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2012/12/12

北條九代記 賴朝御中陰 付 後藤左衞門尉守護職を放たる

      ○賴朝御中陰  後藤左衞門尉守護職を放たる

同三月二日は故賴朝卿四十九日(なゝぬか)御中陰の終(はて)の日なり。勝長壽院に於て御佛事行はる。導師は大學法眼行慈(ぎやうじ)なり。高座に登り、結願(けちがん)の諷誦(ふじゆ)を讀み、説法の辯舌、滿慈(まんじ)の懸河(けんが)、文義(もんぎ)の會通(ゑつう)、鷲子(じゆし)が智海(ちかい)、總て貴賤の耳を濯(すゝ)ぎ、歡喜の涙を流しけり。さこそ聖靈(しやうりやう)も頓證菩提(とんしようぼだい)の花開(ひら)け、自性圓融(じしやうゑんゆう)の月明(あきらか)に寂光常樂の覺(さとり)に入り給ふらんと有難かりける事共なり。御忌(おんいみ)に籠りし人々も皆出でて歸りしかば、打潛(うちひそま)りる心地ぞする。同じき五日後藤左衞門尉基淸罪科あるに依(よつ)て、讚岐の守護職を召放(めしはな)ちて、近藤七國平(くにひら)に補(ふ)せらる。故賴朝卿の御時に定め置れし事共を改めらるるの始(はじめ)なり。政理(せいり)今に亂れなん、誠に危き事なりと物の心を辨(わきま)へたる人々は彈指(つまはじき)をぞ致しける。

[やぶちゃん注:「同三月二日」建久十(一一九九)年三月二日(この年は四月二十七日に正治に改元される)。頼朝の四十九日の法要の様は完全に筆者の創作であるが(「吾妻鏡」はただ「二日甲午。故將軍四十九日御佛事也。導師大學法眼行慈云々。」としか記していない)、これ、見てきたようにリアルな独壇場である。

「中陰」中有(ちゅうう)。死者の死後四十九日の間を指す。死者があの世へ旅立つ期間で、この時、死者は生と死、陰と陽の狭間に居るとされることからの謂い。

「大學法眼行慈」「大學」は「題學」が正しい。引用元の「吾妻鏡」自体の誤り。

「説法の辯舌、滿慈の懸河」「懸河」底本頭注に『流るるごとき龍辯』とある。題学の誦経とその説法が、仏の大慈悲心を思わせる誠意に富み、頗る流暢でもあったことを言祝いでいる。

「文義の會通、鷲子が智海」増淵勝一氏は、また、『その説法のわかりやすいことは幼子さえ海のように理解できるほどで』と訳されておられる。

「聖靈」頼朝様の御魂。

「頓證菩提」速やかに悟りの境地に達すること。死者の追善供養のときなどに、極楽往生を祈る言葉として唱える言葉でもある。

「自性圓融」「自性」(物本来の真性を清澄な存在)を明月に譬えた「自性の月」に、「圓融」は、それぞれの事物がその立場を保ちながら一体であり、互いにとけ合って障りのないことの意を添えて、迷いを解き放って仏法の心理に到達することを言っている。

