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2013/01/04

耳嚢 巻之六 意念奇談の事 或いは「こゝろ」フリーク必読!

 意念奇談の事

 

 小日向水道端(こひなたすいだうばた)に、婦人の療治、産の取扱功者(とりあつかいこうしや)と人の沙汰せし山田齊叔といへる醫師、兩三代右の所に住(すみ)けるが、享和二年正月、齊叔長病(ながわずらひ)にて起居も難成(なりがたき)程にて、同月十六日、少々快(こころよき)間、近隣の寺へまふで閻王(えんわう)を拜すべしと云(いひ)しを、妻や子なる者、かゝる大病にて駕(かご)にても詣で給ふ事かたかるべしなど諭しけるが、其日の夕方みまかりける由。しかるに、程近き所に住ける御賄方(おんまかなひかた)を勤(つとめ)、兼(かね)て齊叔と懇意なる者、子共をつれ閻魔へ詣でけるが、途中にて齊叔に行き逢しゆゑ、久々病氣の樣子尋ねて立わかれ、日數過(すぎ)て齊叔死去を聞(きき)て尋訪(たづねと)ひしに、其妻子に、正月六日閣魔へ參詣の事を尋しに、中々參詣などなるべき事にあらねど、しかじかの事ありしと、語りけると也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:ポルター・ガイストから死の直前の幽体離脱と、いずれも享和二年の都市伝説で連関する。実は「耳嚢」では珍しい本格怪談連発でもある。――ただ、生霊の実体となってまで閻魔に参っておりながら、――その実、その日に亡くなったというのなら、これ、婦人科・産科医として名を馳せたという先代齊叔なる医師のやっていたことも、案外、怪しげな裏でもあったものか? と勘繰りたくはなりませぬか?――いや――そんなことはどうでも私には、いいんだ。――ここはロケーションがいいのだよ……

・「小日向水道端」文京区の旧小日向水道端一丁目及び小日向水道端二丁目(現在の水道及び小日向)。底本の鈴木氏注に『明治期に水道管を地中に埋没するまでは、地上を流れていた。目白崖下の大洗堰で揚水された常水が水戸邸に向かって東南へ流れていた。その水道の右岸に沿った地域で、反対側は寺院が多かった』とある。近代の水道埋設後の地図であるが、「国際日本文化研究センター」の「所蔵地図データベース」内の明治一六(一八八三)年参謀本部陸軍部測量局五千分一東京図測量原図「東京府武蔵国小石川区小石川表町近傍」(現所蔵番号:YG/1/GC67/To 002275675)で、

http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/2275675-15.html

地図の西にある「金剛寺」から南へ下る道の中央を点線が走り、それが坂下の「砲兵工廠」(旧水戸藩邸・現在の後楽園)の南端で実線下して橋脚が掛かっているのが見える。これが「水道」の名残である。齊叔の家は恐らくは、この「金剛寺」前旧水道両側直近で、水道に沿った地図の東外六〇〇メートル上流程、現在の有楽町線江戸川橋駅辺りまでが同定地となると考えられる。……なお――この地図の――中央やや南の「小石川中富坂町」をご覧頂きたい。……この丘陵の住宅地こそ――後の「こゝろ」の、あの若き日の「先生」のいた家があった場所である。……既に心 先生の遺書(五十五)~(百十) 附やぶちゃんの摑みの「八十七」で詳細な考証をしたが、具体に言えばこの「小石川中富坂町」の「中」の字の位置に――あの下宿家は「在った」と考えている……

・「同月十六日」正月十六日は初閻魔、閻魔王の賽日(さいにち:地獄で閻魔大王が亡者を責め苛むことをやめる日)とされるようになり、縁日となった。この日は小正月の翌日で、七月十六日の盆と並ぶ奉公人も仕事を休んで実家に帰れる藪入りとなった。

