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2013/03/25

一言芳談 一二三

   一二三

 

 信空上人問うて云、智惠若(も)し往生の要(えう)たるべくば、正直に仰せをかうむりて、修學(しゆがく)をいとなむべし。又、たゞ稱名不足なくば、そのむねを存ずべく候、云々。答へて云、往生の業は、是(これ)、稱名といふ事、釋の文(もん)、分明(ふんみやう)なり。有智無智(うちむち)を簡(えら)まずといふこと、又以つて顯然(けんぜん)なり。然れば、往生の爲めには稱名足れりとす。學問を好むとせむよりは、一向に念佛すべし。彌陀・觀音・勢至に逢ひ奉るの時、何(いづ)れの法文(ほふもん)か達せざらん。念佛往生の旨をしらざらんほどは是を學ぶべし。若し是を知りをはりなば、いくばくならざる知惠をもとめて、稱名の暇(いとま)をさまたぐべからず。

 

○答へて云、此答は法然上人なり。

○往生の業、業(ごふ)は業因(ごふいん)なり。

○釋の文、分明なり、散善義(さんぜんぎ)の一心專念の文(もん)、又要集の念佛爲本(ゐほん)の文(もん)、其外にもかずかずあきらかなり。

○有智無智を、五會讃(ごゑさん)に、不簡下智與高才(ふげんちよかうさい)とあり、又選擇集第三章をも見るべし。

○何れの法文か達せざらん、惠心僧都は唯識(ゆゐしき)は淨土を期(ご)すとの給ひ、聖覺(しやうかく)法印も大小經典の義理は百法明門(ひやくほふみやうもん)の暮をまつべしと仰せれたり。

○是を知りをはりなば、此の分際(ぶんざい)をよく合點(がてん)すべし。

 

[やぶちゃん注:「信空上人」「三十五」に既注済みであるが、再掲する。法蓮房信空(久安二(一一四六)年~安貞二(一二二八)年)は藤原行隆の子。称弁とも。法蓮房という。十二歳で法然の師比叡山黒谷の叡空の室にて得度出家(法然の出家は天養二(一一四五)年十三歳とされる。従って当初、法然は十三歳違いの兄弟子であった)。叡空の滅後に法然に師事、以後、門下の長老として実に五十五年もの間常随し、その臨終にも近侍した。天台僧の念仏弾圧に対して元久元(一二〇四)年に法然が比叡山に送った「七箇条起請文」では執筆役を務め、法然に次いで、門下として筆頭署名をしている。法然流罪後は事実上の後継者として残された教団を統卒、浄土宗の基礎を固めた。「没後制誡」によれば彼の祖父藤原顕時が叡空に寄進した中山(黒谷光明寺の地)の別邸は法然に譲られ、後に法然によって信空に譲られている。これを寝殿造の白川禅房(二階房)と称し、この房内の松林房において九月九日に八十三歳で示寂した(以上は「浄土宗」公式HP以下の頁の記載を参照した)。

「往生の業、業は業因なり」この場合の「業因」とは、本来の狭義の意味の、未来に苦楽の果報を招く原因となる善悪の行為、という意味ではなく、寧ろ、最も/唯一の善の導きだすところの、至高の「業」たる大切な要諦、という意である。

「散善義」既注済み。善導の「觀経疏散善義(かんきょうそさんぜんぎ)」。

「一心專念の文」「觀経疏散善義」に、

 一心專念彌陀名號 行住坐臥 不問時節久近 念念不捨者 是名正定之業 順彼佛願故

とある。古来、全文を音読みするのが通例らしい(「いっしんせんねんみだみょうごう/ぎょうじゅうざが/ふもんじせつくごん/ねんねんふしゃしゃ/ぜみょうしょうじょうしごう/じゅんぴぶつがんこ)。趣意は「――一心に専ら弥陀の名号を念じよ――行住坐臥――時の長短を問わず――念じて念じて捨てぬ者――これを正定(しょうじょ)の業(ごう)と名づく――かの阿彌陀仏の誓願に無条件で随うが故に――」と謂ったいいであろう。

