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2012/12/02

耳嚢 巻之五 手段を以かたりを顯せし事

 手段を以かたりを顯せし事

 

 いつの此にや、大坂にて有福の町人家内を召連れ花見にや、小袖幕など打せて酒宴なし居ける。最愛の小兒幕の内のみ居兼、乳母抱て其邊を立廻りしが、相應の武士彼(かの)小兒を見て殊に愛して拘取(だきとり)、有合(ありあひ)候由にて僕に持せし菓子手遊びなど遣しければ、乳母は悦びて幕の内の主人夫婦へ語りければ、主人夫婦も悦びて幕の内へむかへ、斷(ことわり)をも聞入(ききいれ)ず酒甕(さけがめ)の饗應などしける故、厚く禮謝して立別れぬ。しかしてより日數十日程も過て、彼侍右町人の門口を一僕つれて、あれこれと尋る躰(て)を彼乳母見付て、立寄候樣申ければ、我等も此程の饗應の禮ながらそこ爰と尋し由にて、立派成(なる)肴菓子折等持參せし趣にて居宅へ通りければ、夫婦出迎ひて、此程しる人に成し事申出して酒肴等を出し饗應なしける處、暫く過て壹人の町人手に風呂敷包を提(さげ)て彼僕を以(もつて)申込、何某殿是に御出候はゞ對面いたし度旨申ける故、則(すなはち)亭主の差圖にて右町人も一席へ通りしに、彼町人懷中より百兩包壹ツと右箱を出し、扨々御手附も請取候儀には候得(さふらえ)ども、右道具差合有(さしあひある)故、殘金給り候共難差上(さふれへどもさしあげがたき)間、手附金返上いたし候旨申けるに、彼侍以の外憤り、一旦直段取極(ぢきだんとりきめ)手附迄も渡し置、今更返替(へんがへ)候とありて、跡金差支(あときんさしつかへ)候樣にて主人迄も不相濟(あひすまざる)儀、全(まつたく)外に高直(かうぢき)の賣口出來(しゆつたい)し故成(なる)べしと顏色を替(かへ)申ければ、右手代躰(てい)の町人申けるは、町人と申者は商賣躰(てい)にては甚未練成(はなはだみれんなる)者にて、殊に親方は生來欲深き者故、扨々御氣毒には候得共右の通(とほり)申候由を述(のべ)ければ、いづれも金子跡渡(あとわた)しさへ致候得ば證文も有之事(これあること)故、難澁可致筋無之(なんじふいたすべきことこれなし)とて懷中より金子三拾兩出して、右手代に百兩とともに相渡(あひわたし)、殘金百兩は明朝迄に可渡(わたすべし)と申ければ、左樣にて承知いたし候親方に候得ば、何しに私是迄御尋申持參可仕哉(たづねまうしもちまゐりつかまつるべきや)と申ける故、彼侍憤り、所詮汝が親方故(かれ)主人の外聞をも失わせ、我々が武士も不相立(あひたたざる)事に付、是より汝主人方へ行(ゆき)て目に物見せんと顏色替りて申しける故、亭主夫婦も氣の毒に思ひ、此程彼侍の仕方貞實極眞(ごくしん)の樣子故、子を譽られし所にも迷ひけるや、右金子百兩を用立可申(ようだてまうすべし)と申ければ、未(いまだ)馴染もなき人より多分の金子借受(かりうく)べき謂(いはれ)なしと一旦は斷(ことわり)しが、彼是考候躰(かれこでれかんがへさふらふてい)にて、右金子借受(かりうけ)の證文可致(いたすべき)由申けれど、證文にも不及(およばざる)由、然らば此茶碗は主人懇望に付(つき)此度相求(あひもとめ)候儀故、明日は右百兩返金可致(いたすべき)間、夫(それ)迄預り給はるべしとて、達(たつ)て斷しを無理に亭主へ相渡し、代金は彼手代に渡して立歸りぬ。