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2013/01/02

耳嚢 巻之六 市中へ出し奇獸の事

 市中へ出し奇獸の事

 

 寛政十一年六月十八日の夜子の刻過(すぎ)、馬喰町壹丁目庄左衞門店(だな)安兵衞といへる鄙商(ひなあきない)の方へ、異獸出(いで)て燈火の油をなむるをとらへし由にて南役所へ廻りの者申付(まうしつけ)、持出(もちいで)るを見しに、近きころ下總國八幡村といへる社頭へ此(この)獸出しを捕へ、御鳥見(おんとりみ)より公城(こうじやう)へも奉りしと聞(きき)しが、同物なり。下説(げせつ)に雷獸の由唱へけるが、識人(しれるひと)いへるは不詳と云々。圖左にあり。

 

(長凡一尺程似栗鼠面長腮下黄也)

Raijyuu

□やぶちゃん注

○前項連関:奇獣の出現場所が前話の浜町から北西四百メートル程の直近で連関。UMA物。

ただ、この奇獣、絵図もあるものの、私には同定が出来ない。リスに似る体長三〇センチメートル、下顎の下の部分が黄色とあるが、近年、害獣としてしばしば話題になる食肉(ネコ)目ジャコウネコ科パームシベット亜科ハクビシン Paguma larvata ならば、額から鼻にかけて白い線があり、頬も白いから当たらない。そもそもハクンビシンはリスには似て居ない(但し、頭部にの白線が汚れて目立たなくなると、何となくこの絵図と似るようにも思われる)。齧歯(ネズミ)目リス科モモンガ亜科モモンガ Pteromys momonga では大き過ぎ、モモンガ亜科ムササビ Petaurista leucogenys がそれらしく感じられはするが、モモンガもムササビも下顎の部分は黄色くはない(これも汚れと解すことは可能)。ただ、モモンガやムササビは古くからムササビと一緒くたにされて知られていた動物であり、動物類の専門家である鳥見や博物学的識者が見ても分からなかったというのは如何にもおかしい。さて、これは一体、何だろう? 動物学者やUMAフリークの方の御教授を俟つ(因みに、UMAという略語は実際の英語の未確認飛行物体「UFOUnidentified Flying Object)」をもじって、英語で「未確認不可思議動物」の意味になる“Unidentified Mysterious Animal”の頭文字をとった和製英語で本邦以外では通用しない。ウィキ未確認動物」によれば、昭和五一(一九七六)年に動物研究家で作家の實吉達郎(さねよしたつお)に依頼された当時の雑誌『SFマガジン』編集長森優(後の超常現象研究家南山宏の本名)が、UFOを参考に考案したもので、初出は實吉達郎の「UMA―謎の未確認動物」(同年スポーツニッポン新聞社出版局刊)である、とある(但し、森本人はこれを和製英語として用いなかったとある)。なお、「ユーマ」とこれを読むこと自体が実は和製英語的であると思う。日本人はこの手の略号を簡単に単語のように発音するのを好むが、欧米人はそうしたことは容易にはしないらしい。私はかつてUFOの研究を「真面目に」していたが、その時にも、また、同僚の複数のアメリカ在住経験のある英語教師に訊いてみても、ネイティヴは決して“UFO”を「ユーフォー」とは発音しないのである(そのように聴こえることがあっても実際には「ユーエフオー」と発音している)。だから今も昔も私は「ユーフォー」とは言わないことにしている。なお英語で「未確認動物」は“Cryptid”(クリプティッド)と呼ばれ、これを研究する学問は“Cryptozoology”と呼ばれる、ともある。“Cryptid”は一般に「幻獣」と訳され、これはラテン語の「洞穴」の意“crypta”から、隠れた、覆われたの意となったものに、「~の化け物」と言う英語の接尾語“-ide”が附いて変化したものであろう。~~~♪こいつぁ春から♪~~~UMA脱線♪~~~で御座った。

・「寛政十一年」西暦一七九九年。

・「馬喰町」東京都中央区北部、現在の日本橋馬喰町一~二丁目。町名は家康が関ヶ原の戦いの折りにこの地に厩をつくり、博労(馬工労)を多く住まわせたことによるとする説が有力。

・「南役所」底本は『兩役所』であるが、月番制によって交互に業務を行っていた南北の役所に同時に訴え出るというのはおかしいので、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版の「南」を採った。問題があれば(両奉行所へ回る必然性や事実があったのであれば)御教授を願いたい。

・「下總國八幡村」現在の市川市八幡であるが、ここは古くから足を踏み入れると二度と出てこられなくなるという神隠しの伝承の禁足地として知られる。「八幡の藪知らず」(「不知八幡森(しらずやわたのもり)」「不知森(しらずもり)」「不知藪(しらずやぶ)」とも呼ぶ)で有名な場所である。

