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2013/02/19

緑なす浪の江の島夢にして人と降りし岩屋道かな 萩原朔太郎

綠なす浪の江の島夢にして人と降りし岩屋道かな

 

[やぶちゃん注:昭和一六(一九四四)年十一月十一日附上田静栄宛書簡(昭和五二(一九七七)年刊筑摩書房版全集書簡番号七四七)より。死の凡そ七ヶ月前の短歌である。但し、「緣なす」とあるのを「綠なす」に直し、最後の読点を除去した。以下に、書簡全文を示す(踊り字「〱」は正字化し、誤字は後に〔 〕で正字を示した)。

 

 度々御手紙や御詠歌をいたゞき、いつも感慨深く拜見して居ります。特に先日は、わざわざ好物の御見舞まで御持參下され、何とも御厚情御禮の申しやうもございません。

 小生の病氣も、風邪が原因でしたが、それから轉化して紳〔神〕經衰弱症になつてしまひました。今では生理的に大した異狀が無いのですが、紳經衰弱が烈しくなり、戸外に出る事が非常に恐ろしく、一歩も病室から出られません。人に逢ふことは絶對に厭やなので、家人でさへも、用事以外の場合はできるだけ避けるやうにして居る仕〔始〕末です。いつになつたらこの病氣が治るのか、自分ながら到底解りません。何かのチヤンスで、急に心氣一轉したら、明日にでも治るやうな氣がしますが、今の所我ながら心細い次第です。どうも自分の考では、この病氣の原因には、桶〔樋〕口一葉が崇〔祟〕つてゐる如く思はれます。あの退屈な歌を何百首となく、後から後からと持ちこまれたので、それが妙に氣になつて紳〔神〕經を病み出したのが、病氣の前兆のやうに思はれます。もつともその時既に紳〔神〕經衰弱にかかつて居たので、原因と結果が逆になつてたのかも知れません。

 

 御手紙の模樣では、貴女も思想的に大分惱まれて居る御樣子ですが、哲學書に親しまら[やぶちゃん注:「ら」は衍字。]れることは、さういふ際に大へん結構と存じます。僕も靑年時代には、いはゆる「人生の懷疑病」といふ奴にかかり、疑問を解決しようとしようとして、古今の哲學書を片つぱしから濫讀しました。お影で、プラトンを始め、ニイチエ、ベルグソン、シヨペンハウエル、カント、ゼームス等の哲學大要に通じましたが、結局何も得る所はなく、もとの默〔木〕阿彌に終りましたが、とにかく耽讀してゐる中だけは樂しみでした。つまりそれだけ得したわけでした。

 

 この頃よく夢を見ます。數日前には江の島へ遊んだ夢を見ました。小生はよく色彩のある夢を見ますが、江の島の風景が天然色映畫のやうに綺麗でした。

緣〔綠〕なす浪の江の島夢にして人と降りし岩屋道かな、

 

 こんな駄歌をさめて作りました。

 

 今日は少し氣分が好いので手紙をかきました。

                    萩原朔太郎

 上田靜榮樣、

 

上田静栄(旧姓友谷 一八九八年~一九九一年)は女流詩人。大阪生(底本全集の七四七書簡注では山口県生とする)。京城(現在のソウル)の女学校を卒業後、文学を志して上京。田村俊子の内弟子となった。大正一三(一九二四)年に林芙美子との二人誌『二人』を発行し、また、岡本潤や小野十三郎とも同棲するなど、ダダイズムやアナーキズムの詩人たちとの交流の中で詩を書き始める。しかし、その後、『薔薇・魔術・学説』『馥郁たる火夫よ』『詩と詩論』などで活躍していたシュールレアリスト上田保と結婚、モダニズム詩へ向かった。代表作は第一詩集「海に投げた花」(昭和一五(一九四〇)年)。以上は関富士子氏のHP「rain tree」の金属と鉱石の打軋る中へ上田静栄の記載を参照した。書簡中の「桶〔樋〕口一葉が崇〔祟〕つてゐる」というのは、新世社刊の「樋口一葉全集」第五巻(昭和一六年十月刊)の編集を指す旨の注記が底本とした筑摩版全集にある。]

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