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2013/02/21

大手拓次詩集 藍色の蟇 序 北原白秋

ブログ・カテゴリ「大手拓次詩集 藍色の蟇」を始動する。ネット上にない、初版の可能な限りの正確な電子テクスト化を目指す。

北原白秋の異様に長い序とその、長さに劣らぬ異様な讃嘆――僕はそこに「犯罪者」白秋の臭いを嗅ぎ取るのであるが……それはまた、いつかのお楽しみに……



藍色の蟇   大手拓次

[やぶちゃん注:底本は昭和五八(一九八三)年ほるぷ刊行の「名著復刻詩歌文学館 紫陽花セット」の「藍色の蟇」に拠り、原本の順に従ってなるべく忠実に再現したが、細部の字配や詩題等のポイントの違い(有意に大きい)は原則、無視した。疑義のある箇所は昭和二六(一九四一)年創元社刊創元文庫「大手拓次詩集」、昭和五〇(一九七五)年現代思潮社刊現代詩人文庫「大手拓次詩集」及び平成三(一九九一)年岩波書店刊岩波文庫原子朗編「大手拓次詩集」を適宜参考にした(なお、大手拓次の第一人者である岩波版編者の原氏は、本詩集「藍色の蟇」について、編集過程で製作順列が変更された上に、晩年の作品も恣意的に加えられており、大手拓次の『四半世紀にもわたる詩業を整理もせず一冊に盛りつけている』『内容自体に問題がある』詩集として強く批判され、岩波版編集の際もその『作品選択は、既刊本『藍色の蟇』の内容に左右されていない』とわざわざ解説で述べられているほどに評価されておられぬことを附け加えておく)。]

[やぶちゃん注:以下、標題紙前にある献辞。]

   わたしのひかりである
    北原白秋氏に獻ぐ

[やぶちゃん注:以下、標題紙。]

  藍色の蟇   大手拓次詩集

[やぶちゃん注:間に著者遺影。次に本文前目次。]

   『藍色の蟇』の詩人に(序)・北原白秋
   大手拓次君の詩と人格(跋)・萩原朔太郎

[やぶちゃん注:上記の裏頁。]

   装幀 逸見 享

[やぶちゃん注:次頁。]

   序

[やぶちゃん注:改頁二回。]

   『藍色の蟇』の詩人に

                北原白秋

         1

 大手君。
 君の在天の靈に獻ぐる此の私の言葉は、既に遲きに過ぎた。しかしながら到るべき時が滿ちなければどうにも輝かぬ機會がある。かうした自然の推移を推移として、今日の光榮があらためて君の上に俟たれたのである。とは云つてもこの事は決して私の爲に自身の懈怠をうち消す理由にはならぬ。深くお詑びをする。
 かう言へば、君は却つて虔しく微笑されるであらう。君は私を識り、私もよく君を知つてゐる。幽明所を異にしようと私たちには必ず靈犀相通ずるものがあると思へる。時は到り道は愈々に開けて來た。大手拓次詩集『藍色の蟇』が燦然として今こそ梓に上るのである。

 大手君。
 君の詩を私が識つてから幾年になるであらう。『朱欒(ザムボア)』の昔、明治大正の初頭に吉川惣一郎の筆名を以て突如として現れた新人の君は、室生犀星、萩原朔太郎の兩君と共に、一に金線につながる連星として光つて來た。以來、君の純情と節義とは私をして常に敬愛せしめた。私の行くところ常に歩みを同うして君は君の香韻を鳴り響かした。時として私が歩を停むれば君も亦幽かに、潔くして隱れた。『地上巡禮』“ARS”『詩と音樂』『日光』『近代風景』、さうした私の詩歌史に於ける諸誌を通じて、主として君の詩業は公にされ、ただ一道に眞實を傾け盡したのであつた。なみなみならぬ結緣といふ外はない。世に稀な忝さとはかうした魂の共鳴りであらうか。