・「社頭」これは社名を示していないことから、私は高い確率で前掲の「八幡の藪知らず」に江戸時代から設けられていた社殿を指すのではないかと思う。ウィキの「八幡の藪知らず」によれば、この『伝承は江戸時代に記された書籍にすでに見ることができるが、江戸時代以前から伝承が存在したか否かは定かではない』としつつも、『少なくとも江戸時代から当地で語り継がれており、藪の周りは柵で囲まれ人が入れないようになっている。街道に面して小さな社殿が設けられており、その横には「八幡不知森(やわたしらずのもり)」と記された』安政四(一八五七)年に茨城県稲敷郡江戸崎出身で、関東に百余りの石橋を自費で架橋した江戸商人として知られる『伊勢屋宇兵衛建立の石碑がある。この社殿は凹状となった藪囲いの外側にあり、社殿の敷地に立ち入って参拝をしたのち無事に出て来ることができる』とある。そして、『なぜこの地が禁足地になったかの理由についても、唯一の明確な根拠があるわけではない。しかし諸説いずれにせよ、近隣の人たちはこの地に対して畏敬の念を抱いており、現在も立ち入る事は』現在もタブーである、とする(但し、現在の藪の広さは奥行き・幅ともに十八メートル程しかなく、江戸時代の広さもそれほど変わらなかったとある)。この伝承の由来に関する有名な説としては(ここからは暁印書館平成九(一九九八)年刊荒川法勝編「千葉県妖怪奇異史談」の記載も併用した)、日本武東征尊陣屋説・将門の父で鎮守府将軍であった平下総守良将墓所跡説(将門の乱とその二十九年後の康保三(九六六)年に発生した大地震や大津波によって破壊され、小石祠を建てたが朝敵将門を憚って埋葬者は秘されたとする)・平将門墓所説(彼の事蹟や怨霊説から考えると、寧ろこれは偽説と言うべきであろう)・平将門家臣墓所説(当地まで平将門の首を求めてやって来た六人の近臣がここで土偶と化した。後に雷で破壊されたが祟りを残したとする。この説が最も知られる)・平貞盛陣屋禁足地説(これは逆に将門討伐軍の平貞盛の陣屋の不吉な方位であったことによるとする)・水戸黄門(徳川光圀)がここに立ち入って迷ってようよう出たのちに日本武尊の東征の陣屋跡であることが分かったことから禁足地としたという説(後に錦絵に描かれ広まったが、それ以前からここは禁足地であった可能性が高い)・藪の中央部の窪地から有毒なガスが出でいるという説(中央部が窪んでいることにも関連しているが科学的な根拠は乏しい)・藪に底なし沼がある(あった)という説・近くにある葛飾八幡宮旧跡地説(本話の「社頭」というのをこの神社ととることも可能ではある)・同八幡宮の動物供養の池跡説(この地には死んだ動物を供養するための八幡宮の池があり、周囲の人々から「むやみに池に入ってはいけない」と言われていたものが、この行事が廃れたために「入ってはならない」という話だけ今に残ったのではないかという仮説)・近隣の行徳村の飛び地(入会地)説(そのために地元である八幡の住民は当地に入れない)などがある、とある。特に動物供養説と本話は強く連関する気がする(その動物霊たちの「藪知らずの守護獣としてである)。何れにしても、本奇獣と「八幡の藪知らず」は、如何にも結び附きそうではないか。

・「鳥見」職名。若年寄支配で鳥見組頭の指揮を受けて、特に狩猟用鳥類の棲息状態等、将軍遊猟地の巡検に当たった。

・「公城」岩波版長谷川氏注に『江戸城』とあるが、あまり聴き慣れない語である。一応、音で読んでおいた。

・「下説」は底本では『下諺』であるが、聴き慣れない語である。「下諺」を「ゲゲン」と読んで下々の言い伝えの意ととれなくもないが、ここは「説」に書写の誤りと考えて、下々の者が唱える噂の意の「下説」を採る。

