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2012/11/06

北條九代記 賴朝腰越に出づる 付榎嶋辨才天

      〇賴朝腰越に出づる 付榎嶋辨才天

同四月五日賴朝逍遙の御爲に腰越の濱に出で給ふ。北條、畠山、土肥、結城以下の御供なり。是より榎嶋(えのしま)に赴き給ふ。高雄の文覺上人此所に辨才天を勧請して賴朝の武運を祈られける。始て供養の法を行はるゝ故に依つて、今日鳥居を立てられけり。是潛(ひそか)には奥州の鎭守府將軍藤原秀衡を調伏の爲なり。抑辨才天と申すは龍宮城の主として、三世諸佛轉法輪(てんぽふりん)利生化導(けだう)の辨才なり。教法(げうぽふ)既に閻浮提(えんぶだい)に滅盡の時この大辨才龍宮にをさまるといへり。又その跡を尋ぬれば、四王天三十二將の随一として魔軍を退け、佛法を守護し、修學信仰の輩には大福德を與へ給ふ。所持の寶珠(はうじゆ)はこの故なり。又この嶋の有樣陸(くが)を距(き)る事數町にして、舟を渡して、至る所に數十の小屋ありて、漁人(すなどり)の栖(すみか)とす。嶋の西南に窟(いはや)あり。海水浪をあげて是を浸し、潮汐湛(たたへ)て漣漪(れんき)たる事池の如し。窟の内は石壁數丈なり。入る事數歩にして仰瞻(あふぎみ)れば、只岌々(きふきふ)として高く見ゆ。嶋神の小祠(こやしろ)あり。鳩常に栖とす。道暗くして進難(すゝみがた)し。松明(たいまつ)を燃(とも)して、深く入るに、水濕ひて煖(あたゝか)なり。昔役(えんの)行者伊豆の大嶋に流されし時、この窟に出入し給ふ。是より一町計にして其より末は行盡(ゆきつくし)難く、誠に龍神の行き通ふ所、殆(ほとんど)類(たぐひ)なき淸境なり。當來の出世に方(あたつ)て、三會(え)説法の辨才はこの嶋より現るべし。大辨才天の神力(じんりき)は人の信ずるに從(したがつ)て、福智威勢今世後生総て二世の悉地(しつぢ)を得る自在慈悲の妙用誰人か信ぜざらん。賴朝は金洗坂(かねあらひざか)の邊にして牛追物(うしおふもの)を御覽じて、それより御館(みたち)に歸り給ふ。

