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2013/02/28

北條九代記 伊東崎大洞 竝 仁田四郎富士人穴に入る

 

      ○伊東崎大洞  仁田四郎富士人穴に入る

同六月一日、將軍賴家卿、伊豆の奥の狩倉(かりくら)に赴き給ふ。伊東崎と云ふ所の山中に大なる洞(ほら)あり。賴家卿、此内を不審(いぶかし)く思(おぼし)召し、和田平太胤長(たねなが)に仰せて、洞の内を見しめらる。胤長、松明(たいまつ)をともして、洞の内に入りたりしが、巳刻計(みのこくばかり)より、酉刻に及びて、洞より歸り出でつゝ申すやう、「この洞の内、數十里を打過る。暗き事云ふ計なし。松明を振(ふり)立てて奥深く行き至れば、所々に小川流れ、兩方の岩角疊竝(いはかどたたみなら)び濕うるほひ)滴りて滑(なめらか)なり。猶深く進(すすみ)行く。奥に一つの大虵ありて、蟠(わだかま)り臥したり、其長(そのたけ)十丈計もやあるべき、両眼輝(かゝや)きて凄(すさま)じく鱗(うろこ)重なりて苔生ひたり。胤長を見て口を開き、呑まんとする勢(いきおひ)あり。胤長、即ち太刀を拔きて、大虵の口を竪樣(たてざま)に切割(きりさ)くに、地を響(ひゞか)して倒(たふれ)死す。是より奧は虵に塞(ふさが)りて通り得ず、罷出でて歸りし」と申す。「猶奧見極めざらんは、洞に入りたる甲斐なし」と將軍、御不興(ごふきやう)し給へば、和田平太も心の外に思ひながら、御前をぞ立ちにける。同じき三日、將軍家、駿河國富士の狩倉に赴き給ふ。山の麓に又大なる穴あり。世の人、是を富士の人穴とぞ名付けける。この穴の奧を見極めさせられんが爲にとて、仁田四郎忠常を召して、剣を賜り、「汝この穴の中に入りて奥を極めて來るべし」との上意なり。忠常、畏(かしこま)りて、御劍を賜り、御前を罷立ちて、主從六人、穴の内にぞ入りにける。次の日、四日の已刻に、四郎忠常、人穴より出でて歸り來る。往還、既に一日一夜を經たり。將軍家、御前に召して聞(きこし)召す。忠常、申しけるやう、「この洞は甚(はなはだ)狹くして、踵を廻らす事叶(かない)難し。僅(わづか)に一人通るべくして心の如くに進(すすみ)行かれず。又暗き事云ふ計なし。主從手毎(てごと)に松明をともし、互に聲を合せて行く程に、路(みち)の間(あひだ)は水流れて、足を浸す。蝙蝠(かうもり)、幾等(いくら)と云ふ限(かぎり)なく、火の光に驚きて飛翔(とびかけ)り、その行先に満塞(みちふさが)れり、色黑き物は世の常にあり。白き蝙蝠も亦、少(すくなか)らず。水の流(ながれ)に隨ひて小き虵(へび)の足に當り纏(まとひ)付く事隙(ひま)なし、刀を拔きて切流(きりなが)し切流し進(すすみ)行くに、或は腥き匂(にほひ)、鼻を衝きて嘔噦(おゑつ)せしむる時もあり。或は芳(かうば)しき薫(かをり)來りて、心を涼(すゞやか)に成す事もあり、奥は漸々(ぜんぜん)廣くして、上の方には何やらん、色透(すき)通りて靑き氷柱の如くなる物、ひしと見えたり。郎從の中に物に心得たるが申しけるは、是は鐘乳とて石藥(せきやく)なり。仙人、是を敢て不老長生の藥を煉ると傳聞(つたへきゝ)しと語り候。又、歩(あゆみ)行く足の下、俄に雷(いかづち)のはためく音して、千人計一同に鬨(ときのこゑ)を作ると聞しは、是は定(さだめ)て修羅窟(しゆらくつ)の音なるべし。凄じき事に存じて候。猶、行先、愈(いよいよ)暗く、松明をともし續け、些(すこ)し廣き所に出たり。四方は黑暗幽々(こくあんいういう)として、遠近(をちこち)には時々、人の聲、聞(きこ)ゆ。心細き事、宛然(さながら)、迷土(めいど)の旅路(たびぢ)に向ひたどり行く心地ぞする。かゝる所に一(ひとつ)の大河に行(ゆき)懸る。事問ふべき都鳥も見えず、漲(みなぎ)り落(おつ)る水音は其深さ淵瀨(ふちせ)も定(さだか)ならず。逆捲く水に足を浸し入れたりければ、水の早き事、矢の如く、冷(ひやゝか)なる事、極寒の水に勝れり。紅蓮(ぐれん)、大紅蓮の地獄の氷は是なるべし。川向ひ其遠さ、七八十間もあるべし。其中に松明の如くなる物、向ひに見えて、光、宛然(さながら)、火の色にもあらず。光の内を見れば、奇異の御姿、邊(あたり)を拂(はらつ)て立ち給ふ。郎從四人は、その儘、倒れて死す。忠常、かの御靈(ごりやう)を禮拜するに、御聲(みこゑ)、幽(かすか)に教へさせ給ふ御事有て、則ち下し給はりし御劍(けん)を其(その)川に投(なげ)入れけるに、御姿は隱れ給ひ、忠常は、命助(たすか)りて歸り出で候なり」と申す。賴家卿、聞召し、「猶その奥は、定めて天地の外の世界なるべし。重ねて渡し舟(ぶね)を造らせ、人數多く遣はして見届くべし」とぞ仰せられける。古老の人々は、是を聞きて、「この穴は淺間(せんげん)大菩薩の住所なりと申し傳へ、昔より遂に其内を見る事能はずと聞き傳ふ。只今、斯樣(かやう)に事を破り給ふには、將軍家の御身に取りて御愼(つゝしみ)無きにあらず。恐(おそろ)し恐し」とぞ私語(さゝやき)ける。

