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2013/03/12

北條九代記 北條時政出家 付 前司朝雅伏誅  / 【第三巻~了】

本話を以って「北條九代記 卷之三」までのテクスト注釈を終了した。



      〇北條時政出家 付 前司朝雅伏誅

牧〔の〕御方いとゞ奸謀重畳(かんぼうぢうでう)して恣(ほしいまゝ)に行ひ、時政に向ひて種々(しゆじゆ)の非道を密談せらるゝ所に、時政も心操僻出(こゝろだでひがみい)でて、義時、時房、泰特等(ら)の政務、一向、我(わが)思ふ旨に叶はず、と常々は呟(つぶや)きて、何事も牧御方の申さるゝ義を只、善しとのみぞ思はれける。將軍實朝、未だ御幼稚にして何の御智慮もおはしまさず。尼御臺政子、内外に付きて政道を計(はから)はれ、皆、この命を守らる。然るに牧御方、又、あらぬ工(たくみ)を仕出し、如何にもして、我が婿武蔵守朝雅に關東將軍の職を繼(つが)せ、權威を耀(かゝやか)して見ばやとぞ思(おもひ)立たれける。實朝はこの比、遠州時政の亭におはします。内々當將軍家を謀り申さるゝ由、聞えければ、尼御臺政子、大に驚き、長沼〔の〕五郎宗政、結城七郎朝光、三浦兵衞尉義村、同じき九郎胤義、天野六郎政景等(ら)を遣して、將軍實朝を相模守の亭に迎(むかへ)取り奉らる。かゝりければ、時政、潛(ひそか)に集められし勇士等、悉く相州の方に參りて、御所を守護致しけり。遠州時政、思ふ旨有りけるにや、俄(にはか)に髮を剃りて、執権の事を留めて引(ひき)籠らる。行年六十八歳。いまだ老耄(らうまう)すべき時分にもあらず。只(たゞ)心の僻(ひが)みたる所より我身を自(みづから)苦しめらる。同時に出家せし人々、數(かず)多し。是等も定(さだめ)て陰謀密談の輩なるべしと彼(か)方の人は疑(うあがひ)思はれけり。牧の御方も心ならず、鎌倉には居住するに足(あし)もたまらず、伊豆の北條に下向あり。九まべしと彼の方の人は疑思はれけり。牧御方も心ならず、前大膳大夫入道、藤九郎左衞門尉等、即ち、相模守殿の御亭に參じて評議あり。「朝雅、斯(かく)て候はゞ、如何樣(いかさま)にも叛逆(ほんぎやく)を起し、京、鎌倉、靜(しづか)なるべからず、早く誅戮せば、太平の本なるべし」と一決して、使者を京都に遣し、右衞門〔の〕權〔の〕佐朝雅を誅すべき由、在京の御家人等に仰付けられたり。同閏七月二十六日に、京都の武士、五條判官有範、後藤左衞門尉基淸、源三左衞門尉親長、佐々木左衞門尉廣綱、同じき彌太郎高重以下七百餘騎にて、朝雅が六角東洞院の家に押寄せたり。武蔵守右衞門權佐朝雅は、折節、仙洞に候じて、圍棊(ゐご)の會に交りて退出せず。小舍人(こどねり)の童(わらは)、走(はしり)來りて座を招(まねき)立ちて、かうかうと告げたりけるに、朝雅、更に驚周章(おどろきあわ)てず、色にも出さず、元の座に歸(かへり)居て、棊の果(はて)たりける目算(もくさん)せしめ、石を蒔(まき)收めて後に「關東より朝雅誅罸の使を上せられ、軍兵、私宅へ押寄せ候と申來りて候。早く身の暇(いとま)を給はるべし」と仙洞へ奏聞(そうもん)し、馬に打乘り、六角の家に歸りければ、郎従共(ども)、早(はや)出向うて防(ふせぎ)戰ふ。朝雅、面(おもて)も振らず、寄手(よせて)の中を蒐(かけ)通り、内に入て鎧を著(ちやく)し、打て出でつゝ、四方八面に追散(おひちら)し、郎從、皆、打れしかば、只一騎、落ちて行く。只一騎落ちて行く。軍兵等、追(おひ)かくれども. 物ともせず、松坂の邊まで落ちけるを、金持(かなぢの)六郎廣親、佐々木三郎兵衞尉盛綱等、跡に付きて隨(したかひ)行けども追詰(おひつ)むる人もなかりし所に、山〔の〕内刑部大輔(ぎやうぶのたいふ)經俊が六男六郎通基、其時は未だ持壽丸(ぢじゆまる)と名付けしが、聞ゆる強弓(つよゆみ)にて、近く馳寄(はせよつ)て射たりければ、朝雅が頸(くび)の骨を箆深(のぶか)に射込(いこみ)しかば、一矢(や)なれども、痛手にて、馬より眞倒(なつさかさ)まに落ちけるを、押へて首をぞ取にける。さしも武勇(ぶよう)の譽(ほまれ)を施し、當時、權勢の威を逞しくして、諸人、恐れて影をだにも蹈(ふ)まざりけるに、盛者必衰(しようしやひつすゐ)の理(ことわり)、誠に賴(たのみ)なき世の有樣、勢(いきほひ)、磷(ひずろ)ぎ、運、傾き一朝に滅びて死骸を路徑(ろけい)の草むらに曝し、命を黄泉(くわうせん)の底に落しけるこそ悲しけれ。
