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2013/03/21

耳嚢 巻之六 古佛畫の事

 古佛畫の事

 

 川尻甚五郎、被咄(はなされ)けるは、彼(かの)家に古畫の由、彌陀の像を一幅持(もち)傳へしが、手足に水かきあり。不審なれば或人尋問(たづねとひ)しに、古への佛畫には手足の指に水かきあり。群生(ぐんしやう)を救ふの爲、水に入(いり)て溺るゝ者をたすけすくわんための由。大般若經とかに、三十二相揃ふといふには、右の通り手足の指に水かきありと、いひし由なり。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:「水かき」のある奇怪な阿彌陀という怪談を狙ったものかも知れぬが、これは仏の三十二相の一つとして現在でも結構知られており、現存する仏像でもしばしば見出せる。怪談連関としたのならば不発であるが、神道シンパであった根岸であるから、三十二相などというものは、彼にとってこそ「不審」なのかも知れぬ(ただ、私は昔、この手足指縵網相を誇張して示した仏像を実見した際に――根岸ではないが――何故か、生理的に気味の悪い印象を持ったことをここに告白しておく)。

・「川尻」底本鈴木氏注で、河尻春之(はるの)の誤りとし(現代語訳では訂した)、寛政四(一七九二)年に代官に任ぜられた旨記載がある。他にも奈良県五條市公式サイトの五條十八景、時代背景と関連年表にも寛政七(一七九五)年に五條代官所設置され、その初代代官に「川尻甚五郎」が就任し、その在任期間は寛政七年から享和二(一八〇二)年とあるが(引用元、享和を享保と誤っている)、調べてみると、この人物はもっと注を附すべき人物のように思われる。ウェブサイト「定有堂書店」のブック・レビューにある岩田直樹氏の今月読んだ本一二〇回「近世日本における自然と異者理解-渡辺京二『逝し世の面影』『黒船前夜』を読む-(下)によれば、この記載の後(「卷之六」の執筆推定下限は文化元(一八〇四)年七月)である文化四(一八〇七)年に幕府は蝦夷地全体を直轄地としたが、その際、函館奉行は松前奉行と改称され四人制となり、翌年に河尻春之・村垣定行・荒尾成章の三人制となったという記載と『河尻は後に転任』という補注がある。そうして文化五(一八〇八)年、本話のこのまさに河尻春之と荒尾成章が、蝦夷地警衛について老中から諮問を受けた際に、二人は次のような意見を上申したという。文化三(一八〇六)年と翌年にかけて樺太のクシュンコタンや択捉島のシャナを襲撃した『フヴォストフらの「不束」(暴行)を正式に謝罪すれば、交易を許してもよい。レザーノフを長崎で軟禁状態にして半年も待たせ、揚げ句の果て通商を拒否したのは、国家使節を迎える上で「不行届の義」であった』。『むろん交易は国法に叛くものである。しかし、ロシアの辺境と松前付属の土地との間であれば、すなわち国同士ではなく辺土同士であれば、交易をしても「軽き事」と見なすことが出来よう。ロシア極東領の食糧難を鑑みて許可すべきである』。『蝦夷地全域の警護がどれだけ非現実的か』。『今年の警護役の仙台・会津両藩は併せて』八十万石もの大藩であるのに、僅か三千人の兵を出すだけで『財政破綻の危機に瀕している。「ロシアなど恐るるに足らぬ」などと主張するのは、民の命を損なうことではないか』。『河尻と荒尾は、天命・天道に言及する。心を平静に保ち、ロシアと日本の「理非如何と糺し、…明白にその理を尽すべく候。もし、非なる処これありと存じ候ても、これを取りかざりて理を尽さず、命にかかわり候に及び候ては、国の大事を挙げ候とも、天より何と評判申すべきや」』(二七六頁)。『老中たちは、松前奉行の大胆な上申書を咎めるどころか、再来が予想されるフヴォストフに与える返書にその趣旨を取り入れた』という(以下はリンク先をお読みあれ)。河尻春之はあの幕末の動乱に向けて、自ら国の水かきたらんとした。そういう意味で、この驚くべき上申書はもっと知られてよいであろうと私は思う。

・「三十二相」で三十二相八十種好(はちじっしゅこう)。一見して分かる三十二相と微細な特徴としての八十種好を合わせたもの。「相好(そうごう)」ともいう。「三十二相」の詳細はウィキ三十二相八十種好を参照されたいが、その五番目に手足指縵網相(しゅそくまんもうそう)として、『手足の各指の間に、鳥の水かきのような金色の膜がある』とある(表現や順番は経により異同がある)。例えば個人ウェブサイト「仏像紀行」の広島県福山市草戸町の明王院・阿弥陀如来立像の写真で手のそれが確認出来る。

・「大般若經」大般若波羅蜜多経。六百余巻に及ぶ大乗仏教の基礎的教義が書かれている長短様々な般若教典を集大成したもの。玄奘が六六三年に漢訳として完成させた。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 古仏画の事

 

 河尻甚五郎春之(はるの)殿のお話。

「……拙者の家には古き仏画が御座って、阿弥陀仏の像を一幅、先祖伝来のものとして持って御座る。……ところが……これには、何と、手足に水かきが御座るのじゃ。……如何にも気味悪う、不審なれば、とある御仁に尋ね問うたところ、

『古えの仏画には手足の指に水かきがある。衆生を救わんがため、即ち、水に入りて溺るる者をも、これ、掬い取らんがためにあるのものである。』

とのことで御座って、何でも「大般若経」とやらんに、

『三十二相相い揃うと申す条には、右の通り、手足の指に水かきあり、と記しある。』

との由で御座った。」

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