 大手君。
 君の詩集『藍色の蟇』は、室生君の『愛の詩集』萩原君の『月に吠える』と雁行して、少くとも大正の中葉には輝かしく出世すべきであつた。謙讓であり、非社交的であり、私行の上に極めて扣へ目がちであつた君は幾度かその機を逸した。此の事は詩友としての私にも責任が無いとは言へない。君の詩は君獨自の香氣と語感と韻律とを以て、知るかぎりの人には驚目されてゐた。いみじき寶玉の凾はいつよりか獵奇の手に開かれてあり、決して巖窟の闇に埋もれてあつたといふ譯でもなかつた。運不運といふ事があるとしたら、君は不運の星から永らく見守られてゐたと云へる。この頃の新詩人の間には、吉川惣一郎と云ひ大手拓次とは云つても、或は見知らぬ世界の「球形の鬼」のやうにも見定め難いであらう。しかしながら大正より昭和にかけて君が成就された個の詩風は蕩然として實在し、此の『藍色の蟇』一卷の重量と柔かみとは、その掌に戴く人々をして、稀有の新詩集として讚歎せしむるであらう。年代を追ひ、その生長の跡を辿り、今更に、私は外ならぬ君の息吹を感じ、その詩句のひとつひとつに寧ろ自身の手澤をさへ嗅いで、この兩者の愛と深い魂の交流を聽きつつある。何よりも遺憾に思ふことは、今は遂に君の最後だといふことである。
 君の親友逸見享君は、進んで裝幀した此の金を鏤むる『藍色の蟇』を獻げて、何は措いても君の墓前に額づかれるであらう。それにしても、澄明な冬の大氣に、此の濃い藍色の詩集が燻らす香煙の匂やかさを偲ぶ時、私はつくづくと熱い我が眼がしらのふるへを痛感する。

         2

 大手君。
 君はその初期の詩「藍色の蟇」「陶器の鴉」等によつて早くも一家の淸新體を風騷した。想念に於ても感覺に於ても、または語音の舌觸、韻律の蕩搖に於ても、殆ど前人の影響を受けず、日本詩歌の傳統以外に、個の吉川惣一郎の詩を創成した。異數の事であり、まことに佛蘭西風の開花でもあつた。その獨自の香氣と粘りある柔軟性とは、怪奇な雜多の主題と共に、その觀る人々に一種のえならぬ甘い戰慄をさへも與へた。
 稟質の特異性といふ點に於ては、神經の詩人『月に吠える』の著者と時代を同じくして、或は好き一對を成すものであらうか。しかしながら、此の『藍色の蟇』の世界はまた別種の惱氣ある幻夢を吐いて、寧ろ放埓なまでに黄色い空想の噴霧を羽ばたかした。空想の獵人と云ひ、麻醉の風車と云ひ、鳥の毛の鞭と云ひ、茴香色の性慾と云ひ、紅い羊皮を着た召使と云ひ、草色の瘤の生えた幽靈の足と云ふごとき、ただに五六の詩句を拾つたのみで、暗鬱の胸板をかき撫でられるむづ痒ゆさや柔かい怪しい七色の祕密の呪文をその「香料の顏寄せ」の中に感じられるであらう。もやもやした、のろのろした、ねばねばした、ふはふはした、よろよろした、ゆらゆらした、めらめらした、によろによろした、うとうと、うねうね、うつうつとした、或はぴらぴらした、ちろちろした、べろべろした、ほやほやとした、何といふ不思議なこぐらかつた肉的觸感であらう。聲、色、香、味、觸、之等の中で、君は最も觸の一面を高い藝術にまで、視覺や嗅覺と織り交ぜたのではなかつたか。
 時としては蒼白の面に、而も一脈の妖美をひそめた尼僧のやうに羞かみ、或は緬羊の衣を著て、春の夕映の下によろばふ托鉢僧のやうに吐息した君は又、白い狼をその背に吼えさしたり、ぽうぽうと手にも足にも草を生やしたりしてつぶやいた。さうして君は獨身で生涯を畢つた。言葉をかへて云へば、君の詩は獨身の肉體に咲いた幻想の華であつた。
 何故かなら、君の藍色の蟇は夜と毒氣を雜草の奧に吐き出だすそれではなかつた。森の寶庫の寢間にうづくまつて、あの陰濕な暗い暖爐の中にさへも、或る朱の更紗の繪模樣を描いた。
 君にボオドレエルの影響が無いとは言へないであらう。しかしながら君の詩はかの惡の華とも色合を異にしてゐた。孤燭で内氣な肉體の華、陰鬱と情念のラムプの舌、とりとめない幻感と連禱、乳黄と綠の羽ばたき、さうしたもだもだとした雜光の霞に陶醉した君は何といふ不思議な存在であつたらう。

