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2013/04/08

一言芳談 一四五 / 奥書 / 「一言芳談」了

本ブログを以って――「一言芳談」やぶちゃん再構成補注ブログ版――を完了した。まさに同行二人として毎日ともに歩んで、欠かさずに感想を述べてくれた友に感謝するものである。ありがとう。



   一四五

 

 有(あるひと)いはく、遁世といふは、ふかく人をいとふべからず。但し、ゆゑなく人をおそるゝ、又、僻因(ひがいん)なり。いま、いとふゆゑは、ふかく名利(みやうり)をいとふゆゑなり。抑(そもそも)又、凡夫(ぼんぷ)の行人(ぎやうにん)は獨身(どくしん)にして、難治(なんぢ)なる故に、いたく名利をもよほさぬ。同行一兩人、あひかまへて、したしむべきか。それも多くならば、かたがた難あるべきなり。

 

○人をいとふべからず、一向に人をいとふもひがごとなり。ひとり住めば懈怠になるを、よき師友にそへば、わが心をはげます因緣なり。かの西仙房の事、公尊阿闍梨の事を見るべし。黑谷、明惠両上人の伝にあり。又ひとへに塵俗にかじはれば緣にふれて道心もさめやすし。處靜なればおのづから道もおこなはるゝなり。

 佛話經云、比丘在聚落身口精勤、諸佛皆憂、

 比丘在山息事安臥、諸佛皆喜。永嘉曰、

 未得道而先居山、但、見其山必忘其道。

かくのごとく、佛祖の教誡、おのおの一義によるものなり。

 法然上人云、ひとりゐて念佛申されずば、同行と共行(ぐぎやう)して申すべし。共行して申されずば、ひとりこもりゐて申すべし、云々。

 

[やぶちゃん注:標注の漢文は続いた文であるが、全体が一字下げであるで、かくの如く配しておいた。

「僻因」捻くれた考え方。

「抑又、凡夫の行人は獨身にして、難治なる故に、いたく名利をもよほさぬ。」どうも意味が摑めない。Ⅱで大橋氏は、

『思うに、凡夫の修行者は、一人ではやりにくいから、それほどには名誉とか利欲といった心をおこさせないのです。』

と訳しておられるが、私にはこの訳でも、何か腑に落ちないでいる。一人では正しい念仏の行法を修しにくいから、複数でやる。複数でやる場合は、相互に相手の心を慮るから、自然、名誉や利欲に走るような心を、逆に起こさせにくいという便(びん)がある、という意味か?……それでもやはり不審である……識者の御教授を乞うものである。

「西仙房」不詳。識者の御教授を乞う。

「公尊阿闍梨」不詳。「鶴岡八幡宮年表」の応長元(一三一一)年五月二十三日の条に『この日、別当道珍、公尊を供僧職に補任す』とあるが、別人であろう。識者の御教授を乞う。

「黑谷」法然。

「明惠」(承安三(一一七三)年~寛喜四(一二三二)年)は華厳宗の僧。諱は高弁。栂尾(とがのおの)上人とも呼ばれる。父は平重国。現在の和歌山県有田川町出身。華厳宗中興の祖とされる。彼の名が師友に添う例の注ではあっても、ここに、しかも、法然と名を並べて登場していることに、私は驚きと不思議な因縁を隠せぬのである――それが何故、不思議な因縁であるかは――今は語らない。――しかし近日中には――その意味がお分かり頂けるであろう――。彼は四十歳も年上の法然を、非常に高く評価し、尊敬もしていたが、建久元(一一九〇)年に法然が「選択本願念仏集」を著わすや、その内容を正法に反するものとして義憤を発し、法然が没する建暦二(一二一二)年に法然批判の書「摧邪輪(ざいじゃりん)」を著しているのである(翌年にも「摧邪輪荘厳記」を著して追加批判をさえしている)。

「佛話經云、比丘在聚落身口精勤、諸佛皆憂、比丘在山息事安臥、諸佛皆喜。永嘉曰、未得道而先居山、但、見其山必忘其道。」Ⅰの訓点を参考に書き下しておく。

 

