日附の婚約者塚本文へ宛てた書簡(岩波版旧全集書簡番号三二八)などに明らかである(婚約者へ向けた言葉であるだけに経済的な意味でも重いものがある)。例えばそこには、

學校ばかりやつて、小説をやめたら、三年たたない中に死んでしまひますね 教へる事は大きらひです 生徒の顏を見ると うんざりするんだから仕方がありません その代り原稿用紙と本とインクといい煙草とあれば それで僕は成佛します 勿論その外に文ちやんがゐなくちや駄目ですよ

とあり、また最近、初対面の者がよく尋ねて来る、昨日も『工廠の活版工をして小説を書いてゐる人と 小説家志望のへんな女學生とがやつて來』たが、『彼等は唯世間で騷がれたさに 小説を書くん』であって『量見そのものが駄目な』んだ、

あんな連中に僕の小説がよまれるんだと思ふと實際悲觀してしまひます 僕はもう少し高等な精神的要求を充す爲に書いてゐるんですがね
もう十年か二十年したら さうしてこの調子でずつと進んで行けたら 最後にさうなる事を神がゆるしたら僕にも不朽の大作の一つ位は書けるかも知れません(が、又書けないかも知れません。何事もなるやうにしかならないのですから。)さう思ふと、體の隅々までに、恍惚たる悲壯の感激を感じます。世界を相手にして、一人で戰はうとする勇氣を感じます 況やさう云ふ時には、天下の成金なんぞ何百人一しよになつて來たつて びくともしやしません さう云ふ時が僕にとつて一番幸福な時ですね

私はこの注釈のために、この龍之介の文へのラブ・レターを手打ちしながら、すっかり本漢詩の孤高性を忘れ果てて、なんだか龍之介と文が、とても羨ましくなってきた。これを書いている/これを読んでいるそれぞれの二人の笑顔に――嫉妬する――と言い換えてもよい。因みに、このフィアンセへの手紙の最後は、

時々思ひ出して下さい さうしないと怒ります 頓首
とある。]

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