[やぶちゃん注:「榎嶋」江の島。

「辨才天」弁才天は仏教の守護神である天部の一つ。ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー(Sarasvatī)が、仏教あるいは神道に取り込まれた呼び名。以下、ウィキの「弁財天」より引用する(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更、注記記号を省略した)。『経典に準拠した漢字表記は本来「弁才天」だが、日本では後に財宝神としての性格が付与され、「才」が「財」の音に通じることから「弁財天」と表記する場合も多い』。『本来、仏教の尊格であるが、日本では神道の神とも見なされ「七福神」の一員として宝船に乗り、縁起物にもなっている。仏教においては、妙音菩薩(みょうおんぼさつ)と同一視されることがある』。『また、日本神話に登場する宗像三女神の一柱である、市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視されることも多く、古くから弁才天を祭っていた社では明治以降、宗像三女神または市杵嶋姫命を祭っているところが多い』。『「サラスヴァティー」の漢訳は「辯才天」であるが、既述の理由により日本ではのちに「辨財天」とも書かれるようになった。「辯」と「辨」とは音は同じであるが、異なる意味を持つ漢字であり、「辯才(言語・才能)」「辨財(財産をおさめる)」を「辯財」「辨才」で代用することはできない。戦後、当用漢字の制定により「辯」と「辨」は共に「弁」に統合されたので、現在は「弁才天」または「弁財天」と書くのが一般的である』。『原語の「サラスヴァティー」は聖なる河の名を表すサンスクリット語である。元来、古代インドの河神であるが、河の流れる音や河畔の祭祀での賛歌から、言葉を司る女神ヴァーチェと同一視され、音楽神、福徳神、学芸神、戦勝神など幅広い性格をもつに至った。像容は八臂像と二臂像の二つに大別される。八臂像は「金光明最勝王経」「大弁才天女品(ほん)」の所説によるもので、八本の手には、弓、矢、刀、矛(ほこ)、斧、長杵、鉄輪、羂索(けんさく・投げ縄)を持つと説かれる。その全てが武器に類するものである。同経典では弁才・知恵の神としての性格が多く説かれているが、その像容は戦神としての姿が強調されている』。『一方、二臂像は琵琶を抱え、バチを持って奏する音楽神の形をとっている。密教で用いる両界曼荼羅のうちの胎蔵曼荼羅中にその姿が見え、「大日経」では、妙音天、美音天と呼ばれる。元のサラスヴァティーにより近い姿である。ただし、胎蔵曼荼羅中に見える二臂像は、後世日本で広く信仰された天女形ではなく、菩薩形の像である』。『日本での弁才天信仰は既に奈良時代に始まっており、東大寺法華堂(三月堂)安置の八臂の立像(塑像)は、破損甚大ながら、日本最古の尊像として貴重である。その後、平安時代には弁才天の作例はほとんど知られず、鎌倉時代の作例もごく少数である』。『京都市・白雲神社の弁才天像(二臂の坐像)は、胎蔵曼荼羅に見えるのと同じく菩薩形で、琵琶を演奏する形の珍しい像である。この像は琵琶の名手として知られた太政大臣・藤原師長が信仰していた像と言われ、様式的にも鎌倉時代初期のもので、日本における二臂弁才天の最古例と見なされている。同時代の作例としては他に大阪府・高貴寺像(二臂坐像)や、文永三年(一二六六年)の銘がある鎌倉市・鶴岡八幡宮像(二臂坐像)が知られる。近世以降の作例は、八臂の坐像、二臂の琵琶弾奏像共に多く見られる』。以下、「習合」について。『中世以降、弁才天は宇賀神(出自不明の蛇神、日本の神とも外来の神とも)と習合して、頭上に翁面蛇体の宇賀神像をいただく姿の、宇賀弁才天(宇賀神将・宇賀神王とも呼ばれる)が広く信仰されるようになる。弁才天の化身は蛇や龍とされるが、その所説はインド・中国の経典には見られず、それが説かれているのは、日本で撰述された宇賀弁才天の偽経においてである』。『宇賀弁才天は八臂像の作例が多く、その持物は「金光明経」の八臂弁才天が全て武器であるのに対し、新たに「宝珠」と「鍵」(宝蔵の鍵とされる)が加えられ、福徳神・財宝神としての性格がより強くなっている』。『弁才天には「十五童子」が眷属として従うが、これも宇賀弁才天の偽経に依るもので、「一日より十五日に至り、日々宇賀神に給使して衆生に福智を与える」と説かれ、平安風童子の角髪(みずら)に結った姿をとる。十六童子とされる場合もある』。以下、近世の信仰についてが記されているが、江島神社が記載に現われ、また、本書を書き読んだ人々の意識の中の弁天信仰を考える上では必要であるので、やはり引用しておきたい。『近世になると「七福神」の一員としても信仰されるようになる。中世において、大黒天・毘沙門天・弁才天の三尊が合一した三面大黒天の像を祀った記録があり、大黒・恵比寿の並祀と共に、七福神の基になったと見られて』おり、『また、元来インドの河神であることから、日本でも、水辺、島、池、泉など水に深い関係のある場所に祀られることが多く、弁天島や弁天池と名付けられた場所が数多くある。そのため弁才天は、日本土着の水神や、記紀神話の代表的な海上神である市杵嶋姫命(宗像三女神)と神仏習合して、神社の祭神として祀られることが多くなった』。『「日本三大弁才天」と称される、竹生島・宝厳寺、宮島・大願寺、天川村・天河大弁財天社は、いずれも海や湖や川などの水に関係している(いずれの社寺を三大弁才天と見なすかについては異説があり、その他には、江ノ島・江島神社などがある)』。『弁天信仰の広がりと共に各地に弁才天を祀る社が建てられたが、神道色の強かった弁天社は、明治の神仏分離の際に多くは神社となった。元々弁才天を祭神としていたが現在は市杵嶋姫命として祀る神社としては、奈良県の天河大弁財天社などがある。神奈川県の江島神社は主祭神を宗像三女神に改め、弁才天は摂社で祀られる』。『弁才天は財宝神としての性格を持つようになると、「才」の音が「財」に通じることから「弁財天」と書かれることが多くなった。鎌倉市の銭洗弁財天宇賀福神社はその典型的な例で、同神社境内奥の洞窟内の湧き水で持参した銭を洗うと、数倍になって返ってくるという信仰が』生じ、『近世以降の弁才天信仰は、仏教、神道、民間信仰が混交して、複雑な様相を示している』とある。ここで「北條九代記」の作者は、弁才天の持ち物のうち、「寶珠」に着目して語っており、これは以上の記載から、中世以降の八臂の宇賀弁才天像をイメージしており、現世利益の福財信仰としての視点が強く働いている(読者も同様であることを確信犯として)ことが看取出来る。

