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2013/02/24

耳嚢 巻之六 精心感通の事

 精心感通の事

 

 藤堂和泉守家士何某(なにがし)といへるもの、享和の末に、在所より大阪藏屋敷へ勤向(つとめむき)にて在勤せしが、彼(かの)地の女子(をんなご)に泥(なづ)み、限りの月になりぬれど、彼ものゝ愛情にて歸府を延(のば)し、留守なる妻子の事も思はで滯留なしけるが、其妻深く歎き、男子なれば思ひ染(そめ)し女に愛情もさる事ならんが、我身のみか一子の事も思ひ給わざるはうたてき事と、度々文(ふみ)して諫めぬれど取用(とりもちゐ)ざるやうにて過(すぎ)しが、或夜彼男の夢に、留守なる妻來りて、家の事、子の事を思ひたまはざるや、彼女子をもともないて歸り給へと異見なせしを、腹たつまゝ枕にて額(ひたひ)を打(うち)て疵付けしと見て、驚ろき覺めけるが、心にもとめで、彼圍(かこ)ひ置(おけ)る女子の元へ或夜まかりしに、彼圍女(かこひをんな)いへるは、我身願ひあり、永(なが)の暇(いとま)給はるべしといひしに、いかなる事やと尋問(たづねとひ)しに、別の事にもあらず、過(すぎ)にし夜、夢に奧方來り給ひ、御身の事、永く此地に止(とどま)り給ひては、おん爲(ため)もあしきと段々理を盡して異見し給ひしが、逸々尤(いちいちもつとも)の事に赤面に及ぶと見てさめぬ、何分永く此地に居給はゞ御ためにもあしく、御暇給わるべしとせちに願ひければ、彼男も其理にや伏(ふく)しけん、願ひに任せ暇を出し、其身も其筋へ歸りの事を告(つげ)て在所へ立(たち)歸り、妻子にも久々にて對面なせしが、其妻の額に疵の跡ありし故、いかなる疵やと尋問しが、初めはいなみ答へざりしが、夜に入(いり)て、此疵に付(つき)不思議の事侍りし、御身難波(なには)にて愛(めで)給ふ女になづみ歸る期(ご)を延(のば)し給ふと聞(きき)て、御爲にもよろしからず、妻子の事も思ひ給はざるやと、旅宿に至り異見なせしを、御身憤りて枕をもて打給ふと夢みしが、さめて後、かくのごとく疵付(つき)しとかたりけるに、男も大に驚きて、精心は其切なるに隨ひては萬里(ばんり)相通(とほ)るものと感じ、恐れけるとなり。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:特に感じさせない。「卷之六」の執筆推定下限は文化元(一八〇四)年七月であるから、まさについ先日の生霊譚、謂う所のテレパシー“mental telepathy”精神遠隔感応譚である。単身赴任男の難波妻というメロ・ドラマとしても面白い。

「藤堂和泉守」伊勢国津藩城主。「享和の末」を文化元年に改元される享和四(一八〇四)年とすれば、当時の藩主は第十代藤堂高兌(とうどうたかさわ 天明元(一七八一)年~文政七(一八二五)年)である。参照したウィキの「藤堂高兌」によれば、高兌は江戸後期の名君の一人に数えられ、財政再建や行政機構改善、藩校有造館の創設といった善政を施して領民からも深く慕われた。そうした語られぬ徳政の藩主の、その家士の火遊び、という背景をも読解の射程に入れると、本話のドラマ性がより高まるように思われる。

・「大阪藏屋敷」各藩が年貢米や領内の特産物を売り捌くために設けた倉庫兼邸宅のこと。大坂にあったものが最も多く著名であるが、江戸・敦賀・大津・堺・長崎などの交通の要衝の商業都市に設置されたケースもある。また、大名だけでなく有力な旗本・公家・寺社の中には自前の蔵屋敷を持つものもいた(以上はウィキの「蔵屋敷」を参照した)。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 精心が遠き地の夫に感通した事

 

 藤堂和泉守高兌(たかさわ)殿の家士某(ぼう)に纏わる話。

 この男、享和の末に、在所より大阪蔵屋敷へ出向(しゅっこう)となり、在勤致いて御座ったが、かの難波の地の女子(おなご)と深い仲と相い成って、出向も終わりの月となったにも拘わらず、その女子(おなご)への深き愛着ゆえに帰府を延ばし、留守を守って御座った妻子の事をも思いかけることものう、だらだらと滞留致いて御座ったと申す。

