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2012/11/08

カテゴリ「一言芳談」始動/ 一

十七年前に始めて読み、そのぶっとんだ内容にすっかりノック・アウトされた。
最初は、如何にもな退屈なものに見えるかもしれない――しかし、暫くお付き合い戴ければ、この面白さが分かって戴けるであろうと存ずる。
因みに如何に示した『死のエピグラム 「一言芳談」を読む』の冒頭では、かの吉本隆明が『日本の古典のなかで「一言芳談」は五本の指にはいるくらい好きだ』とのたまい、『「一言芳談」は悪の世界の豊饒さを示す語録』と規定し、『「一言芳談」の世界を想像すると、天空の一面に「疾く死なばや」という死への願望がとびかって交響し、いかにして死に近づこうとして身もだえしながら、血縁に対する親和を捨て、きずなを捨てることからはじまって、あらゆる所有をぬぎすてながら、最後には現世の衣食住を離れて、山野に隠れてゆく人の群れが浮んでくる』と語っている。――臓器移植に反対する彼らしい物謂いである。――僕は献体しているが、それは母の様な医学の進歩に供するためではない。僕はただ葬式も墓も拒否するからである。――また最後に申し添えておくなら、僕は「一言芳談」は大好きだが……吉本隆明は大嫌いである……



一言芳談 ――藪野直史標注校訂「一言芳談」――

[やぶちゃん注:「一言芳談(いちごんほうだん)」は編者は不明ながら、法然門下の浄土僧明遍(康治元(一一四二)年~貞応三(一二二四)年:父藤原信西。号は空阿弥陀仏)系譜に属する僧によって書かれたとも推定される、鎌倉後期に成立した仏教書。敬仏・法然・明禅ら三十余人の念仏聖の言行を伝える法語一五三条を集めたもので、無常の認識と現世の徹底否定を説くその内容から中世仮名法語の代表とされる。「徒然草」第九十八段に、
尊きひじりの言ひ置きける事を書きつけて、一言芳談(いちごんはうだん)とかや名づけたる草子を見はべりしに、心にあひて覺おぼえしことども。
 一、 しやせまし、せずやあらましと思ふ事は、おほやう、せぬはよきなり。
 一、 後世(ごせ)を思はん者は、糂汰瓶(じんだがめ)一つも持つまじきことなり。持經・本尊に至いたるまで、よきものを持つまじきなり。
 一、 遁世者は、なきにことかけぬやうをはかひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。
 一、 上﨟は下﨟になり、智者は愚者になり、德人(とくにん)は貧になり、能ある人は無能になるべきなり。
 一、 仏道を願ふといふは、別(べち)の事なし。暇ある身になりて、世のことを心にかけぬを、第一の道とす。
このほかもありしことども、おぼえず。
と引用されていることで知られる。
 ところが「一言芳談」は現代では永く善本が出版されず、その全容は人口に膾炙しているとは言い難い。
 そこで今回の私の電子テクスト化はまず、元禄二(一六八九)年板行の、京師の小川報恩寺の僧湛澄の纂輯に成る「標注増補一言芳談抄」を底本とした
Ⅰ 岩波文庫昭和一五(一九四一)年刊森下二郎校訂「標注 一言芳談抄」(正字正仮名版)に所載する標注を含めて参考とした
が、本書の標注は森下氏によって取捨選択されており総てではない。また、貞享五(一六八八)年刊書林西村市良右衛門蔵板「一言芳談句解」の一部も混入している。本テクスト中の「句解」とあるのがそれで、この「一言芳談句解」は祖観元師による本書注釈書の濫觴であり、貞享三(一六八六)年に洛外で起稿されたものである(従ってこれらの「註」を電子化することは、採らなかったものがある点及び「句解」からの選択的引用という点では森下氏の編集権を侵害する虞れはある。要請されれば、そのままの当該注部分は撤去する用意はある)。
 併しながら、この親本である「標注増補一言芳談抄」は、編者湛澄による対校と本文整序に優れたものではあるものの、それぞれの条の内容を「三資」・「淸素」・「師友」・「無常」・「念死」・「臨終」・「念佛」・「安心」・「學問」・「用心」の分野別十類に分け、内容を完全に組み替えてしまってあり、本来の「一言芳談」の自然の順序を大きく乱しているという大きな難点がある(そのために冒頭の部分の話者を「又」から人名に書き換えてもある)。
 そこで、現在、容易に入手し得る善本の完本、
Ⅱ 一九九六年春秋社刊の大橋俊雄・吉本隆明『死のエピグラム 「一言芳談」を読む』の中の慶安元(一六四八)年林甚右衛門版行の上下巻を親本とする「一言芳談」原文(新字正仮名版)の表記と順序をⅠに合わせて参照とし
ながら、
「一言芳談」を正字正仮名で独自に再構成する
という、特殊な仕儀を採ることとし、更に大橋氏が脚注に引く「標注増補一言芳談抄」及び「一言芳談句解」の一部の内、Ⅰが採用していないものを本文後の注に出すことで、Ⅰの著作権の侵害を防止し、私のテクストの独自性を図る仕儀も行った。
 また、正しい順列を保持する、
Ⅲ 国立国会図書館デジタル・ライブラリー版の同慶安元年林甚右衛門版行版現物画像も読みや本文表現の最終確認に適宜参照にし
て、プロト版「一言芳談」の原文に近い表記への還元を、私なりに試みたつもりではある。
 こうした迂遠な手法を採った理由には、当初底本としようとした岩波版が、実は森下氏によって本文の仮名が漢字に改められてあったり、不適当と森下氏が判断された当て字を正字に直した部分などが数多くあって、表記上からも原型からはかなり隔たりがあるものであること作業からも明らかになったからでもある。
 但し、一部読解に支障をきたすような明らかな仮名遣の誤りは私の判断で正し、読点は私の判断で加増、ルビの一部も読みが振れると私が判断したものは補塡してある(逆に、例えば頻繁に出現する『有(あるひと)』等の読みのように、最初に読みを示した後は省略した箇所もある)。踊り字「〱」「〲」は正字に直した。標注は岩波版ではほぼ二字下げ(二行目以下はほぼ四字下げ)であるが無視した。その代り、本条との間に空行を設けた。本文中の注記記号は、註自体が本文のどこをとったか一目瞭然の書き方がなされていることから、これを省略し、注の『(一)』といった通し番号も『〇』に変えた。漢文訓点部分は、訓点を省略した代わりに後に( )で訓読を示した。仏教書としての性質上、本文への私の注は極めて禁欲的に附したが、一部には私の感懐の呟きも含ませた(なお、注に際しては上記の大橋俊雄氏の注及び現代語訳を一部参考にさせて頂いている。ここに記して謝意を表する)。謂わば本頁は、不遜ながら――藪野直史標注「校訂一言芳談」――とも言うべきものとなったと云い得るとは思うのである。【2012年11月8日始動】]