しかるに翌日に成(なり)ても翌々日にも右侍不罷越(まかりこさず)、四五日も立ける故、不審に思ひ彼茶碗を取出し改見(あらためみ)しに、貮百三拾兩の價(あたひ)あるべき品にもあらざれば、道具屋又は目利(めきき)者など招きて見せけるに、是は五三匁(もんめ)の品にて貴(たふとむ)べき品にはあらず、全(まつたく)かたりに合(あひ)しならん、彼侍が居所主人等は何といふやと尋ねられて大に驚(おどろき)、名は聞しが主人幷(ならびに)所は聞ざる由故、是はいか成事(なること)にやと笑れける故彼者大に憤り、我々憎きかたりめが仕業哉(かな)、殘念なる事哉(や)と憤りに絶へず、奉行所へ願ひ出しに、奉行所にても手掛り無之願(これなきねがひ)故、たわけ者の沙汰に成(なり)、先づ右茶碗預けに成りしが、其節の奉行、名は忘れたる由、深く工夫ありて歌舞妓の座元を呼寄(よびよせ)、まづかくの事あり、此趣(このおもむき)を新狂言に取組致(とりくみいたす)べき由申付有之(まうしつけこれある)故、難有(ありがたき)由にて右狂言をなせしに、殊の外評判にて繁昌せしを、彼富豪の町人も芝居見物に至りしに、其身のかたりに逢し一部始終を面白く狂言になし、かたりの侍は實惡(じつあく)の立物(たてもの)中村歌右衞門などにて、かたりとられし我身は道外方(だうげがた)の役者、いかにも馬鹿らしき仕打共(しうちども)なりしをみて彌々憤り、宿へ歸りて食事も成らざる程にて、彼茶碗を取出(とりいだ)し、さるにても無念也(なり)とてきせるにて打こわしけるを、家内の者共大きに驚き、奉行所より預りの品なれば其通りに難成(なりがた)しとて訴出(うつたへいで)ける故、奉行所より猶又箱にくだけたる儘入て預置(あづけおき)、尚又歌舞妓座へ申付、彼打(うち)くだきたる所をも狂言に仕組(しぐみ)たりしに、大きに後日狂言(ごにちのきやうげん)の評判よく流行(はやり)しが、夫(それ)より日數十日計(ばかり)たつと、彼かたりの侍右の富家へ至りて、扨思はざる事にて江戸表へ急に罷越(まかりこし)、代金返濟茶碗受取も延引せしと、打ちこわせしを知りて猶又ゆすりせんと來りけるを、兼て手組(てぐみ)せし事(こと)故召捕(めしとら)れ刑罰に行れけると也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。岩波版長谷川氏注には、『講談の旭堂南慶口演「面割狂言」が同話(鈴木氏)。『昼夜用心記』六の一を源とする話。』とある。旭堂南慶は明治・大正期の講談師。「昼夜用心記」は北条団水作、宝永四年(一七〇七)年刊。それにしても、この手の失礼乍ら巧妙で面白い詐欺事件は「耳嚢」には殊の外散見する。江戸は詐欺の天国だった?――いや、寧ろ、簡単に騙されるだけ、それだけあの時代の人々は、これ、情に脆く正直な人が多かった――というべきであろう、どっかの時代とは違って……