 君は詩の使徒にはちがひなかつたが、より苦行する以上により哀樂した。寧ろ淫するほどに溺沒した畸體の詩魔であつた。さうして君の言葉に從へば、その一篇の詩を得る時には、病床に餅菓子の粘りを舌なめづる餓鬼の嗜慾をも感傷した。
 君は十年一日のごとく、夜は近代映畫館の電飾と騷音とを眼前にして、陰濕な暗いその空を閉して、その己れの肺臟を刻々と蝕ませて行つた。

         3

 大手君。
 君の書かれた詩を見ること二十數年に及ぶ間に、君の書體はいつも變らなかつた。君は一頁十行の原稿紙に、その一頁と次の頁の二三行とを、君獨自の圓みと粘りとを持つた細い曲線で書いて收めた。さしてそれ以上に詩は長くもなく、又、以内に短くもなかつた。
 君は迫らなかつた。その爲に行の運びによる詩の韻律は常に緩調(アンダンテ)の樂曲であつた。ただ解體する縞蛇の群の四方への匍匐のやうに、行と行とがその想念情癡の綰ねから放れ、ぬらぬらと、而も未だ夢見る色と香ひとのとろみを、かの妖しい季節の首玉に一條一條とうねらすかのごとくであつた。さうして遂に雅味多き平假名の美しい連鏁となつた。是の平假名をかくばかり生きた波狀のやうにぬめりにぬめらした君の詩の姿は、日本の詩により新らしい匂と煙とを縺れさせ、さうして日本のものといふよりは寧ろ十九世紀あたりの舶來の氣色をも想見せしめた。君が日本文學の何ものの傳統にも殆ど囚へられなかつたのは、君にとつては知らぬが幸であつたとも云へよう。それだけにほしいままにも樂しめた自由さであつたか。私のごときは古典と先人の重壓の下に、苦しみに苦しみとほして來た。結縛と不自由との中にあらためて己れを鍛錬し、己れを解放することに惱みぬいて來た。何れが幸であり禍であるかといふことはその人の分にある。私は私でよく、君は君でよろしかつた。それにしても、君は藍色の捲毛に眼は碧い洋種の詩人として、この祖國の民俗とは甚しくかけはなれた海の外から、提琴を爪ぐつて來たかのごとくにその詩句を操つた。近代日本の口語體に移したよき飜譯調のやうでもあり、血脈の相違をも疑はせた。君は易々として樂しかつたであらう。その爲にまた、日本の言葉に新味の感情を附與し、香色の排列を光闡した。

 君の詩が如何に幻想に豐かであつたかといふことは、日常に君を夢遊せしめた詩魂の音樂に就いて聽けばよき理解が匂ふであらう。ただ君の韻律の流動にはさして多種多樣の變化は看られなかつた。概して相似の音波の連續であり、音の強弱が度に於てほぼ同じく絶えず遠心的に蒼茫とした空氣を顫はして行つた。内に寵る極度の緊縮や、詩型の整齊や、時にとつての動顚や、野性の咆吼、人間群落の亂聲といふ風のものは、その詩興の五線譜には綴られなかつた。少年の羞耻にも近い潔癖や、厭人的孤高性や、また穩かな女人の白い手の香炎にも似た性情が、さう常にあらしめたであらう。
 君はまことに詩に隱れて、ただ獨の幻感と連想とに昏醉した人ではあつた。此の『藍色の蟇』の詩は、君が作るところの一部の選抄にしか過ぎない。その類型の爲に、現像の稀薄、或は喪れた想像の翼の爲に、或は餅菓子を食べ過ぎたが爲に、そのまま筐底に葬られたものは實に顆しい蝶の數に堆積した。君は君の藍色の夜を、ただに黄いろいラムプの中にあつめて、詩を吐き、炎を瞬かしてゐればよかつたのだ。
 或は、そのせいでもあつたか、晩年にはいくらか根が疲れ、聲色の衰へと香の火の白いくづれとが見えないではなかつた。何にしろ初期の詩がすぐれて妖しく炎を點してゐる。

