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2012/11/26

耳嚢 巻之五 痘瘡神といふ僞説の事

 痘瘡神といふ僞説の事

 

 世に疱瘡を病(やめ)る小兒、未前に物を察し或は間(あひだ)を隔(へだて)て尋來(たづねきた)る人を言當(いひあて)る故、疱瘡に神ありといふもむべ也と、予が許へ來る木村元長といへる小兒科に尋問(たづねと)ひしに、實(げ)に問ふ通りなれど、小兒熱に犯されて譫語(うはごと)をなすを、兒女子の聞(きく)所には神鬼あるに均(ひと)し、然れ共一般に熱計(ばかり)とも難申(まうしがたく)、狐狸妖獸の類、無心の小兒熱に精神を奪るゝに乘じぬるもあるらん。元長が療治せる靈岸嶋邊の小兒、其未前を察しなどする事神あるがことし。疱瘡の神ならんと家内の者抔尊崇なしけるが、或日このしろといへる魚と強飯(こはめし)を乞ひける故、醫師にも尋(たづね)その好む所を疑ひしが、心有る者右病人に對し、成程右商品は其乞ひに任すべし、さるにても御身はいづ方より來れる哉(や)と嚴敷(きびしく)尋ければ、我は狐也、食事に渇(かつ)して此(この)病人に附たり、右望叶(かなひ)なば早速立去(たちさ)らんと言ひし故、望(のぞみ)の品を與へければ、程なく狐さりしと見へて本性に成り、其後は順痘(じゆんとう)に肥立(ひだち)けると也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:関羽の神霊譚から、疱瘡神を騙った妖狐譚で連関。医師元長の語りは一見、現在の医学的見地からも正しい導入ながら、あれ? そっちへ行っちゃうの? と聊か意外な展開ではある。

・「疱瘡」高い致死率(約三〇%)を持つ天然痘。複数回既出。「耳嚢 巻之三 高利を借すもの殘忍なる事」などの注を参照されたいが、本話との関わりで附言すると、小児の場合、高熱による熱譫妄(せんもう)による意識障害が起こり、幻聴・幻覚・錯乱が現われ、不安・苦悶・精神運動の興奮が見られる。予後も、醜い痘痕(あばた)以外にも、脳症や失明・難聴などの重篤な後遺症が残ったりした。

