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2013/03/10

耳嚢 巻之六 有馬家畜犬奇説の事

 有馬家畜犬奇説の事

 

 松平丹波守家法に、金瘡(きんさう)を治する奇藥あり。俗に手引(ひてか)ずと云る油藥なり。手を引(ひか)ざる内に、平癒するといふ事なり。或時有馬玄蕃頭(げんばのかみ)事、丹波守亭へ來り、物にあたりて額(ぬか)とか損じ候を、亭主氣の毒に思ひて彼(かの)藥を付しに、忽(たちまち)に愈(いえ)て跡なきが如し。是(これ)によりて、玄蕃頭、頻りに其法を懇望せしが、家に傳へる祕藥にて、當時製するにもあらず、數年貯置(たくはへおき)し品也といなみしが、武家は戰場などにて尤可貯(もつともたくはふべき)奇藥、身上(しんしやう)にかへても望みなりと切に乞(こひ)候故、然上(しかるうへ)はいなむべき樣もなし、其法は、狐を藥を以飼立(もつてかひたて)、生(いき)ながら藥に和して、油を以(もつて)煎りたつる藥の由。有馬是を聞(きき)て、いと安き事なりとて、早速領分へ申付(まうしつけ)、狐を捕へ、法の如く藥りを仕立(したて)給ひしと也。彼狐の魂魄なるか又は其狐の餘類なるや、其頃より居間へ日々夜々狐出て、百計なせども不去(さらず)。依之(これによつて)犬を飼置(かひおき)て、居間又は寢所近く差置(さしおけ)ば、狐妖さらになし。是によつて、引續(ひきつづき)右家にては犬を飼置、とのゐ等今以(もつて)なす事の由。實事なりや、人の語るに任せて書(かき)とゞめぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:実戦心得から実戦用金瘡秘薬で武辺譚連関。薬譚でその前の「幻僧奇藥を教る事」とも連関。但し、この話柄は後半の妖狐譚にこそ主眼がある。

・「松平丹波守」戸田(松平)光慈(みつちか 正徳二(一七一二)年~享保一七(一七三二)年)。享保二(一七一七)年に六歳で山城淀藩主となる。志摩鳥羽藩を経て、享保一〇(一七二五)年、信濃松本藩主六万石、戸田(松平)家第六代(第二次初代)となって同年十二月十八日に従五位下丹波守に叙位任官しているが、その七年後に享年二十一歳で夭折した(以上の記載は講談社「日本人名大辞典」及びウィキの「松平光慈」を参照した)。同人同定は岩波版の長谷川氏の注によった。注意されたい。この時、彼は、

十三~二十一歳

である。

・「手引(ひてか)ず」の読みは、岩波版の長谷川氏の読みに従った。

・「有馬玄蕃頭」有馬則維(のりふさ 延宝二(一六七四)年~元文三(一七三八)年)。筑後久留米藩第六代藩主。久留米藩有馬家第七代。宝永三(一七〇六)年に久留米藩主有馬頼旨の末期養子となって遺領を継承、同年末に従四位下玄蕃頭に叙任され(後に侍従)、正徳三(一七一三)年に初めてお国入りの許可を得ている。参照したウィキの「有馬則維」によれば、『藩主となってからは改革に努めた。当時の藩は財政が悪化しており、則維は役人の整理や実力による官吏の登用や倹約によって財政を立て直そうとした。また、家老の合議体制を弱め藩主の実権を強化した』とある。戸田光慈とは孫ほどの、三十八もの年齢差がある。この時、彼はなんと、

五十一歳~五十九歳

となる。イメージする二人には気をつけなくてはなるまい。老いを迎えた往年の古武士とさわやかな青年大名のシークエンスである。さらに、「卷之六」の執筆推定下限は文化元(一八〇四)年であるから、本話は七十年以上も前の、ひどく古い都市伝説である(だからこそ最後に最早検証不可能な「實事なりや」という附言があるのであろう)。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 有馬家に於いて畜犬致すことに纏わる奇説の事

 

 松平丹波守殿に伝わる家法に、金瘡(かなきず)を治(じ)する奇薬があり、通称「手引(ひてか)ず」という油薬で御座る。これは、「手を引かざるうちに平癒す」という謂いで御座る。

 ある時、御大(おんたい)有馬玄蕃頭則維(げんばのかみのりふさ)殿が、若き丹波守光慈(みつちか)殿の御屋敷をお訪ねになられた折り、御自身の不注意にて、ちょっとした物にぶつかられ、お額(ひたい)辺りででも御座ったか、御怪我なされた。

 亭主丹波守殿、自邸での事故なればこそ、痛く気の毒にお思いになられ、即座に、かの家伝の秘薬を申し付けて出ださせ、お塗り申し上げたところ、忽ちのうちに愈えて、これ、傷跡さえも、殆んど見えぬようになったと申す。

 これを見た玄蕃頭殿、

「――是非に!」

と頻りにその製法を懇望なされたが、丹波守殿、

「……家に伝える秘薬にて御座れば……実はこれも、近年実際に製したものでさえ御座りませぬ。……先代より数年の間、貯え置いた品にて御座れば……」

と難色を示されたが、玄蕃頭殿、

「武家にては、これ、戦場などにて、もっとも常備しておかずんばならざる奇薬で御座る! この老いたる我が身上(しんしょう)に代えても! これ、御伝授、望みなり!」

と、口上を切ってまで乞われたによって、

「……御大より、かく願われては、否み様(よう)も、これ、御座いませぬ。……さても、この製法は――狐を――まさにこの薬を以って飼いおいて育て――相応に成長致いたところで、その狐を生きながらに――これ、やはり、この薬に和して――大鍋に入れ込み――油を以って長々――煎り続けて――出来まする薬に……御座いまする。……」

との子細な伝授をなされたと申す。

 有馬殿、これを聞くや、

「それは! いと安きことじゃ!」

とて、自邸に戻らるるや、早速、領分であられた筑後は久留米の在方へと申し付けられ、狐を捕えて、伝授された法の如、かの秘薬を調合なされたと申す。

……ところが……

……その犠牲となった狐の魂魄なるか……

……はたまた……

……その生きながらに煎られて死んだ狐の……

……身内のものなるか……

……その頃より……

……玄蕃頭御屋敷の……

……その居間へ……

……これ……

……昼日中(ひるひなか)夜分を分かたず……

……狐が……

……出でて……

……これ……

呪(まじな)いやら供養やら祈禱やら……

……如何なる法を尽くしても……

……全く以って……

……妖狐の気の立ち去る気配……

……これ……

……御座ない。――

 さればこそと、複数の犬を飼い置いて、居間または寝所近くにさし置いたところ――狐妖、これ、一切、なくなったと申す。

 それ故、例の秘薬をやはり伝家と致いた有馬家におかせられては、引き続き犬を飼い置いておくことを家訓と致いて、宿直(とのい)などの折りには、今以って、居間・寝所に犬を配されておらるる由。

 以上の話、実話であるかどうかは、これ、妖しき気も致すが、人の語るに任せて、ここに書き留めておくことと致す。

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