 大手君。
 君の情感は翼の生えたわかわかしい黄ろい薔薇の花のやうであつた。色も香ひも、その繞りの空氣もすべてがゆらゆらと新らしく、そこには古めかしい何の文獻の關りもなかつた。再び云ふが、君の言葉は君によつて選まれたところの此の近代の日本の言葉のみであり、その口語脈の詩句のひびきは君自身に内より外へ釀し出された薰りの音波であつた。これほど物の見事に我が古典を雲霧の彼方に忘却し得た今日の詩人は他にはあるまいと思はれる。強ひても赤外線によつてでも、原始日本を身の眞近に映寫しようとする私ごときにとつては、全く不審にすら思はれる。
 詩人の一生にも風雪と境涯の推移によつて、幾許かの轉身はある。この私の詩風にも、君が觀られたとほり幾度かの變貌がひとりでに來た。然るに君はその背中の美しい翅ばたきを休止するまで、失張り同じ語韻の同じ姿體の持主であつた。而もその精神に於ては永遠の浪曼人(ロウマンチスト)であつた。
 君がありのままの自然の觀照家でもなく、活きた人生の現實主義者でも末世の思想家でもないといふことは、君の詩人としでの價値を上下する理由にはならぬ。君は君としての個の匂のふかい世界を夢から夢へと織り續けて行つたのだから、それでよいではないか。
 思ふに君の詩は君の謂ふ黄ろい馬の耳元や、柔かいカンガルウの編靴の傍、或は陶器製の靑い鴉のまへ、あかい假面の上の雜草の中、或は月を眺むる靑狐の足のうしろ、白い髯を生やした蟹のかたへ、さうした位置に、君と同じに心を据ゑて、それらの一句一句を味わふべきものかと思はれる。君の怪奇な曼陀羅圖は濛々とし惱氣と、さだかならぬ啾々たる鬼哭とを以て私たちを吸ひ寄せる。一氣に、或は東洋風の簡約に、頸根つこや生膽をがしと摑むそれらでもなく、徹りきつた直觀で錐揉みに揉むそれらでもないやうである。ともすれば放恣に空想の蛾が鱗粉を散らし、金の吹雪が卵をたぎらせる。どうともせよと焦燥したくなつても中々に見えて來ぬ幽靈の手ぶりもあれば、さだかにはわきがたい銀の捕繩の響もする。君は獨だけで考へ、獨だけでつぶやきつづけた。
 しかもまた、解體しつつある縞蛇の塊りとも、私は君の鬱憂の匍匐狀態を云つたが、角の神經を持つた雲丹型の紅い球形の鬼が君の腦髓には棲んでゐたらしい。君の蛇はぬらぬらとしても温かく、君の鬼は陰鬱でも明るくしやくつてゐた。南方の詩であり、北方のそれではなかつた。全く、あの色も響も無くしんしんと押し迫る寒波の凄まじさは、たとひ妖氣の獵奇者の君にも堪へられなかつた筈だ。眞空鐘の中では音韻が微動だにせぬがごとく、光と薰と空氣無しには、君は一瞬も生きられさうになかつた。
 それであるから君は決して惡の詩人ではなかつたのである。

