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2013/03/18

耳嚢 巻之六 二尾檢校針術名譽の事

 二尾檢校針術名譽の事

 二尾檢校城榮(ふたをけんげうじやうえい)は針術に妙を得て、元祿の頃、紀州公へ被召出(めしいだされ)、五拾人扶持を給(たまは)り、猶(なほ)役金等も給りしが、一生無妻にて聊(いささか)欲を不知(しらず)。常に遊所へ至りて遊女を樂しみとなし、公邊に出てもいさゝか隱す事なく、其氣性剛傑ともいふべし。紀州家の愛臣、氣病にて久敷(ひさしく)不快なるを療治せしに、檢校針をおろす夜は何事もなし。當番其外君用(そのほかくんよう)にてまからざる時は其病危し。是を君も聞(きき)給ひて、檢校へ夜詰の勤番不被仰付(おほせつけられられざる)故、夜毎に彼(かの)病人の許(もと)に至りぬ。或日座敷に檢校ひとり休息しけるに、女の聲にて賴(たのみ)たき事ありといふ。いかなる事哉(や)と尋(たづね)ければ、此(この)あるじには恨(うらむ)る筋ありて、取付惱(とりつきなやま)すなり、我は野狐なり、我(わが)願ひ御身の鍼(はり)故に成就せざる間、重(かさね)ては鍼を用(もちふ)る事、容捨あるべし、若(もし)いなみ給はば御身の爲にもなるまじといひける故、檢校答けるは、汝(なんぢ)人の命をとらんとす、我は人の命を救ふを業(げふ)とす、況(いはんや)君命を請(うけ)て療治する上は、汝が望(のぞみ)、決(けつし)て承知しがたし、我に仇(あだ)なさば勝手次第、命と業とはかへがたしと申ければ、彼もの大に憤り、檢校の側へ來り、かきむしりて奧の方へ入ると覺へしに、病人以(もつて)の外(ほか)の由、奧より申(まうし)來りし故、早速立入(たちいり)、檢校も右の事を聞(きき)し故、心命を加へて鍼を下(おろ)し療養なしけるに、早速ひらき快かりしが、翌朝大庭へ年古(としふる)狐斃居(たふれゐ)たりしは、誠に檢校の心術の一鍼(いつしん)、其(その)妖は退治せると、其徒のもの、今にかたり傳へしとなり。

□やぶちゃん注
○前項連関:何と怪談四連発。妖狸譚から妖狐譚へと正統的連関でもある。
・「二尾檢校城榮」不詳。諸本に注なし。ネット検索でも掛からない。
・「紀州公」元禄の頃となると後の第八代将軍吉宗の父徳川光貞か、その嫡男徳川綱教の代となるが、ただ「紀州公」と称している点で前者であろう。
・「五拾人扶持」というのはとんでもない石高になる。ネット上の情報から江戸時代の平均的な数値で米に単純換算すると、
一人扶持=五俵=一・七五石=一七五升=一七五〇合=約二六二・五キログラム
であるから、何と、十三トン強だ! それに「役金」(幕府が幕臣に現金支給した役職手当の一種)まで! その人物の情報がまるでないというのも解せない。識者の御教授を乞うものである。
・「勤番不被仰付故」訓読したように、「勤番、仰せ付けられざる故」で問題ないが、底本では右に『(尊經閣本「勤番御免被仰付故」)』と傍注する。これだと「勤番御免、仰せ付けらる故」となり、文意としての通りはこっちの方が自然であるので、現代語訳は後者を採用した。
・「命」「業」前は「いのち」であろうが、後ろは同じく訓で「なりはひ」と読むと、朗読した際、検校の覚悟の台詞としての音(おん)が弛んでしまう気がする。かといって前を「めい」と音にすると、意味が採り難くなる。私は敢えて「命」を「いのち」と読み、「業」を「げふ(ぎょう)」と読んでおきたい。

■やぶちゃん現代語訳

 二尾検校の針術名誉の事

 二尾(ふたお)検校城栄(じょうえい)殿は、針術の技、絶妙の誉れを以って、元禄の頃、紀州公へ召し出だされ、五十人扶持を給はった上、更に役金(やっきん)などまでも給はれて御座ったが――この御仁、一生妻帯されず、また、聊かの欲をも持たるることなく、普段は遊廓へ参り、遊女らと戯るることを、これ、唯一の楽しみとなされ、公の場に出向かれても、遊廓の遊びのことを、如何にも楽しそうに話されは、聊か隠すことものう――謂わば、その御気性、これ、剛傑と申すに相応しい御方で御座ったと申す。
 さて、ある時、紀州公御寵愛の御家臣、永の気鬱の病いにて、はなはだ宜しからざるによって、二尾殿が療治致いて御座った。
 検校殿が針を下ろいた夜は何事ものう、安泰で御座ったが、検校殿が、お城の宿直(とのい)に当たっておられた折りや、その外の紀州公の御用によって、往診鍼治出来ざる折りには、その病状、甚だ危ういものとなって御座ったと申す。
 されば、これを紀州公もお聞きなられて、検校へは、夜詰宿直(とのい)の勤番の儀、これ、免除の由、仰せつけられたによって、検校殿は毎晩、かの病人の元へと往診療治に参って御座った由。
 そんなある夜のこと、いつもの通り、御家臣方屋敷へ療治に参り、その座敷にて、検校殿お一人、療治の合間とて、少しばかり休息をなさっておられたところ……
……女の声で、
「……頼みたきこと……これ……あり……」
と、申す。
 検校殿は眼の不自由なれば、その声のした方(かた)へと向き直って、
「――如何なることや?」
と質いた。すると、
「……この家(や)の主人(あるじ)には……これ……恨んでおる筋……これ……ありて……憑りつきて悩ませておる……我は……野狐……じゃが……我が願い……御身(おんみ)の鍼(はり)ゆえに成就致さぬ……どうか……重ねては鍼を用いること……これ……容捨あるべし……もし……否み給ふとならば……御身の身のためにも……これ……なりませぬぞえっ……」
と申したによって、検校、答えて、
「――汝、人の命(いのち)をとらんとす。――我れは、人の命を救うを業(ぎょう)とす。――況んや、君命を請けて療治する上は、汝が望み、これ、決して承知し難し!――我に仇をなさんとせば、これ、勝手次第!――命(いのち)と業(ぎょう)とは、これ、替え難し!」
と喝破致いたところが、かのあやかしと思しき女ならんもの、大いに憤った様子にて、検校の側へと、
――ツッ!
と寄り来たった気配の致いたかと思うと、
――シャアッツ!
という、おぞましき叫び声を挙げ、
――シャカシャカシャカシャカッ!
と検校の体を、これ、無体に掻き毟った、かと思うたところが、
――サッ!
と奧の方へと入ったと覚えた――その瞬間――
「……御病人! 以ての外の有り様にて御座いまする!……」
と、奧方より伝令の者、走り出で来たったによって、検校殿、直ちに立ち入られ――既に気鬱の病いの正体も、これ、かくの通りに聞き知って御座ったゆえ――文字通り、心命を賭して鍼を下ろし、強力苛烈なる療治をなされたと申す。……
 されば、かの病人、瞬く間に快癒致いた。……
 翌朝のこと、御屋敷の大きなる庭の隅に……年経た狐が一匹……斃れ伏して御座ったと申す。……
「……まっこと、かの検校の、心魂を込めた一撃一鍼(いっしん)の術……これ、その妖狐を美事、退治致いたので御座る!……」
と、紀州家御家中の方々、この話を今に語り伝えておらるる、とのことで御座る。

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