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2013/03/26

中島敦漢詩全集 四

  四

攻文二十年
自嗤疎世事
夜偶倦繙書
起仰天狼熾

〇やぶちゃんの訓読

攻文(こうぶん) 二十年
自(おのづ)から嗤(わら)ふ 世事 に疎(うと)きを
夜(よ) 偶(ふ)と書を繙(ひもと)くに倦(う)み
起(た)ちて仰ぐ 天狼の熾(し)たるを

〇T.S.君原案(一部は藪野補筆)の中国語を踏まえた語釈
・「攻」ここでは、積極的に学習したり、研究したりすること。
・「文」文学。
・「嗤」嘲笑する、あざ笑う。
・「疎」通りがよい、まばら、疎遠、おろそかにする、内容が充実していないなどの意を有する。
・「世事」世俗社会における様々なこと。俗事。
・「倦」疲労すること、若しくは、興味を失うこと。
・「繙」「翻」と同音同義。
・「起」寝ている状態から座った状態になること、あるいは、座った状態から立ち上がること。
・「天狼」天狼星。シリウス。
・「熾」火が盛んに燃えること、盛んであること、激しいこと。

○T.S.君による現代日本語訳
書物と向き合う時を、もう二十年も積み重ねてきただろうか
お蔭で世事に疎いことたるや、全く以って自嘲を禁じえない
夜、例の如く、読書に倦み
ふと立ち上がって、徐(おもむ)ろに天を振り仰げば
そこに――
ああ……
天狼の凄絶な燦(きら)めき!
永劫の彼方の蒼ざめた孤高な輝きは
透徹した冬の天空を刺し貫き
地上の私を凝っと見つめている……