・「有福」底本では「有」の右に『(或)』と傍注するが、わざわざ注する必然性を感じない。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版も『有福』である。有福は裕福に同じい。

・「小袖幕」戸外の花見などの際、小袖を脱いで張り渡した綱に掛けて幕の代用としたもの。後、花見などで戸外に張る普通の幕をもかく呼称するようになった。

・「手遊び」玩具。そもそも、小児の好める菓子やおもちゃを下僕に持たせているこの男、変くね?

・「酒甕」底本には右に『(尊經閣本「酒宴」)』と傍注し、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『酒肴』とある。意味は同じであるし、難解でもない。別にこのままで問題ないと私は判断する。寧ろ「酒甕の饗應」の方が「有福の町人」のオーギーに遙かに相応しい言葉である。

・「變替」「変改」で、変更・心変わり・破約の意。

・「所詮汝が親方故(かれ)」私は「故(かれ)」と読んだ。接続詞(代名詞「か」に動詞「あり」の已然形「あれ」の付いた「かあれ」の音変化。「かあれば」の意)で、前述の事柄を受けて、当然の結果としてあとの事柄が起きることを表す。「ゆえに」「だから」の意で採った。

・「三、五匁」金一両=銀六〇匁=銭四〇〇〇文とした場合、一両の価値を分かり易く一〇万円とすると銀一匁は一六六七円程度になるから、せいぜい五千円から八千円程度、高く見積もっても一万円にも届かない感じである。

・「憤りに絶へず」底本では「絶」の右に『(堪)』と傍注する。「絶へず」の「へ」はママ。

・「たわけ者の沙汰に成」「たわけ者」は「愚か者」「馬鹿者」の言いであるが、これはかの騙りの犯人のことを指しているのではなく、そのような話に乗せられて騙され、居所も主人の名も訊かず、證文もかわざず、茶器も改めずに百両貸した、そうして何の手掛かりもないのにそれを恥ずかしくもなく提訴した、この亭主に対する評言の「たわけ者」と読む。謂わば、詐欺の被害者ではあるものの、非常識な誤った自己認識に基づく自業自得とも言うべき「阿呆の提訴」扱いとなった、の意で私は採った。識者の御教授を乞うものである。

・「實惡」歌舞伎の役柄の一分類。謀反を企む首領格の悪人やお家騒動の謀略者(特に「国崩し」とも別称する)などの終始一貫して悪に徹する敵役(かたきやく)タイプの役柄を指す語。主役に匹敵する重要な役回りで、顔を白く塗り、独特の大柄な鬘を付けていることが多い。「祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき)」の松永大膳や「伽羅先代萩」の仁木弾正(にっきだんじょう)などに代表される役。立敵(たてがたき)とも言う。

・「立物」立者。一座の中で優れた役者。人気役者。立役者。

・「中村歌右衞門」初代中村歌右衛門(正徳四(一七一四)年~寛政三(一七九一)年)。上方の歌舞伎役者。三都随一の人気役者で、清水清玄・蘇我入鹿・日本黙右衛門などの眼光鋭く執念深い役柄に秀で、時代物・世話物に長じて風姿口跡ともに抜群で、実悪の名人と賞された。中村歌右衛門と改名したのは寛保元(一七四一)年頃とされ、天明二(一七八二)年 十一月に加賀屋歌七と改名、歌右衛門の名は門人の初代中村東蔵に譲っている。歌七改名後も舞台活動を続け、寛政元(一七八九)年十一月の京の都万太夫座で打たれた「刈萱桑門筑紫いえづと」の新洞左衛門役が最後の舞台となったと、ウィキの「中村歌右衛門(初代)」にある。本巻の執筆推定下限の寛政九(一七九七)年春からすると、十五年以上前の話ということになる(但し、先に引用した岩波版長谷川氏注からすると、これは創作である可能性が強い)。

・「道外方」歌舞伎の役柄の一分類。滑稽な台詞や物真似を巧みに演じて人を笑わせる役。但し江戸中期以降は立役や端役の芸に道化的な要素が吸収されていき、役柄としては衰退に向かった。天明・寛政期(一七八一年~一八〇一年)の初世大谷徳次が道外方の名人と謳われたのを最後に殆んど消え去った。参照した小学館刊「日本大百科全書」によれば、『それ以後は、「半道(はんどう)」または「半道敵(はんどうがたき)」「チャリ敵(がたき)」などの役柄にその名残がある。道外方を「三枚目」というのは、看板や番付に、最初に一座の花形役者、二枚目に若衆方(わかしゅがた)、三枚目に道外方を並べる習慣があったことに基づくというが、かならずしも明らかでない。和事(わごと)師を二枚目とよんだのに引かれて生まれたことばではないかと思う』とある。

