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2013/03/03

暦の亡魂 (初出形)

 曆の亡魂

 

薄暮のさびしい部屋の中で

わたしのあふむ時計はこわれてしまつた。

感情のねぢは錆びてぜんまいもぐたらくに解けてしまつた

こんな古ばけた曆をみて

どして宿命のめぐりあふ暦數をかぞへやう

いつといふこともない

ぼろぼろになつた憂鬱の鞄をさげて

明朝(あした)は港の方へでも出かけて行かう

さうして海岸のけむつた柳のかげで

頸無(くびな)し船のちらほらと往き通(か)ふ帆でもながめてゐやう

あるひは波止場の垣にもたれて

乞食共のする砂利場の賭博(ばくち)でもながめてゐやう

どこへ行かうといふ國の船もなく

これといふ仕事や職業もありはしない

まづしい黑鴉の猫のやうに

よぼよぼとしてよろめきながら歩いてゐる

さうして芥燒場の泥土(でいど)にぬりこめられた。

このひとのやうなものは

忘れた曆の亡魂だろうよ。

 

   (註。あふむ時計の字義は鸚鵡時計。

    音便オームではなく、原音通りア・

    ウ・ムとよまれたし、でないとこの

    行の音樂的韻律がこわされます。)

 

[やぶちゃん注:『帆船』第十號(大正一二(一九二三)年二月刊行)に所収。「あふむ」「ぜんまい」の下線は底本では傍点「ヽ」。作者萩原朔太郎自身が附した自註(これは詩集では付属しない貴重な自註である)の「音樂的韻律」に拘っている謂いを尊重して、あえて初出形をそのまま示した。多量に見られる歴史的仮名遣の誤りは一切ママである。最後に示す筑摩版全集第二巻の七二~七三頁に載る、後で示す筑摩版全集第二巻の二〇〇~二〇一頁に載る、「底本靑猫」(昭和一一(一九三六)年三月版畫莊刊)を底本として編者によって歴史的仮名遣を補正してしまったものに比して、朔太郎の言う通りに、表記文字をその通りに発音して朗読した場合、初出は異様に異なった印象を与えることは間違いない。この詩は筑摩版全集のような形で「正しく」補正されていけない部類の詩であると私は思うのである。]

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