[やぶちゃん注:「吾妻鏡」巻十七の建仁三(一二〇三)年六月一日・三日・四日に基づく。頼家の畸人性が強調され、頼家のカタストロフが近いことが禁忌への抵触によって暗示される。以下、この連続した三日分(二日は記載がない)を纏めて以下で見よう。

〇原文

一日丁酉。晴。將軍家着御伊豆奥狩倉。而號伊東崎之山中有大洞。不知其源遠。將軍恠之。巳尅。遣和田平太胤長被見之處。胤長擧火入彼穴。酉刻歸參。申云。此穴行程數十里。暗兮不見日光。有一大蛇。擬呑胤長之間。抜釼斬殺訖云々。

三日己亥。晴。將軍家渡御于駿河國富士狩倉。彼山麓又有大谷〔號之人穴〕爲令究見其所。被入新田四郎忠常主從六人。忠常賜御釼〔重寳〕入人穴。今日不歸出暮畢。

四日庚子。陰。巳尅。新田四郎忠常出人穴歸參。往還經一日一夜也。此洞狹兮不能廻踵。不意進行。又暗兮令痛心神。主從各取松明。路次始中終。水流浸足。蝙蝠遮飛于顏。不知幾千万。其先途大河也。逆浪漲流。失據于欲渡。只迷惑之外無他。爰當火光。河向見奇特之間。郎從四人忽死亡。而忠常依彼靈之訓。投入恩賜御釼於件河。全命歸參云々。古老云。是淺間大菩薩之御在所。往昔以降。敢不得見其所云々。今次第尤可恐乎云々。

〇やぶちゃんの書き下し文

一日丁酉。晴る。將軍家、伊豆の奥の狩倉(かりくら)へ着御す。而るに伊東崎と號する山中に大洞(おほおら)有り。其の源(みなもと)の遠さを知らず。將軍、之を恠(あや)しみ、巳の尅、和田平太胤長を遣はして見せらるるの處、胤長、火を擧げて彼の穴に入る。酉の刻、歸參し、申して云はく、

