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2013/03/11

夢の起源 萩原朔太郎

       夢の起源

 夢が性慾の潛在意識だといふフロイドの説は、それのドグマによる彼の夢判斷と共に、私の考へるところでは誤つて居る。おそらく夢の起源は、人間にも動物にも共通して、祖先の古い生活經驗を遺傳してゐるところの、先驗的記憶の再現である。夜、夢の中で遠吠えする犬の聲が、それ自ら狼の鳴聲と同じであるといふことは、疑ひもなく犬の夢が、祖先の狼であつた時の、古い記憶を表象してゐるのである。人間の夢の中に、蛇や蜥蜴やの爬蟲類が、最も普通にしばしば現はれるのは、フロイドの言ふ如く性慾の表象でなく、おそらく人類の發生期に於て、それらの巨怪な爬蟲類が地球上に繁盛し、憐れな賴りない弱者であつた我等の先祖を、絶えず脅かしてゐた爲であらう。人類の先祖は、一億萬年もの長い間、非力な賴りない動物として、酷烈な自然と鬪ひながら、不斷に他の強大な動物から脅かされ、生命の危險におびえわなないて居た。人間がその發育した理智によつて、自然の苛虐から自衞策を講じ、次第に他の強敵を征服して、自らの文化と歴史とを作つたのは、極めて最近の事蹟であり、人類進化の悠遠な史上に於ては、殆んど言ふに足らない短日月の歴史にすぎない。我等の意識内容にある記憶の主座は、過去に最もながく人類の經驗した、樣々の恐ろしいこと、氣味の惡いこと、怯え戰つてることばかりである。人は夜の夢の中で、樹人や火人であつた頃の、先祖の古い記憶を再現し、いつも我等の生命を脅かして居たところの、妖怪變化の恐ろしい姿や、得體の解らぬ怪獸やの、魑魅魍魎(ちみまうりやう)の大群に取り圍まれて魘されてゐる。人が本能的に闇黑を恐れるのも、それが敵から襲撃されるところの、最も恐ろしく氣味の惡い時であつたからだ。夢の中では、人間も萬物の靈長ではなく、馬や牛や動物と變りがない。或はもつとそれよりも、悲しく頼りない生物であるかも知れない。人間の夢の中に理智が現はれ、文化人としての記憶が表象されるのは、おそらく數千萬年の將來に屬するだらう。

[やぶちゃん注:昭和一五(一九四〇)年七月創元社刊のアフォリズム集「港にて」の「個人と社會」の冒頭にある「1 夢」の五番目に配されている。この一連の夢論の中でフロイドの名の初出である。朔太郎の謂いはユングの原初的無意識に近い考え方であるが、『人類の發生期に於て、それらの巨怪な爬蟲類が地球上に繁盛し、憐れな賴りない弱者であつた我等の先祖を、絶えず脅かしてゐた爲であらう』という謂いの誤り(これはジュラ紀をイメージしており科学的には誤りである。哺乳類の祖先とされる白亜紀の哺乳綱獣亜綱後獣下綱デルタテリディウム目デルタテリディウム科デルタテリディウム属 Deltatheridium を『人類の發生期』とは言い難い。また、その前の『祖先の古い生活經驗を遺傳してゐるところの、先驗的記憶の再現』という主張は、それこそ私が好きでしばしば授業した阿部公房が「日常性の壁」で批判している誤謬と全く以って同じで、後天的経験記憶の安易な遺伝説という点で非科学的、「日常性の壁」で樹上生活しているうちはヒトではなく、未だサルであったという目から鱗の論駁とまたまた同じく、朔太郎は『樹人』という誤った概念を提示している。彼の謂いは、それこそ日本では極めて幅をきかせて人気も依然として高いユング派精神分析学というちょっとアブナイ科学の無批判でロマンティックな信仰者の主張であるとも言えよう。因みに、私はかつてフロイトに私淑し、ユングを耽読してきたし、大学では精神分析を主体とした心理学を学びたいと思った(が心理学科は総て不合格で国文科へ入ったが)が、今は彼らの学問は理系的な精神医学には属さないのではないか、況や、実験心理学や動物行動学等が保持しているところの実証的科学性すらないと感じている。但し、文系的な一つの思想としては今でも面白いとは思っている。]

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