      4

 大手君。
 君の風貌に就いては、君の詩を識つて以來、十數年の後に至るまで、私は全く知るところがなかつた。それは此の集の君のおぼえがき「孤獨の箱のなかから」に君が書かれたとほりであつた。君はその永い歳月の間にただの一度も私を訪れては見えなかつた。
 ただ、私は、君より入手するや詩と書體をとほして、私の恣な想像を樂しむのみであつた。初めて君の魔女作「藍色の蟇」を發見した當時の私の悦びは、今にしても光りかがやく私の頰を感ずる。室生、萩原兩君の出現に私の眉もうちあがつたあの『朱欒』の開花時が思ひ出される。
 吉川惣一郎、その人の名を以て、私に寄せられた折々の書簡は、大手拓次となつても、まだ秋の香爐の煙のやうに匂はしく、何か内氣な女手のやうな色めきや優しみが殘つてゐた。その細みの圓い曲線に縺れた涙ぐましい風のそよめきが時として些か私を戚傷の囹とした。謂ふところの未知の戀人のやうに私を遠くより觀る瞳の若さが偲ばれた。

 大手君。
 さうであつた。たまたま詩誌『近代風景』の創刊に際して、谷中天王寺の私の假寓に、君と初めて會見したのはまさしく大正十五年の冬であつた。
 私は驚いて目を瞠つた。
 蓬々として捲いてちぢれた肩をうつ長髮、鼻も高く、鬱屈した逞しい顏、筋骨の嚴つい中年の偉丈夫が、何と私の前に端坐してゐたのではないか。豫想とは全くちがつた、諧謔して云へば歷山大王のやうな風姿の君ではあつた。
 それにも關らず。君はまた寡默の、極めて羞かみ屋の、切長の眼の潤んだ、事ごとに頰を赤める少年の純情を以て、おどおどとした、その詩や書體に見るやうな人でもあつた。
 私たちは何を語つたであらう。おほかたはあの墓地の落葉のやうに記憶も飛び散つて了つたが、雲は細く、玉蘭の高い枝には朱の寂びた奇異な瘤形の果の幾つかが、くくれて、共に歩いて見上げた、私の眼底に灼きついてゐる。

 君の詩に就き、性情に就き、私生活に就き、樣々に思ひ惑つた私は、君の死後に、それとなく聽きもし、日記類なとも散見もして、漸くに氷釋した數々があつた。
 書いてもいいかと思ふが、君の詩はまさしく、君の鬱悶が、神經が、生活が書かせたものにちがひなかつた。異常の君にしてよくもライオン齒磨の廣告部に二十年近くも日々勤務しおほせたと思へるが、それ故にまた、牛込袋町の下宿の一室に机の向も變へずに、夜々を坐りとほした忍苦と奇怪な不精とを肯き得るのである。
 限りのない戀慕と詩と空想と美の耽溺は、君の命を糸で編んだラムプの蕊のやうにぢりぢりと縮めては行つたらうが、君自身には、それが炎の祭でもあり、好もしく吸ひあぐる紫の燈油のにじみでもあり、如何ともするすべはなかつたであらう。
 書いてはわるいかとも思ふが、君の詩の世界の相手は、多くは君ほどの優れた詩人の戀する相手としてはあまりに價値の無い市井の少年少女であつたらしい。君の書き贈る切々とした戀の詩の美しさや消息の細々しさに對して、手まはり香料や化粧液を嗅ぎ分けるほどの敏感さを果して彼等は所有してゐたであらうか。君の心の鳴咽はかの母韻のごとくに、常に子韻のかげに隱れて五色の光線を顫はしたが、彼等は遂に知るところも啄むところも無かつたらしい。綿々たる情熱を祕めた幽婉な愛の言葉の末には、必ず「朝な朝な、その淨き齒を磨きたまへかし。」と書き添へることを忘れなかつた君の純情はさることながら、如何ほどに彼等の口中は牝牛の舌や腐れた赤茄子からの唾液を厭はしく淸掃したであらうか。
 いつもいつも恐ろしい幻滅が、君を蝕ませたといふそのことそれ自らが、非現實な幻想家の收穫すべき冬の日の柿の蔕ではなかつたか。
 永い間の君の獨身が、夢にのみ華やかなその木の根の石の上には、いつもいつも怯儒な蒼い影ばかりをこびらつかせたのだ。