〇T.S.君とやぶちゃんの協働取組みによる評釈
 「事shi4」「熾chi4」が規則通り脚韻を踏む。難解な語彙は特にない。五言絶句として当然ではあるが、起承転結、いずれの句も相当の重さを持つ。各句の意は明快であり、伸びやかに読者の意識に入ってくる。
 ただしこの詩の心臓は、何といっても「天狼熾」の三文字であろう。起句は過去の振り返り、承句は自省、転句は現在の具体的行動を述べ、奇を衒うことなく論理を繋ぐ。そして結句において、最終的に一つの星の輝きに辿りつき、視線をそこに固定させて叙述を終える。
……いや――それは正しくない。
――まさにそこから詩が始まるのだ。
――その証拠に、読み終えた読者の胸に天狼星の輝きが残らないか?
――深い闇の中で――人生を照らす蒼白い光が。
――過去と、今この瞬間と、未来が、つまり、謂わば、運命というものがこの天狼星によって遥かに照射されるのである。
 さらに言おう。この詩の心臓の鼓動を司るもの、それは最後の一字――「熾」――である。
 「熾烈」の「熾」。
 強烈な光を発するだけではない。それは同時に激しく燃えているもの。ジリジリと燃えさかっているもの。理科の実験でマグネシウムの燃焼を見たことはないだろうか。それに近い強烈な蒼白い光。「輝」でも「燦」でも「煌」でもなく、ここに「熾」が置かれたのは、押韻や平仄上の要請からだけではないのだ。
 それにしても天狼星とはこの詩人にとって何なのだろう。世事に疎く、文学に自らの魂を投じることしか知らぬ彼にとって、一体何を象徴するのか。
 ――救いか――希望か――孤高の精神か――それとも、自らの誇りか……。
 この星は、詩人の心の中に、常に凄然たる光芒を曳いているようだ。
 そうした詩人と星――星に運命を重ね合わせる文学――として私は、佐藤春夫の「星」を忘れることが出来ない。全五十五章(佐藤は中国風に「折」と呼称している)の最初の四折分と後半にある三折の、読者の視線を強い力で星空に導く部分を、以下に引用したい[やぶちゃん注:「星」は作品末尾のクレジットによれば大正一〇(一九二一)年三月作。底本は岩波書店一九二八年刊(一九四〇年改版)の岩波文庫版「厭世家の誕生日 他六編」所収のものを用いた。「第一折」から「第三折」までは省略はなく、それぞれを「*」で区切った、その後の掉尾を含む後半の三つの「折」も折内での省略はせず、全文を示した。この引用はT.S.君が本詩を評釈するに際して、詩的な内的欲求として必要としたものであり、文化庁が示すところの、論文等に於いて必要な、一般的な許容される引用の範囲内に含まれると私は判断する。万一、疑義がある場合は、一切の公開上での責任を持つところの、私藪野直史に対してお願いする。なお、「第五十五折」にある「晋江」という地名であるが、底本では「普江」となっている。現在の当地の表記からも、また、岩波書店一九九二年刊の岩波文庫池内紀編「美しき町・西班牙犬の家 他六篇」の表記からも、「晋江」の誤植と判断し、訂した。]。
     《引用開始》
       第 一 折
 泉州城に近い英内の豪家陳氏には三人の兄弟息子があつた。陳氏は代代、富と譽とのある家がらで、一番年上の兄は早く立身をして、近ごろ兩廣巡察使になつた。まだ年若な二番目と三番目とは志を立てて故郷で勉強して居る。この三番息子の少年を陳氏の第三男といふわけで陳三(ちんさん)と呼んで居る。
       第 二 折
 陳三(ちんさん)は誰からであつたかは知らないが、星を見ることを習ひ覺えた。さうして秋の或る晩はつきりした星月夜に、無數の星のなかから一つの星を見出した。それは疑ふべくもなく陳三自身の運命の星であつた。何故かといふに、幾夜試みて見ても、その星は陳三の目を瞬く度ごとに瞬き光るのであつた。さうしてこの一つの星より外に、そのやうな星は一つもなかつた。陳三はそこでその星にむかつて跪いた。
       第 三 折
 「どうぞ私の星よ。私に世の中で一ばん美しい娘を私の妻として授けて下さい。又、その妻の腹に宿つて出來る私の男の子を世の中で一番えらい人にならせて下さい」
 陳三の星に祈つた願事(ねぎごと)はこのとほりであつた。
       第 四 折
 來年貢生の試驗に應ずるための讀書と詩作とに疲れて秋の夜の庭に出た兄は、陳三のこの言葉を聞くともなく偸み聞いた。兄は陳三の祈願を陳三に向つて哂つた。
 「お前は馬鹿なことを祈つた。お前はまるで凡人の幸福を願つて居る。若し私がお前なら私は妻や子供のことなどは決して願はなかつたらう。その代り自分自身のことを願つたらうに。自分の子供などではない。自分自身が世の中で一番えらい人になるやうにつて!」
 「さうです兄さん」素直な陳三はそこで答へた。「私とても最初はさう願はうと思はないではなかつたのです。しかし私は考へ直した。自分がえらい人になるだけの事なら、どうやら自分だけの努力で出來さうな氣もする。それにひきかへて、世の中で一番美しい娘にめぐり遭つたり、その娘の心をひくことが出來たり、その上その娘を妻にすることができて、その妻によつて子供を持ち、しかもそれが世の中で一ばんえらい人になる――こんな幸福こそは、自分の身の上のことでしかも自分の努力ではどうにもならない。これこそ星の力にでもよらなければならない事だ。と私はさう考へたのでした‥‥」