 

「同四月五日」文脈からは「同」は前段冒頭の治承五(一一八一)年となり、誤り。これは養和二(一一八二)年(五月二十七日に寿永に改元)の出来事である(従って前段の後半からは遡った内容となる)。この冒頭部分と末尾は「吾妻鏡」の四月五日の条に基づく。以下に示す。

〇原文

五日乙巳。武衞令出腰越邊江嶋給。足利冠者。北條殿。新田冠者。畠山次郎。下河邊庄司。同四郎。結城七郎。上総權介。足立右馬允。土肥次郎。宇佐美平次。佐々木太郎。同三郎。和田小太郎。三浦十郎。佐野太郎等候御共。是高雄文學上人。爲祈武衞御願。奉勸請大辨才天於此嶋。始行供養法之間。故以令監臨給。密議。此事爲調伏鎭守府將軍藤原秀衡也云々。今日即被立鳥居。其後令還給。於金洗澤邊。有牛追物。下河邊庄司。和田小太郎。小山田三郎。愛甲三郎等。依有箭員。各賜色皮紺絹等。

〇やぶちゃんの書き下し文

五日乙巳。武衞、腰越邊江嶋に出でしめ給ふ。足利冠者・北條殿・新田冠者・畠山次郎・下河邊庄司・同四郎・結城七郎・上総權介・足立右馬允・土肥次郎・宇佐美平次・佐々木太郎・同三郎・和田小太郎・三浦十郎・佐野太郎等、御共に候ず。是れ、高雄の文學(もんがく)上人、武衞の御願を祈らんが爲、大辨才天を此の嶋に勸請し奉り、供養の法を始め行ふの間、故に以て監臨せしめ給ふ。密議なり。此の事、鎭守府將軍藤原秀衡を調伏をせんが爲なりと云々。今日、即ち鳥居を立てられ、其の後、還らしめ給ふ。金洗澤邊に於いて牛追物有り。下河邊庄司・和田小太郎・小山田三郎、愛甲三郎等、箭員(やかず)有るに依りて、各々色皮(いろがは)・紺絹(こんきぬ)等を賜る。