・「後日狂言」先行作品の続篇や続々篇の芝居のこと。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 奇略を以って騙りを露見させた事

 

 いつ頃のことにて御座ったものか、大阪の裕福なる町人、一家の者を召し連れ、花見にても御座ったか、洒落た小袖幕なんどを打って酒宴を致いて御座った。

 主(あるじ)の溺愛致す子(こお)、これ、幕の内に居かね、むずがる故、乳母の抱いてその辺りを散歩して御座ったところ、相応の身なりを致いた侍が一人、子供を認めて殊の外可愛がり、乳母より抱き取っては、

「在り合わせのもにて御座れど。」

と、従僕(しもべ)に持たせて御座った菓子やらおもちゃを子に与えたによって、乳母は喜んで、もとの所へ戻って、かの幕の内の主人夫婦へも告げければ、主人夫婦も大層喜んで、頻りに辞退するその武士を、無理に幕の内へと迎え入れ、酒甕・肴の饗応をなして御座った。その日、したたかに酔うた侍は、これ、厚く礼謝致いて立ち分かれて御座った。

 しかしてより、十日程も過ぎたある日のこと、かの侍が、例の従僕を連れ、その町人の門口の辺りに立って、何やらん、行き交う近隣の者に訊ねておるを、これ、あの乳母が見つけ、

「まあ、その節は。どうか、お立ち寄り下さいませ。」

と声をかけたところ、

「……いや、我らも、過日の御饗応下された御礼をと、実はそこここと、お探し申し、尋ね回って御座った。……」

とのことにて、従僕には、これ、立派な肴やら菓子折りなんどを持たして御座る風情なればこそ、丁重に居宅へお通し申し上げて、主人夫婦出迎えて、

「この度は、かくもよきお方と、知遇を得ました。」

なんどと話し、また、酒食なんどをも出だいて、饗応致いて御座った。

 すると、暫く致いて、表に一人の町人が、手に風呂敷包みを提げて参り、外に待たせておった。かの従僕を通じ、かの侍へ取り次ぎを入れ、

「――何某殿、ここにお出で候はば、御対面致しとう存ずる――」

旨、申し入れて参った。

 されば、主人指図によって、そのまま、その町人を招じ入れ、その場にて同席させたが、その町人、やおら、懐中より百両包を一つと、風呂敷に包んで御座った箱を取り出だいて、

「……さても、かく、お手付けの金子も頂戴しては御座いまするが……実は、こちらのお道具の方、よんどころなき差し支えが、これ、生じましたによって……そのぅ、残金を給わりましても、これ、差し上ぐること、出来難うなり……お手付の金子、これ、勝手ながら、ご返納申し上げます次第にて……」

と語り出した。

 するとかの侍、以ての外に憤り、

「――一旦、値段も取り決め――手付けまでも渡しおいたに! 今更、破約とは如何なる料簡!……後日(ごにち)、周囲に残金不払いにて入手能(あた)はざると思われんは、これ、我が主人へも相い済まざることとなるッ!――全く以って――実のところ――外に高値の売れ口、これ、出来(しゅったい)致いたに相違なかろうがッ!……」

と顔も真っ赤になり、罵って御座ったところ、

「……我ら町人と申す者……商売にかけては、これ、なんぼう、思いっきりの、悪いものにて御座います。……特に、あてらの親方は、これ、生来の欲深か者にて御座いますれば、の……さてもさても、お気の毒には存じますれど……かくの通り、申し上げまして御座います。……」