「佛話經」に云はく、「比丘、聚落(じゆらく)に在れば、身口、精勤なるも、諸佛、皆、憂ひ、比丘、山に在りて事を息めて安臥すれば、諸佛、皆、喜ぶ。」と。永嘉曰く、「未だ道を得ずして、先づ山に居(きよ)せば、但だ、其の山を見て必ず其の道を忘る。」と。」

 

 

 

「佛話經」は単に仏説の経、ブッダの教えを記した古仏典といった謂いであろうか。本引用が具体的に何という経によるものかは不詳。識者の御教授を乞う。

「永嘉」は永嘉玄覚(ようかげんかく 六六五年~七一三年)で唐初の禅僧。禅宗六祖慧能の直弟子。「六祖壇経」の内容を再構成した「証道歌」という日本の曹洞宗で現在でも読まれている経の作者であるとされているが、歴史学的な証拠は存在しない。また、その他、玄覚の生涯については殆んど記録が残っておらず、詳しいことは分かっていない(以上はウィキ永嘉玄覚に拠った)。]

 

 

 

  依輔定所望難去早速馳筆

  于時寛正第四載孟夏上弦之比

        頽齡五十五

        洛下田畔野叟 朱印

 

○是は慶安年中、板行本の奥書なり。輔定、なに人ぞ、考見るべし。或云、江州佐和山に古本有。徹書記の筆也。是はその本の奥書なり。朱印に正徹とありとぞ。

 

[やぶちゃん注:Ⅲは最後の二行がなく、二行ほど空いて、

 

一言芳談卷之下終   慶安元年林甚右衞門刊

 

とある(Ⅱも同じコンセプト)。また示した標註はⅠにはなく、Ⅱの脚注にあるものを起こした。Ⅱでは更に大橋氏によって、この『慶安年中云々」は、慶安元年林甚右衛門刊を指す』とある。ところが不思議なことに、Ⅱには注はもとより、訳者解題の版本流伝の解説中にも、このⅠにある「頽齡五十五/洛下田畔野叟 朱印」の部分の記載がない。

 Ⅱの訓点(Ⅰ・Ⅲは白文)を参考に漢文部分を書き下しておく。

 

  輔定(すけさだ)の所望、去り難きに依つて早速に筆を馳(はし)らす。

  時に寛正第四載の孟夏、上弦の比(ころ)。

 

「寛正第四載」西暦一四六三年。室町時代で幕府将軍は足利義政。

「慶安元年」慶安元年は西暦一六四八年。正保五年二月十五日に改元された。幕府将軍は徳川家光。

「田畔野叟」が雅号であるが、正徹の現存するそれにはないものと思われる。

「徹書記」「正徹」正徹(しょうてつ 永徳元(一三八一)年~長禄三(一四五九)年)は室町中期の臨済僧で歌人。道号は清巌(岩)、庵号は招(松)月庵。石清水八幡宮に仕える祀官一族の出身で、父は小松(または小田)康清といわれ、備中国(現在の岡山県)小田郡の小田荘を知行していた。俗名は正清。和歌を冷泉為尹と今川了俊(貞世)に学んだ。応永二一(一四一四)年に出家して法号を正徹と号した。京都東福寺の書記であったことから徹書記とも呼称された。室町幕府六代将軍足利義教に忌避されて謫居(たっきょ)となる。そのためか、「新続古今和歌集」に正徹の歌は入集していない。義教の没後は歌壇に復帰して活躍。歌人のみならず古典学者としても評価をされており、義政に「源氏物語」の講義を行った事蹟が知られる。二万首近くの詠歌が現存する室町期最大の歌人で、歌風も際立って特色があり、二条派からは異端視されたものの、藤原定家を尊崇し、時に前衛的・象徴的・夢幻的で、独自の幽玄の風体を開拓した。門下には心敬らがいる。家集に「草根集」、歌論に「正徹物語」がある。古典学者としては「源氏物語」の研究のほか、「伊勢物語」などの物語類や藤原定家などの歌人の家集などの古典籍の書写を行っており、現存の伝本流布にも貢献している。中でも正徹の書写した「徒然草」は現存最古の写本として重要なものであり、彼が『つれづれ草は枕草子をつぎて書きたる物也』として両書を同じ文学形態として初めて認めた点で文学史家としての優れた着眼点を持っていたと言える(以上はウィキの「正徹」に拠った)。]

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