「此の穴の行程數十里、暗くして日の光を見ず。一(いつ)の大蛇有り。胤長を呑まんと擬(ぎ)するの間、釼(つるぎ)を抜き斬り殺し訖んぬ。」

と云々。

三日己亥。晴る。將軍家、駿河國富士の狩倉に渡御す。彼の山麓に又、大谷(おほたに)〔之れを人穴と號す。〕有り。其の所を究められんが爲に、新田四郎忠常主從六人を入れらる。忠常、御釼(ぎよけん)〔重寳(ちやうはう)。〕を賜はり、人穴に入る。今日、歸り出でず、暮れ畢んぬ。

四日庚子。陰る。巳の尅。
新田四郎忠常、人穴を出で歸參す。往還に一日一夜を經るなり。

「此の洞、狹くして踵(くびす)を廻らす能はず。意(こころ)ならず進み行くに、又、暗くして心神を痛ましむ。主從各々松明(たいまつ)を取る。路次(ろし)の始中終(しちゅうじう)、水流、足を浸し、蝙蝠、顏に遮(さいぎ)り飛ぶこと、幾千万といふことを知らず。其の先途(せんど)は大河なり。逆浪(げきらう)、漲(みなぎ)り流れ、渡らんと欲するに據(よんどころ)を失ふ。只だ迷惑の外(ほか)、他(ほか)無し。爰に火の光に當り、河向ふに奇特(きどく)を見るの間、郎從四人、忽ち死亡す。而るに、忠常、彼の靈の訓(をし)へに依つて、恩賜の御釼を件(くだん)の河へ投げ入れ、命を全うし歸參す。」

と云々。

古老云はく、

「是れ、淺間(せんげん)大菩薩の御在所なり。往昔(わうじやく)より以降(このかた)、敢へて其の所を見ることを得ず。」

と云々。

「今の次第、尤も恐るべきか。」

と云々。

「伊東崎と云ふ所の山中に大なる洞あり」これについては一説に、「伊東崎」は静岡県伊東市南部にある美しい単成火山の大室山で、洞窟は、その北西側裾野にある熔岩洞穴とも伝えられている。

「和田平太胤長」(寿永二(一一八三)年~建暦五(一二一三)年)和田義盛の甥。弓の名手として知られたが、この後、建暦三年に同心した泉親衡の乱(信濃源氏の親衡が亡き頼家の遺児千寿丸を鎌倉殿に擁立して執権北条義時を打倒しようとした事件であるが、多分に謀略臭い)発覚、陸奥岩瀬郡(現在の福島県)に流された。これを機に義盛が挙兵して和田義盛の乱となったが、執権義時方に敗れ、胤長も同年五月、配流の先で殺された。本話当時は満二十歳。


「巳の刻」午前十時頃。


「酉の刻」午後六時頃。


「數十里」は大袈裟。八時間で往復で、しかも足場の悪い洞窟内では、「十数里」でも覚束ない。冒頭から胤長の嘘が読める。大方、入口から程遠からぬところで、静かに隠れていたものであろう。

 

「十丈」約三〇メートル。

 

「富士の人穴」現在の静岡県富士宮市にある古代の富士山噴火によって形成された溶岩洞穴。ウィキ人穴」によれば、主洞は高さ一・五メートル、幅三メートル、奥行き約九〇メートル。最奥部から更に細い穴が伸びており、神奈川県の江ノ島に通じるとの伝説もある。江戸時代には富士信仰の修行の場ともなっていた聖地で、富士講の開祖である角行(かくぎょう 天文一〇(一五四一)年~正保三(一六四六)年:江戸時代に富士講を結成した人々が信仰上の開祖として崇拝した人物。)は、永禄元(一五五八)年に人穴にやってきて修行をした。また富士講信者は富士参詣をすませると聖地人穴に参詣にやって来て、宿泊したとされる。現在も洞内にはその時代に作られたとされる石仏が安置されている。「人穴」という名前の由来は、源頼朝が家臣をこの穴に潜らせたことから、人穴と呼ばれるようになったといわれる、とある。

