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2013/02/06

女のいぢらしさ 萩原朔太郎 (初出形) / ブログ・カテゴリ「萩原朔太郎」創始

ブログ・カテゴリ「萩原朔太郎」を創始する。底本は特記しない限り、この「女のいぢらしさ」同様、昭和五一(一九七六)年刊筑摩書房版全集を用いる。
――私の惨めな人生の旅立ちは萩原朔太郎であったし、その行き着く果ての、人気のない北の外れの、如何にもうらぶれた終着駅もまた、萩原朔太郎である――

 女のいぢらしさ

 女のいぢらしさは。とグウルモンが言つてる。何時、何處で、どこから降つて來るかも解らないところの、見たことも聞いたこともない未來の良人を、貞淑に愼ましく待つてることだと。
 部屋の奥まつた中に座つて、終日針仕事をして居る娘を見る時、私はいつもこの抒情的な、そして多分にカトリツク的な詩人の言葉を思ひ起す。若い未婚の娘等は、結婚の空想でのみ生活して居る。丁度彼女等は、昔の草双紙に物語られてる、親の仇討ちの武士みたいなものである。その若く悲しい武士たちは、何時、どこで、如何にして逢ふかも解らない仇讐を探して、あてもなく國國を彷徨し、遇然の廻合を祈りながら、生涯を疲勞の旅に終つてしまふ。もし彼の讀者を滿足さすべく、作者取つて置きの籤を出して、最後に仇討の熱望を滿足させてやらなかつたら、これほどにも荒唐無稽で、心細く、夢幻的な感じのする物語はないであらう。
 若いしほらしい娘たちは、かうした悲しい草双紙を、熱心に行燈の下で讀み耽つて居た。同じやうに今日新時代の娘たちが、活動寫眞や音樂會の座席に於て、心ひそかに未來の良人を空想しつつ、いぢらしくも二十世紀の草双紙に讀み耽つて居る。その新しい草双紙で、今もまた昔のやうに、彼等は空想の讐仇を探ね、目算もなく計畫もなく、遇然の廻合のみをたよりとして、辻堂や笹原のある景色の中を、悲しく夢幻的に漂泊して居る。

(『セルパン』第十一号 昭和七(一九三二)年一月号)

[やぶちゃん注:詩集「宿命」の「女のいぢらしさ」の初出形。「遇然」及び「しほらしい」はママ。底本は昭和五一(一九七六)年刊筑摩書房版全集に拠った。]

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