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2013/01/16

西東三鬼句集「今日」 昭和二十六(一九五一)年七月まで 六〇句 / 「今日」了

昭和二十六(一九五一)年七月まで 六〇句

頭覺めよ崖にまざまざ冬木の根

歩くのみの冬蠅ナイフあれば甜め

[やぶちゃん注:底本には「甜め「甜」の右に編者のママ表記がある。ここは「なめ」だから「舐め」とあるべきところ。朝日文庫「現代俳句の世界9 西東三鬼集」(昭和五九(一九八四)年刊)では「舐め」とする。]

煉炭の臭き火税の紙焦す

屋上を煤かけめぐる醫師の冬

冬耕をめぐり幼な子跳ね光る

冬日見え鴉かたまり首伸ばす

硝子戸が鳴り出す林檎食はれ消え

父掘るや芋以上のもの現れず

聲太き牛の訴へ寒靑空

對岸の人と寒風もてつながる

寒の重さ戰の重さ肢曲げ寢る

  靜塔カトリツク使徒となる 四句

腦天に霰を溜めて耶蘇名ルカ

洗禮經し頭を垂れて炭火吹く

ルカの箸わが箸鍋の肉一片

同根の白菜食らひ友は使徒

わが天使なりやおののく寒雀

[やぶちゃん注:底本では「おののく」の「お」の右に編者のママ表記がある。]

鳶とわが相見うなづく寒の晝

遠く來し飛雪に額烙かれたり

寒中の金のたんぼぼ家人に見す

下界を吹くごとし火鉢を鷲摑み

戀猫の毛皮つめたし聖家族

寒入日背負ひて赤き崖削る

孤兒の獨樂立つ大寒の硬き地に

吹雪を行くこのため生れ來し如く

水飮みて激しき雪へ出で去れり

犬眠る深雪に骨をかくし來て

野を燒く火身の内側を燒き初む

たんぽぽ地に張りつき咲けり飛行音

血ぬれし手洗ふや朝の櫻幽か

夜の櫻滿ちて暗くて犬嚙み合ふ

春が來て電柱の體鳴りこもる

空中に電工が咳く朝の櫻

電工や雲雀の空に身を縛し

靑芽赤芽を煙硝臭き雨つつむ

菜種星をんなの眠り底知れず

ボートの腹眞赤に塗るは愉快ならむ

鐡路打つ工夫に菜種炎え上り

斑猫(はんめう)が光りゴム長靴乾く

   九州十三句

若き蛇跨ぎかへりみ旅はじまる

黒く默り旅のここにも泥田の牛

ラムネ瓶太し九州の崖赤し

  淸光園療養所 一句

肺癒えよ松の芯見て花粉吸ひて

[やぶちゃん注:「淸光園療養所」福岡県古賀市千鳥の千鳥ケ池周辺にあった国立清光園福岡県結核療養所。昭和三十七(一九六二)年に国立福岡東病院に統合され、現在は古賀市立千鳥小学校が建っている。]

沈みゆく炭田地帶雷わたる

風白き石灰臺地蠅飛び立つ

炭坑の蠅大々と地に交む

眞黑き汗帽燈の下塗りつぶす

塊炭をぶち割る女午後長し

神が火を放つ五月の硬山(ぼたやま)に

何か叫ぶ初夏硬山のてつぺんに

生きものの蜥蜴が光る硬山に

五月雨の泥炭池(でいたんいけ)に墜ちるなよ

若者の頭が走る麥熟れゆく

麥藁の若き火の音水立ち飮む

胸毛の渦ラムネのノ瓶に玉躍る

横向きの三日月ツツと花火揚がる

忙しき蜘蛛や金星先づ懸る

田の上の濁流犬が骨嚙じる

[やぶちゃん注:底本では「嚙じる」の「嚙」の右に編者のママ表記があるが、これで「かじる」と訓読出来るのでおかしくない。]

梅雨はげし百足蟲殺せし女と寢る

棒立ちの銀河ひげざらざさ唄ふ

後記

 この句集は戰前の「旗」戰後の「夜の桃」につづく私の第三句集である。

 内容の作品は昭和二十三年一月から二十六年七月までの「天狼」に主として發表したもので、私はその間神戸市山本通、兵庫縣別府、大阪府寢屋川市と轉々と居を移した。その度に職を變じた。

 既刊「夜の桃」の内容は、昭和十五年から二十年までの、強ひられた沈默の後であつたので、甚だ餞舌であつた。それに對して俳壇は拍手したのであつた。この句集の内容は、その同じ作者が、前著の態度を改めようとしつつ成したもので、それに對して俳壇は「三鬼は疲れてゐる」と評した。私自身はこの評に服しない。

 俳句作家にも What is life? How to live? の二つの態度がある。所謂進歩的態度は後者である事勿論であるが、私は前者に徹したいと思つてゐる。私には「生き方」のお手本を俳句をもつて指示する勇氣はない。前者に徹する事は後者に通じてゆくと思つてゐる。

 二十年來の同行者平畑靜塔氏に序文といふものを書いて貰つた。も一人の同行者三谷常にも賴みたかつたが、忙しそうだから止めた。私が今日、俳句に熱情を持ち續けてゐるのは、良き、古き仲間があるからである。

                  西東三鬼

[やぶちゃん注:底本では「も一人」の「も」及び「忙しそうだから」「そ」の右にママ注記がある。]

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