・「雷獸」落雷とともに現れるとされる妖怪。東日本を中心とする日本各地に伝説が残されており、一説に「平家物語」で源三位頼政が退治した鵺(ぬえ)は雷獣とも言われる。参照したウィキの「雷獣」その他によれば、その形状は体長約六〇センチメートル前後の仔犬、またはタヌキに似て、尾は約二一~二四センチメートル、鋭い爪を有するとあるが、その他にも、後脚が四本・尻尾は二股(馬琴「玄同放言」)とか、全体はモグラかムジナで鼻先はイノシシに似て腹はイタチに似ている(国学者山岡浚明「類聚名物考」。そこには江戸鮫ヶ橋で和泉屋吉五郎という者がそうした形状の雷獣を鉄網の籠で飼っていたとある)とか、鋭い牙と水かきのある四足獣である(享和元(一八〇一)年七月二十一日に奥州会津の古井戸に落ちてきたという雷獣で図がある)とか、と記されて実に多様な形状を示す。中でも強烈なのは、採話数の少ない西日本のそれで、享和元(一八〇一)年に芸州五日市村(現在の広島県佐伯区)に落ちたとされる雷獣の画はカニかクモを思わせ、四肢の表面は鱗状のものによって覆われており、その先端が大きな鋏状となったもので、体長も巨大で約九五センチメートル、体重約三〇キログラムとある(これは弘化年中(一八四四年~一八四七年)に書かれた「奇怪集」に同享和元年五月十日に芸州九日市里塩竈に落下したという同様の雷獣の死体のことが記載されており「五日市」と「九日市」など多少の違いがあるものの同一の情報と見なされている。同じ類として同享和元年五月十三日と記された雷獣の画もあって、それもやはり鱗に覆われた四肢の先端にハサミを持つものであり、絵だけでは判別できない特徴として「面如蟹額有旋毛有四足如鳥翼鱗生有釣爪如鉄」(面、蟹額のごとく、旋毛有り、四足有り、鳥のごとき翼、鱗生え、鉄のごとき釣爪有り)いうおどろおどろしい解説文まで添えられている、とある。これは伴嵩蹊の「閑田次筆」にも絵入りで所載する)。また因州(現在の鳥取県)に寛政三(一七九一)年五月の明け方に城下に落下してきたという獣は、体長約二・四メートルの巨体で、鋭い牙と爪を持つタツノオトシゴのような体型であった由、「雷龍」と名づけられた絵が残る。リンク先にそれらの画像があるので参照されたい。近代になっても出現し、明治四二(一九〇九)年に富山県東礪波郡蓑谷村(現在の南砺市)で雷獣が捕獲されたと『北陸タイムス』(北日本新聞の前身)で報道されている。姿はネコに似ており、鼠色の体毛を持ち、前脚を広げると脇下にコウモリ状の飛膜が広がって五〇間以上を飛行でき、尻尾が大きく反り返って顔にかかっているのが特徴的で、前後の脚の鋭い爪で木に登ることもでき、卵を常食したという。昭和二(一九二七)年には、神奈川県伊勢原市で雨乞いの神と崇められる大山で落雷があった際、奇妙な動物が目撃された。アライグマに似ていたが種の特定はできず、雷鳴のたびに奇妙な行動を示すことから、雷獣ではないかと囁かれた、とある。以上から、ウィキの筆者はその正体として、『各種古典に記録されている雷獣の大きさ、外見、鋭い爪、木に登る、木を引っかくなどの特徴が実在の動物であるハクビシンと共通すること、江戸で見世物にされていた雷獣の説明もハクビシンに合うこと、江戸時代当時にはハクビシンの個体数が少なくてまだハクビシンという名前が与えられていなかったことが推測されるため、ハクビシンが雷獣と見なされていたとする説がある』とし、『江戸時代の書物に描かれた雷獣をハクビシンだと指摘する専門家も存在する』 と記す。また『落雷に驚いて木から落ちたモモンガなどから想像されたともいわれ』、『イタチ、ムササビ、アナグマ、カワウソ、リスなどの誤認との説もある』 と記す。私の同定も満更ではないか。

・「識人(しれるひと)」の読みは私の推定。「しきじん」と音読みしているのかも知れない。「しれびと」では「痴人」の訓の方が知れているので、いやな感じがするし、「しりびと」ではただの知人の意の方が一般的。識者。

・「(長凡一尺程似栗鼠面長腮下黄也)」という( )内キャプションは、底本では右に岩波のカリフォルニア大学バークレー校版『(尊經閣本)』からの引用である注記がある。一応、訓読しておく。なお本図は、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、本文最後に割注で『図略之(図之を略す)』と始めて、このキャプションと同文を載せる。

  長さ凡そ一尺程、栗鼠に似、面長、腮の下、黄なり。

 

■やぶちゃん現代語訳(図は訳では省略した)

 

 江戸市中へ出来(しゅったい)致いた奇獣の事

 

 寛政十一年六月十八日の夜(よ)、子(ね)の刻過ぎのこと、馬喰町(ばくろうちょう)一丁目庄左衞門店(だな)の安兵衞と申す田舎廻りの行商を生業(なりわい)と致いておる者の方へ、妖しき獣が出来(しゅったい)、燈火の油を嘗めておるを捕えたる由、南町奉行所係りの者、訴え申し付け、その異獣、持ち込みたるを見たところが、これ、実に、最近のこと、下総国八幡村と申すところに御座る祠(やしろ)の前へ、この獣が出でたを捕え、御鳥見役(おんとりみやく)方より江戸城内へも、その奇体なるものを奉ったと聞き及んで御座ったが、どうも、これ、全く同じき生き物で御座った。下世話の話によれば――何でも「雷獣」なんどと風聞しておるようでは御座れど――まあ、その筋の識者の見ても、これ、全く以って不詳なる生物なるとか。図は左に示して御座る。

 

〇長さは凡そ一尺程度、栗鼠に似て、面長で、腮の下が黄色を示す。

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