「疱瘡神」疱瘡(天然痘)を擬神化した悪神で、疫病神の一種。以下、非常優れた民俗学的記述となっているウィキの「疱瘡神から、江戸時代までの部分を引用する(アラビア数字を漢数字に代え、一部の記号その他を省略・変更した)。『平安時代の『続日本紀』によれば、疱瘡は天平七年(七三五年)に朝鮮半島の新羅から伝わったとある。当時は外交を司る大宰府が九州の筑前国(現・福岡県)筑紫郡に置かれたため、外国人との接触が多いこの地が疱瘡の流行源となることが多く、大宰府に左遷された菅原道真や藤原広嗣らの御霊信仰とも関連づけられ、疱瘡は怨霊の祟りとも考えられた。近世には疱瘡が新羅から来たということから、三韓征伐の神として住吉大明神を祀ることで平癒を祈ったり、病状が軽く済むよう疱瘡神を祀ることも行われていた。寛政時代の古典『叢柱偶記』にも「本邦患痘家、必祭疱瘡神夫妻二位於堂、俗謂之裳神』(本邦にて痘を患ふ家、必ず疱瘡神夫妻二位を堂に祭り、俗に之れを裳神と謂ふ)『(我が国で疱瘡を患う家は、必ず疱瘡神夫妻二人を御堂に祭り、民間ではこれを裳神という、の意)」と記述がある』。『笠神、芋明神(いもみょうじん)などの別名でも呼ばれるが、これは疱瘡が激しい瘡蓋を生じることに由来する』。『かつて医学の発達していなかった時代には、根拠のない流言飛語も多く、疱瘡を擬人化するのみならず、実際に疱瘡神を目撃したという話も出回った。明治八年(一八七五年)には、本所で人力車に乗った少女がいつの間にか車上から消えており、あたかも後述する疱瘡神除けのように赤い物を身に付けていたため、それが疱瘡神だったという話が、当時の錦絵新聞「日新真事誌」に掲載されている』(リンク先に同絵あり)。『疱瘡神は犬や赤色を苦手とするという伝承があるため、「疱瘡神除け」として張子の犬人形を飾ったり、赤い御幣や赤一色で描いた鍾馗の絵をお守りにしたりするなどの風習を持つ地域も存在した。疱瘡を患った患者の周りには赤い品物を置き、未患の子供には赤い玩具、下着、置物を与えて疱瘡除けのまじないとする風習もあった。赤い物として、鯛に車を付けた「鯛車」という玩具や、猩々の人形も疱瘡神よけとして用いられた。疱瘡神除けに赤い物を用いるのは、疱瘡のときの赤い発疹は予後が良いということや、健康のシンボルである赤が病魔を払うという俗信に由来するほか、生き血を捧げて悪魔の怒りを解くという意味もあると考えられている。江戸時代には赤色だけで描いた「赤絵」と呼ばれるお守りもあり、絵柄には源為朝、鍾馗、金太郎、獅子舞、達磨など、子供の成育にかかわるものが多く描かれた。為朝が描かれたのは、かつて八丈島に配流された為朝が疱瘡神を抑えたことで島に疱瘡が流行しなかったという伝説にも由来する。「もて遊ぶ犬や達磨に荷も軽く湯の尾峠を楽に越えけり」といった和歌もが赤絵に書かれることもあったが、これは前述のように疱瘡神が犬を苦手とするという伝承に由来する』。『江戸時代の読本「椿説弓張月」においては、源為朝が八丈島から痘鬼(疱瘡神)を追い払った際、「二度とこの地には入らない、為朝の名を記した家にも入らない」という証書に痘鬼の手形を押させたという話があるため、この手形の貼り紙も疱瘡除けとして家の門口に貼られた。浮世絵師・月岡芳年による「新形三十六怪撰」に「為朝の武威痘鬼神を退く図」と題し、為朝が疱瘡神を追い払っている画があるが、これは疱瘡を患った子を持つ親たちの、強い為朝に疱瘡神を倒してほしいという願望を表現したものと見られている』(リンク先に同画あり)。『貼り紙の事例としては「子供不在」と書かれた紙の例もあるが、これは子供が疱瘡を患いやすかったことから「ここには子供はいないので他の家へ行ってくれ」と疱瘡神へアピールしていたものとされる』。『疱瘡は伝染病であり、発病すれば個人のみならず周囲にも蔓延する恐れがあるため、単に物を飾るだけでなく、土地の人々が総出で疱瘡神を鎮めて外へ送り出す「疱瘡神送り」と呼ばれる行事も、各地で盛んに行われた。鐘や太鼓や笛を奏でながら村中を練り歩く「疱瘡囃子」「疱瘡踊り」を行う土地も多かった』。『また、地方によっては疱瘡神を悪神と見なさず、疱瘡のことを人間の悪い要素を体外に追い出す通過儀礼とし、疱瘡神はそれを助ける神とする信仰もあった。この例として新潟県中頚城郡では、子供が疱瘡にかかると藁や笹でサンバイシというものを作り、発病の一週間後にそれを子供の頭に乗せ、母親が「疱瘡の神さんご苦労さんでした」と唱えながらお湯をかける「ハライ」という風習があった』。『医学の発達していない時代においては、人々は病気の原因とされる疫病神や悪を祀り上げることで、病状が軽く済むように祈ることも多く、疱瘡神に対しても同様の信仰があった。疱瘡神には特定の祭神はなく、自然石や石の祠に「疱瘡神」と刻んで疱瘡神塔とすることが多かった。疫病神は異境から入り込むと考えられたため、これらの塔は村の入口、神社の境内などに祀られた。これらは前述のような疱瘡神送りを行う場所ともなった』。『昔の沖縄では痘瘡のことをチュラガサ(清ら瘡)といい、痘瘡神のご機嫌をとることに専念した。病人には赤い着物を着せ、男たちは夜中、歌・三線を奏で痘瘡神をほめたたえ、その怒りをやわらげようと夜伽をした。地域によっては蘭の花を飾ったり、加羅を焚いたり、獅子舞をくりだした。また、琉歌の分類の中に疱瘡歌があり、これは疱瘡神を賛美し、祈願することで天然痘が軽くすむこと、治癒を歌った歌である。形式的には琉歌形式であるが、その発想は呪術的心性といえよう』。『幕末期に種痘が実施された際には、外来による新たな予防医療を人々に認知させるため、「牛痘児」と呼ばれる子供が牛の背に乗って疱瘡神を退治する様が引札に描かれ、牛痘による種痘の効果のアピールが行われた』。