 「なるほど、しかし」と兄は遮つた。「私はまたかうも思ふ。運命といふものはお前が考るよりももつと大きな力であるかも知れない。假りにお前がもし、惡運の星の下に生れて來て居るとしたら、お前の熱心な祈願も、それをどれだけ善くかへることが出來るだらうか。一たい私は星を信じない方だが、それともお前よりももつと信ずると言つた方がいいかも知れない。何にしろ星に祈るのも無駄なことではなささうだ。私の星はそれなら、どの星であらう」
 兄弟はこんなことを語り合つて、もう一度、目を上げて空一めんの星くづに見入つた。
 謎の空は無限に深かつた。
         *
       第三十八折
 「どうぞ、私の星よ。私に世の中で一番美しい娘を私の妻として授けて下さい。又その妻の腹に宿つて出來る私の男の子を世の中で一番えらい人にならせて下さい。――あなたはもう私の祈願の半分を聞きとどけて下さつたよやうに見える。尚も、私を惠んで私の祈願を完うさせて下さい。私にどうぞ、人間らしい幸福を授けて下さい」
 陳三は、長兄との傳奇的なこの邂逅のあつた夜、彼の星にむかつて彼がその守護を得てゐることを深く感謝した。さうして彼はいつもより熱心に永いあひだ跪いた。さて、戀を思ひながら星に埋つた蒼穹を仰いだ陳三は、人間のあまりに微小なことを感じ、しかもその微小な人間の微小な胸の底にも亦一個無限の星辰を鏤めた蒼穹が宿されてゐるのを感じた。それ故に人間と生れたことは實にはかなく切なく、而もさればこそ生甲斐がある――陳三はこのやうな感に打たれながら、彼の目を星そのもののやうに輝かせた。
 陳三の星を教へられ、さてその左右に並んでゐるところの星が各自分のものであることを信じた五娘と益春ともまた、窓をとほしてその星を拜みながら、ひそかに祈念した。
 「どうぞ、私の星よ。私が私の夫によつて生涯深く愛せられるやうに私をお守り下さい」
 彼の女たちの願事(ねぎごと)は期せずして一致した。世の中のすべての花嫁たちがさうでなければならない如く。
         *
       第四十二所
 或る夜明けに、陳三は益春の房から出て五娘の房を訪れた。前の宵の五娘との約束を果さなければならないからである。陳三は五娘の牀の帳を押し明けた。訝しい事には五娘はそこに居ない。ただ枕もとに、その上へ金簪を置いた一通の手紙があつた。殘燈のほのかな白さのもとに、陳三はふるへる手でそれを開いた。驚いて、彼は扉を排して出た。まだ暗いことに氣がついて燭を秉つて再び出た――庭の井戸へ。五娘がそこへ身を投げると書き遺したところへ。石だたみの上には赤い小さな屣(くつ)が片一方ある! 五娘のものだ! 陳三は燭を高く斜にかざしてその下から井戸をのぞき込んだ。黑く屣の形が一つ、灯を金色に映じた水の圓いなかにしよんぼりと浮んでゐる。水は重たく靜まつてゐた。陳三は燭を石の上に置いた。それから石の上のを屣を拾つた。赤いうへに蔓草とそれの花とが黑く縫ひ飾つてある。――これこそ、あの第一の晩に五娘が帳中で穿いてゐたものである。陳三はもう一ペん井戸のなかを見る。そこには靜かな黑い水の面に星が一つ天から影を落してゐる。つくづく見るとそれが陳三自身の星である。
 「五娘!」
 陳三は叫んだ。星影を映した深い水が彼をおびき入れる。よろめいて彼は墜ちた――突きのめされるやうに。又狼狽して足を踏み外したやうに。
 短い叫び聲が井戸に近い穀倉から鋭く叫んだ。しかしそれは人を呑んだ黑い井戸の吼えるやうな響で消された。
 陳三は苦悶のうちに水面から擡げた頭の眞上に、彼自身の星を最後に見た。――その星だけは、どんな激しい感情が陳三を井戸のなかへ追ひ入れたかを、或は知つてゐるかも知れない‥‥
         *
       第五十五折
 「どうぞ、私の星よ。世の中で一番美しい娘を私の妻に授けて下さい。私の妻の腹に宿つて出來る私の男の子を世の中で一番えらい人にならせて下さい」そういう願事を彼の星に祈つた陳三や、その陳三と死を偕にし墓を一つにした第一夫人――世の人に一番美しいと言はれた五娘や、陳三のえらい男の子を腹に宿した第二夫人――天の目で一番美しいと思われた益春や、そのえらい男の子洪承疇や、その外のすべての彼らが生きてゐて、それぞれに笑ひ、嘆き、溜息をし、泪を流し、憤り、勝ち誇り、淋しきに堪へ、さて、死んで仕舞つてから、もう三百年以上になる。その間に淸の國も亦明と同じやうに亡びた。ただ泉州に近い英内には、陳三の五落の家が晋江の岸に沿うて流水に影を映じながら、崩れさうになつてではあるが、今でもまだ殘つてゐる。――しかし、私はその家は見ない。私は去年旅をしてあの近くへは行つたが、泉州へはとうとう行かないのだから。
   《引用終了》
――星に人生を投影すること、宇宙の運行に運命を見ること。
――私たちはそんな当たり前の健やかな心を、いつ、失ってしまったのだろうか――

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