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2013/03/29

生物學講話 丘淺次郎 第八章 団体生活 五 制裁と良心

本文を以って全二十章の内の第八章まで全テクスト化注釈作業が終了した。



     五 制裁と良心

Karasunosu


[「からす」の巣]

 束縛のないところでは束縛を破るものもなく、隨つて制裁を加へる必要も起こらぬが、鳥類・獸類の如き、各自勝手の慾情を具へたものが群集を造つて共同の生活をして居る處で、もし一匹のものが、自分一個の慾情のために全團體に不利益な行爲をした場合には、これに制裁を加へねばならぬ。團體生活をなす動物が全團體の利害を標準として自分一個の自由の一部を犧牲とするのはその個體の義務であるが、團體の一員として、團體生活より生ずる利益に與り得ることは、これに對する權利である。されば義務を盡さぬ者には制裁として、その權利を剝奪すれば宜しいのであるが、團體をなす動物では、自己の屬する團體以外のものは皆敵であるから、團體の一員たる權利を奪はれたものは、殘餘のものから敵として取扱はれ、衆寡敵せずして到底殺され終るを免れぬ。但し二個以上の團體が相對立して競爭している場合には、各團體ともにその内の員數の減ることは、戰鬪力を減少し大に忌むべきことであるから、單に折檻を加へて將來を誡めるだけで殺さずに置くことも常である。猿類には團體生活を營む種類が澤山あるが、各團體には力の強い經驗に富んだ雄が大將となつて全體を指揮し、常に一致の行動を取るやうになつて居る。大將の命に背いた者は嚴しく罰せられ、暫時はこれに懲りて全く温良な臣民となる。但し日數を經る間には、また前の刑罰を忘れて、大將の命に從はぬやうなことも生ずる。「からす」なども近處に巣を造るものの中に、隣から巣の材料を盜み來つたもののあることが知れると、多數集まつてその一疋の「からす」を責め、交る交る啄いて終に殺してしまふ。これはたゞ一例に過ぎぬが、共同の目的のために協力して働く動物の群集には、必ず何かこれに類することがある。鳥類・獸類ともにかゝる習性を有するものは頗る多いが、多數の個體が集まつて組合を造る場合には、その秩序安寧を保つためには何かの規約が行はれなければならず、隨つてこれを破るものは組合から制裁を受けねばならぬ。そして制裁の程度には輕重があり、殺されてしまふものもあれば、半殺し位で赦されるものもある。
 以上述べた所から考へて見るに、大部の道德書や複雜な法典を所持して居るものは、人間以外の動物には無論一種もないが、義務・權利・規約・制裁などの芽生えの如きものは種々の動物の郡集で既に見る所である。また善とか惡とか良心とか同情とかいふ言葉も、かやうな程度の社會には多少當て嵌らぬこともない。これらの關係は人間の如き大きな複雜な團體では種々の事情のために判然せぬやうになつて居るが、比較的小さな團體が幾つも相對して劇しく競爭している場合を想像すると最も明瞭に知れる。團體の一員である以上は、各團體は或は戰線に立つか或は後方勤務に從事するかいづれかに於て奮鬪し、團體の不利益になることは決してせぬやうに愼まねばならぬが、人間の社會で善と名づけることは、これを小さな團體で實行すれば皆戰鬪力を增すことのみである。また惡と名づけていることは皆戰鬪力を滅ずることばかりである。例へば同僚を殺すことは惡といふが、これは戰鬪力を減ずる。同僚の危險を救ふことは善というが、これは戰鬪力を增す。虛言は惡といふが、これは同僚を誤らせて戰鬪力を減ずる。正直は善といふがこれは同僚互に信じて戰鬪力を增す。一個體が命を捨てたために全團體が助ればこれは最上の善であり、一個體が誤つたために全團體が亡びればこれは極度の惡である。大きな團體では、自殺は各個體の勝手のやうに思はれるが、百疋からなる小團體では一疋が自殺すれば戰鬪力が明に百分の一だけ減ずるから、惡と名づけねばならぬであらう。小さな團體では各個體の行爲が全團體のために有利であつたか、有害であつたかが直に明に見えるから、善の賞められ惡の罰せられる理由も極めて明瞭に知られ、善の賞められずして隱れ、惡の罰せられずして免れる如きことは決してない。そして惡の必ず罰せられることを日頃知つて居れば、自分が偶々惡を犯したときには、罰の免るべからざることを恐れてなかなか平氣では居られぬ。これが即ち良心ともいふべきものであらう。小團體同志の間に生育競爭が劇しく行はれ、善を行ふ個體から成る團體は常に生存し、惡を行ふ個體から成る團體は亡び失せれば、終には各個體が生まれながらに善のみを行ふ團體が生じ、今日の蟻・蜜蜂の如くに善もなく惡もなく良心もなく制裁もなしに、すべての個體がたゞ自分の屬する團體のためのみに働くものとなるであらう。これに反して各團體が益々大きくなり、團體間の競爭よりも團體内の個體間の競爭のほうが劇しくなれば、善は必ずしも賞せられず、惡も必ずしも罰せられず、規約は破られ良心は萎靡して、單獨生活を營む動物の狀態に幾分か近づく免れぬであらう。
[やぶちゃん注:「萎靡」は「ゐび(いび)」と読み、なえてしおれること。衰えて活力を失い、衰退することを言う。]

 生物の生涯は食つて産んで死ぬのであるが、食つて産んで死なうとすれば絶えず敵と戰はねばならぬ。そして團體を形造ることは敵と戰ふに當つて、攻めるにも防ぐにも頗る有功な方法である。身體の互に連絡して居る群體では、全部が恰も單獨生活を營む一個體の如くに働くが、若干の離れた個體が一處に集まつて幾分か力を協せ不完全な社會を造り、共同の敵と戰ひながら食つて産んで死なうとすれば、そこに義務と權利とが生じ、是非と善惡との區別が出來、同情も良心も初めて現はれる。小團體の間に劇しい競爭の行はれることが長く續けば、各團體は益々團體生活に適する方向に進歩し、その内の各個體の神經系も次第に變化して、生れながらに義務と善と同情とを行はずには居られぬものとなるであらうが、人間などの如くに團體が大きくなつて、その間の勝負が急に片附かなくなると、この方向の進歩は無論止まつてしまひ、一旦發達し掛つた同情愛他の心は、再び個體各自の生存に必要な自己中心の慾情のために壓倒せられるやうにならざるを得ない。しかも意識に現はれる所は神經系の働の一小部分であつて、その根抵はすべて無意識の範圍内に隱れて居るから、今日の人間の所業には善もあれば惡もあり、同情もすれば殘酷なこともして、自分にも不思議に思はれる程に相矛盾したことが含まれるであらう。人類に於ける道德觀念は如何にして起り、如何なる經路を經て今日の狀態までに達したかは、素より大問題であつて、そのためには隨分大部な書物も出來て居る位であるから、無論本書の中に傍ら説き盡せるわけのものではない。それ故こゝには生物全體に就いて以上簡單に述べただけに止めて置く。

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