・「このしろ」条鰭綱新鰭亜綱ニシン上目ニシン目ニシン亜目ニシン科ドロクイ亜科コノシロ Konosirus punctatus。所謂、酢漬けの寿司種のコハダのことであるが、寿司では体長十センチメートル以下の稚魚若魚を限定して「こはだ(小鰭)」と呼ぶ。成魚は塩焼きや唐揚げ・刺身などにして食用とはなるが、小骨が多く傷みも早く、焼くと独特の臭みが出るため、成魚は町の魚屋などでは流通しない。この臭いは人を焼く臭いに似るとか、武家が「此城(このしろ)を食ふ」として忌んだという伝承などの考証は私の電子テクスト寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚」の「鰶 このしろ」の注で詳しく検証しているので、興味のある方は是非、参照されたい。

・「強飯」御強(おこわ)。糯米を蒸した米飯のこと。現在は強飯の一種である赤飯を指す語として定着した感があるが、これは狭義の呼称である。前の「このしろ」とともに狐の好物とされ、稲荷に供された。

・「順痘」疱瘡の軽症のものをいう。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 疱瘡神という偽説の事

 

 世間では、

――疱瘡を病んだ小児が、未然に起る出来事を察知致いたり――これから先、尋ねて来る人を言い当てるということがある――疱瘡の神と申すものがあると言うは――これ尤もなることじゃ――

なんどと流言致いておるが、これに附き、私の元へしばしば来たる木村元長と申す小児科医に訪ねてみたところ、

「……たしかに、そのように言い触らされては御座いまするな。……まあ、小児が熱に冒されて譫言(うわごと)をなすを、女子供が聴いたり致さば、これ、神鬼の在ると早合点致すは必定。……なれど……これ、一般に熱のせいばかりとも、言い切れませぬぞ……はい……これ、狐狸妖獣の類いが――頑是ない小児の、熱に精神を奪われて御座るに乗じ――とり憑く――といった例(ためし)も、これ、御座るようにて……」

と、以下のような体験を語って御座った。

 

……我らが療治致いた霊岸島辺りの、とある小児、言わるるように、未然にいろいろと、これから起こる物事を言い当てたりすることなんどが、これ、御座って、その様は、いや、まさに、何やらん神のなせる業(わざ)のようにも見えて御座いました。

 されば、

「これはもう、疱瘡の神に間違いなし!」

と、家内の者一同、真っ赤になって魘(うな)されておる子(こお)に向かって手を合わせては、これ、崇め奉って御座ったので御座るが、とある日、その子(こお)が、

「……コノシロト申ス魚ト……強飯(こわめし)ガ……欲シイ……」

と申しましたそうな。

 家内の者より、かく申しておる由、連絡が御座ったによって、我らも、

「……そのようなものを――これは疱瘡の患者の――それも子供の望むものとも、これ、思われぬ……いっかな、不審なことじゃ。……」

と答えておきましたところ、家人もまた、同様に不審に思うたので御座いましょう、何やらん、ピンときた家内のある者、これ、かの病人に向かって、

「……なるほど……その二品、乞うと申さば、これ、任せんとぞ思う……思うが……それにしても……御身はッ! 何方(いずかた)より来たったかッ?!!――」

と、厳しく詰問致いたところが、

「……ワレハ狐ジャ……食事ニ渇(かっ)シテ……コノ病人ニ憑イタジャ……我ラガ望ミ、こコレ、叶(かの)ウテ呉リョウタナラバ……早速(すぐ)ニデモ……立チ去ロウゾ……」

と申した故、直ぐ、望みの二品を小児に食べさせたところ、ほどなく、この狐は去ったと見えて、小児は正気に返り、その後は疱瘡も軽快致いて、日増しにみるみる恢復致いて御座いました、はい……

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