一言芳談

   一

 有(あるひと)云、惠心僧都(ゑしんそうづ)、伊勢太神宮へまゐりて七ヶ日参籠はつる夜の夢に、寶殿の御戸(みと)たちまちにひらけて、ゆゝしげなる貴女(きによ)一人いでたまへり。示(しめして)云、太神宮は本覺(ほんがく)の都へかへりおはします。これは御留守に侍(はべる)ものなり。末代の衆生出離(しゆじやうしゆつり)の要道(えうだう)をたづぬる事あらば、彌陀佛を念ぜよ、とすゝむべきよし、おほせをかれ侍る。

(一)ゆゝしげなる、此のゆゝしはすぐれてほめたることばなり。
(二)本覺の都へおはします、これは時に應じて此人にほどこし給ふ方便の御示現なり、云々。又御入定の間の事か。

[やぶちゃん注:「惠心僧都」源信(天慶五(九四二)年~寛仁元(一〇一七)年)。天台僧、恵心僧都は尊称、横川(よかわ)僧都とも称せられた。彼の撰述になる「往生要集」は浄土教の基礎となり、浄土真宗では七高僧の第六租とされる。
「太神宮」伊勢神宮内宮の祭神たる天照大御神。
「本覺の都」「本覺」とは本来の覚性(かくしょう)の略で一切衆生に本来的に具有されている「覚」(悟り)の智慧を意味するが、ここではそれが遍くあるところの「都」(世界)、本来の如来の浄土の謂い。本地垂迹説に則り、大日如来の垂迹とされた天照大御神は既に浄土に帰還している、というのである。
「これ」先の「ゆゝしげなる貴女」、如何にも気高く貴い感じのする神女の一人称。
{末代」末法の世。]

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