「後藤左衞門尉基淸」「賴朝卿奥入付泰衡滅亡」〈頼朝奥州追伐進発〉に既出、注済み。所謂、頼朝急逝直後の正治元(一一九九)年二月に起った三左衛門事件(一条能保・高能父子の遺臣が権大納言・土御門通親の襲撃を企てたとして逮捕された事件)の首謀者とされる人物。以下、ウィキの「三左衛門事件より「明月記」に基づく詳細な事件概要を引用しておく(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した)。『正治元年(一一九九年)正月十一日の源頼朝の重病危急の報は、十八日には京都に伝わって世情は俄かに不穏な空気に包まれた。前年に外孫・土御門天皇を擁立して権勢を振るっていた土御門通親は、二十日に臨時除目を急遽行い、自らの右近衛大将就任と頼朝の嫡子・頼家の左中将昇進の手続きを取った。ところが直後の二十二日から、京都は「院中物忩、上の辺り兵革の疑いあり」「京中騒動」の巷説が駆け巡って緊迫した情勢となり、通親が「今、外に出ては殺されかねない」と院御所に立て籠もる事態となった。「院中警固軍陣の如し」と厳戒態勢が布かれる中、当初は騒動に誰が関与しているのか不明だったが、二月十一日になって左馬頭・源隆保が自邸に武士を集めて謀議していた事実が明らかとなった。十二日には関東から飛脚が到来して幕府が通親を支持する方針が伝えられたらしく、「右大将光を放つ。損亡すべき人々多し」という情報が流れている。そして十四日に、後藤基清・中原政経・小野義成の三名が源頼家の雑色に捕らえられ院御所に連行されたのを皮切りに、騒動に関連があると見られた者への追及が始まり、十七日に西園寺公経・持明院保家・源隆保が出仕を止められ、頼朝の帰依を受けていた僧・文覚が検非違使に身柄を引き渡された。二十六日に鎌倉から中原親能が上洛して騒動の処理を行い、京都は平静に帰した』。『三左衛門は鎌倉に護送されるが、幕府が身柄を受け取らなかったため京都に送還された。基清は讃岐守護職を解かれたが、他の二名の処分は不明である。公経と保家は籠居となり、隆保は土佐、文覚は佐渡へそれぞれ配流となった。なお「平家物語」によると文覚が保証人となることで一命を救われていた六代(平維盛の子)が、この時に処刑されたという。処罰の対象となったのは文覚を除くと、公経が能保の娘婿、保家が能保の従兄弟で猶子、隆保が能保の抜擢で左馬頭に登用された人物、基清らは能保の郎党であり、いずれも頼朝の妹婿・京都守護として幕府の京都における代弁者の役割を担っていたが、二年前に死去した一条能保の関係者である。「愚管抄」によれば能保・高能父子が相次いで没し、最大の後ろ盾だった頼朝を失ったことで主家が冷遇される危機感を抱いた一条家の家人が、形勢を挽回するために通親襲撃を企てたという』。『頼朝の死が引き金となったこの事件は政局の動揺を巻き起こしたが、頼朝から頼家への権力移行を円滑に進めたい幕府は大江広元が中心となって事態の沈静化を図り、通親は幕府の協力により不満分子をあぶり出して一掃することに成功した。なお、事件関係者の赦免は後鳥羽上皇の意向で早期に行われ、配流された隆保と文覚も通親死後に召還されている』。『逼塞状態に陥っていた一条家も能保の子・信能、高能の子・頼氏らが院近臣に取り立てられたことで息を吹き返し、坊門家・高倉家とともに後鳥羽院政の一翼を担うことにな』った、とある。ここで「吾妻鏡」にもある、「故賴朝卿の御時に定め置れし事共を改めらるるの始なり」(「吾妻鏡」では「幕下將軍御時被定置事被改之始也」)とは何を意味しているのであろう。謂わば、京都守護一条能保の侍でもあると同時に、頼朝によって在京御家人として認められていた基清を、頼家が一方的に捕縛し、尚且つ鎌倉に護送されながら、頼家がその身柄を受け取らず、直接の吟味を行うことなく、守護職を解任したことを指すものか(但し、三左衛門事件の経緯を見ると、これは頼家の、というよりはこの事件を穏便且つ迅速に収束させたかった幕府の意向が別にあったとしか読めないが)。しかし、これが「政理今に亂れ」ることとなる兆しであったことは、この基清が後に後鳥羽上皇との関係を深め、西面武士から検非違使となり(建保年間(一二一三年~一二一九年)には播磨国の守護職に返り咲いている)、遂には承久三(一二二一)年の承久の乱では後鳥羽上皇方に就いた事実からも正しい謂いであるとも言えるか(これは実際には「吾妻鏡」が共時的な記載でも何でもなく後に書かれたものである以上、やはり予言でも何でもない、事実結果を踏まえた上での後付けなのではあろうが)。

「近藤七國平」近藤国平(生没年不詳)は頼朝直参の御家人。この讃岐守護に補任以降の動静は未詳。]

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