フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« 鎌倉日記(德川光圀歴覽記) 亀井坂/長寿寺/管領屋敷/明月院/禅興寺 | トップページ | 芥川龍之介漢詩全集 三十三 了 »

2012/12/27

一言芳談 四十四

   四十四

 

 敬佛房云、むかしの人は世をすつるにつけて、きよくすなほなるふるまひをこそ、したれ。近來(このごろ)は遁世をあしく心えて、かへりて、氣(き)きたなきものに成(なり)あひたる也。

 後世者といふものは、木をこり水をくめども、後世をおもふものゝ、木こり水をくむにてあるべきなり。

 某(それがし)は事にふれて、世間の不定(ふじやう)に此身のあだなる事をのみ思ふあひだ、折節につけて、起居のふるまひまでに、あやうき事おほくおぼゆるに、御房(ごばう)たちは、よにあぶなかりぬべきおりふしにも、いさゝかも思ひよせたる氣色(けしき)もなき也。まして、うちふるまひたるありさまなど、よに思ふ事もなげにみゆるなり。さればたゞ、無常の理(ことわり)も、いかにいはむにはよるべからず。さゝかなりとも心にのせてのうへの事也。

 

〇遁世をあしく心えて、されば今の世の遁世者には貪(どん)の字をかくべしといへり。

〇木をこり水をくめども、是は本と末とを知るべしとの心なり。やゝもすれば末が大事になるなり。世俗は身を愛して世をいとなむ。後世者は後世のために萬をいとなむなり。

〇世間の不定に、世間も不定なり。此身もあだなりとなり。

〇あぶなかりぬべき、わが身に病をうけたる時も、又人の死をきく時、世のさはがしき時などなり。

〇打ち振舞ひたる、常になすわざ、支度する事、おほかた常住の思あるに似たりとなり。

〇いかにいはんには、口には何といふもの義か。無念を口にいふにはよらず、心にかけての事なり。

 

[やぶちゃん注:師と思う相手から、かく言われる「彼の弟子を自認する」者の気持ちは、いかばかりであったろう。

――「わが身に病をうけたる時も、又人の死をきく時、世のさはがしき時」であっても、ましてや、「おほかた常住の」日常にあっても何も感じていない連中には、「無常の理も」、どんなに説いたとしても、そなたたちには、分かるまいの、だから、「さゝかなりとも」心にかけておくしか、これ、あるまいよ――

ガツンとくる強烈なパンチ、である。

「〇いかにいはんには、口には何といふもの義か。無念を口にいふにはよらず、心にかけての事なり。」という標註について、Ⅱの大橋氏の脚注には、この文ではなく、

 是はいふといはぬとにはとあるべきを、かきあやまりたるなるべし

とあるとする。これはどうもⅠとⅡを合体させたものが、本当の註の全文であるように思われる。即ち推測であるが、この標註は、

〇いかにいはんには、是はいふといはぬとにはとあるべきを、かきあやまりたるなるべし。口には何といふもの義か。無念を口にいふにはよらず、心にかけての事なり。

というのが正しいのではあるまいか? 識者の御教授を乞うものである。]

« 鎌倉日記(德川光圀歴覽記) 亀井坂/長寿寺/管領屋敷/明月院/禅興寺 | トップページ | 芥川龍之介漢詩全集 三十三 了 »