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2012/11/28

北條九代記 賴朝卿奥入付泰衡滅亡 パート8〈泰衡斬られ〉 了

出羽國も破られて、田川、秋田討たれたり。大將泰衡は玉造郡に赴き平泉の館(たち)に歸りしかども、宗徒(むねと)の郎等悉く討ほされて叶ふべくもあらざりければ、火を掛け、一片の烟と燒上(やきあ)げ、跡を暗(くらま)して逃亡す。哀なるかな、平泉の館は淸衡より以來(このかた)、三代の舊跡として桂の柱・杏(からもゝ)の梁(うつばり)・麗水(りすゐ)の金(こがね)を鏤(ゑ)り、昆山(こんざん)の玉をちりばめ、作磨(つくりみが)きし館舍なるに、姑蘇城(こそじやう)一片の煙に和し、咸陽宮(かんやうきう)三月の火に化しける運命の程こそ悲しけれ。賴朝、諸方に軍兵を遣して尋搜(たづねさが)さるる所に、泰衡、一旦の命を助からんとて夷嶋(えぞがしま)に赴き、厨河(くりやあがは)の邊に忍行(しのびゆ)きけるを、譜代の郎等河田次郎、忽に舊好(きうこう)の恩を忘れ、泰衡を討(うつ)て、首を賴朝に奉り、 降人に出たり。主君を殺す八虐人をみせしめの爲にとて、河田が首を刎(は)ね、出羽、奥州を治めて、鎌倉に歸陣あり。

[やぶちゃん注:〈泰時斬られ〉

冒頭は「吾妻鏡」文治五(一一八九)年八月十三日の条に基づく。

〇原文

十三日庚子。比企藤四郎。宇佐美平次等。打入出羽國。泰衡郎從田河太郎行文。秋田三郎致文等梟首云々。今日。二品令休息于多賀國府給。

〇やぶちゃんの書き下し文

十三日庚子。比企藤四郎・宇佐美平次等、出羽國へ打ち入る。泰衡が郎從の田河太郎行文、秋田三郎致文等を梟首すと云々。

今日。二品、多賀國府に休息せしめ給ふ。

「杏(からもゝ)」バラ目バラ科サクラ亜科サクラ属アンズ Prunus armeniaca

「麗水の金を鏤り、昆山の玉をちりばめ」宋代の僧文瑩の「湘山野録」にある「崑山出玉」及び「麗水生金」に基づく故事成句を下敷きとする。「崑山」は中国西方の伝説上の霊山で西王母の居所で美玉の産地と言われた崑崙山、「麗水」は湖北省にある川名前で砂金を産することで知られたが、これは「崑山、玉を出だし、麗水、金を生ず」で、優れた家系や立派な親からは立派な人物や子が生まれることの譬えであり、ここは失われた藤原三代の栄枯盛衰の懐旧の情を詠んでいるのである。

「姑蘇城一片の煙に和し、咸陽宮三月の火に化しける」「姑蘇城」呉王夫差の居城。越王勾践による復讐戦で焼け落ちた。「咸陽宮」戦国時代に秦の孝公が咸陽に建てた壮大な宮殿。後に始皇帝が宮廷として荘厳美麗なる要塞であったが、項羽によって焼き払われた。その火は三ヶ月に渡って燃え続けたと伝えられる。

「泰衡一旦の命を助からんとて夷嶋に赴き……降人に出たり。」ここは、「吾妻鏡」の文治五(一一八九)年九月三日の条に基づく。

〇原文

三日庚申。泰衡被圍數千軍兵。爲遁一旦命害。隱如鼠。退似鶃。差夷狄嶋。赴糠部郡。此間。相恃數代郎從河田次郎。到于肥内郡贄柵之處。河田忽變年來之舊好。令郎從等相圍泰衡梟首。爲献此頚於二品。揚鞭參向云々。

 陸奥押領使藤原朝臣泰衡。〔年卅五〕

 鎭守府將軍兼陸奥守秀衡次男。母前民部小輔藤原基成女

 文治三年十月。繼於父遺跡爲出羽陸奥押領使管領六郡

〇やぶちゃんの書き下し文

三日庚申。泰衡、數千の軍兵に圍まれ、一旦の命害(みやうがい)を遁(のが)れんが爲、隱るること鼠のごとく、退くこと、鶃(げき)に似たり。夷狄(えぞ)が嶋を差して糠部郡(ぬかのぶのこほり)へ赴く。此の間、數代(すだい)の郎從河田次郎を相ひ恃(たの)み。肥内郡贄柵(ひないのこほりにへのさく)に到るの處、河田、忽ち年來の舊好を變じ、郎從等をして泰衡を相ひ圍ましめ、梟首せしむ。此の頸を二品に献ぜんが爲、鞭を揚げ參向すと云々。