と平然と致いて御座った。

 するとかの侍、

「――相い分かった! 所詮、残りの金子さえ渡さば――証文もあることじゃ!――なんのかんのと、言わるる筋合いにては、これ、ないッ!」

と喝破するや、懐中より三十両を出だいて、かの手代と思しい男に、先に置かれた百両とともに突っ返し、

「……残金百両は……明朝までには、これ、相い渡す!――」

と言い添えた。ところが、手代は、

「……さようなことで承知致しますような親方ならば……何しに、この私めが、かくもあなたさまを探し尋ね、かくも理不尽なるお話を……これ、致しましょうや……」

と又してものっぺりと致いた顔にえ、抑揚ものう、答えた。

 されば、かの侍は、ますます激情致いて、

「……し、所詮、お、お前の親方なる悪辣なる者のことじゃて!……我が主人の外聞をも失わせ……我らが武士の面目も、これにて立たざる仕儀と相い成ったればこそ!――これよりお前の主人の方へと出向き――目に物、これ、見せてりょうゾッ!!」

と、今度は面相、悪鬼の如、蒼うなって、喚(おめ)き叫んだ。

 端で黙って聴いて御座った亭主夫婦も、あまりのことに気の毒に思い、また、かの侍の語るに、貞実なる忠勤と類い稀なる至誠を感じとって御座った故――いや、過日来、溺愛致いておる我が子がことを、この侍、口を極めて褒め千切って御座ったことが、これ、主人の心を甘くさせて御座ったものか――、

「……一つ、その残りの金子百両を、私どもにて、ご用立て申し上げましょう。」

と申したによって、侍は、

「……な、何を……未だ馴染みにても御座らぬ御仁より、かくも多分の金子、借り受けてよき謂れは、これ、御座らぬ!……」

と一旦は断ったものの、それでも、何やらん、未練のある様子なれば、再度、用立ての儀を申し入れたところ、

「……では、せめて、その金子借り受けの証文は、まず、交わし申そうぞ。」

と申したれど、亭主は、

「証文なんど、これ、結構にて御座いまする。」

と返す。すると、

「……然らば……そうじゃ! この茶碗は、我らが主人の懇望なされたによって、この度、買い求めたものにて御座る故、明日(みょうにち)、お借り受け致いた百両を返金致すによって、それまでは当方にてお預かり下さるるよう、願い奉る!」

とて担保の申し出と相い成って御座った故、亭主はたって辞退致いたものの、たっての願いと無理矢理、亭主へ箱に入ったままの茶器を渡いて、借り受けた代金百両を手代に渡すと、そのまま、かの手代風の男と、従僕を連れて帰って御座った。

 しかるに……翌日になっても……翌々日になっても……これ、かの侍は……現われなんだ。……

 四、五日も立ったによって、流石に不審に思い、かの茶碗を取り出だいて改め見たところが――これ、とても二百三十両の値のあろうはずのものにもあらざるものなれば――道具屋や目利きの者なんどを招いて、見て貰(もろ)うたところ、

「……これは……三匁(もんめ)か……せいぜいいっても五匁の品にて……まず、重宝さるる茶器なんどとは無縁の、如何にも凡庸なるもので御座る。……いや、御亭主、まんまと騙されましたなあ。……そのお侍の居所や主人などは、これ、何と申された?」

と訊かれて……これ、大いに驚き、

「……いやぁ……その……名(なあ)は聞いたれど……その、その主人や居所は……訊いとりまへんのや……」

と蚊の鳴くように呟いによって、

「――さても! さても!……そりゃあ……何ということで!……」

と相手に呆れられ、大笑いさるること、これ頻りなればこそ、亭主は、これ、大いに怒り、

「――さてもさても! 憎(にっく)き騙りの仕業じゃッ! 残念無念! 遺恨千万じゃッ!」

とあまりの憤りの昂ぶるに堪えず、奉行所へ咎人(とがにん)の探索方、願い出たものの、奉行所にても、手掛かりもない、はっきり申さば――「なんじゃあ?」といった感じの訴えなれば――これ「たわけ者のなす訴え」扱いとされ、まあ、とりあえずはと、例の証拠の安茶碗は、証拠品として亭主の元へ預け置きと相い成って御座った。