・最初の「御共」の内の名が挙がる十六名の人物を順に以下に正字で示しておく。

足利義兼・北條時政・新田義重・畠山重忠・下河邊行平・下河邊政義・結城朝光・上総廣常・足立遠元・土肥實平・宇佐美實政・佐々木定綱・佐々木盛綱・和田義盛・三浦義連・佐野基綱

・「文學上人」頼朝に決起を促した文覺は、こうも書く。

・「金洗澤」七里ヶ浜の行合川の西。「新編鎌倉志卷之六」には『此所ろにて昔し金を掘りたる故に名く』とする。「金」とあるが、恐らくは稲村ヶ崎から七里ヶ浜一帯で採取される砂鉄の精錬を行った場所と考えられる。本「北條九代記」の「金洗坂」は「澤」の誤りである。

・「牛追物」鎌倉期に流行した騎射による弓術の一つ。馬上から柵内に放した小牛を追いながら、蟇目・神頭(じんどう:鏑に良く似た鈍体であるが、鏑と異なり中空ではなく、鏑よりも小さい紡錘形又は円錐形の先端を持つ、射当てる対象を傷を付けない矢のこと。材質も一様ではなく、古くは乾燥させた海藻の根などが使われたというから、時代的にも場所的にも、ここではこの矢が如何にもふさわしい)などの矢で射る武芸。

・牛追物の名の挙がる四名の射手を順に以下に正字で示す。

下河邊行平・和田義盛・小山田重成・愛甲三郎季隆

・「箭員有るに依りて」牛に的中した矢数が多かったので。

・「色皮・紺絹」色染めをした皮革や藍染めの絹。

 

「三世諸仏」過去・現在・未来の三世に亙って存在する一切の仏。

「転法輪」仏の教法を説くこと。真の仏法が誤った考えや煩悩を悉く破砕することを、転輪聖王(てんりんじょうおう:古代インドの理想の王を指す概念語。)が輪宝(りんぽう:剣を輪の円周上から八方に向けて出した古代インドの武具)によって敵を降伏させたことに譬えて言う。

「利生」「利益(りやく)衆生」の意。仏・菩薩が衆生に利益を与えること。また、その利益。

「化導」衆生を教化(きょうげ)して善に導くこと。

「教法既に閻浮提に滅盡の時この大辨才龍宮にをさまるといへり」の「閻浮提」は仏教でいう人間が住むところの全世界のことであるから、これは末法思想に基づく謂いと考えられ、真の仏法の教え「教」は存在しても、「行」と「信」が行われなくなった末法にあっては、この弁財天は龍宮に隠れてしまうと言われている、の謂いであろう。仏法が尽き滅びる訳ではない。

「四王天三十二將」仏の守護神である四王天(持国天・増長天・広目天・多聞天)配下の護法善神である天部の弁才天・大黒天・吉祥天・韋駄天・摩利支天・歓喜天・金剛力士・鬼子母神・十二神将・十二天(帝釈天・火天・焔魔天・羅刹天・水天・風天・毘沙門天・伊舎那(いざな)天・梵天・地天・日天・月(がっ)天)てん・八部衆(天衆・龍衆・夜叉衆・乾闥婆(けんだつば)衆・阿修羅衆・迦楼羅(かるら)衆・緊那羅(きんなが)衆・摩睺羅伽(まこらが)衆)・二十八部衆(密迹(みっしゃく)金剛力士・那羅延(ならえん)堅固王・東方天・毘楼勒叉(びるろくしゃ)天・毘楼博叉(びるばくしゃ)天・毘沙門天・梵天・帝釈天・婆迦羅(ひばから)王・五部浄居(ごぶじょうご)天・沙羯羅(しゃがら)王・阿修羅王乾闥婆王・迦楼羅王・緊那羅(きんなら)王・摩侯羅(まごら)王・金大(こんだい)王・満仙王・金毘羅王・満善車王・金色孔雀(こんじきくじゃく)王・大弁功徳天・神母(じんも)天・散脂(さんし)大将・難陀(なんだ)龍王・摩醯首羅(まけいしゅら)王・婆藪(ばす)仙人・摩和羅女(まわらにょ))などを指す。これらには重複する神名が含まれており、三十二の名数は調べては見たがよく分からない。弁財天から十二天までならば丁度、三十二にはなる。