「仁田士朗忠常」(仁安二(一一六七)年~建仁三(一二〇三)年)は伊豆国仁田郷(現在の静岡県田方郡函南町)の住人で、治承四(一一八〇)年の源頼朝挙兵に十三歳で加わった。頼朝の信任厚く、文治三(一一八七)年正月、忠常が病いのために危篤状態に陥った際には頼朝自らが見舞っている。平氏追討に当たっては源範頼の軍に従って各地を転戦、文治五(一一八九)年の奥州合戦においても戦功を挙げた。建久四(一一九三)年の曾我兄弟の仇討ちの際には兄の曾我祐成を討ち取っている。頼朝死後は第二代将軍頼家に仕え、頼家からの信任も厚く、頼家の嫡男一幡の乳母父(めのと)となったが、建仁三(一二〇三)年九月二日に頼家が危篤状態に陥り、比企能員の変が起こると、忠常は掌を返して北条時政の命に従い、時政邸に呼び出された頼家の外戚比企能員を謀殺している。ところが三日後の五日に回復した頼家からは、逆に時政討伐の命令を受けてしまう。翌晩、忠常は能員追討の賞を受けるべく時政邸へ向かったが、彼の帰宅の遅れを怪しんだ弟たちの軽挙を理由として謀反の疑いをかけられ、時政邸を出て御所へ戻る途中、加藤景廉に殺害されている(以上はウィキ「仁田忠常に拠った)。彼も結局は「昔より遂に其内を見る事能はずと聞き傳ふ。只今、斯樣に事を破」った実行既遂犯であった以上――ここでの教唆犯頼家の受けることになる「神罰」という名の「謀略」から、やはり遂に免れ得なかったのだ、ということであろう。本話当時は満三十六歳であった。

「已刻」午前十時頃。

「一日一夜」一昼夜であるから正味二十四時間。こちらは家来五人の内、四人が死亡していると報告しているから、かなり真面目に奥の奥まで探索したものと考えてよかろうか。――そうでないとすれば――四人の家来だけを奥の穴に無理矢理行かせ、戻って来ずなったによって帰ってきて大嘘をついた――という、胤長なんぞより遙かにトンデモ冷血漢ということにもなろうか。――仁田の実際の事蹟(前注参照)や、波瀾万丈の美事なる地底廻りの話っぷり、最後の神霊の出現の辺りの如何にもな感じからは――寧ろ、その残忍で打算的な男の可能性の方が、残念ながら私は高いようにも読めるのである。

「嘔噦(おゑつ)」は正しくは「おうゑつ」で(底本では「お」の下に空白があるので「う」は植字の脱落かも知れない)、しゃっくりやゲップ、吐きそうでいながら、物が出ないことをいう。

「修羅窟」六道の修羅道。

「事問ふべき都鳥」「伊勢物語」第九段の「東下り」の知られた和歌「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」を踏まえるが、この如何にもな落ち着いた引用装飾も、実にこの仁田の話柄全体の嘘臭さを高めていると言える。


「紅蓮、大紅蓮の地獄」地獄の中で、通常知られた地獄の業火ではなく、極度の寒冷に責め苦しめられる八種の地獄の内の二つ。「紅蓮地獄」はその第七とされ、正しくは鉢特摩(はどま)地獄で鉢特摩とは「蓮華」を意味するサンスクリット語の音写。ここに落ちた者は酷い寒さにより皮膚が裂けて流血し、紅色の蓮の花に似るという。次の「大紅蓮地獄」はその第八の地獄で、正しくは摩訶鉢特摩(まかはどま)地獄。摩訶は「大」を意味するサンスクリット語の音写。ここに落ちた者は紅蓮地獄を超える寒さにより体が折れ裂けて流血し、紅色の蓮の花に似るという。八寒地獄で最も広大とされる(以上はウィキ地獄」の記載を参照した)。


「七八十間」約一二七~一四六メートル。

「淺間大菩薩」木花咲耶姫命(コノハナノサクヤビメ)とされる富士の守り神である浅間大神を祀った浅間神社が神仏習合によってかく呼ばれた。]

 

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