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2013/01/06

北條九代記 和田義盛侍所の別當に還補す

      ○和田義盛侍所の別當に還補す

同月五日に和田左衞門尉義盛二度(ふたたび)侍所の別當に還補せらる。故賴朝卿天下一統に歸して關東の最初、治承四年に三老一別當を定めらる。義盛この職に補(ふ)せられしを、建久三年に梶原景時之を羨み、只一日その職を假(か)りはべらんと望みしかば、その折節義盛服暇(ふくか)の次(ついで)を以て白地(あからさま)に之に補せられたり。景時様々奸謀を廻(めぐら)し終(つひ)にこの職を返さず。和田憤(いきどほり)思ひけれども、城狐(じやうこ)の權(けん)盛(さかり)なりければ、抂(まげ)て多年を送りけり。既に景時靑雲の勢(いきほひ)盡きて運命たちまちに駿州狐崎(きつねざき)の路頭に極りければ、義盛こゝに於て本職に還補せらる。景時は所司(しよし)の役職たり。夫(それ)名と噐(うつはもの)とは借(かさ)ずとこそいふに、假初(かりそめ)に景時是を奪ひて、數年の間この職に居し縱(ほしいまゝ)に權威を振ふ。世の疎むところ、人の憎(にくむ)ところ、天道暗からず。その亡ぶる事正に遲しと彼(か)の方(かた)の人は思ひ合へり。

[やぶちゃん注:「吾妻鏡」の正治二(一二〇〇)年二月の以下記事に基づく。

〇原文

五日辛酉。陰。和田左衞門尉還補侍所別當。義盛。治承四年關東最初補此職之處。至建久三年。景時一日可假其號之由。懇望之間。義盛以服暇之次。白地被補之。而景時廻姧謀。于今居此職也。景時元者爲所司云々。

〇やぶちゃんの書き下し文

五日辛酉。陰る。和田左衞門尉、侍所別當に還補す。義盛、治承四年、關東で最初に此の職に補するの處、建久三年に至り、景時、一日(いちじつ)其の號(な)を假(か)るべきの由、懇望の間、義盛、服暇(ぶくか)の次(つい)でを以つて、白地(あからさま)に之を補せらる。而るに景時、姧謀(かんぼう)を廻らし、今に此の職に居るなり。景時、元は所司たりと云々。

・「服暇」近親者が死んだ際に一定期間喪に服して休暇を取り、家にひきこもること。忌服(きぶく)。

・「白地に」一時的に。ほんの少しの間。

・「姧謀」「奸謀」に同じい。

・「所司」(侍所の)副官。

 

「三老」江戸時代の家老職に相当するものか。畠山重忠・和田義盛・北条時政の三名とされる。

「一別當」侍所の別当(長官)。和田はこの職への拘りが強く、確かに切に着任を望んでいのではあるが、もし、「三老」に選ばれていたとすれば、彼が更にこれを兼任というのはどうか? 侍所別当は幕府の生命線を握る最たる重職でもある。私は、この景時を別当とする人事は寧ろ、自然な頼朝自身の自律的な意志(加えて、近々の三浦や和田の勢力を抑止したい北条時政の意向)によるものであったのではなかったかと疑っている。和田の我儘を取り敢えず、満足させて、景時に工作させて、事実上、移譲させた。だからこそ頼朝はその後に義盛を還補させなかったし、頼家も何も言わなかった、と考えた方が理解し易い。

「還補」「補」は本書では一貫して「ふ」と読み、「ほ」とはルビを振らないからこれも「かんふ」若しくは「かんぷ」と読んでいるものと思われる。

・「城狐」城狐社鼠。「晋書」謝鯤伝に基づく故事成句。城にすむ狐と社(やしろ)にすむ鼠を除くためには、城や社を壊さなければならず、手を下し難いところから、主君の側に仕えている邪まなる家来、佞臣。また、それが除き難いことの譬えとしても使われる。]

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