・「距(さ)る」本来なら「へだつ」と訓ずるところだが、「去る」当て読みしている。

・「數町」一町は約一〇九メートル。現在の地図で計測すると国道一三四号線の江ノ島入口から江ノ島大橋を渡り切ったところで凡そ六三五メートルあるが、当時の陸側の南端はもう少し内陸にあったと考えられるから、七〇〇メートル前後で、「數町」(数百メートル)という表現は妥当と言える。

「漣漪」さざ波が立つさま。

「數丈」一丈は約三メートル。いろいろ調べたが、現在の資料には御岩屋の内部の高さを記したものがない。私のブログ「鎌倉江の島名所カード 江ノ島・御岩屋」に掲載した写真から推測すると、開口部でも六メートル近くあり、海食洞の内部の手前はもっと抉れているから海面からは一〇前後はあろうか。当時とはかなり内部の様子が違うとは思うが、暗闇でもあるから「數丈」にはやや誇張が感じられはするが、不自然とは言い難い。なお、この写真は第一岩屋と思われる。因みに本記載とは余り比較にならないが、整備された現在の奥行きは第一岩屋が一五二メートル、第二岩屋が一一二メートルある。更に付け加えておくと、大正一二(一九二二)年九月一日の関東大震災で江の島付近は六〇センチメートルから一メートルほど隆起している。

「岌々」高いさま、また、危ういさまをも言う。

「役行者伊豆の大嶋に流されし時」飛鳥から奈良初期の修験道の開祖役小角(えんのおづぬ 舒明天皇六(六三四)年?~大宝元(七〇一)年?)の伝承には『ある時、葛木山と金峯山の間に石橋を架けようと思い立ち、諸国の神々を動員してこれを実現しようとした。しかし、葛木山にいる神一言主は、自らの醜悪な姿を気にして夜間しか働かなかった。そこで役行者は一言主を神であるにも関わらず、折檻して責め立てた。すると、それに耐えかねた一言主は、天皇に役行者が謀叛を企んでいると讒訴したため、役行者は彼の母親を人質にした朝廷によって捕縛され、伊豆大島へと流刑になった。こうして、架橋は沙汰やみにな』ったが、『役行者は、流刑先の伊豆大島から、毎晩海上を歩いて富士山へと登っていったとも言われ』ている(引用はウィキ角」に拠る)。

「當來の出世に方て、三會説法の辨才はこの嶋より現るべし」の「當來の出世」とは、現在、兜率天で修行をしている弥勒菩薩が、釋迦入滅後の五十六億七千万年後の未来に如来となって姿を現すことを指す。「三會説法」はその弥勒菩薩が人間界に下った後、龍華樹(りゅうげじゅ:高さ広さがそれぞれ四〇里あって、枝は竜が百宝の花を吐くかのようであるとされる想像上の木。)の下で悟りを開き、衆生のために三度にわたって説くとされる説法の会座(えざ)。龍華三会とも言う。「辨才」とは先の弁財天の説明に現われたところの説法の「辯才」(言語・才能)を具現化したものが弁財天であるという謂いであろう。即ちここは、「末法の末の未来に降臨する弥勒菩薩の出現に合わせて行われるところの、一切の衆生を済度するための龍華三会で、その言説や才を発揮して中心的役割を果たすところの、弁財天は、ここ江の島から出現するであろう、というのである。この後の叙述から見ても筆者は強い弁財天信仰を持っていたと断言出来る。

「二世」「今世」と「後生」、現世と来世。

「悉地」梵語“Siddhi”の音写。成就の意。真言の秘法を修めて成就したところの悟りを言う。]

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