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2012/12/12

耳嚢 巻之五 遊魂をまのあたり見し事

 遊魂をまのあたり見し事

 

 是も中山氏にて召仕(めしつかひ)し小侍(こざむらひ)、甚(はなはだ)發明にて主人も殊の外憐愍(れんびん)して召仕ひしが、寛政七年の暮流行の疱瘡を愁ひて身まかりしを、主人其外殊外(ことのほか)に不便がりて厚く吊(とむら)ひ遣しける由。然るに中山の許に常に心安かりける男昌平橋を通しに、彼小侍が死せし事も知らざりしが、はたと行合(ゆきあひ)ていかゞ主人には御替りもなきや抔尋ければ、相應の挨拶して立別れけるが、中山の許へ至りて尋しに、遙に日を隔て相果し事を語りけるに驚きて、我等壹人に候はゞ見損じもあるべしと召連(めしつれ)し僕にも尋けるに、これも彼(かの)小侍は能々覺へて相違なきよし語り、ともに驚けると也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:中山某氏御家中霊異譚二連発。

・「小侍」岩波版長谷川氏注に、『武家に奉公した少年の侍。』とある。

・「昌平橋」神田川に架かる橋。寛永年間(一六二四年~一六四五年)の架橋と伝えられており、橋の南西に一口稲荷(いもあらいいなり:現在の太田姫稲荷神社。因みに根岸の屋敷はこの神社の西直近にあった)があったことから「一口橋」「芋洗橋」(いずれも「いもあらいばし」と読む)、また元禄初期の江戸図には「相生橋」の名もあったことが分かる。元禄四(一六九一)年に徳川綱吉が孔子廟である湯島聖堂を建設した際、孔子生誕の地の魯の昌平郷にちなんで昌平橋と改名したものである(以上は主にウィキ昌平に拠った)。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 幽魂を目の当たりに見たという事

 

 これも同じく中山某氏の話。

 氏の元にて、これ、召し使(つこ)うて御座った小侍(こざむらい)、若年ながらも甚だ利発にして、中山殿も殊の外、目を懸けて御座ったが、残念なことに、寛政七年の暮れに流行致いた疱瘡を患い、あっという間に身罷ってしもうた故、主人その外、殊の外、不憫に思うて、手厚く弔いなど致いて御座った由。……

 ところが……後日のことで御座る。

 中山殿と常々心安うして御座ったさる御仁が、たまたま昌平橋を通りかかったところが、かの小侍に――暫く無沙汰致いて御座った故、この男、とうに小侍の亡くなったことを知らなんだと申す――出逢(でお)うた故、男は、

「如何かの? 御主人にはお変わりものう、御達者で御座るか?」

などと尋ねたによって、それより普通に、相応の挨拶を交わいて、別れた。

 さればその日、男も久々に中山殿の元へ足を向ける気にもなって訪ね、開口一番に、

「……いや、無沙汰致いて御座ったが、先程、〇〇丸殿と行き逢うて、の。」

と挨拶致いたところが、家人、妙な顔を致いて、

「……〇〇丸は……もう、かなり前に……疱瘡にて……相い果てて御座るが……」

と答えたによって、男も仰天し、

「……い、いや!……我ら一人のことならば……人違いということも、これ、あろうが……」

と、召し連れて御座った従僕にも質いたところが、これも、

「……い、いえ!……か、かの〇〇丸殿は、我らもよう見知っておりますれば……こ、これ、どう見ても、ま、間違い、御座いませなんだぁ。……」

と消え入る如き声にて答え、ただただ――己(おの)れと己(おの)が主人、そうして中山家家人の――これ、誰も真っ蒼になった顔を――黙って見合わせておるばかりで御座ったと、申す。

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