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2013/02/01

一言芳談 八十一

   八十一

 

 或人、敬日房(きやうじつばう)に問うて云、稱名は往生の要と知りて、となへ候へども、心には野山(やさん)のことのみ思はれて、口ばかりに唱ふるは、いかゞ候ふべき。答へて云、御房はこれへおはしまさんといふ心にて、立(たち)出であゆませ給ふあひだは、あゆむ足ごとに、これへこれへとばかりおもひ給ふ事、よもあらじ。あらぬことをも思ひてこそ、あゆみ給ひつらめ。されども、あゆむことやまずして、これまでおはしたり。此定(このぢやう)に、極樂に往生せんといふ願をおこして後、彌陀の名號をとなへ給ふ間には、あらぬことをおぼしめすとも、稱名やまずして、命終(いのちをは)るまで行ひ給はば、往生決定なるべし。

 

〇野山のこと、萬(よろづ)の妄念なり。

〇答へて云、此返答のたとへめづらしくしてよくかなひ侍る。智目行足(ちもくぎやうそく)などといふ事もあれば、念佛の行を足にたとふるもいはれあるなり。

 

[やぶちゃん注:「敬日房」Ⅰは『けいにちばう』と振るが、Ⅱ・Ⅲを採った。Ⅱの大橋氏の注に『円海。もと比叡山に住し、のち隆寛律師の弟子となって浄土を学ぶ。弟子に慈信房澄海。著書に』「初心集」がある、と記しておられる。

「此定に」Ⅱ・Ⅲは「このさだめに」と訓じているが、採らない。この「定」は仏教用語の「定め」ではなく、「案の定」と同じで、修飾する語を受けての、その通りであること、を意味するから、このように、の意である。

「智目行足」天台宗の大成者としてしられる「摩訶止観」の作者、隋の智顗(ちぎ 五三八~五九七)が書いたもう一つの名著で妙法蓮華経という題目を注釈した「法華玄義(ほっけげんぎ)」の中に、

 智目行足到淸涼池(智目と行足、淸涼の池に到る)

とある。これは、まことの仏法の「智」の「目」とそれに基づくところの「修行」という「足」さえあれば、清涼なる池(悟りの境地)に到ることが出来るという比喩である(この注は大谷大学公式HPの教員エッセイ「生活の中の仏教用語」の仏教学教授 Robert F. Rhodes 氏の智目行足の記載を参考させて戴いた)。]

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