   *

 ところが、その訴訟を扱った担当の奉行――これ、残念なことに名は忘れたとの由に御ざる――この事件をつらつら考えておるうち、何とも深謀にして遠慮、迂遠にして痛快なる一計が浮かんで御座った。……

……まず、この奉行、歌舞伎の座元を呼び寄せ、

「……まんず……かくかくしかじかの面白き事件の御座った。……どうじゃ? この話柄を一つ、狂言に致しては、みんかのう?」

と申し付けた。すると、座元作家は、

「そりゃ面白うおます。有り難いこって! へえ、ほな、早速!」

と、瞬く間に書き上げられて舞台に上ったが、これがまあ、殊の外、評判と相い成り、芝居も大繁昌。……

……されば、かの騙された当の裕福なる町人も、芝居見物にと、何も知らずに、その芝居を見て御座った。……

 すると……これ……己れが騙りに逢(お)うた一部始終を……面白可笑しゅう……完膚なきまでに滑稽なる狂言に作り替えられたものにて……

……騙りの侍は――これ、恰好ええ、実悪の立者(たてもの)中村歌右衛門

……騙りとられてた自分の役はといえば――これ、いかにも不細工で脳味噌の足りぬような道外方(どうげがた)の役者にて

……それが、如何にも馬鹿らしい仕打ちを、為さるるがままに、完膚なきまでに受くるという、徹頭徹尾、茶化されたその筋立てを見ておるうち

……これ、もう、腸(はらわた)が煮え繰りかえって

……暫く忘れて御座った心底の恨みが、これ、いよいよ憤激と相い成って

……宅へ戻った後(のち)も、怒りに食事すら喉を通らざるほどにて

――ついに、かの、遺恨の唯一の物証なる茶碗を取り出だいて、

「……ウウゥ……そ、そ、それにしても! 無念じゃッ!!」

と手にした煙管(きせる)にて、一撃のもとに打ち壊してしもうた。

 家内の者どもは大きに驚き、

「……奉行所よりお預かりの品なれば……こ、これ……ただにては、済みませぬぞぇ!……」

と恐る恐る、証拠損壊の旨、届け出でた。……

   *

 すると、かの奉行、奉行所よりの正式な通達としては、

「――なおも砕けたるままに箱に入れて保管致すように。」

と、損壊のお咎めもこれなく、そのまま、また預け置かれた。

 奉行は次に、またかの歌舞伎座の座元作家に申し付け、

「……かくかくしかじか……例の続きの話じゃて、面白かろうが。……のう。一つ、今度は、この茶碗を砕くところまでをも、かの狂言に仕組んでみては……どうじゃ?」

とて、また狂言に仕組まれて上演されたところが、これまた、続き狂言として評判を取って大当たり致いた。……

   *

 さて、その大当たりの噂が広まって十日ばかり過ぎた頃のことで御座る。

 例の騙りの侍、あろうことか、ぬけぬけとかの町人の家へ、再び現れた。

「……あー、さて……思いがけぬ出来事の出来(しゅたい)致いて、急に江戸表へ急ぎ下向致さねばならずなっての……かのお借り致いた代金百両の返済並びに――さても、かの名茶器受け取りの儀も――これ、延引いてしもうて、申し訳なきことじゃった……」

と……

……いやさ、これ、如何にも、かの芝居を見知って、

『……これはこれは……あの馬鹿面男も……かのように茶碗を壊したに、これ、相違ない……』

と踏んで、なおもまた、強請(ゆす)りせんとの魂胆にて、厚かましゅうも再び現われて御座ったのであろう。……

……無論、かねてより待ち伏せ致いておった奉行所配下の者の手によって、捕縛の上、速やかに刑に処せられたと申す。

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