 大手君。
 許してもらへるならば、私は、君の詩生活の豐潤と、虛妄とも見えて君には眞實であつた香炎の羽ばたきとを、更に裏書すべき詩文集の一卷を編纂さしてほしいと思ふ。詩の殘闕と、日記、書簡、その他の類聚である。此の一卷こそ、君の裸形の背後から射透す紫外線の火花でなくして何であらう。
 私は密かに見た。君が戀する女の足に就いてあの幻感と連禱とを恣にした日記の詩文を、さうして、その二つの白い素足をそれぞれの中心として縱横十方に放射する理性と神經と情念との道路圖を。
 私は知つてゐる。私の義弟山本鼎の近親であつて、同じく畫家であり、未完成ながら天才の俤を多分に示した村山槐多の遺稿集『槐多の歌へる』のあの暴露の凄まじさを。おそらく君のこれとは、色こそちがへ、同じ光度に於て世を驚倒せしめるであらう。

      5

 大手君。
 私は君に就いて些か鵞鳥の筆を以てして書き過ぎたかもしれぬ。切口が今でもきちきちするこの羽根で。
 しかし、君はきつと私が君の詩をかう觀て讚歎もし微笑もしてゐたことを知つてゐられたにちがひない。それほどの知己の間の私たちであつたから。君の死後に私が處置すべきことの何であるかも私は知つてゐる。

 昭和九年四月十八日、茅ケ崎の南湖院からの急電を受けて、私たち夫妻が駈けつけた時は、すでに君の命脈は止つてゐた。その一二年がほどは、君からの消息も無く、病患に就いても、再度の轉地療養のことも、少しも知らなかつた私たちであつた。
 春と言つても、雲と波の音は薄ら寒く、風は砂をけぶらして、したたか群生の小松に吹きあげてゐた。
 しみじみと合掌しながら、私は君の死顏の高貴さに撲れた。透きとほり、淨く緊り、蒼白く光をさめ、日の長い薄明の中に、君は幽かに仰向いてゐられた。
 愈々起たずと知つて、白秋この私には必ずその臨終後の通知を打電(う)つやうにと、そのただ一人の附添ひの看護婦に密かに云ひ含めてあつたと聽いた。
 さうであつたか。
 私は君が、大福餅のみを、その少しく前よ朝夕に一つづつ幼童のごとく嗜好されたといふことも聽いた。
 電燈が黄ろく點つた。コードの紐の影がいくらか搖れたやうであつたが、君の閉した眶には何の微動も無かつた。

 二十日、故郷の上州磯部へ君の遺骨が還られる日、私は、室生犀星、萩原朔太郎、大木惇夫諸君その他私の周圍の新人達と上野驛に謹んで參集した。詩の交友も殆どそれだけに限られた君であつた。發車の汽笛が鳴り、私たちは聲を呑んで禮拜した。私の腸はちぎれさうになつた。

 大手君。
 君は生前に、此の新詩集『藍色の蟇』を自身の手で明るく上梓するよい機會とよい條件に惠まれなかつた。大正の十五年に一旦編纂して、卷末のおぼえ書を書き添へまでした君ではあつたが、委托された私ではあつたが、二人の前にはただに大きな障碍のみが暗い翼を張つた。今漸くにして、ここに、その後の詩品を逸見君と更に收錄し補綴して、この出版の日の目を見ることとなつた。しかし、君の圓寂後、その多年の事務的勤勞の餘情として得られたものから、乃ち死後の君自身によつて刊行されるのである。謝するに言葉の無い私たちを君はまことに、虔ましく、弱々と微笑されてゐるであらう。
 それでよいのであらうか。否々、君にはもつともつと世の耀かしい酬が莊巖されねばならぬ。
 君はまことに、明治大正昭三代に亘つての數少い優れた詩人の中の一人であつた。   昭和十一年十二月十五日拂曉

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