「要集」源信の「往生要集」。

「念佛爲本」「往生要集」の「第五助念方法門」の「第七総結要行」に、『往生之業念佛爲本』」とある。極楽往生の正しき業因は称名念仏を本(もと)とする(それ以外の学問などの余行は極楽往生の正しき業困ではない)という意である。

「五會讃」「後善導」と称えられた唐代の浄土教の僧法照(ほっしょう)の著わした「五会法事讃」。 念仏を、①平声(ひょうしょう)に緩く念ずる、②平上声(ひょうじょうしょう)に緩く念ずる、③非緩非急に念ずる、④漸く急に念ずる(以上六字名号)、⑤阿弥陀仏の四字をまた急に念ずる、の五種の音調に乗せて修する五会念仏の行儀作法を述べ、三十九種の讃文を集めたもの(ウィキ・アーカイブ「五会法事讃」に拠った)。

「不簡下智與高才」親鸞の「唯信鈔文意」に、『「不簡下智與高才」といふは、「下智」は、智慧あさく、せばく、すくなきものとなり。』(「不簡下智与高才」の「下智」は、智慧が浅く、視野が狭く、知識・経験の少ない人のことである。)とある(親鸞仏教センター」の「『唯信鈔文意』試訳 10に拠った)。

「選擇集第三章」には以下のようにある(白文は「日蓮宗 現代宗教研究所」の「選択本願念仏集 漢文」を正字化して示し、書き下し文は岩波文庫一九九七年刊の大橋俊雄校注「選択本願念仏集」を底本として、恣意的に正字化、読みを歴史的仮名遣に変更した)。

○原文

故法照禪師五會法事讚云彼佛因中立弘誓聞名念我惣迎來不簡貧窮將富貴不簡下智與高才不簡多聞持淨戒不簡破戒罪根深但使廻心多念佛能令瓦礫變成金(已上)

○書き下し文

故に法照禪師の「五會法事讚」に云く、「彼の佛の因中(いんちう)に弘誓(ぐせい)を立てたまへり。名を聞きて我を念ぜば、惣(すべ)て迎へに來たらむ。貧窮と富貴とを簡(えら)ばず、下智と高才とを簡ばず、多聞にして淨戒(じやうかい)を持(たも)つを簡ばず、破戒にして罪根(ざいこん)の深きをも簡ばず、ただ心を廻(ゑ)して多く念佛せば、よく瓦礫(ぐわりやく)をして變じて金(こん)と成さしめむ。」と。(已上)

「惠心僧都」源信。

「唯識」一切の対象は心の本体である識によって現はれ出たものであり、識以外に実在するものはないということ。また、この識も誤った分別をするものに過ぎず、それ自体存在しえないという認識をも含む。

「聖覺」(仁安二(一一六七)年~嘉禎元(一二三五)年)天台僧。藤原通憲の孫。父は澄憲法印。父と共に唱導の安居院流を開く。安居院の法印とも呼ばれる。比叡山で出家し、比叡山東塔北谷竹林房の静厳について学び、恵心・檀那の両流を相伝した。後に竹林院の里坊である安居院に住み、唱導法談をもって一世を風靡した。法然に師事して浄土教に帰依し、他力念仏を勧めた「唯信抄」を書く。「一期物語」によれば、法然が瘧(おこり:マラリア。)の病いに罹った際、九条兼実が聖覚に命じて善導の影前において唱導を行わせたところ、病が治ったという。嘉禄の法難(一二二七年に法然門下の専修念仏者に加えられた迫害)では念仏停止を進言した。雅成親王からの下問に対して答申したり、後鳥羽上皇からの宗義の勅問を受けて答申しするなど、浄土門で大いに活動した(「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。

「百法明門」一百八法明門。菩薩が初地の位において得る法門で、あらゆる真実の法に明瞭に通達させる智慧の意。]

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