 されば男の妻、深く歎き、

『……男子なればこそ思い染めた女に愛情の執着をかけらるるは、これ、あろうことにては御座いましょう……なれど……我れらが身のみか、一子の事もお思いかけなさらざるは……これ、あまりに、情けなき御事(おんこと)……』

と、たびたび文(ふみ)を遣わしては諌めて御座ったが、男は難波の女子(おなご)にすっかり目が眩んで、妻の思いの一つだに、これ、気にかけることものう、うっちゃって御座ったと申す。

 ところが、ある夜、この男の夢に、

……留守を守る妻が来たって、

「……家のこと……子のことを……お思いにはなられませぬのか?……その女子(おなご)をも伴のうて……どうか……お帰り下されませ!……」

とまで異見をなしたによって、男は腹の立つまま、己(おの)が枕をむんずと摑むと、それを以って――妻の額(ひたい)を――強(したた)かに――打った――妻の額は――ぱっくりと裂け――その傷より――血の流れ出でた……

……と見て、驚ろいて目を醒ましたと申す。

 されど、たかが夢と、これまた、心にかくることもなく、その数日後のある夜、囲い置いてあった女子の元へと通った、すると、かの囲い女、

「……妾(わて)、お願ひが御座います。……どうか、永(なが)のお暇(いとま)を、いただきとう存じますのや……」

と寝耳に水の懇願を致いたによって、

「一体、如何なる謂いか!?」

ときつく訊き質いたところが、

「……へえ……何か、これといったことがあった訳にては御座いませぬ。……ただ、先だっての夜のことでおます。妾(わて)の夢に、奧方さまが参られて、

……『……我らが夫……そなたの思い人は……このまま永く、この地にお止まりになっておられては……藩士としての御身分にも……これ……甚だ悪しきことの及びまする……』

と、だんだんに理を尽くされて、異見なさっしゃいました。……が、これ、いちいち、どれもこれも、ほんにもっともなることなれば……妾(わて)はもう、黙っておるばかり……もう、妾(わて)、顔がすっかり赤(あこ)うなって……

と見て、目が醒めまして御座いました。何分、永(なご)う、この難波の地にあらっしゃっては、夢内とはいいながら、確かに、奥方さまのおっしゃった通り、おん為(ため)にも悪(あ)しゅう御座います。どうか、曲げて、お暇(いとま)を下さいますように!……」

と切に願うたによって――かの男も、流石にその理に屈したものか――女子の願いに任せ、暇(いと)まを与え、自身も、その筋へ、

「――遅まきながら、公私諸般の事情により――遅延致いて御座ったが、これより、帰藩致しまする。――」

旨を告げて、在所へと立ち帰ったと申す。

 さても、久方振りの妻子対面と相い成る。

……と……

……何事もなかったように、しとやかに挨拶致すその妻の手

……額に……

……これ……

……大きな傷が……

……ある――

「……そ、その大きなる……ひ、額の傷は……一体、如何なる傷か?」

と訊き質いたが、子も横におればこそ、そこでは、

「……いえ、これは申し上げるような大層なことにては御座いませぬ……」

と口を濁して御座った。

 さても夜に入っての妻の寝物語によれば、

「……この傷につきましては、不思議なことが、これ、御座いました。……お前さまが難波(なにわ)にて愛(め)でなさった女と深い仲と相い成られ、御帰藩の期日をさえ、お延ばしなさっておらるる由、風の便りに聴きましたが、……ある夜のことで御座います。

……『……これはおん為(ため)にも宜しからず……妻子の事をも思いかけなさること……これ、微塵もあられませぬか?!』

と、難波の旅宿へと至って、妾(わらわ)が異見致しました。……ところが、お前さまは、大いにお憤りになられ、枕をお摑みになって、妾の額を打ちなさる……

……と夢見たところで、目を覚ましましたが、醒めて後……このように額に傷が一つ……ついて御座いました。……」

と語ったによって、男も大いに驚き、

「……まっこと、精心は、これ、その切なるに随う折りには――万里(ばんり)をも一瞬に走るもの――なのじゃのう!……」

と感じ入って、畏れ入ったと申す。

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