フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« 西東三鬼 拾遺(抄) 昭和三十四(一九五九)年 | トップページ | 槍の野邊 大手拓次 »

2013/02/25

一言芳談 九十六

  九十六

同上人云、今度(こんど)、法印御房を見たてまつるに、日來(ひごろ)の所存をかへたるなり。させる事もなかりける事を、樣(やう)がましく思ひけるなり。誠にほれぼれと念佛するには不如(しかず)と云々。

〇法印御房、明禪法印なるべし。
〇日來(ひごろ)の所存をかへたるなり、日比かの法印の行はさぞめづらしき事ならんとおもひつるに、つきそひてみれば、たゞうちかたぶきて念佛せらるゝばかりなり。さらに奥ふかき樣子もなし。かねての推量にはたがひてあるなり。

[やぶちゃん注:老婆心乍ら、これは、ここまでの「一言芳談」を読まずに読むと、誤釈される方もあろうかと思われるので、私なりに「標注」を援用しながら現代語訳したい。
――敬仏上人が言われた。
「拙僧は今度(こんど)、初めて明禅法印を見奉ったが、その法印の念仏の有り様(よう)を拝見致いたによって、拙僧、日頃よりの『念仏するということ』に就き、心に思うて御座ったことを、これ、全く変えるに至ったのである。
 拙僧は、実は日頃より、
『かの明禅法印の念仏の行は、これ、さぞかし凡百の僧のそれとはうって変わって、珍しくも貴きものにてあるに違いない。』
と思うて御座った。ところが、いざ、法印に付き添うて、ともに念仏を致いてみたところが――
――法印は、ただ――普通に――自然に――俯いて――静かに――優しく――念仏なさるばかりで御座った……。
 その瞬間、拙僧は悟った。
……今までは、これといって声を大にして言うべきことにてもあらぬような、ごくごく当たり前のこと――しかし、しかもそれが〈誠〉である――を、如何にも取り立てて特別に奥深きことででもあるかのように――しかし、そう感ずることによってその〈誠〉からは遠く遠く離れてある――思い込んでいたのであった――ということを。……
……そうして、まっこと、己れ自身、弥陀の慈悲に心からうたれて、うっとりとしながら、念仏を致すに、これ、若はない――ということを、な。……」
と。]

« 西東三鬼 拾遺(抄) 昭和三十四(一九五九)年 | トップページ | 槍の野邊 大手拓次 »