 陸奥押領使藤原朝臣泰衡〔年卅五。〕。

 鎭守府將軍兼陸奥守秀衡が次男、母は前民部小輔藤原基成が女。

 文治三年十月、父の遺跡を繼ぎ、出羽・陸奥の押領使として六郡を管領す。

・「鶃」国史大系版では(へん)と(つくり)が左右逆転しているが、これが本字。水鳥の一種とする。「博物志」には『雌雄相視則孕』(雌雄、相ひ視れば則ち孕む)などとあるから想像上の妖鳥かとも思われるが、この字には単に、鳥の子・幼鳥の意味があるから、ここはそれであろう。

・「糠部郡」かつて陸奥国にあった旧糠部郡(ぬかのぶぐん)。現在の青森県東部から岩手県北部にかけて広がっていた広大な地域を指す。

・「肥内郡贄柵」現在の大館市比内町に比定されている。

 

「主君を殺す八虐人をみせしめの爲にとて、河田が首を刎ね」ここは、「吾妻鏡」の文治五(一一八九)年九月六日の条に基づく。

〇原文

六日癸亥。河田次郎持主人泰衡之頸。參陣岡。令景時奉之。以義盛。重忠。被加實檢上。召囚人赤田次郎。被見之處。泰衡頸之條。申無異儀之由。仍被預此頸於義盛。亦以景時。被仰含河田云。汝之所爲。一旦雖似有功。獲泰衡之條。自元在掌中之上者。非可假他武略。而忘譜第恩。梟主人首。科已招八虐之間。依難抽賞。爲令懲後輩。所賜身暇也者。則預朝光。被行斬罪云々。其後。被懸泰衡首。康平五年九月。入道將軍家賴義獲貞任頸之時。爲横山野大夫經兼之奉。以門客貞兼。請取件首。令郎從惟仲懸之。〔以長八寸鐵釘。打付之云々。〕追件例。仰經兼曾孫小權守時廣。時廣以子息時兼。自景時手。令請取泰衡之首。召出郎從惟仲後胤七太廣綱令懸之。〔釘同彼時例云々。〕

〇やぶちゃんの書き下し文

六日癸亥。河田次郎、主人泰衡の頸を持ち、陣岡(じんがおか)に參じ、景時をして之を奉らしむ。義盛、重忠を以て、實檢を加へ被るの上、囚人赤田次郎を召し、見らるるの處、泰衡が頸の條、異儀無きの由を申す。仍つて此の頸を義盛に預け被る。亦、景時を以つて、河田に仰せ含められて云はく、「汝が所爲(しよゐ)、一旦功有るに似たりと雖も、泰衡を獲(う)るの條、元より掌中に在るの上は、他の武略を假(か)るべきに非ず。而るに譜第の恩を忘れ、主人の首を梟(けう)す、科(とが)、已に八虐を招くの間、抽賞(ちうしやう)し難きに依つて、後の輩を懲らしめんが爲に、身の暇(いとま)を賜る所なり。」てへれば、則ち朝光に預け、斬罪に行はると云々。

其の後、泰衡が首を懸けらる。康平五年九月、入道將軍家賴義、貞任の頸を獲(う)るの時、横山野大夫經兼が奉(うけたまは)りとして、門客貞兼を以つて、件の首を請け取り、郎從惟仲、之を懸けしむ。〔長八寸の鐵釘を以つて、之を打ち付くと云々。〕件の例を追ひて、經兼が曾孫小權守時廣に仰す。時廣が子息時兼を以つて、景時が手より、泰衡の首を請け取らしめ、郎從惟仲が後胤、七太廣綱を召し出して、之を懸けしむ。〔釘、彼の時の例に同じと云々。〕

・「八寸」約二十四センチメートル強。

 

「鎌倉に歸陣あり」頼朝の鎌倉帰着は「吾妻鏡」によれば文治五(一一八九)年九月二十八日である。但し、次の「無量光院の僧詠歌」には帰鎌以前の奥州での検分の内容が混入している。]

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