・「近隣の寺へまふで閻王を拜すべし」岩波版長谷川氏注には、この近くの閻魔を祀る寺として『日輪寺(曹洞宗)・還(げん)国寺(浄土宗)』を挙げおられる。この内、日輪寺は同じ水道端(文京区小日向一丁目)でまさに現在の水道端図書館の道(水道)を隔てた真向いにある。また還国寺も小日向二丁目で、本話柄からはどちらも数百メートル圏内に収まってしまい、寧ろ齊叔の家に直近に過ぎる気がする(但し、本文は確かに「近隣」と言っており、特に現在でも後者の閻魔像はかなり有名である)。が、私はどうしても、東京都文京区小石川二丁目にある、浄土宗源覚寺を同定候補として掲げたいのである。先の地図で、「小石川中富坂町」の「小」の字の東に「善雄寺」というのがあるが、その北位置に「源覚寺」の文字が見えよう。ここである。ここなら一キロメートル圏内で、齊叔の妻子が、敢えて「駕にても」(前の二寺なら私は無理して息子が背負ってでも行けそうな気がするのである)と述べた、感じが出る。ここの閻魔像は片目が濁った独特のもので、「こんにゃく閻魔」として江戸でも知られた閻魔を祀る寺である。……はい……おっしゃる通り……私がこれを候補にせずんばあらずなのは……「こゝろ」の「先生遺書」の、かの先生がKと御嬢さんの二人連れに出逢ってしまう、あの章の冒頭に登場するからで御座る……。

「十一月の寒い雨の降る日の事でした。私は外套を濡らして例の通り蒟蒻閻魔を拔けて細い坂路を上つて宅へ歸りました。Kの室は空虚(がらんど)うでしたけれども、火鉢には繼ぎたての火が暖かさうに燃えてゐました。私も冷たい手を早く赤い炭の上に翳さうと思つて、急いで自分の室の仕切を開けました。すると私の火鉢には冷たい灰が白く殘つてゐる丈で、火種さへ盡きてゐるのです。私は急に不愉快になりました。(以下略)

・「御賄方」江戸城内の台所への食材や食器の手配を管理する賄頭(まかないがしら)の属官。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 意念の幽魂の実体と化した奇談の事

 

 小日向水道端に、婦人の療治や出産の取り扱いの名人と専らの噂なる、山田齊叔(せいしゅく)と申す医師――もう三代に亙ってかの場所に住んでおる由なるが――享和二年正月のこと、先代の齊叔、長が患いにて、起居きもなり難きほどとなって御座ったれど、その月の十六日のこと、譫言(うわごと)めいて、

「……少々快ければ……近隣の寺へ詣でて……閻魔さまを……拝まんとぞ……思う……」

なんどと申す故、妻や子なる者、

「……かかる大病にては、駕籠にても、これ、詣でなさることは難しゅう御座る……」

なんどと諭し賺(すか)して御座ったが――とうとう、その日の夕刻――身罷ったる由。

 ところが……

 程近き所に住んで御座った――この者、御賄方(おんまかないがた)を勤め、かねてより、この故(こ)齊叔とは懇意にして御座った――者が、子供を連れ、初閻魔へ詣でたところが、途中にて齊叔に行き逢うて、久々に逢(お)うたによって、挨拶がてら、齊叔の病気の具合なんども訊ね、そのまま立わかれて御座った――と。

 日數も過ぎて、齊叔死去の報を聞き、弔問致いて御座った折り、かの者、故齊叔が妻子に、

「……実は、その、亡くなられた正月六日のことじゃが……我ら、閣魔参詣の砌り、確かに齊叔殿に行き逢(お)うて、お話まで致いたのじゃが……」

と訊ねたところが、妻子は、

「……なかなか参詣など出来ようさまにはありませなんだし、一日、臥所(ふしど)にあったまま、息を引き取りまして御座った……が……なれど……たしか……そういえば……その日、未だ少し意識のある時分、『……少々快ければ……近隣の寺へ詣でて……閻魔さまを……拝まんとぞ……思う……』……と……譫言のように呟いておりましたが……」

と、語ったとのことで御座る。

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