[やぶちゃん注:「吾妻鏡」巻十八の元久二(一二〇五)年閏七月十九日・二十日・二十五日・二十六日に基づく。以上の閏七月十九日から続く二十六日まで全条(途中に別条はない)を続けて見る。
〇原文
久二年閏七月小十九日甲辰。晴。牧御方廻奸謀。以朝雅爲關東將軍。可奉謀當將軍家〔于時御坐遠州亭〕之由有其聞。仍尼御臺所遣長沼五郎宗政。結城七郎朝光。三浦兵衞尉義村。同九郎胤義。天野六郎政景等。被奉迎羽林。即入御相州亭之間。遠州所被召聚之勇士。悉以參入彼所。奉守護將軍家。同日丑尅。遠州俄以令落飾給。〔年六十八〕同時出家之輩不可勝計。
廿日乙巳。晴。辰尅。遠州禪室下向伊豆北條郡給。今日相州令奉執権事給云々。今日大膳大夫屬入道。藤九郎右衞門尉等參會相州御亭。被經評議。被發使者於京都。是可誅右衞門權佐朝雅之由。依被仰在京御家人等也。
廿五日庚戌。晴。去廿日進發東使。今日入夜入洛。即相觸事由於在京健士云々。
廿六日辛亥。晴。右衛門權佐朝雅候仙洞。未退出之間。有圍碁會之處。小舍人童走來招金吾。告追討使事。金吾更不驚動。歸參本所。令目算之後。自關東被差上誅罸專使。無據于遁逃。早可給身暇之旨奏訖。退出于六角東洞院宿廬之後。軍兵五條判官有範。後藤左衞門尉基淸。源三左衞門尉親長。佐々木左衞門尉廣綱。同彌太郎高重已下襲到。暫雖相戰。朝雅失度逃亡。遁松阪邊。金持六郎廣親。佐々木三郎兵衞尉盛綱等追彼後之處。山内持壽丸〔後號六郎通基。刑部大夫經俊六男。〕射留右金吾云々。
〇やぶちゃんの書き下し文
十九日甲辰。晴る。牧の御方、奸謀を廻らし、朝雅を以つて關東の將軍と爲し、當將軍家〔時に遠州亭に御坐(おはしま)す。〕を謀り奉るべきの由、其の聞え有り。仍つて尼御臺所、 長沼五郎宗政・結城七郎朝光・三浦兵衞尉義村・同九郎胤義・天野六郎政景等を遣はし、羽林を迎へ奉らる。即ち、相州の亭に入御するの間、遠州が召し聚めらるる所の勇士、悉く以つて彼(か)の所へ參入し、將軍家を守護し奉る。同日丑の尅、遠州、俄かに以つて落飾せしめ給ふ〔年六十八。〕。同時に出家の輩、勝(あ)げて計(かぞ)ふべからず。
廿日乙巳。晴る。辰の尅、遠州禪室、伊豆の北條郡へ下向し給ふ。今日、相州執権の事を奉(うけたまは)らしめ給ふと云々。
今日、大膳大夫・屬(さくわん)入道・藤九郎右衞門尉等、相州の御亭に參會し、評議を經られ、使者を京都へ發せらる。是れ、右衞門の權の佐(すけ)朝雅を誅すべきの由、在京御家人等に仰せ被らるに依つてなり。
廿五日庚戌。晴る。去ぬる廿日進發の東使、今日、夜に入りて入洛す。即ち、事の由を在京の健士に相ひ觸ると云々。
廿六日辛亥。晴。右衞門權佐朝雅、仙洞に候じ、未だ退出せざるの間、圍碁(いご)の會有るの處、小舍人童(こどねりわらは)、走り來りて金吾を招き、追討使が事を告ぐ。金吾、更に驚動せず、本所(ほんじよ)へ歸參し、目算せしむるの後、
「關東より誅罸の專使を差し上ぼされ、遁逃(とんたう)に據(よんんどこ)ろ無し。早く身の暇まを給はるべきの旨、奏し訖んぬ。六角東洞院(ひがしのとうゐん)の宿廬(しゆくろ)に退出の後、軍兵五條判官有範・後藤左衞門尉基淸・源三左衞門尉親長・佐々木左衞門尉廣綱・同彌太郎高重已下、襲ひ到り、暫く相ひ戰ふと雖も、朝雅、度を失ひて逃亡し、松阪邊に遁(のが)る。金持(かなぢの)六郎廣親・佐々木三郎兵衞尉盛綱等、彼の後を追ふの處、山内持壽丸(ぢじゆまる)〔後に六郎通基と號す。刑部大夫經俊が六男。〕右金吾を射留むと云々。

「箆深に射込しかば」矢柄(やがら)も深々と射抜いたによって。]

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